「大西郷」と崇められる、聖人君子のような、人間の鑑のような西郷隆盛が、なぜ、「愚にもつかぬ」西南戦争を引き起こし、愚にもつかぬ負け方をしたか。
レイテ海戦の「栗田反転」と同じくらいの、日本史の七不思議。
先日の拙稿 こちら でいくつか提示しましたが、小川原正道『西南戦争』を読みながら思うのは、病気説。
当時、西郷は49歳。更年期ではある。
沖永良部の拭きざらし牢で罹患したフィラリア症で、陰嚢が顔くらいに肥大した。のみならず、そのフィラリアで脳・精神がやられたのでは、、、
調べると、フィラリアで脳へのダメージはない。
ただ、以下の通り、急性発作がある。
慢性のリンパ腫脹や象皮病に伴い、しばしば、皮膚、リンパ節、リンパ管での局所炎症による急性発作が起こります。この発作のいくつかは、寄生虫に対する身体の免疫反応によって引き起こされます。
そのほとんどは、リンパ系組織が障害されることによって正常な防御機構が部分的に失われ、その皮膚に二次的に細菌が感染した結果によるものです。
こういった急性発作は悪化し、数週間続くこともあり、リンパ系フィラリア症に苦しむ人々の収入の喪失の主たる原因となります
他のサイトでは「免疫低下による他の症状との合併症」の危険もささやかれている。
沖永良部以後、西郷は五体満足ではなかった。西南戦争のころは、一生懸命湯治していたらしいし、彼が犬を連れているのも、「ウサギを採るため」。
と、沖永良部の西郷南洲記念館の館長が説明されていた。
「なんでウサギ採るんですか」って私が訊いたら、「ウサギの皮で、出っ張ってぶら下がった陰嚢を持ち上げるんです」だって。
ウサギの皮を追い求めるほど、陰嚢の収納場所に困っていた西郷。馬にも乗れない。籠にしか乗れない。
フィラリアの毒は、リンパに来る。陰嚢のみならず、身体の他のリンパにも象皮的な醜貌が発生したかもしれない。フィラリア病の別名は象皮病だ。
更年期の西郷が、象皮のように醜く肥大する陰嚢を抱え、急性発作とかもあって、精神がやられていた可能性は否定できない、、、