ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

マクロンのジレンマ

2022-03-31 14:02:38 | 日記


ロシアによるウクライナ侵攻は凄惨をきわめ、良識ある全人類の非難の的になった感がある。「良識ある」と条件をつけたのは、無条件に「全人類の」とは言えない現状があるからである。

きょう目にしたネット記事《 「世界を救えるのはプーチンだけ」 アメリカの極右がウクライナ侵攻を支持する恐ろしい理由》(PRESIDENT Online 3月30日配信)によれば、アメリカの極右勢力の中に根強いプーチン擁護論が見られるという。

これはまあ神がかりの宗教みたいなものだから、ひとまず措くとして、これとは別のもっと合理的な理由から、ロシアのウクライナ侵攻を心から非難できない人もいる。そういう人物の一人として、私は先日、(ジレンマに陥った)中国の習近平国家主席を取り上げた(3月19日《習近平のジレンマ》)。

ジレンマにも様々な形がある。きょう私が取り上げるのは、フランスのマクロン大統領が陥ったジレンマである。

これはどういう形のジレンマなのか。彼はどうしてジレンマに陥ったのか。

こんな記事を読んだことがある。

「調査報道を手がけるフランスのNGO『ディスクローズ』は14日、フランスが2年前まで最新鋭の武器をロシアに輸出し続けていたと報じた。欧州連合(EU)は2014年、ウクライナ南部のクリミア半島をロシアが侵攻して併合した際、ロシアへの武器輸出を禁止する制裁を導入したが、フランスはその後も売り続けた。同NGOは、武器の一部は現在のウクライナ侵攻に使われている可能性があると指摘している。」
(朝日新聞DIGITAL 3月16日配信)

フランスはなんと!2年前までロシアに武器を輸出していた。その一部は現在のウクライナ侵攻に使われている可能性がある、と記事は伝えている。
この武器輸出の責任がマクロン大統領にあるのかどうか、私は知らないが、この記事の後段から判断する限り、責任を負うべき立場にあるのは、やはりマクロン大統領なのだろう。後段にはこう書かれている。

「マクロン大統領は15日、ロシアへの武器輸出について『国際法にのっとったものだ』と記者団に述べ、問題はないとの認識を示した。」

マクロン大統領が陥ったジレンマは、想像に難くない。彼は(ロシアに敵対すべき)NATOの一員であるフランスの、その政治的トップであり、しかももうじき大統領選挙を控えている。多数の国民の支持を得ようとするなら、彼は残虐非道なプーチンのやり口を口をきわめて非難しなければならない。

しかし反面、彼は国家首脳として国益の増大を図り、ロシアへの武器輸出を促進した立場でもある。国益をおろそかにできない彼の立場からすれば、ロシアはありがたいお得意様なのだ。

(つづく)


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深情け考

2022-03-30 13:55:23 | 日記



民放の連ドラはあらかた先週で終了した。TBSのドラマ「妻、小学生になる」もその一つだが、このドラマ、視聴率がとびきり高いわけでもないのに、ネットではそこそこ話題を呼んでいる。

私も毎週、このドラマを楽しみに見ていた。今クールの連ドラの中では、一番面白かったのではないか。

このドラマ、番組HPでは、次のように紹介されている。
「10年前に愛する妻を失い、生きる意味を失った夫とその娘が、思わぬ形で妻(母)と奇跡の再会をするところから物語は始まる。なんと妻(母)は生まれ変わって、10歳の小学生の女の子になっていた! 夫と娘はそんな妻(母)の姿に戸惑いながらも、10年ぶりに彼女に尻を叩かれ、叱咤激励される。この物語は、彼らのみならず、一家に関わる周りの人々が『生きること』に再び向き合おうとする、ちょっと変わったホームドラマである。」

10年前に亡くなった妻(母)が、夫と娘への思慕の情を断ち切れず、10歳の小学生の姿でこの世に転生する。美しい妻(石田ゆり子)にそこまで慕われた夫(堤真一)はさぞ本望だろうが、私が感じ入ったのは、そこではない。亡き妻(母)を思う夫と娘(蒔田彩珠)の情の深さである。小学生の妻という「異形」の妻の出現は、妻を慕う彼らの情の深さがもたらしたものなのだろう。

私はこのドラマに感情移入して、考えることがある。妻を亡くしたとき、私は亡き妻にそこまで深い思いを懐くことができるだろうか。生きる意味を失い、抜け殻同然になってこの世をさまようような、そんなゾンビのような姿に、なれるだろうか。たぶんなれないだろう、ーーそんな気がする。

