渋沢栄一は、女子教育にも執心だった。
最晩年の90歳くらいから、半年だけ、日本女子大の第3代学長を務めているし。こちら
一緒に「帰一協会」を立ち上げた初代学長・成瀬仁蔵との縁による。
ちなみにこの「帰一協会」ってのは、仏・儒・神・基のあらゆる宗教を一つにしちまおうって豪壮なプロジェクト。今の家庭連合(旧統一教会)がやろうとしていることと似ている。
しかし。
そんな渋沢栄一も、当時の男性一般に漏れず、男尊女卑だった。男尊女卑的な発言をしていた。
彼が妻妾同居させたり、下半身に品がなかったことはよく知られている。
のみならず、
「女子が生意気になっては困る」
「学問をして日本女性の美徳を損なうのではないか」
などと言っていたらしい(渋澤研究会、1999)。
以下の本の90頁。
いろいろ本を読むと、人間を複層的に理解できますね。。。
河合敦さんの本を興味深く読んでいたら、一つ、引っかかる箇所に遭遇。
「英雄色を好む」は歴史が証明している
的な。
え。
その論理性の甘さに、違和感しかない。語尾の「歴史が証明」の下品さに、言葉を選ばず言えば、虫唾が走る。
何を「歴史が証明」したのですか。
ちなみに、渋沢栄一の女性関係が派手だったという文脈で。
そのお行儀の悪さを弁護したいようだ。
性的衝動(リビドー)と活動力・行動意欲の関係をフロイト的な心理学から説明するなら、まだ分かる。
しかし。
「歴史が証明」?
何を「歴史が証明」したのだろう。
「英雄色を好む」というように、性欲旺盛な人が活動的で、英雄的に社会の発展に寄与してきた、と言いたいんだろう。
確かに、そういう側面もあろう。人生はバイタリティだから、立派な、活躍している人間に、性欲が強い人間が多い、と。
私も、私の経験から、かつて、このブログでも「英雄色を好む」的な考えを擁護したことがあった。
「英雄が色を好む」のではなく、「色を好むと英雄的に行動的になれる」って文脈で。
その仔細はあえて繰り返さない。
しかし。
性欲旺盛な人間が、どれだけ、世間に迷惑をかけてきたか。
終戦時の露助。引き揚げのどさくさに紛れて日本女性を犯しまくったロシア兵。
人肉の佐川さんなんかはちょっと例外ですが、皆さんの周りにも、異性関係がだらしなくって、周りから総スカンの人がいませんか。
この河合「英雄色を好むを歴史が証明」に対抗する形で、仮説を立ててみる。
「英雄が色を好む」ように見えるのは、「英雄」がワガママでワンマンで権力を振りかざしているから、その「色を好む」行為に誰も異を唱えることができないだけ。
「英雄」のお行儀の悪さを、周りが指摘することが憚られる。怖くて指摘できない。
だから英雄の下半身が野放しになる。英雄のスケベさが公になる。
毛沢東が天下の美女を連れ込んで毎夜ハーレムの悦楽に浸っていたように。
つまり、「英雄」になっちゃうと、その「色を好む」行為に歯止めが効かなくなる。カネもあるし、権力もあるから。
本当は、英雄じゃない下っ端も、同じようにスケベなんだけど、金と権力がないから、「色を好む」行為ができないだけ、なのかもしれない。
要するに cannot afford 。金銭的に余裕がない。
金銭その他、「色を好む」ことができて許される環境にあれば、英雄じゃなくても色を好むのでは。
実際、安価に女性とコトを致すことができる大阪の飛田新地に行く人の中で、「英雄」的に社会で活躍している人は多くあるまい。
値段は張るが、吉原のソープ街に通う人の中に「英雄」はどれくらいいるんだろうか。
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まとめます。
「英雄色を好む」は、「英雄は性欲が旺盛だ」という意味ではない。
「英雄は、性欲発散して傍若無人・酒池肉林的に振る舞えるカネ・権力がある」ってだけの話ではないのか。
河合敦さん。
「歴史が証明」って書いてますが、何を歴史が証明したんですか。
しっかり論じていただきたい。
※ 「〜は歴史が証明」みたいな、手垢のついた、ませた中学生が書くような、陳腐な表現を使うのがいけない。本当に、自分の頭で考えて、自分の肚で咀嚼して、自分の言葉で書いていない。
自分の頭で考え、自分の肚で咀嚼し、自分の言葉を誠実に紡ぐ人は、軽々に「〜は歴史が証明している」なんて大きなテーゼを、大上段から偉そうに書かない。
結婚は、修行である。
そんな言葉がひらめいてきた。人生論っぽい本を執筆しているんですが、そのネタになるかなと。
どんな意味で修行かというと、、、
- 価値観の違う人と、長く暮らしていく修行。
- 自分を失わない修行。価値観を配偶者に侵されない修行。
- 嫌なことをする修行。共同生活には嫌なことが伴う。掃除、ゴミ捨て、、
