拉致監禁に深く関与した弁護士紀藤正樹先生の、脱会屋・宮村峻との関係を、とてもコンパクトに読みやすくTKMTさんが示唆している記事 こちら がある。
このTKMTさんnoteで引用されている、MKさんの陳述書 こちら を、改めて、紙に出して全文を熟読した。
は、迫真性がある、、、
拉致監禁がどれだけ酷いか。脱会屋の宮村峻がどれだけ酷いか。拉致監禁に関与した弁護士紀藤正樹先生が、どれだけ深く関わっていたか。
全文を読んでいただきたいですが、いくつか抜粋。
■ 私は6ヶ月間喋らずにいたので,この頃になると口の神経が麻痺してしまい,声を出そうとしても,「ヒー」などの音になるだけで,うまく喋ることができませんでした。このため,私は筆談でこのことを伝えました。(中略)
■ 普通に喋れるようになるには3日かかりました。
■ 私は,婚姻無効裁判を起こさない限り,リハビリ生活からは解放されないのだと気付きました。そこで私は意に反して婚姻無効裁判を提起することに同意しました。
■ 裁判は,宮村の知り合いの紀藤正樹弁護士に委任することとなりました。紀藤弁護士と会うときは,両親の付き添いで紀尾井町にある紀藤弁護士の事務所に行きました。
■ 当時はこうして,いつも誰かがどこかの監禁専用部屋に監禁され,脱会するとリハビリを受け,それが終わるとまた次の人が同じ部屋に拉致監禁され,脱会説得を受ける,ということがほぼ流れ作業的に繰り返し行われていました。
■ 結局,リハビリ生活から解放するか否かの決定権は宮村がもっており,宮村の許可なしには,スタッフも親も何もできないシステムになっているのでした。
■ 拉致監禁の決行までの教育の期間に統一教会信者の親族等はこのようなシステムに則った行動をとるよう徹底した教育を(注・宮村から)受けていたようです。
■ 1998年9月頃,婚姻無効の判決が出て裁判が終わると,私は2年7ヶ月ぶりに荻窪フラワーホームから解放されました。
■ 宮村のことが人間的に好きになれなかった理由は,あからさまな拉致監禁をしておきながら,「保護,救出」などと言い換えて詭弁を用いていたこと,脱会説得中の人格攻撃が激しいことからです。