デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー(術後10年クリアーし"卒がん")、海外旅行記、 吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

リタイア記念トルコ紀行 3 ( イスタンブールは大都会 )

2013-09-29 13:28:58 | 旅行記
 イスタンブールは「大都会」です
 カイセリからイスタンブールに戻りました。とは言えイスタンブールで市街に出るのは初めてです。バスで市内に向かいながら「さすが大都会!」の印象。
 車中でトルコ人ガイドのHさんからイスタンブールの交通事情のレクがありました。
トルコでは車は信号を守っても歩行者は信号を無視します。絶対にトルコ人の真似をしないで下さい
 後日、トルコ人の真似をした私は…たいへんなこと!になりました。




 超特急
 お昼は、新市街にあるトルコでは有名な日本食レストランにて。
 漬物、茄子の煮びたし、厚焼玉子、海老の天麩羅、味噌汁、ご飯、メロン。問題!は大きな海老2尾の天麩羅。食べきれない方もいたのに私は妻の1尾を加え3尾を食べきりました。これが原因かどうか、以後、私の快便は超!快便、超特急…カンベン!してくださ~い(泣)




 不思議な宮殿アヤソフィア
 新市街からマルマラ(マーブル=大理石)海に沿って旧市街のアヤソフィア宮殿(博物館)へ。アヤソフィアは、ピラミッド・万里の長城と並び「世界三大建造物」と称されるビザンチン建築の最高傑作です。
 バチカンも威厳に満ちた大聖堂ですが、バチカンよりはるかに歴史のある(4世紀)アヤソフィアの壮麗な大聖堂に一歩入ると歴史の重みをズシリと感じます。高56m×横75m×70m。二大帝国(東ローマ・オスマントルコ)、二大宗教(キリスト・イスラム)の管理下、現在は博物館として見学できる不思議な宮殿です。




 宮殿二階の回廊にあるキリストの壁画は、かなりの部分剥がされています。大地震、偶像(聖像)破壊などによるものとされていますが、破壊されてなお美しい聖画です。



 ここでも「一緒に写真を」と声をかけられる
 アヤソフィアではイスラムの装いのお嬢さんに「日本の方ですか?」と声をかけられました。トルコの方だと思ったら意外にも「ドイツから観光にきた」そうで、「一緒に写真を撮らせて下さい」と。ここでもやっぱり「親日」を感じました。 ちなみに(ちなまなくてもいいのですが…)声をかけられたのはここでも妻。私は一度も声をかけられませんでした、空港で声をかけられボディチェックされたとき以外は…(泣)



 荘厳なブルーモスク
 アヤソフィアと向かい合うように、6本のミナレット(尖塔)に囲まれ聳え立つのはブルーモスク、正式にはスルタンアフメット・ジャミィ(17世紀前半に建造)。海外からの観光客は勿論、国内外のイスラム教徒の巡礼者も加わり異様な熱気が感じられました。



 大聖堂の天井部は直径31m、高さ56m。内部を飾るタイルは、ステンドグラスから入る光に照らされ青く輝いていることから「ブルーモスクと」呼ばれます。



 ブルーモスクで「割礼の儀式」に正装して臨む少年を見ました。少年、まだ知らないのでしょうねぇ。この後、泣くんでしょうなあ…。想像するだけで…ちぢみます(笑)



 イスラムの結婚式 
 ホテルのロビーで結婚式に臨むカップルに出遭いました。お二人さん、まぁお仲のお宜しいこと! 新郎さん、今のうちですよ、その笑顔! そのうち渋い顔になり泣きっ面に… ホッホッホ!



 ホテルの庭で結婚式が始まりました。皆さん華麗にドレスアップ。一見ハイソな人々です。しかし未明まで大音響の音楽が流れる披露宴にすっかり寝不足になりました。



 イスタンブールの夜は更けて
 ホテル7階の部屋から見た夜景。十五夜!と言いたいのですが、残念!十四夜なり。



 ヨソの妻サマ
 寝不足のまま朝食へ。トルコのどのホテルもそうですが、ここもバイキング。が、さすがヒルトンの格式、他よりちょっと良さそう。珈琲をさがしていると、「席までお運びします」(さすが!)。で、澄ました顔して?妻の席で食事をしていたら、なんと私の妻ではなくヨソの妻サマがやって来られました。えっ? 私の勘違いでした。私の妻はそのお隣のテーブルでした。

