今日のクライアントとの打ち合わせで思った。労務は帰納的。演繹的ではなく。
こういうシチュエーションではどうするか。上司の態度。部下の振る舞い。部下の特質。上司との関係。その人の体調。機嫌。
ってな感じで、「変数」が多い。多すぎる。
だから定型化できない。
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たとえば、最近話題の、ハラハラ。ハラ・ハラ。何でもかんでもパワハラだというハラスメント。
ほんとうのパワハラに対しては、被害者に同乗して、誠実に接すればよい。
だけど、ある限度を超えて、必要以上のことを求めるGreedyな「被害者」に対しては、「誠意」は通じない。誠意が仇になる。誠意につけ込む下品な輩はいつの世にもいる。
そう。
「被害者」に対しては、あるステージから、「誠意」を「交渉」に切り替えないといけないのです。
じゃあ、どのステージ、どの段階、なにをきっかけにして「誠意」を「交渉」に切り替えるのか?
私にはまだ言語化できない。
ってか、永久に言語化できないし、むしろ、言語化しないほうがいいのでは。
言語化=ルール化すると、それを金科玉条に、演繹的に、的外れに、あてはめちゃう。現実との齟齬を生じがち。
Aタイプの人には当てはまったけど、Bタイプの人には当てはまらない、など。
かように、労務は、帰納的。
あったりまえのことかもしれないけど、本日の打ち合わせで、改めて強く感じました。
会社の人事・総務部にはエリートが集まる。こういう「帰納的」な、定性的な作業をする能力があるから、人事総務部は「出世ルート」なのかもしれない。