IDDM21年目

~病気のこと・日々のこと~

地震のあと

2011年03月18日 | その他
あの地震から一週間が経ちました。
心配のメールやコメント、本当にありがとうございました。心細いとき、なにより励みになりました。私は無事です。3.11、電話が通じず電気も使えなくなったけれど、岩手が被災地とされる中、余震の恐怖にさらされつつも、ガスと水が使えた私は、贅沢すぎる環境におりました。海側の地域では、大変なことが起こりました・・・大規模な地震が、近いうちに起きると囁かれていて、心の準備はしていたつもりだったけれど、こんな悲惨な事態になるとは専門家でも想定外だったとのこと。次の日の夜10時半、停電から電気が復旧し、テレビが見られるようになり、映し出されたその惨状を見て涙がでました。いつも行っていた大好きな場所が、4日前にも行った大船渡、陸前高田が、大変なことになっていて・・・・犠牲になった人の数がラジオから聞こえるたび、取り返しのつかない大変なことが起きてしまったと、ショックでショックで、そして、避難している人たち、津波の脅威を目の当たりにした皆さんの気持ちを考えるととても胸が痛みました。私にできることがあったら、なんでもやって助けたい!とずっと考えていました。今は義援金を送るくらいしかできないかもしれないけれど、これからもずっと考えて行きたいです。
地震の日、さくら野百貨店の3階にいました。ゆさゆさと横揺れが始まって、これ以上強くはならないでしょ?、と思っているとどんどん強く揺れ、さらに、「これ以上にはならないでしょ?!」と自分に言い聞かせるけれど、さらにさらに強くなって行く地震。長く長くどんどん強くなり、これでもか!というくらいに揺れます。立てかけてあったついたての壁が倒れて来たけれど、意外と冷静にそれを受け止めていました。バチッと館内の照明が消えると、怖がる子供達が悲鳴をあげ泣いていました。非常口の案内看板がびかびかとフラッシュするのが、恐怖を倍増させました。その地震は、次々と襲いかかる余震がすきまなく続いたため、結局何分間程度だったのかはっきりわからないけれど、今まで経験したことのない長くて強いもので・・・。まだ揺れている最中、携帯に母親から電話がありました。興奮状態でしたが私の無事がわかるとほっとしていました。その後電話は一切つながらなくなりました。立体駐車場に停めてある車を外に出せず、しばらく1階でおろおろうろうろしていたけれど、その間にも何度も何度も余震が起きました。道路は渋滞、消防車や救急車がたくさん走っていて、これは大変なことが起きているんじゃないか?と思いつつ、その地震の震度も、津波が発生していることも、何にも知らずにただうろたえるばかり。公衆電話から一般電話にならつながるという噂を聞きつけ、会社に電話。そこで宮城では震度6とか7とか聞きました。震度7?!1時間ほどで車を駐車場から出し、30キロ離れた家へと帰ります。道路は信号が消えていて、高速道路の閉鎖のせいか、渋滞・・・。そして、新しい九年橋も通行止め。電話はダメだったけれどメールは生きていて、車を運転している間、たくさんメールが届きました。ラジオによると・・・津波が発生しているらしい・・・・・メールを見ると岩手や宮城以外でもかなり揺れたとのこと、この世は、大丈夫だろうか、なんて思ったりした。
ラジオから電気の復旧のメドたたずと聞きつけた人々が、電気の消えたコンビニに殺到していました。私も今夜のためにと降り立ち、カップラーメンを家族分買いました。電気が止まりバーコードもレジも使えないので、お客さんに金額を自己申告してもらって、電卓で計算していました。私のカップラーメンとヨーグルトは860円、混雑と停電とで混乱している店員さんの様子を見ていると千円札から「おつりはいいです」と言わずにはいられませんでした。たくさん回り道をして一時間以上かけて自宅にたどりついて見ると、さびれた家のように玄関に飾った額縁が外れて斜めになっていて、台所へ行くとコップや茶碗が割れて散乱しています。恐る恐る、自分の寝室に行ってみると

やられちった・・・・・  本棚が倒れています。どの部屋もひどいことになっていました。余震があるからと、まだこれを片づける気分になれず、いまだ本棚は倒れたままです。夜の完全な停電は初めてかもしれません。電池は地震のあと一瞬で売り切れたため、懐中電灯は節約、ろうそくに頼るしかなかったけれど、

お仏壇用のろうそく・・・余震のたびに危険が伴いました・・・。普段から活用していた反射式の石油ストーブは停電の時に助かるということがわかりました。温かいだけでなく、明るい・・・。ラジオからは大惨事となっていることが伝わってきました。地震による火災の発生、たくさんの行方不明者の安否情報、余震の震度、停電復旧の見込みのないこと・・・嘘みたいな報道ばかりでした。その日は服を着て、ドアをできるだけ解放し、いつでも逃げられるようにして、眠れぬ夜をすごしたのでした。
今もまだ閉まっているお店が多いのだけれど、食べ物もインスリンも十分にあり、生きるのに不自由はありません。ガソリンがなくて困る程度です。スタンドの油不足を知り、早めに買っておいた自転車で通勤する予定が、思いがけない雪降りで挫折し残り少ないガソリンで車通勤してしまっています。いったいいつになれば給油できるのか今は不安もあるけれど、自分よりもまずは一刻も早く、被災地の沿岸方面に灯油、ガソリンが届くといいです。この寒さに震えているかと思うと・・・・・胸が苦しくなります。どうかせめて避難所を温かく!!!!こまっちょさん・・・・・ストーブ届けたいよ。食料は足りてるかな・・・・無事はわかったけれど、本当に心配だよ。できることなら迎えに行って、どこかでお風呂にいれてあげたいな。
みんなが元の生活に・・・せめて普通の生活ができるようになるまでどれくらいかかるんだろう。昨日まで途方にくれてしまっていたけれど、ほんの少し明るい話題が、岩手では早速仮設住宅の着工がはじまるとのこと。今は耐えて、少しずつでも前に向かって行けるよう、ずっと応援したいし、できることがあれば私も全力で協力したいです。自衛隊のみなさんもがんばってくれているようです。一日も早く、普通の生活が戻りますように・・・・・そして福島の原発の事故も長期化することのないようこちらも祈るばかりです。






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