たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

伊木山城その1

2016-05-15 16:02:32 | Weblog

伊木山にお城があったこと知りませんでした・・・

なぜか登ったことも無かったんです

駐車場が午後5時には閉まるのでなかなか行けなかったんですよね


地図です


信長公記によると、織田信長は、猿ばみ城、宇留摩城を攻めるために、両城を見下ろすことのできる

伊木山に要害(砦)を築いた。

織田勢はそこで、昼夜城をにらんで滞陣した。とあります。



伊木山は、キューピーの寝姿に似ていると言われているそうですけど、どうですか?

右の小高いところに展望所があり、キューピーの鼻といわれているそうです


おいらの子供のころは、大仏さんが寝ていると言ってたような気がしますけど



中央です。  頂上が、城があった場所とおもいます。



さらに左、西の部分です。  左に岐阜城が見えます



画像大きくすると


上の画像は、伊木山の南、木曽川の堤防から撮ったものです


信頼度が低いとされる「武功夜話」には、このときのことが詳しく書かれています

詳しすぎるから、創作した偽者という声もあるようですけど、この時の木下藤吉郎の足取りを

調べたら、なかなかリアルと思うのです

藤吉郎は、まず、松倉城に着陣。隊を二つに分け、伊木山へは蜂須賀衆を川伝いに進め、

自らは松倉衆を引き連れて、魔免戸口(各務原市前渡)より中之道へ進み、

宇留間城山の西方十五町の巾上(羽場)に陣を構え、宇留間城と対陣。


およそ、このようになります



この、赤い線は岐阜城と、前度不動がある山をつないだ線です。

ちょうど、扶桑緑地公園のあたりを通ります

どういうことかというと、岐阜城(とりあえずこう呼びます)からは、山に隠れて見えないということ。

伊木山に向かった蜂須賀衆は、270人、木下藤吉郎の方も280人ほどの人数。

岐阜城からは、充分確認できる距離と思います


まったくのおいらの推理ですけど、藤吉郎はあえて岐阜城から見ないように動いたように思うのです

とすると、木曽川を渡るのは扶桑緑地公園あたりからと思います


前度不動山の北には、荒井山、長平山があり伊木山に行く道中も、岐阜城からはそれらの山に

かくれたり、低い場所もけっこうあるので見えないようです。



そして、藤吉郎が布陣した、巾上(羽場)と言うところには、藪下と言う言葉が出てきます。


引用します・・・・・巾上(羽場)の大藪下の木下藤吉郎様、御陣所へ御案内・・・・・とあります。



このあたり、おそらく古い時代に木曽川の浸食のせいで、段差が出来ています

その段差の下のことを藪下と呼んだのではないでしょうか・・・勝手に想像してます。←信頼度が低い?


伊木山の北から



そして、西を見ると

段差わかるでしょうか?


わかりやすいところズームUP



ここかどうかは、わかりませんけどね。。。
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