ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

行方不明になったAさん

2015-11-28 11:08:07 | 日記
共同体主義が崩壊して、

自由主義が幅を利かせるようになった社会、――

そこにはどんな不都合が存在するのか、

いったい何が問題なのか。

それを考えていただくために、

私の身近で実際にあったケースを二つ紹介しよう。


まずはAさんのケースから。

Aさんは、私の通所先のリハビリ施設を利用する

高齢の女性である。

彼女とは馬が合うようで、

また、施設の送迎車で隣り合わせになることも多いので、

私はこのAさんと親しく言葉を交わすようになった。

Aさんが送迎車でお婆さんたちと交わす会話から、

私は、Aさんがどの地域から通って来ているかを知り、

さらに、配偶者がどんな性格であるかも知るようになった。

彼女は脊柱管狭窄症で、要介護の認定を受けているという。

「身体のあちこちが痛くてね、辛いんですよ」

と嘆くAさんは、「それなのにお父さんは、

あたしのことをちっとも気遣ってくれないんです。

家事を全く手伝ってくれないんですよ」と

しばしばグチっていた。

そのAさんが施設を休みがちになり、やがて全く姿を見せなくなったので、

私は彼女の症状が悪化したのではないかと気になっていた。

そこで、マッサージを担当している理学療法士の青年に

このことを話してみた。

「ああ、Aさんなら、施設を変えたらしいですよ」

という答えが返ってきた。

どこの何という名前の、どういう施設なのか、と訊いたが、

「さあ、そこまではちょっと分からないですね」と

青年は答えた。

私は、Aさんがどういう理由で通所先を変えたのかを

知りたいと思い、

事情通らしいベテランの女性スタッフをつかまえて、訊いてみた。

案の定、この女性はAさんの事情を知っている素振りだったが、

「どこなの?」と私が訊くと、ちょっと間をおいてから、

「個人情報ですので、それはちょっと(教えられないんですよ)」

と答えたのだ。

私は唖然とした。

いったいなぜなのだ???

私の頭はこの疑問符で一杯になり、

一瞬の間、フリーズしてしまったようだった。

この女性スタッフは、Aさんの情報を隠すことによって、

私がAさんに与えるであろう不利益から、

Aさんをガードしようと思ったのだろう。

そうに違いない。

理由があるとしたら、私にはそれしか考えられなかった。

では、私がAさんの情報を得たとして、

Aさんに私が与える不利益とは、どういうものなのか。

どういうものだと、このスタッフの女性は考えたのか。

私がAさんの移転先の施設名を知れば、

私がAさんにストーカー行為でもはたらく

とでも彼女は思ったのだろうか。

でも、Aさんは私の母親よりも年上のお婆さんである。

そんな高齢の女性を、いくら女性だとはいえ、追いかけるほど

私は悪趣味ではない、

いや、失礼、特異な趣味の人間ではない、

いや、もとへ、物好きではない。

それともこの女性スタッフは、

私がその情報を悪用して、Aさんを騙し、

Aさんから大金をせしめようとしている

とでも思ったのだろうか。

おいおい!あんたもよく知っているように、

俺は介護者の付き添いがなければ、独りで自由に出歩くこともできない

障碍者なんだぜ!

(つづく)

*11月27日記載のブログ記事の中で、「そういう社会へに趨勢に」とあったのは、「そういう社会への趨勢に」の誤り(入力ミス)でした。お詫びして訂正します。
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「市民」の増殖と現代社会

2015-11-27 14:49:15 | 日記
共同体主義か、自由主義か。

この問題に斬り込むために、「好み」という身近な切り口を用意したが、

それでもどうにも埒が明かなかった。

ならば、次のように攻めてみてはどうだろう。

共同体主義が崩壊して、自由主義が幅を利かせるようになった

社会の姿を想定するのだ。

そして、そういう社会を、我々は受け入れることができるのかどうか、

受け入れられない何か大きな不都合が存在するのかどうかを

考えてみるのだ。

そういう社会の姿を想定してみる、と私はたった今書いたが、

そういう社会は実は近未来のものではなく、

すぐ間近に迫っていると私は考えている。

そして、そういう社会へに趨勢に拍車をかけているのが

「個人情報保護法」であり、「マイナンバー制度」であると、私は考えている。

私の見るところ、現在の日本社会には、中曽根氏が批判する意味での「市民」が

恐ろしい勢いで生み出されている。

所属が不明で、足場も個性も不確かな、そんなのっぺらぼうの「市民」を

社会にはびこらせる元凶は「個人情報保護法」だと私は考えるが、

そうであるとすれば、

これは皮肉なことだと言うしかない。

「個人情報保護法」というこの悪法を成立させたのは、

ほかならぬ自民党政権なのだから。

想像力の足りない官僚が、急場しのぎででっちあげた作文に、

おそらく政権の幹部が、意味をよく吟味しないまま

めくら判を押した結果が、これなのだ。

いったい何が問題なのか。

そこにはどんな不都合が存在するというのか。

それを考えていただくために、

私の身近で実際にあったケースを二つ紹介しよう。

              (つづく)
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好みという切り口の陥穽

2015-11-26 10:20:28 | 日記

田舎暮らしにあこがれるシニアの話とか、

都会暮らしにあこがれる田舎育ちの若者の話とか、

ああでもない、こうでもない、と

いろいろ書いていたけど、

要するにあんたは、それで何が言いたかったの?

