IDDM21年目

~病気のこと・日々のこと~

節約

2011年03月26日 | その他
地震のあと、なんだか落ち着かず会社へ行っても仕事やる気がおきません。節電節ガスで切られた暖房。足も手も冷えて集中力もなし。3月なのにこんなに雪がちらつくって・・・コンビニもスタンドも開いていない暗い道を帰って来て、余震に揺らされながらご飯食べてテレビを見て・・・・お風呂は、余震が怖いのもあってすぐに出るようにしていて、毎日洗っていた髪は、
水の節約、灯油の節約、ドライヤーによる電力の節約と、三拍子揃うので、いちにちおきか、仕事が休みとなれば、ふつか置きくらいの洗髪になりました。今は節約が絶対的に必要な時です。こういう生活に慣れなきゃ!!


わさが足にけがをしました。

視界が悪く、窮屈そうです。

エリザベス、早く取れるといいね。
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給油して

2011年03月22日 | その他
朝5時から7時にかけ、ガソリンスタンドに並び、受け取った整理券で、朝9時半、給油へ向かい、1時間20分並んでやっと順番が巡ってきました。3千円分、約20リッターかなぁと思ったら!満タン給油OK!!行きなれないセルフスタンド・・・
満タンのボタンを押し・・・・49.7リッター、入りました。泣きそうでした。
気持ちが満たされて、朝新聞で見た、「避難所のみなさんがここから程近い温泉に入浴にやってくるので、下着類の支援物資を募集します」という呼びかけに応えるべく、満タンの車で出かけることにしました。母親が買いに行き、事情を話したら、お店の人が開店前に店を開けてくれたそうです。感謝感謝!受け入れ場所へ行くと、持ちこまれたたくさんの物が集まっていました・・・・・

集まったたくさんの思いやり・・・胸があつくなりました。久しぶりのお風呂でさっぱりして、新しい下着を使って・・・
これで少しでも気持ちよくなってもらえたらいいな。もっともっとこれからできることをして行きたい。私たちが普通の暮らしに戻ることで、被災した方々の暮らしのたてなおしも進んでいくんだと信じたいです。





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通勤路

2011年03月20日 | その他
流通が整わず、材料不足で休みになっている企業が多いせいもありますが、何よりガソリン不足、道路から車が消えました。

夜も「しん」としていて、変な気分です。
そんな中、賑わっているのは、わずかに数店開いているスタンドに向かう列。仕事の帰り道夜7時、すでに明日の開店を待つ路上駐車の車が今日も行列を作っていました。エンジンが切れていて、中に運転手はいません。完全に駐車違反ですが、こんな時だからか警察も容認なのかな。今日は日曜日で、ガソリンを運ぶタンクローリーが続々入って来ているという噂を聞きつけた車がいつもよりさらに長い行列を作っていたという話しです。給油のリッター制限があるため何度も足を運ぶことになり・・・・結局、このガソリンスタンド行列、しばらくの間解消されそうにないのかも。私が給油できる日はいつになるのでしょう。明日も難しそうです。東日本全般的に難しいそうですね。「ガソリンがない。」もちろんなくても生きて行けるけど、気持ちに余裕がなくなります。そんな自分が情けない…。
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省みる機会