- 家族が増えれば、その分、自由も減る。可処分時間が減る。
- 論理ではなく共感を。結果目標ではなく状態目標を。左脳ではなく右脳を。
- 「何かを達成すること」ではなく。「ただ、長く一緒にいる」こと。そこに価値と目標を定める。
私の子どもたちにも、一人でお気楽に過ごすのよりも、上記の意味での、修行にチャレンジしてほしいと思う。
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家庭連合の2~3割の人は、今でも、異国の人と結婚する。
上記の意味での、「修行」のレベルが高い。
草の根からの平和運動を頑張っていらっしゃるそうです。
たいした教義ではないか。
アドラー心理学を学び直している。
NLPでやる「感覚の3タイプ(視覚、聴覚、触覚)」。アドラー心理学でも使う。
名称は、NLPでは「優位感覚」。アドラー心理学では単に「感覚タイプ」。
たとえば、
- 視覚タイプは、行楽地に行ったときに、景色を思い出す。
- 聴覚タイプは、行楽地のさざ波とか、風の音とか。
- 触覚タイプは、行楽地の気候が暑かったとか、階段登るのに疲れたとか、を言う。
殊に、2の「聴覚」タイプは、論理を重視する。インプットのときに目が動かない(私)。
3の触覚タイプは、話が脱線する。共感を重視。
この感覚タイプ、アドラー心理学でもNLPでも使う。どっちが先なのか?
NLPは1970年~ アドラー心理学は1900年ころ~ だから、アドラー心理学の方が70年も早い。
NLPも、アドラー心理学から学んだんですかねえ。
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今日学んだのは、この感覚の3タイプが、離婚の主原因だ、ということ。
「夫婦の価値観の相違」のほとんどは、この感覚タイプの違い。
例えば、旦那が聴覚タイプで、論理重視。
妻は触覚タイプで、共感重視。
そんな組み合わせのときに、妻の話に対して、夫が、「で、結局何が言いたいの?」とか「結論から言ってくれないかな」とか言っちゃうやつ。
私もたまにこう言いたくなることある、、
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この3タイプ(ネット情報からある程度は学べます)を理解して、「人間には3タイプいる」ってことをしっかり理解しておくと、夫婦の不和のほとんどは解消されます!
見合い結婚と恋愛結婚の割合推移。
1967年くらいに、逆転して、恋愛結婚の時代に。
ここ10年のグラフはないが、10年前の2015年と大差ないだろう。
しかし。
最近は、マッチングアプリ・サービスでの結婚も増えている。それももし「見合い」に入れると、少子化のうねりを受けて(結婚相手を探す焦りからマッチング利用は増えている)、「見合い」割合は上昇に転じるのではないか。
家庭連合の合同結婚式が攻撃されたのも、この「恋愛結婚至上主義」の時代の流れから。
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久しぶりに内田樹の本を読んでいて、相変わらずのウチダ節「結婚はリスクヘッジ」論を拝読している。
内田先生もお見合い結婚には価値を認めているはずだ。
旅行とか病気とか老後を考えると、「惚れた相手と結婚する」恋愛結婚モデルには限界があって、「どんな人とでも長く暮らしていける」お見合い的結婚モデルに軍配が上がる。
私は恋愛結婚ですが、私の子どもたちには、恋愛でもなくてもいいから、結婚だけはしてほしいと思う。
どんな人間も配偶者の影響を受ける。
例えば、弁護士として相続相談を受けたりすると、相続問題のほとんどは、法定相続人(血の繋がった兄弟姉妹)が問題ではなく、その配偶者(血が繋がっていない人)が原因だと分かる。
家庭連合に対して嘘をついているとして強く非難されている小川さゆりや鈴木みらいも、配偶者の影響を受けている。
立派な人間でも、配偶者の誤った考えに、同情的・同調的になっちゃって、考えが歪むことがある。
そんな例はいくつもある。
配偶者との関係が悪いと、家庭の外の仕事のパフォーマンスに影響するから、「配偶者心理に同調する」のは、ある意味、適切な生存戦略。
私だって、家庭では常に妻に平身低頭していますが、これも、妻のご機嫌をとって、私の仕事のパフォーマンスを落とさないため。クライアント様のため。
これって要するに、プチ同調圧力。配偶者からの「自分の意見に同調せよ」との圧力に屈しているということ。配偶者の「心理的影響下」にあるということ。
家庭連合信者の書いた念書について、公序良俗違反から無効と最高裁判所が判断した。
