サムシング・グレイトへの畏れを持つか持たぬかは、5分話をすれば分かる。
特に、それなりの、人生観が問われるような会話をすれば、如実に分かる。
天への畏れを抱かぬ傲慢さは、言葉の端々、そして表情の下品さに、必ず出る。
我々はこうして「見られて」いる。
人は「話せば分かる」んです。
人、焉(いずく)んぞ隠さんや。
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以下の本を読みながら、このようにひらめきました。
『企業倫理の力』 ブランチャード&ピール (清流出版、2000年)
(なぜかAmazonリンク貼れない)
海外の人が書いた本は、また日本人との感覚と違って、刺激になる。
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ちなみに、「サムシング・グレイト」は、天とか神とか造物主とかの絶対者を、天理教の村上和雄教授が表現したものです。
日本人には分かりにくい英語ですが、いい表現だと思う。
それに代わる日本語は、、、今のところ思い付かない。
漢籍をたくさん読んで、「天」が私のボキャブラリーになっちゃったからなぁ。
いい表現があるかどうか、考えておこう。