2011年03月19日 | その他
今日は休み。のんびり過ごしています。

地震の次の日仕事に行くと岩手県全域停電が続いていたのでもちろん会社も停電。冷え対策に着込んで出勤したはいいけれど、電気がなく、やれる仕事が限られていてほぼ仕事にならず。地震で落ちたものを片付けたりして過ごし、夕方少し早めに帰宅させてもらいました。
電気がある生活があたりまえになっていた私に、電気のありがたさを感じさせてくれた32時間。貴重な時間でした。
地震の次の夜、電気もないし、早寝に限る!と9時30分に布団に入ったものの足の冷たいのと寒さとで眠れずにいると、「ついたついた!」と母親が騒ぐ声で飛び起きました。車に乗り、いそいでいろいろな復旧作業をしに会社へ。電気のついた通り、明るい街頭、電源をオンにしたままだった明るい銀行のフロア、お弁当屋さんの看板、役目を果たすようになった信号機・・・躍る気持ちが止まらず、明るいってこんなにすごいんだ!と感じました。
今はガソリンが入れられなくて不自由してます。それと、お店もほぼ開いていません。それでも開いてるとこみつけたら、すかさず必要なものを買い物してく…という感じで。これは、これまでのような生活をして来た私にとってはストレスになり。これまでは、運転すればどこへでも行けて、週に何回か友達に会って外食して、スポーツジム行って、温泉行って、映画みて、カラオケ行って、アロマ行って、食べたいものがあったらコンビニで何でも買えて・・・とても、贅沢でした。現時点ではそのどれもが機能していません。やりたいことが何でもできた生活。それは贅沢でありがたいことだったんだと、思い知らされます。
・・・幸せというより、気まますぎた気もします。だけどそういうことができたからストレスをためずに仕事して毎日
意欲的に生きてこられたことも事実で。とは言え、今、ストレスを感じている自分を恥ずかしく思います。
今日は休みですが車を動かせません。でかけると言ってもお店もほとんど開いていません。こうしてネットができる環境。これもまた、贅沢です。いろんなことに感謝しながら、慎ましく生きていきたいと思いました。
様々な場面でいろんな催しの中止や延期について、賛否両論あるようです。長引く自粛は経済的によくないと私も思います。
被災したみなさんのためにできることを惜しまず続けて行きながら、世の中をもとに戻していくこと、それが被災地の復興にも繋がって行きます。被災地にとってマイナスになることならないこと、私たち内陸に入ってくる物資をまずは被災地に回す、
ガソリン、灯油をまずはそちらに。これ、当然のこと。平泉、前沢、各地で中止を決定した4月5月の春まつり、さくらまつり。・・・当然といいきれず、悶々としています。残念なことにたくさんの犠牲者が出たこの大震災。いまだに行方がわからない人もたくさんいます。テレビがその哀しみ、不安を伝えるたびに涙がでます。
津波から逃れ助かり、これからまた新しく1から!と前向きに避難生活をすごしている人の力強い声、避難所で一生懸命手伝っている中高校生の笑顔を見たときにも涙が出て、泣いてばかりです。
この地がこの地震によって暗く悲惨なだけの場所にならないよう、ガソリン不足のためにあちこちで起きている小競り合いなどには、人の本性が現れるのかとがっかりさせられるけれど、こういう時、何か明るい気持ちになれるものがあればと、
震災から一週間、人の心がすさまないように。私のストレスもどうにか解消されますように。






