 秘宝財宝あふれるトプカプ宮殿
 二日目はトプカプ宮殿から。オスマン朝トルコ(1299~1922)の軍政両面にわたる統治の本拠。入口「幸福の門」前は観光客であふれていました。 
 庭園前で博識のガイドHさん恒例の直前レク。「宝物館の白磁や青磁の皿は約4万枚」「エメラルドが埋込まれた短剣をお見逃しなく」「漁師がスプーン3本と原石を交換した86キャラットの巨大ダイヤ」etc.
 宝物館は入場まで約30分、長蛇の列です。内部は撮影禁止のため、寧ろじっくり!拝見できました。ここの宝石を見ると余りのスケールの大きさに何を見ても驚かなくなるかもしれません。日本のヘンテコ鑑定団ではよう値がつけられますまい。




 トプカプ宮殿のもう一つの売り!は「ハーレム」。入場料も別に払います。ちなみにトプカプ宮殿としては20TL(¥900)、ハーレムは別に15TL。
 ハーレムには最盛時2千人の美女がかしづき、そのうちスルタンと結ばれるのは、イスラムの教えに従い、スルタンの母が選ぶ4人の女性に限られます。スルタンにも女性達にも幸せな世界ではなかったようです。
 ハーレムに入ると、窓は殆どステンドグラス、そして壁という壁を飾るタイルの美しいこと…。壁のタイルが光と風にコラボし、ハーレムの華やかさ、もの哀しさがあたりの空気を揺らしているようでした。




 古墳時代!の大土木工事・・・地下宮殿
 地下宮殿。真っ暗な地下にコリント様式の柱が並んでいます(336柱)。実はビザンチン帝国時代の4~6世紀に造られた貯水場です。日本はまだ古墳時代に141×73m、貯水量8万トンの地下貯水場建造。世界史で見る世界はスケールが違います。



 ヒポドゥロームの日本人孤爺!
 この一帯にはヒポドゥロームと呼ばれる大きな広場があります。2世紀に古代競馬場として造られ、10万人を収容する規模の大競技場でした。
 この広場で 日本人の年配の男性が迷い子、否、迷い爺さんになっておられました。「わし、ツァーに置きざりにされた」「なんとかしてくれ」と。なんとかって…ホテル名も添乗員さんの名も「知らん!」。奥様もご一緒だったらしい。もしや奥様、このままダンナ様に消えてほしいと?




 買い物タイムはバザールで
 「グランドバザール」と「エジプシャンバザール」(場所は別)。バザールでは自由行動になり、ガイドのHさんから「騙されないための賢い買物」「万引・スリからの護身術」のレクを受けました。
 私と妻はここには興味がなく、翌日の自由行動で予定しているエジプシャンバザールでの買物の予行演習気分、買う気も本気もナッシング!です。
 昼食後から始まった超!快便。いつ 制限時間いっぱい!待ったナシ!になるかわかりません。バザールの有料トイレから5分以内を安全圏に行ったり来たり。実際、待ったナシの軍配がかえった時はトイレに直行、即!ヨーイ・・・ベン! トイレは腰から上がオープンドア~… 品よく慎重な音出しに努めました。




 イスタンブールの妖しい夜
 怪しい者ではありませんが、妖しい夜の宴・・・ツァーメンバーといっしょにベリーダンスショー(夕食付12,000TL)にまいりました。
 私は敬虔な仏教徒、モロ肌脱いだ女性の踊りは遠慮したかったのに、妻が「行こう!行こう!ときかないもので・・・。まぁ女性が妖しく踊っている時は目を閉じていればいいのだと観念、行くことにしました。 
 ショーではつぎつぎ豊満な美女の妖しい踊り。妻が『ほら!ほら~っ!おとうさん、ど~するの~』なんて囃すものですから、厭々(興味津々?)目を見開いておりました。
 各国のお客さんもステージに上げられ共演! 感心したのは日本の若い男子諸君、それはもぅ堂々とカッコよく踊っては会場の笑いをとりました。君たちがいれば日本もベリー!大丈夫ダンス!
 楽団のショータイムでは各国を代表する曲を演奏し盛り上げます。日本は「上を向いて歩こう」。曲が流れると我々も歌いました、闇にまぎれて声高らかに…。声は闇に紛れなかったのが計算外でした。




 「マケて~!」と叫ぶもの約一名
 この間つぎつぎ料理が運ばれて来ます。ステージに気をとられ、否、雑念を払うに精神を集中し折角の美味しい料理を殆ど頂けなかったことは真に口惜しいことでした。
 最後はフロアーでみんな肩をくみ阿波踊り? けど アセナさんはまだじゃない? トルコのベリーダンス界を代表するアセナさん、「アセナのダンスはアートです」と聞いてたのに 休演? ガックシ! どなたも「カネカエセ~」なんてお下品なことは仰いませんが「マケて~」って思った人約1名。誰? ワタシ!