その理由で「念書作成した老婦人は長年家庭連合の心理的影響下にあったから、利害得失を離れて冷静な判断をすることが困難だった」と判示された。
いやいや。
なにかの「心理的影響下」にある人は、とても多い。どんな人間も配偶者の「心理的影響下」だ。
じゃあそういう既婚者がみな「利害得失を離れて冷静な判断をすることが困難」なわけではあるまい。
もちろん、既婚者が作成した念書がみな公序良俗違反に反して無効になるわけはない。
今回のこの老婦人念書事件の、「心理的影響下にあると利害得失を離れて冷静な判断をすることが困難」(だから作成した文書は公序良俗に反して無効)って考えが、広く(宗教界以外にも)広がらないことを願う。
家庭円満が大事。
家庭円満が、仕事に大事。家庭がギスギスしていると、いい仕事もできない。
世界平和とかカッコいいことを言う前に、まず家庭を円満にせよ。
そんな「シャンパンタワーの法則」的なことを信じている。
「そこまでやるか、をどこまでやるか」をモットーにしている私は、だから家庭でも、「これ以上愛せない」ってくらいに妻を愛することにしている。
具体的には、妻を愛する言葉を、ほぼ毎日、口にするようにしている。
より具体的には、「100万回生まれ変わったら100万回結婚しようね❤」といつも妻に言っている。
今朝も言ってきた。
ちなみに妻は、控えめな女性なのでw、「うーん」とか「まぁ…」とか、ユーモアを利かせる心のゆとりがあるときは「えー、でも大事なときにいないからなぁ」とか、私をチクリと攻撃してくる。
数年前のすっごい台風で、洪水から家族で避難するときに、私が欧州にいたりしたからw
読者諸賢に問う。
「100万回生まれ変わったら100万回結婚しようね❤」
に優る愛の言葉があるのでしょうか。
あったら教えて下さい。明日から謹んで採用させていただきます!
最近1ヶ月くらい、毎日自分に課しているのが、妻の肩もみ。
3人の子育てをほぼ一手に引き受けてくれているから、、、
家庭での様子を見ていると、私なんかよりはるかに忙しそうにしている、、、
肩こりが解消してくれれば、という思いもあるけど、感謝の気持ちを伝えようと思って、毎日肩もみしています。
通りすがりのツツジ。
ツツジなんか、人生で何度も見たことがあるんだろうけど、「綺麗だな」と思ったのは初めて。
女性が車に興味を示さないのと同様、世の男性の多くは花に興味を示さない。私も例外ではない。
しかし、50歳になると、こうして、なんでも綺麗に見える。
なんでも愛おしく見える。
なんでも感謝したくなる。
これが歳を重ねるってことなんでしょう。
花見って、子どもの頃より、大人になってからの方が、味わい深いですよね?
ツツジを拙宅に植えることを、妻に相談してみます!
私と同世代の、高津笑(えみ)っていう別嬪の司法書士先生がいらっしゃる。私の事務所ビルの5階でオフィスを構えている。
お子さんを障害で亡くされた。18トリソミーって難病。今も障害がある子を特別養子で迎えて、子育てに奮闘中。
そのえも言われぬ奮闘と哀しみと運命との格闘が、一冊の本になりました。
腹を痛めた子を亡くす、、、 それだけでどんだけ重いショックか、、、 男性には絶対に分からない気持ち。死んでも「共感できる」なんて軽々に言えない、、、
でも彼女は、その辛さ、悔しさ、虚しさ、、、、を一切外に表さない。表情に見せない。
いつも明るく気丈に振る舞っている。
だから私は思う。
高津さんは強い。
女は強い。
男が逆立ちしても、太刀打ちできない。死んでも敵わない。
そんな「女の強さ」を体現したような高津さんが、「奇跡の人」と表現されている。
そうなんだろう。私のビルに「奇跡の人」がいる。
まだ途中ですが、読み終えるのが楽しみ。
多摩全生園に行ってきた。
よかった。
資料館では、夫婦でハンセン病施設・全生園に入っている人たち(夜は通い婚)が、8人部屋に13人も、鮨詰めに詰め込まれて…という話を聞いた。
同じ部屋の、衝立ての向こう、1メートル隣では別の夫婦が寝ている、、
プライバシーもなにもあったものではない。
「野獣のような夜」がそこにあった。
なお、夫婦でハンセン病の場合、男性は、断種を強制された。
パイプカット、です。
人権なんてなかった。
北条民雄が書いたように、ハンセン病になると、「人間ではなくなる」。

人間ではない生き物が、蠢いている。
命だけが、びくびく、動いている。

そう表現できるような、悲惨と絶望が、ありました。
そこから何を学ぶか。
まずは彼ら被害者に思いを致すこと。
まずはWarm heart になること。
Cool head はその次でいい。
Warm heart でないと、いい知恵も浮かんできませんから。