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地震のあと

2011年03月18日 | その他
あの地震から一週間が経ちました。
心配のメールやコメント、本当にありがとうございました。心細いとき、なにより励みになりました。私は無事です。3.11、電話が通じず電気も使えなくなったけれど、岩手が被災地とされる中、余震の恐怖にさらされつつも、ガスと水が使えた私は、贅沢すぎる環境におりました。海側の地域では、大変なことが起こりました・・・大規模な地震が、近いうちに起きると囁かれていて、心の準備はしていたつもりだったけれど、こんな悲惨な事態になるとは専門家でも想定外だったとのこと。次の日の夜10時半、停電から電気が復旧し、テレビが見られるようになり、映し出されたその惨状を見て涙がでました。いつも行っていた大好きな場所が、4日前にも行った大船渡、陸前高田が、大変なことになっていて・・・・犠牲になった人の数がラジオから聞こえるたび、取り返しのつかない大変なことが起きてしまったと、ショックでショックで、そして、避難している人たち、津波の脅威を目の当たりにした皆さんの気持ちを考えるととても胸が痛みました。私にできることがあったら、なんでもやって助けたい!とずっと考えていました。今は義援金を送るくらいしかできないかもしれないけれど、これからもずっと考えて行きたいです。
地震の日、さくら野百貨店の3階にいました。ゆさゆさと横揺れが始まって、これ以上強くはならないでしょ?、と思っているとどんどん強く揺れ、さらに、「これ以上にはならないでしょ?!」と自分に言い聞かせるけれど、さらにさらに強くなって行く地震。長く長くどんどん強くなり、これでもか!というくらいに揺れます。立てかけてあったついたての壁が倒れて来たけれど、意外と冷静にそれを受け止めていました。バチッと館内の照明が消えると、怖がる子供達が悲鳴をあげ泣いていました。非常口の案内看板がびかびかとフラッシュするのが、恐怖を倍増させました。その地震は、次々と襲いかかる余震がすきまなく続いたため、結局何分間程度だったのかはっきりわからないけれど、今まで経験したことのない長くて強いもので・・・。まだ揺れている最中、携帯に母親から電話がありました。興奮状態でしたが私の無事がわかるとほっとしていました。その後電話は一切つながらなくなりました。立体駐車場に停めてある車を外に出せず、しばらく1階でおろおろうろうろしていたけれど、その間にも何度も何度も余震が起きました。道路は渋滞、消防車や救急車がたくさん走っていて、これは大変なことが起きているんじゃないか?と思いつつ、その地震の震度も、津波が発生していることも、何にも知らずにただうろたえるばかり。公衆電話から一般電話にならつながるという噂を聞きつけ、会社に電話。そこで宮城では震度6とか7とか聞きました。震度7?!1時間ほどで車を駐車場から出し、30キロ離れた家へと帰ります。道路は信号が消えていて、高速道路の閉鎖のせいか、渋滞・・・。そして、新しい九年橋も通行止め。電話はダメだったけれどメールは生きていて、車を運転している間、たくさんメールが届きました。ラジオによると・・・津波が発生しているらしい・・・・・メールを見ると岩手や宮城以外でもかなり揺れたとのこと、この世は、大丈夫だろうか、なんて思ったりした。
ラジオから電気の復旧のメドたたずと聞きつけた人々が、電気の消えたコンビニに殺到していました。私も今夜のためにと降り立ち、カップラーメンを家族分買いました。電気が止まりバーコードもレジも使えないので、お客さんに金額を自己申告してもらって、電卓で計算していました。私のカップラーメンとヨーグルトは860円、混雑と停電とで混乱している店員さんの様子を見ていると千円札から「おつりはいいです」と言わずにはいられませんでした。たくさん回り道をして一時間以上かけて自宅にたどりついて見ると、さびれた家のように玄関に飾った額縁が外れて斜めになっていて、台所へ行くとコップや茶碗が割れて散乱しています。恐る恐る、自分の寝室に行ってみると

やられちった・・・・・  本棚が倒れています。どの部屋もひどいことになっていました。余震があるからと、まだこれを片づける気分になれず、いまだ本棚は倒れたままです。夜の完全な停電は初めてかもしれません。電池は地震のあと一瞬で売り切れたため、懐中電灯は節約、ろうそくに頼るしかなかったけれど、

お仏壇用のろうそく・・・余震のたびに危険が伴いました・・・。普段から活用していた反射式の石油ストーブは停電の時に助かるということがわかりました。温かいだけでなく、明るい・・・。ラジオからは大惨事となっていることが伝わってきました。地震による火災の発生、たくさんの行方不明者の安否情報、余震の震度、停電復旧の見込みのないこと・・・嘘みたいな報道ばかりでした。その日は服を着て、ドアをできるだけ解放し、いつでも逃げられるようにして、眠れぬ夜をすごしたのでした。
今もまだ閉まっているお店が多いのだけれど、食べ物もインスリンも十分にあり、生きるのに不自由はありません。ガソリンがなくて困る程度です。スタンドの油不足を知り、早めに買っておいた自転車で通勤する予定が、思いがけない雪降りで挫折し残り少ないガソリンで車通勤してしまっています。いったいいつになれば給油できるのか今は不安もあるけれど、自分よりもまずは一刻も早く、被災地の沿岸方面に灯油、ガソリンが届くといいです。この寒さに震えているかと思うと・・・・・胸が苦しくなります。どうかせめて避難所を温かく!!!!こまっちょさん・・・・・ストーブ届けたいよ。食料は足りてるかな・・・・無事はわかったけれど、本当に心配だよ。できることなら迎えに行って、どこかでお風呂にいれてあげたいな。
みんなが元の生活に・・・せめて普通の生活ができるようになるまでどれくらいかかるんだろう。昨日まで途方にくれてしまっていたけれど、ほんの少し明るい話題が、岩手では早速仮設住宅の着工がはじまるとのこと。今は耐えて、少しずつでも前に向かって行けるよう、ずっと応援したいし、できることがあれば私も全力で協力したいです。自衛隊のみなさんもがんばってくれているようです。一日も早く、普通の生活が戻りますように・・・・・そして福島の原発の事故も長期化することのないようこちらも祈るばかりです。






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