むかし行われた強制不妊手術に対して、違憲の判決が下された。メディアは次のように伝えている。
「旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強制されたとして、宮城県の60代と70代の女性2人が国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁(中島基至裁判長)は28日、『旧法の規定は憲法13条に違反し、無効』との判断を示した。賠償請求については、すでに請求権が失われているとして棄却した。」
(日本経済新聞5月28日)
仙台地裁のこの判決は、(一見すると)しごく真っ当なものであるように思える。憲法13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」について「最大の尊重を必要とする」と謳うが、強制不妊手術は自由権も、幸福追求権も蹂躙するものだからである。
だが、天邪鬼爺としては、あえて次の問題を提出したいと思う。コカインや大麻の使用者は、では、なぜ逮捕されるのか。逮捕という自由権の剥奪行為は、なぜ違憲とされないのか。
「おいおい、憲法13条をよく読んでみろよ」という声が聞こえて来そうである。憲法13条には、たしかに「公共の福祉に反しない限り」という限定条件が付けられている。つまり、「公共の福祉」に反する行為に対しては、憲法13条は適用されないということである。コカインや大麻の使用者が逮捕され、自由を剥奪されても「然るべきだ」とされるのは、彼らの行為が「公共の福祉」に反する行為だからなのである。
私は以前、本ブログで次のように書いたことがある。
「大麻を摂取して、国民の大半がまったりした気分になり、働く意欲を失えば、産業も社会も活気を失い、経済は停滞するだろう。それだけではない。自衛隊員の大半がドラッグにハマり、部隊の士気が衰えたりすれば、国家の防衛は一体どういうことになるのか。」(3月14日《コカインはなぜいけないのか?》)
それでは強制不妊手術の場合はどうなのだろうか。不妊手術を強制されることで自由を剥奪され、幸福追求権を蹂躙された人たちは、「公共の福祉」に反する可能性を持つ、そういう人たちだったのだろうか。ここで、次の事実を念頭におく必要がある。強制不妊手術は(旧)優生保護法に基づいて行われた、という事実である。(旧)優生保護法は、ある特定の(知的障害を持つ)人々の断種は「公共の福祉」に資することとみなしていた。
科学的(とみなされた)当時の知見からすれば、強制不妊手術は自由権や幸福追求権の侵害である以上に、「公共の福祉」のために行われるべき「然るべき」措置とみなされたのである。
今日の科学的知見からすれば、知的障害を持った人たちの断種は「公共の福祉」に資するものなどではなく、もっぱら彼らの権利を侵害するだけのものだということになるが、こうした見地から、強制不妊手術と、その法的根拠となった(旧)優生保護法を弾劾するのなら、この悪法の根拠になった(当時の)優生学的知見をも弾劾すべきだろう。
仙台地裁は、原告の賠償請求を棄却した。仙台地裁の裁判官は、弾劾すべき対象を、きちんと見通していたのかも知れない。当時の優生学には、賠償金の支払い能力などあるわけがないからね。
「旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強制されたとして、宮城県の60代と70代の女性2人が国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁(中島基至裁判長)は28日、『旧法の規定は憲法13条に違反し、無効』との判断を示した。賠償請求については、すでに請求権が失われているとして棄却した。」
(日本経済新聞5月28日)
仙台地裁のこの判決は、(一見すると)しごく真っ当なものであるように思える。憲法13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」について「最大の尊重を必要とする」と謳うが、強制不妊手術は自由権も、幸福追求権も蹂躙するものだからである。
だが、天邪鬼爺としては、あえて次の問題を提出したいと思う。コカインや大麻の使用者は、では、なぜ逮捕されるのか。逮捕という自由権の剥奪行為は、なぜ違憲とされないのか。
「おいおい、憲法13条をよく読んでみろよ」という声が聞こえて来そうである。憲法13条には、たしかに「公共の福祉に反しない限り」という限定条件が付けられている。つまり、「公共の福祉」に反する行為に対しては、憲法13条は適用されないということである。コカインや大麻の使用者が逮捕され、自由を剥奪されても「然るべきだ」とされるのは、彼らの行為が「公共の福祉」に反する行為だからなのである。
私は以前、本ブログで次のように書いたことがある。
「大麻を摂取して、国民の大半がまったりした気分になり、働く意欲を失えば、産業も社会も活気を失い、経済は停滞するだろう。それだけではない。自衛隊員の大半がドラッグにハマり、部隊の士気が衰えたりすれば、国家の防衛は一体どういうことになるのか。」(3月14日《コカインはなぜいけないのか?》)
それでは強制不妊手術の場合はどうなのだろうか。不妊手術を強制されることで自由を剥奪され、幸福追求権を蹂躙された人たちは、「公共の福祉」に反する可能性を持つ、そういう人たちだったのだろうか。ここで、次の事実を念頭におく必要がある。強制不妊手術は(旧)優生保護法に基づいて行われた、という事実である。(旧)優生保護法は、ある特定の(知的障害を持つ)人々の断種は「公共の福祉」に資することとみなしていた。
科学的(とみなされた)当時の知見からすれば、強制不妊手術は自由権や幸福追求権の侵害である以上に、「公共の福祉」のために行われるべき「然るべき」措置とみなされたのである。
今日の科学的知見からすれば、知的障害を持った人たちの断種は「公共の福祉」に資するものなどではなく、もっぱら彼らの権利を侵害するだけのものだということになるが、こうした見地から、強制不妊手術と、その法的根拠となった(旧)優生保護法を弾劾するのなら、この悪法の根拠になった(当時の)優生学的知見をも弾劾すべきだろう。
仙台地裁は、原告の賠償請求を棄却した。仙台地裁の裁判官は、弾劾すべき対象を、きちんと見通していたのかも知れない。当時の優生学には、賠償金の支払い能力などあるわけがないからね。