もし私がそれだけ深い思いを懐くことができたとしたら、その私はおそらく生ける屍というか、文字通りのゾンビになってしまっているに違いない。

生ける屍になり、ゾンビになった私にしても、小学生になった妻にしても、そこには愛情というものの真相が示されているように思える。愛情は深いほど、この世の枠には収まらなくなり、この世のものとは思われぬ「異形」の姿をとってしまうのだ。
この異形の姿が(四谷怪談の)お岩さんのようなおどろおどろしい姿ではなく、可愛い小学生の姿(毎田暖乃)であるところが、このドラマのオシャレなところである。

ところで、きょう以下のようなニュースを目にした。

「米ロサンゼルスで27日夜に開かれたアカデミー賞の授賞式中、俳優のウィル・スミスさんが突如ステージに上がり、コメディアンのクリス・ロックさんを平手打ちする一幕があった。スミスさんの妻で女優のジェイダ・ピンケット・スミスさんに向けたジョークに激怒した。」
(JIJI.COM 3月28日配信)

このウィル・スミス氏の常軌を逸した振る舞い、ーー異常な振る舞いは、妻を思う情の深さから出たものと言えるだろう。スミス氏の妻ジェイダさんは、昨年、脱毛症のため、髪をそっている。スミス氏は、司会のロック氏がその妻のことをジョークでおちょくったため、激怒したというのである。

情の深さは、時として犯罪に結びつくことがある。俗に「悪女の深情け」と言うが、これは、悪女(容貌の劣る女性)は情けが深い、という意味ではなく、情けが深い女性は(阿部定のような)悪女(犯罪者)になりがちだ、ということではあるまいか。

幸か不幸か、私はまだ深情けの女性と関わり合いになったことはない。



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夫の死に妻は

2022-03-29 11:30:30 | 日記


午前3時、小用のためにトイレに立った。起き出すにはまだ早すぎる時間なので、再びベッドに潜り込んだ。しかし眠気はどこへやら。仕方がないので、スマホを取り出し、Tver でテレビドラマ「ユーチューバーに娘はやらん!」を見た。

冒頭は、ヒロイン(佐々木希)の父親(遠藤憲一)が急病で倒れ、病院のベッドに横たわるシーンだった。妻(斉藤由貴)も娘たちも、家族全員が「お父さんはもうすぐ死んでしまうのだ」と思い、皆で嘆き悲しむ見せ場が続く。

その家族の(今では珍しい?)有様を見ながら、私は「ああ、羨ましいなあ」と思い、遥か昔の、新婚当初の頃を思い起こした。そして思った。あの頃、若かった自分はなんて世間知らずだったのだろう、と。

その頃、縁あって妻になったその女性に対して、私はある疑問を懐いていた。自分が死んだとき、この女性(ひと)は嘆き悲しんでくれるのだろうか、と。自分が死んでも、この女(ひと)は案外あっけらかんと生きていくのだろうな、と感じていた。

そんなふうに思っていた自分が、今考えるとなんとも恥ずかしくなる。あの頃、自分は何も解っていなかった。愛情がどういうものか、ちっとも解っていなかった。惚れた腫れたで一緒になったとしても、そんな夢現(うつつ)の酩酊状態の中に〈愛〉はありはしない。年老いた今、私はそう思う。

愛情とは、夫婦が共に同じ時間を過ごし、歳を重ねる中で、自ずとゆっくり育って行くものなのだろう。愛は植物のようなもので、枯れたり萎れたりしながらも、時とともにすくすくと育って行く。すくすくと育ちながらも、思わぬ裏切りによって、突如枯れたり、萎んだりしてしまうこともある。

そういう植物の生育過程の中で、嘆きや悲しみといった喜怒哀楽の情は、自ずと出てくるものなのだろう。

だから今、私は疑っている。自分が死んだとき、この女(ひと)はホントに嘆き悲しむだろうか、と。

嘆きや悲しみの仕種(pose)が、世間に対する見栄(pretension)から出ていることも、間々あったりするのではないか・・・。

そう思いながら外を見ると、空はもうだいぶ白みはじめていた。


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犯罪と裁きの将来

2022-03-28 11:43:32 | 日記



時代が変われば犯罪の形も裁きの形も変わるものなのだなあ。そんな感慨を覚えた。次の記事を読んだときである。

「盗撮目的で住居侵入した疑いのある男の体内から、マイクロSDカードを内視鏡で強制的に採取する――。警察による異例の捜査の是非が争われた刑事裁判があり、一、二審がいずれも強制採取を違法と判断、カード内のデータの証拠能力を否定して一部無罪としていた。弁護側も検察側も上告せず、判決は確定した。」
(朝日新聞DIGITAL 3月27日配信)