 どうにも覚えにくいドルマバフチェ宮殿
 イスタンブール最終日。Tさん母娘と一緒にドルマバフチェ宮殿へ行きました。この「ドルマバフチェ」なる名称、一回では、否、数回聞いても覚えられません。
 タクシム広場から「フニキュレル」(地下鉄)でカバシュ駅へ。駅から宮殿までは徒歩10分余、この日は陽射しが強くてクラクラしました。 
 19世紀半ばにヨーロッパ様式で建てられた宮殿、見学はトルコ語と英語の2コース。英語!を選びましたが、よく聴き取れない私は妻に小声で訊いていました。豪華絢爛とりわけ重さ4.5トンのシャンデリアの部屋に圧倒されました(撮影禁止)。
 歩きながら日系2世の米国女性と話しました。ご両親は福島のご出身で大震災の日本に想いを馳せながら・・・。旅には様々な思いがけない出遭いがあります。
 庭園はボスフォラス海峡に面しています。海を眺めがらクセのある硬質な英語に連射された頭を鎮めました。土産物コーナーはここだけ!のPCマットなどがオススメです。

 


 トラムの車内で
 宮殿を出てトラムに乗りエジプシャンバザールに向いました。
 車内で、ドイツから来られたご夫婦とお話しました(笑顔のお二人)。ともにドイツ人だと思いきや奥さまはイスタンブール育ちの生粋のトルコ人でした。結婚後はドイツで暮らしていらっしゃる由。トラムの中の短い触れ合いながら ステキな笑顔が印象に残ります。




 エジプシャンバザール
 エジプシャンバザールは、グランドバザールよりグッ!と庶民的です。
 妻の本命!でもありオイル、ローズ石鹸をターゲットに、レストランの支配人が推奨するお店に行きました。買う気満々ですからそりゃもう丁寧な応対、そしてすこぶる商売上手! 何が気に入るのか即座に嗅ぎ分け的確に商品を奨めます。 
 これを!と奨められれば、はいでは! あれは?にも ソレも! エンドレス状態。私が時計を指さして切り上げさせました。エジプシャンのお兄さん、お見事!




 バザールからガラタ橋へ。橋の両側は平日昼間も釣り人で賑わっていました。釣果をレストランに売る人もいるそうで、そう言えば真剣勝負!の雰囲気でした。



 ガラクタ塔、否! ガラタ塔
 残るお目当てはガラタ塔。物見の塔として14世紀半ばに建てられた高さ67mの石造りの塔。遠見では「な~んや」程度ですが、間近で見ると圧倒的な存在感です。
 エレベータで8Fまで昇るのは大阪城そっくり。更に狭い階段を上り屋上の回廊へ。回廊はたいへん狭く、どこかの肥えたオジサンと擦れちがう際は殆どオカマ状態(泣)。一方、美しいご婦人とすれちがうときは「ソーリィ」と言いつつ至福なり。
 ここからの眺めは最高です。イスタンブール全景を遥か彼方までグルッと俯瞰できる絶景に見とれ、高所恐怖症の妻も震えながら眺めていました。フィレンツェの「花の聖母教会」クーポラに上った際も神様のご恩寵か妻が平気だったことを思い出しました。




 送電事故でトラム動かず!
 ガラタ塔からトラムでホテルに帰ることにしました。が、先刻まで走っていたトラムの姿がまったく見えません。悪い予感はあたり、トラムは送電トラブルで運休。嗚呼!
 タクシーもつかまらず徒歩でホテルへ。イスタンブールは空港ストに始まり最後はトラム運休とハプニングつづき。が、更に大きなハプニングが待ち構えていました。




 最後の一日は 最期!の一日?
 ホテルに帰ると、出発まで時間がありスーパーへ。トルコ人を真似て信号のない大通りを越えようと片側を越え分離帯に。その時いきなり水が吹きつけました。植栽への自動散水です。ビックリして反対車線に飛び出したらキキーっと耳をつんざくブレーキ!
 地面に倒れた時は一瞬!ここは天国? が、タクシーの運転手さんが私を大声で罵ります。私が敬礼するように手を上げると、彼も「ジャポン?」と微笑んで私を指さし車に戻りました。その間、後続はクラクションを鳴らせっぱなし!
 よくぞまぁ生きていたものです。勿論、帰りは200m程先の信号を渡って帰りました。皆さんには(妻を含めて)「こんなことがあって…」と笑いながら言いましたけど、イスタンブール「最後の一日」は、「最期!の一日」であったかもしれません。
 



