【執筆原稿から抜粋】
渋沢栄一とライバル岩崎弥太郎
三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎と渋沢栄一はほぼ同世代です。
両者を比較して、「弥太郎はワンマン財閥を作ったけど、渋沢栄一は私利のために財閥を作らなかった」と渋沢は美化されます。
たしかにそういう側面もありますが、事実として渋沢財閥は存在し、戦後にGHQから財閥指定も受けています。
渋沢が大財閥を作らなかったのは、子育てに失敗したからです。事業承継に失敗したからです。
外では論語や商業道徳を説いていながら、私生活ではお妾さんと同居し、多くの婚外子がいました。
長男の篤二はそんな言行不一致の父親を見てグレた遊び人になり、渋沢から廃嫡されました。相続権の否定です。
現代の価値観から過去をすべて断罪すべきではありません。
明治天皇も妾を持っていたような当時の価値観に鑑み、女性関係に寛容になりたい気持ちはあります。
それでもなお、篤二廃嫡はやはり渋沢の汚点ではないでしょうか。当時でも、福沢諭吉のように一切女性問題を起こさない潔癖で理想的な家庭人もいました。
なお、「岩崎四代」として知られる三菱財閥の草創期のトップ(弥之助、弥太郎、小弥太、久弥)は、子育てと事業承継に成功しました。
子どもには貧乏させ、留学させ、そして財閥トップを50歳前後で次世代に譲り、それにより今に続く天下の三菱財閥を形成しました。
岩崎家は家庭教育と事業承継で渋沢家に勝ったのです。
渋沢が女性問題を起こさずに篤二が立派に育っていれば、渋沢財閥が三菱を凌いでいたかも? そんなイフを考えるのも歴史の面白さです。