盗撮目的で住居侵入した疑いがある男。男は現行犯逮捕されたが、所持していたビデオカメラにマイクロSDカードは入っていなかった。所轄の千葉県警は、男がカードを飲み込んだとみてCT検査を実施。体内にマイクロSDカードのような異物があることが判明した。たびたび下剤を服用させたものの、排泄物からカードは見つからなかった。

う〜む。困り果てた県警は、医師の助言に従い、内視鏡を使って男の体内からカードを取り出すことを試みた。この強制採取の試みは数十分ほどで難なく成功し、取り出したカードを調べると、そこには案の定、女性が入浴している様子が記録されていた。

やれやれ。これで一件落着か、と思ったものの、そうは問屋が卸さなかった。この異例な捜査の手法が問題になり、その適法性が裁判で争われることになったのである。

その後の成り行きは、記事が示す通りである。裁判は一、二審とも強制採取を違法と判断し、カード内のデータの証拠能力を否定して、一部無罪の判決を下した。

ええっ?ーーこの種の問題に関心がある人は、首を傾(かし)げるに違いない。覚醒剤取締法違反事件の場合は、たしか最高裁が「カテーテルによる強制採取」を適法と認めたのではなかったのか?

なるほど、今回の裁判の場合も、そのことが考慮されなかったわけではない。その上で判決(一審)は、内視鏡による強制採取は(腸管などを損傷すれば重大な危険が生じ得るから)尿道にカテーテルを挿入する強制採尿に比べて、はるかにリスクが大きいとしたのである。

ということは、アレだろうか。今後、医療技術が進歩し、危険をほとんど伴わない内視鏡の操作技法が担保されるようになれば、今回のような強制採取のケースも適法なものと認められるようになるということだろうか。

たしかに、論理的にはそういうことになるのかもしれない。県警の皆さん、だからめげずに、その日が来るのを待つことにしましょう!・・・と言いたいところだが、さにあらず。時が移れば技術も進歩する。進歩するのは医療技術だけではない。盗撮画像の保存技術も同様に進歩する。

ビデオカメラで盗撮した画像は、今はマイクロSDカードに保存される仕組みになっているが、今後は自動的に、クラウド内のデータ領域に保存されることになるだろう。今でもすでに、大量の画像データをクラウド保存している人は少なくない。

クラウド内に保存されたデータは、当然、パスワードを入力しなければ引き出すことはできない。盗撮犯が盗撮画像をもしクラウドに保存したとしたら、警察はどうやってこの画像を取り出すのか。必要とされるのは、パスワードである。パスワードはSDカードとは違い、内視鏡で腸内から強制採取というわけにはいかない。

え?その頃には、脳内からパスワードを強制採取するブレーン技術もきっと開発されているだろう、だって?・・・う〜む。


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核への祈り

2022-03-27 11:18:12 | 日記


きのうヒロシマで、分かりやすい政治的パフォーマンスが行われた。メディアは次のように伝えている。

「岸田文雄首相は26日、エマニュエル駐日米大使とともに被爆地・広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花した。両氏はこの後、公園内の施設で会談し、ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアが示唆している核兵器の使用は断じて許されないとの認識で一致した。」
(JIJI.COM 3月26日配信)

記事がいうように、このパフォーマンスは「核兵器の使用は断じて許されない」というメッセージを喧伝することを狙っている。もう一ついえば、〈あのこと〉に対して「ごめんなさい」と日本に詫びを入れて赦しを請い、日米同盟の絆を盤石にすることだろうか。

これは、ウクライナのゼレンスキー大統領が日本向けのリモート演説で〈あのこと〉に触れなかったために、米バイデン政権が積極的にせざるを得なくなったパフォーマンスである。ゼレンスキー大統領は狙ってそれを目論んだわけではないだろうが、アメリカとしては、狂人プーチンの核使用を食い止めるために、このパフォーマンスがぜひとも必要だと考えたのである。

ヒロシマでの日米合作のパフォーマンスは、ゼレンスキー演説の思わぬ波及効果というべきだろう。

核を保有する軍事大国アメリカと、アメリカの「核の傘」に守られた日本が、そろって「核兵器の使用は断じて許されない」と訴える。これは考えてみればとても可笑しなことだが、このアピール自体には一理があり、また一利もある。
核保有国が皆「核兵器の使用は断じて許されない」という理念を肝に銘じれば、この理念は核抑止の力として働き、核戦争の危機を回避することにつながるからである。

早い話が、核保有国が皆「核兵器禁止条約」を批准することである。ウクライナ戦争を機に、ひとつ日米が音頭をとり、この条約を批准するよう、世界各国に働き掛けてみてはどうだろうか。

まあ、夢のような世迷言は措くとして、核兵器禁止の理念がとりあえず狂人プーチンの胸に届くかどうか、ウクライナでの核兵器の使用を阻むことができるかどうかが、さしあたりの試金石になるだろう。

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