 ボスフォラス海峡クルージング
 ホテルを発ち、最後の観光「ボスフォラス海峡クルージング」へ。200人は乗れそうな船に私達のツァー11人のみ!と言う超贅沢なクルージングでした。
 船内から、アヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ、2連泊したヒルトン、ドルマバフチェなどまるで旅のおさらいをするようにつぎつぎと眺望できます。
 ヨーロッパとアジアを結ぶ全長900mの「ボスフォラス大橋」で反転、一度も行かなかったもう一つのイスタンブール(アジアンサイド)を眺めながら帰りました。




 イスタンブールに日本・トルコ友好のメモリアルを
 海底トンネルで東西を結ぶ工事を日本のゼネコンが進めています。竣工時、日本とトルコの友好記念館を建て、トルコの軍艦エルトゥールル号遭難に関する串本の逸話、「百年前の恩返し」と言われたトルコ航空の邦人救出機派遣など両国の友好史を伝えてほしい、オリンピック開催でイスタンブールを破った東京のせめてものお返しに。
 最後の日の夕食は、トルコ政財界のトップが食事をするという有名レストランにて。何もかも豪華なレストランはトイレでさえ氷が敷き詰められた小川?で用をたす感じ。濃密な10日間を思いながら親しくなったツァーの皆さんと楽しく歓談しました。




 「来て良かった」トルコ
 空港では残りのリラを使い免税店で少し買い足した後、搭乗までの一時間余、私も妻もただただぼぉ~っと自失状態でベンチに掛けていました。 
 トルコ航空0046便のタラップを上り、往きと異なり半分以上空いた席から夜のイスタンブールを眺めつつ、「来て良かったなぁ、トルコ」と、誰にともなく呟きました。
 以上 長い旅行記をお読み下さりありがとうございました。




<リタイア記念トルコ紀行1> (出発~ベルガマ・イズミール・コンヤ・パムッカレ・カッパドキア)
  http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/d724e6e38daa86fef94d4f02604c8043
<リタイア記念トルコ紀行2> (地球の歩き方 否! 土産物の買い方)
  http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/8df5d88fcb4873895ee3e2b1e4760918

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2 コメント

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Unknown (山猫ちゃん)
2017-08-20 23:33:51
トルコ紀行楽しく拝見しています。愚息Bが大学院におりますが、昨年の学会はトルコでした。しかし治安が悪いと言うことで、行かないことになりました。そして今年は5月にスペインへ学会のために行きました。いまは8月ですが、スペインでテロがあり、いつ我が身に降りかかるか判らない気がして巻き込まれた方々がお気の毒です。
 話がそれましたが、トルコに行けなかった息子、そのためにトルコの写真をもらえなかった母の私は、デ某さんのトルコ紀行で旅行気分中です。ありがとうございます~。
 
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Re:山猫さん (デ某)
2017-08-21 01:06:08

山猫のコラットさん
コメントありがとうございます

> トルコ紀行楽しく拝見しています。
旅行記は「フォートラベル」という旅行記サイトにUPしたものを
このブログに抄録として載せています。
滅多にコメントいただけませんので じわり・・・嬉しいです。

> 愚息Bが大学院におりますが、昨年の学会はトルコでした。
> しかし治安が悪いと言うことで、行かないことになりました。
トルコは様々な意味で歴史の過渡期、色々ありますからねぇ
ご子息Bさん・・・世界史の焦点でご研究中でしょうか。
親御さんとしては本当に楽しみですよねぇ

> 今年は5月にスペインへ・・・8月ですが、スペインでテロがあり、
> いつ我が身に降りかかるか判らない気がして巻き込まれた方々がお気の毒です。
愚息も学生時代、地下鉄サリン事件の時、すぐ近くに行っていました
東北大震災のときは、筑波のある研究所にいました。
ほんと!現代はいつも危険と隣り合わせです。

> トルコに行けなかった息子・・・トルコの写真をもらえなかった母の私は、
> デ某さんのトルコ紀行で旅行気分中です。
ソラマメって穏やかな性格ですから(笑) 旅は大丈夫だと思います
機会がありましたら(安全を確認しつつ)ぜひトルコに旅なさってください。
見るものも食べるものも世界史的?な国ですから、きっと楽しめます。

私は実母と義母がちょっと手のかかる状況で今は無理ですが、
いつかまたトルコはじめ世界を旅したいと思っています。
そう思い それを愉しみに 元気をキープしたいと願っています。
ともにがんばりましょう
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