そうお尋ねですね。分かりました。お答えします。

要するに何が言いたかったのかというと、

「好み」といっても、そこにはアンビバレントな感情が相半ばして、

せめぎ合い、だから問題をこの角度から攻めたとしても、

そう簡単に事は運びませんよ、ということなのです。

「共同体主義と自由主義のどちらをとるか」という問題を、

「濃密な人間関係と希薄な人間関係のどちらをとるか」という問題におきかえ、

そこに「好み」という身近な視点を持ち込んだとしても、

そうは問屋がおろしませんよ、と私は言いたかったのです。

(つづく)
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あこがれの田舎暮らし

2015-11-25 10:50:33 | 日記
共同体主義か、自由主義か。

この問題を、

「どちらが自分の好みに合致するか」

という観点から考えていこう。

そこでさっそく諸賢に伺いたいのだが、

最近取りざたされている「田園回帰」の現象を、

諸賢はどのように感じておられるだろうか。

この問いでもまだ漠然としていて、どうにも答えようがない、と仰るなら、

次のような現象をどう見るか、という問いにおきかえてもよい。

近年では、田舎暮らしにあこがれて、

リタイアと同時に農村に移住する人たちが増えているという。

こういう移住者たちに関心を寄せる人も少なくないようで、

テレビ番組でも彼らの姿を取りあげることが多くなった。

あなたも観たことがあると思うが(私は毎週のように観ている)、

都会から移住して、田舎暮らしを満喫する移住者たち。

そういうシニアたちを取りあげたテレビ番組を観て、

あなたはどう感じますか?

「なるほどなぁ、田舎暮らしかぁ、それもいいなぁ」と

感じるなら、あなたは田舎暮らしを嫌っていない、

むしろ好んでいることになり、

サンデル派の共同体主義者である可能性が高いことになる。

ただ、ガチガチのサンデル派である当の移住者たちが

実際に体験するであろうその後の生活は、

はたしてどうなのか。

はじめこそ新鮮に感じられた隣近所との付き合いも、

しだいに面倒になり、億劫になり、

やがては嫌気がさして、もう、うんざり・・・。

そして、彼らはそれに疲れ果ててしまうのではないか――。

そんな想像もあながち邪推ではないだろう。

そんなふうに想像するとしたら、

それは、他でもない、想像する人自身が

多少でも都会的な感性を身につけているからである。

自分の胸に手を当ててみて、私はそう思う。

たしかに、田舎暮らしにあこがれる半面、

近所付き合いを厭う都会的な感性を、

私は持ち合わせている。

けれども、ネット上の掲示板への書き込みを見る限り、

私のような感性の持ち主は、決して少数派ではないようだ。

むしろそういう感性は、田舎で生まれ育った若者たちに

強くみられる傾向らしいということも、

押さえておかねばならない。

都会生活者が田舎暮らしにあこがれをいだくように、

田舎育ちの若者は、都会生活にあこがれをいだくのである。

もっとも、都会生活にあこがれる田舎育ちの若者でも、

都会に出て一年も経てば、砂漠のように味気ない人間関係に嫌気がさし、

その殺伐とした孤独の日常に耐えきれなくなって、望郷の念に駆られ、

Uターンすることがしばしばである。

最近は新聞などでシニア層だけでなく、若年層の田園回帰が指摘されたりするが、

そんな若者の中には、都会での希薄な人間関係に嫌気がさして、

Uターンする若者たちも多分に含まれているに違いない。

                 (つづく)
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共同体主義を斬る

2015-11-24 10:34:43 | 日記

旧民主党のスローガンを批判した

中曽根元首相の発言の当否について

考えてみたいのだが、

その前に、政治思想史的な観点から、

この問題の特徴を、簡単に俯瞰しておこう。


中曽根元首相のような考え方は、

共同体主義(コミュニタリアニズム)と呼ばれ、

「ハーバード白熱教室」で有名になった

マイケル・サンデルがその代表的な論者である。

一方、彼が批判する旧民主党のような考え方は、

自由主義(リベラリズム)と呼ばれ、

『正義論』で有名な

ジョン・ロールズがその代表的な論者である。


では、我々はそのどちらの立場をとるべきなのか――。

残念なことだが、私はこの大問題に対して、「どちらが正しいのか」という

問いの刀を振りかざして、真正面から切り込んでいくことができない。

自分がそれだけの能力も技量も

持ち合わせていないことを、私はよく知っている。

では、どうすればよいのか。

成り行きとはいえ、

身の程もわきまえず、無謀にもいきなり難問をかかげてしまった

自分の愚かさを呪いながら、

私は早くも白旗をかかげたい気持ちになっている。

「なあに、簡単だよ」と言う人もいるだろう。

好きか嫌いか、の問題なら簡単だ。

だから、まずは「どちらが自分の好みに合致するのか」という

身の丈にあった問いを立てて、この問題に切り込んでいけばよい、と。

なるほど! それは名案!格好のとば口だ。

ではさっそくこのアドバイスを取り入れて、

問題に斬り込んでいくことにしよう。

                  (つづく)
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