「至誠通天」。至誠、天に通ず。
孟子の言葉としている人がとても多いが(林官房長官など、こちら)、孟子の言葉ではない。
孟子の大ファンだった吉田松陰の言葉としている人も多いが、松陰の言葉でもないはずだ。
自然発生期に生まれた言葉?
ま、いずれにせよ、松陰が好きだった孟子の
至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり
を表す言葉。
松陰はこういう、精神主義というか楽観主義というか、悪く言えばナイーブなところがありました。
彼の言葉に
一誠兆人を感ぜしむ
ってのがあります。私の「誠」は一「兆」の人を感動させるんだ、と。
すごい思い上がり。すごい気概。すごい楽天的。
彼は、その「一誠」「至誠」でアメリカに行こうとしたが、行けず、挫折(下田渡海事件)。
その後5年半、幽囚の生活を続け、刑死しました。我々が知る松陰の言葉は、ほぼすべて、この死の前5年半の幽囚生活の中で出された手紙からです。
獄中の囚人が悔しさを吐き散らした言葉です。それが晋作ら松下村塾塾生を奮い立たしめ、後世の人達を奮い立たしめました。
本稿は以下の2冊に負っています。