世は大型連休だというのに、私はきょうはこれからデイサに「出勤」しなければならず、送迎車のお迎えがくるまでにブログをひとつやっつけなければならない。
念を押すまでもないが、私はべつにこれを嘆いて言っているわけではない。世は大型連休だが、それを言うなら、私などは常日頃、大型も大型、超大型連休の毎日である。自慢ではないが、リタイアした私は、毎日が日曜日、「サンデー毎日」の、砂を噛むような閑古鳥状態の日々を送っている。そんな私にとって、週に2度のデイサ通いが楽しくないわけがない。
いや、特段楽しいわけではないのだが、「サンデーが毎日」の平々凡々たる我が境遇には、週に2度のデイサ通いが程よい刺激になっている。ワサビというか、七味唐辛子というか、そういう薬味の類があるお陰で、私の日常には程よくメリハリがつき、ヒマを持て余すこともなくなるのである。
ヒマを持て余すといえば、それを妨げる意味で、ブログ書きの効能も大きい。特にデイサ通勤が控える週2日は、昼食の時間までにブログ記事を書き終え、それをアップしなければならないので、「あ、あと**分でネ、ネタを見つけなければ」というスリルの緊張感が何とも堪らない。
きょうもご多分にもれずネタが見つからない。残されているのは、あと1時間ほど。他に書くこともないから、昨夜見た夢の話でも書くことにしよう。
私は仲間たちと一緒に、ある「大物」を出迎えていた。仲間たちとは、現役のころ、都内の某所でヤボな引き受け仕事を一緒にした他大学の教員たちである。
出迎えた「大物」は、石原慎太郎だったろうか。
眠りに就くまで、YouTubeで「朝まで生テレビ」のワンシーンを見ていたせいだろう。
40年ほど前の番組で、そこでは石原慎太郎の他に、MCの田原総一朗、悪党党幹事長のハマコー、べ平連の小田実、作家の野坂昭如といった人たちが激論をくりひろげていた。石原慎太郎は、私が高校生の頃から妙に気にかかる存在だった。
その「大物」と一緒に、私たちは皆で夜通し酒を酌み交わした。朝、目を覚ますと、「おい、先生がおまえを呼んでいるぞ」と仲間の一人が言う。そそくさと部屋にうかがうと、そこにいたのは「先生」だった。ーー意外なことに、私の恩師だった。
そんな夢である。後味は良くも悪くもなかった。オチも何もない、味気ない夢だったが、なぜか懐かしい匂いがした。
念を押すまでもないが、私はべつにこれを嘆いて言っているわけではない。世は大型連休だが、それを言うなら、私などは常日頃、大型も大型、超大型連休の毎日である。自慢ではないが、リタイアした私は、毎日が日曜日、「サンデー毎日」の、砂を噛むような閑古鳥状態の日々を送っている。そんな私にとって、週に2度のデイサ通いが楽しくないわけがない。
いや、特段楽しいわけではないのだが、「サンデーが毎日」の平々凡々たる我が境遇には、週に2度のデイサ通いが程よい刺激になっている。ワサビというか、七味唐辛子というか、そういう薬味の類があるお陰で、私の日常には程よくメリハリがつき、ヒマを持て余すこともなくなるのである。
ヒマを持て余すといえば、それを妨げる意味で、ブログ書きの効能も大きい。特にデイサ通勤が控える週2日は、昼食の時間までにブログ記事を書き終え、それをアップしなければならないので、「あ、あと**分でネ、ネタを見つけなければ」というスリルの緊張感が何とも堪らない。
きょうもご多分にもれずネタが見つからない。残されているのは、あと1時間ほど。他に書くこともないから、昨夜見た夢の話でも書くことにしよう。
私は仲間たちと一緒に、ある「大物」を出迎えていた。仲間たちとは、現役のころ、都内の某所でヤボな引き受け仕事を一緒にした他大学の教員たちである。
出迎えた「大物」は、石原慎太郎だったろうか。
眠りに就くまで、YouTubeで「朝まで生テレビ」のワンシーンを見ていたせいだろう。
40年ほど前の番組で、そこでは石原慎太郎の他に、MCの田原総一朗、悪党党幹事長のハマコー、べ平連の小田実、作家の野坂昭如といった人たちが激論をくりひろげていた。石原慎太郎は、私が高校生の頃から妙に気にかかる存在だった。
その「大物」と一緒に、私たちは皆で夜通し酒を酌み交わした。朝、目を覚ますと、「おい、先生がおまえを呼んでいるぞ」と仲間の一人が言う。そそくさと部屋にうかがうと、そこにいたのは「先生」だった。ーー意外なことに、私の恩師だった。
そんな夢である。後味は良くも悪くもなかった。オチも何もない、味気ない夢だったが、なぜか懐かしい匂いがした。