先日、朝日新聞と東大との共同シンポジウムに参加するため再び東大を訪れた。
紅葉で前回とはキャンパスの姿が色を変え多くの人たちがあちこちで写真を撮っていたので
自分も躊躇うことなくカメラを手にすることができた。
先日新宿のユニクロへ行った時にあちこちから中国語が聞こえしかも昔とは異なり身なりでは一見して中国人とは
判らないということに驚いたがこのキャンパス内で写真を撮っている人たちからも中国語が聞こえてくるが
観光客なのか、留学生なのかはわからない。
これが初めて肉眼で見た安田講堂で今回の会場となる。表玄関は思っていたより小じんまりしている。
16歳の時アメリカで初めてカルフォルニア大学(UCLA)のキャンパスを見た時にはその規模に呆然としたし、
講堂の外で地べたに座りハンバーガーをほおばる学生がそこらじゅにいるのにも驚いた。
その3年後、ミネソタ大学に通う事になっているとは想像できなかったがミネソタ大学には西キャンパスと東キャンパスが
あり、西から東まで橋を渡り歩いて15分はかかったと思う。校内のあちこちには有料のパーキングスペースも確保され
メインの講堂にはカフェテリアも用意されていたので実際にはいったいいくつのカフェテリアがあったのかわからない。
ミネソタ大学には大学病院も併設されており、屋上から急患用のヘリが飛び立ったり着地したりするのを初めて見た時には
ものすごい驚きがあった。
わたしの住んでいたアパートは大学から徒歩10分程度のところで部屋は半地下になっていた。
(半分地下に潜り半分地上に出ている)時にはマイナス30度まで記録する寒い地域で年間通して半分は雪に覆われているので
その対策のためと思われるが窓の位置に道路の縁石が見え外を歩く人の足が見えるのにはどうも慣れない感覚だった。
日差しもあまり入らないのに地下の部屋の方が(確か)家賃が高かったのも違和感があった。
そんな事を思い出しながら、、、やっぱりキャンパスは時の流れがゆっくりしていていい空間だな。
歩いているだけで利口になった気がする。
年配の参加者の人たちも講堂の撮影をしていた。
どういう気持ちで写真を撮っているのかな?と非常に気になった。
安田講堂の内部は想像を遥かに越えた広さだった。
あの正面から見た建物の内部にこれだけの広さの空間があるとはとても想像できない。
4階まであり1144席あるそうだ。
今回の内容は「情報社会と民主主義」について。
内容はかなり難しかったが中国の徹底した情報管理体制は非常に興味深かった。
特に五毛党と呼ばれる政府から雇われた人たちが世論誘導の為にネットに書き込みをしており、そうした存在が30万人もいるというから驚く。
そしてそれを政府の方針として正式に認めてるというから更に驚きだ。
最近のウィキリークスの問題もそうだが今後この情報社会が政治問題に大きく影響してくることは間違いないだろうが
氾濫する情報の中で自分たちが信じられるものは一体何なのか?
アナリストではなく、真実を語り真に行動できるリーダーはどう育つのか?
インターネットがない時代は親や先生、周りの人達が話してくれた事を信頼して
学習してきた。信頼出来る内容かどうかは人間を見て判断をしてきた。
今回のこのシンポジウムの参加者はほとんどがインターネット世代ではない白髪の初老の男性で、東大生と思える人達がパラパラ、後は報道関係者とみえる人たちだけだった。
白髪の初老の男性がどういう人達かはわからない。しかし、奥さんを連れてカジュアルな格好をして参加している人たちが
多くいた。インターネットなどとても使うにこと大変な思いをしているだろう世代の人たちが一生懸命メモをとって話を
聞いている姿に私はある意味反省とも言える思いがふつふつと湧いて出てきた。
自分の国を発展させたいとか、いいものにしたいとか、平和であるようにという思いの原動力は何だろう。
それは今の自分の気持ちの中にも確実にある、自分の子供たち、愛する者の為である。
先人が作ってくれた平和なのにそれが自分自身に説明できる何の根拠もなくずっと続くと思っていた事が
情けないと思う。
Q-ちゃんの風邪が移ったらしく朝から朦朧としていて気が進まなかったが行って得るものは大きかった。
紅葉で前回とはキャンパスの姿が色を変え多くの人たちがあちこちで写真を撮っていたので
自分も躊躇うことなくカメラを手にすることができた。
先日新宿のユニクロへ行った時にあちこちから中国語が聞こえしかも昔とは異なり身なりでは一見して中国人とは
判らないということに驚いたがこのキャンパス内で写真を撮っている人たちからも中国語が聞こえてくるが
観光客なのか、留学生なのかはわからない。
これが初めて肉眼で見た安田講堂で今回の会場となる。表玄関は思っていたより小じんまりしている。
16歳の時アメリカで初めてカルフォルニア大学(UCLA)のキャンパスを見た時にはその規模に呆然としたし、
講堂の外で地べたに座りハンバーガーをほおばる学生がそこらじゅにいるのにも驚いた。
その3年後、ミネソタ大学に通う事になっているとは想像できなかったがミネソタ大学には西キャンパスと東キャンパスが
あり、西から東まで橋を渡り歩いて15分はかかったと思う。校内のあちこちには有料のパーキングスペースも確保され
メインの講堂にはカフェテリアも用意されていたので実際にはいったいいくつのカフェテリアがあったのかわからない。
ミネソタ大学には大学病院も併設されており、屋上から急患用のヘリが飛び立ったり着地したりするのを初めて見た時には
ものすごい驚きがあった。
わたしの住んでいたアパートは大学から徒歩10分程度のところで部屋は半地下になっていた。
(半分地下に潜り半分地上に出ている)時にはマイナス30度まで記録する寒い地域で年間通して半分は雪に覆われているので
その対策のためと思われるが窓の位置に道路の縁石が見え外を歩く人の足が見えるのにはどうも慣れない感覚だった。
日差しもあまり入らないのに地下の部屋の方が(確か)家賃が高かったのも違和感があった。
そんな事を思い出しながら、、、やっぱりキャンパスは時の流れがゆっくりしていていい空間だな。
歩いているだけで利口になった気がする。
年配の参加者の人たちも講堂の撮影をしていた。
どういう気持ちで写真を撮っているのかな?と非常に気になった。
安田講堂の内部は想像を遥かに越えた広さだった。
あの正面から見た建物の内部にこれだけの広さの空間があるとはとても想像できない。
4階まであり1144席あるそうだ。
今回の内容は「情報社会と民主主義」について。
内容はかなり難しかったが中国の徹底した情報管理体制は非常に興味深かった。
特に五毛党と呼ばれる政府から雇われた人たちが世論誘導の為にネットに書き込みをしており、そうした存在が30万人もいるというから驚く。
そしてそれを政府の方針として正式に認めてるというから更に驚きだ。
最近のウィキリークスの問題もそうだが今後この情報社会が政治問題に大きく影響してくることは間違いないだろうが
氾濫する情報の中で自分たちが信じられるものは一体何なのか?
アナリストではなく、真実を語り真に行動できるリーダーはどう育つのか?
インターネットがない時代は親や先生、周りの人達が話してくれた事を信頼して
学習してきた。信頼出来る内容かどうかは人間を見て判断をしてきた。
今回のこのシンポジウムの参加者はほとんどがインターネット世代ではない白髪の初老の男性で、東大生と思える人達がパラパラ、後は報道関係者とみえる人たちだけだった。
白髪の初老の男性がどういう人達かはわからない。しかし、奥さんを連れてカジュアルな格好をして参加している人たちが
多くいた。インターネットなどとても使うにこと大変な思いをしているだろう世代の人たちが一生懸命メモをとって話を
聞いている姿に私はある意味反省とも言える思いがふつふつと湧いて出てきた。
自分の国を発展させたいとか、いいものにしたいとか、平和であるようにという思いの原動力は何だろう。
それは今の自分の気持ちの中にも確実にある、自分の子供たち、愛する者の為である。
先人が作ってくれた平和なのにそれが自分自身に説明できる何の根拠もなくずっと続くと思っていた事が
情けないと思う。
Q-ちゃんの風邪が移ったらしく朝から朦朧としていて気が進まなかったが行って得るものは大きかった。
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