ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

フクシマ処理水の風評対策

2023-06-30 14:39:47 | 日記
きょうはいつものように午前5時半ごろ目覚めた。これもいつもながらのルーチンだが、ベッドのスマホで朝日新聞紙面ビューアーを開き、きょう書くべきブログのネタを探した。ロシア軍の副司令官がワグネル反乱に関与した疑いで拘束された話とか、広域強盗指示役の「ルフィ」が逮捕された話、我が国の武器輸出を制限している「防衛装備移転三原則」の運用指針の見直しの話など、きょうの紙面は話題満載だったが、そのどれもがどう料理したら良いか、どう切り込んだら良いのか分からず、いずれもネタとしては「美味しい」とは言えなかった。


きょうは訪看さんのお世話になる日である。シャワー浴の介助をしてもらっている間も、ストーマパウチの交換をしてもらっている間も、ブログのネタが見つからない私は、宙ぶらりんの状態で悶々としていた。


ネタが見つかるときは、思いがけない雷雨のように、突然振りかかってくる。訪看さんが帰った後、昼食のうどんを食べながらNHKの昼のニュースを聞いてぃたら、そいつは突然舞い降りてきた。


福島第一原発にたまる処理水を基準を下回る濃度に薄めて海に放出する方針をめぐって、岸田総理大臣は関係閣僚に対し、安全性の確保と風評対策を徹底するとともに、国内外に丁寧な説明と情報発信を行うよう指示しました。
(NHK NEWS WEB 6月30日配信)


このニュースを聞きながら、私は効果的な風評対策について、すばらしい名案を思いついたのである。


話は簡単である。福島近海の海産物を政府がそれなりの価格で買い上げ、それをさまざまに料理して、ほぼ毎日、閣議の合間の会食の場に供すればよいのである。顔を売りたい大臣先生方は、こぞって食レポに応じ、「さすがは福島沖の地物ですな。美味しくて、頬っぺたが落ちそうだよ」などと答えるだろう。そんな答えはいかにもヤラセっぽいが、とりあえずそれはどうでもよい。少なくとも世間は、フクシマの地物は安全なのだ、ヤバいものではないのだ、と納得するのではないか。


その昔、2年ほど前のことだったか、麻生財務相(当時)は「フクシマ処理水は飲んでも何ちゅうことない」と宣ったが、この御仁は結局「フクシマ処理水を飲む」というパフォーマンスを実行せず、かえってフクシマ処理水への不信感を募らせた。これでは逆効果も甚だしい。風評対策は「隗より始めよ」が鉄則である。

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ぶっ飛ぶプリゴジン

2023-06-29 10:28:45 | 日記
きのう夕餉の食卓で見たNHKのニュースは、ロシア関連の話題で持ちきりだった。
ロシアの民間軍事会社ワグネルの代表プリゴジン氏について、隣国ベラルーシの国営通信は27日、ベラルーシ国内にいることをルカシェンコ大統領が明らかにしたと伝えました。
また、ロシアの独立系メディアは、ベラルーシ国内に複数のキャンプが建設されていると伝えるなど、ワグネルの部隊の今後の動きが焦点となっています。

(NHK NEWS WEB 6月28日配信)


アナウンサーの言葉を聞きながら、妻が言った。
「ワグネルがウクライナ側についたら、どうなるかしら」
「ああ、そいつはとても面白い筋書きだ」
私は思わず膝を打った。


今のロシアは途轍もない混沌状態であり、何が起きてもおかしくはない。何でもありの状況である。プリゴジンが指揮するワグネルの部隊がウクライナ側に寝返ることだってあり得ないことではない。夕餉を終え、自室に戻った私は、その可能性についてあれこれ妄想をめぐらせた。


どういう工作をすれば、プリゴジンはウクライナ側に寝返るのか。この特異な人物には、二つの面がある。一つは、プーチンが言うように、(1)「行き過ぎた野心と利己主義」に囚われた強欲な守銭奴の面。報道によれば、プリゴジンの資金源はアフリカの金鉱山であり、米政府はこの件でアフリカの採掘企業に制裁を課したという。


もう一つの面は、(2)正義を重んじる正義漢としての一面である。プリゴジンは乱の矛を収めるに当たって、次のように述べたという。
「私はワグネル部隊の解体を求められたことから23日、正義を求めて進軍した」のだが、「流血の事態になろうとしていることの責任を理解し、部隊を野営地に戻すのだ」と。


(1)守銭奴の面と、(2)正義漢の面と、ーープリゴジンの心の中でこのどちらの面が勝っているか、私は知らないが、仮に(1)の面が勝っているとすれば、次のような提案をすれば、プリゴジンはウクライナ側に寝返るに違いない。
「もし貴君がウクライナ側につくなら、アフリカの採掘企業への制裁を解除し、これとは別に、戦果に応じて、ワグネル部隊に報奨金を支払うことにしよう」。


また、プリゴジンが(2)の正義漢の面を強く持っているとすれば、次のように言えばよい。
「今のロシアは不正にまみれ、〈不正義〉が横行している。ロシア軍やジョイグ国防相が〈正義〉にもとる存在であることは、貴君が批判する通りだ。また、そもそもロシアのウクライナ侵攻に〈正義〉がないことも、貴君の批判する通りだ。貴君が〈正義〉のためにウクライナ側につくことを、我々は強く期待している」。


たった今、ネットを開き、「ロシア軍司令官」と検索したら、とんでもないニュースが飛び込んできた。


ウクライナ侵攻を進めるロシア軍のスロビキン副司令官が逮捕されたと、ロシアの英字メディア『モスクワ・タイムズ』が28日、国防省に近い情報筋の話として伝えた。民間軍事会社ワグネル創設者プリゴジン氏の反乱に関与した疑いがあるという。今後、軍や治安機関でワグネルへの協力者の摘発が厳しくなる可能性がある。
(朝日新聞DIGITAL 6月29日配信)


いやはや。プリゴジンは、自らが強くののしり批判するロシア軍の、その幹部とつるんでいたというのだ。こいつは驚きである。
「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるが、この奇人の言動は、凡俗である私などの想像をはるかに超え、途方もなくぶっ飛んでいる。やれやれ。


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診断の結果は

2023-06-28 16:00:21 | 日記
いや〜、よかった。


きょう、かかりつけ医のN先生の紹介状を持って、妻同伴で「メディカルセンター」に行ってきた。診断の結果は、「すぐに手術するほどではない。当面は様子を見てください」とのことだった。エコー検査も、CT検査もなし。触診だけでドクターはそう判断した。私が見るところ、このドクターは名医のようだった。


それにしても、病院の待合室は客でごった返していた。大半が年寄りである。齢のせいか、病気のせいか、そのほとんどがぎこちない歩き振りだった。
私はといえば、この病院の車イスに座って名前が呼ばれるのを待っていたのだが、この車イス、座面が固いためにお尻が痛くなって往生した。


しかしまあ、これで一件落着、ひとまず気分は晴れた。
痛快だったのは、こんなやり取りがあったことである。
「これまでに手術は一度だけですね」
「いえ、一度で済む手術を失敗して、三度やり直しました」
「ああ、それはですね、失敗ではなく、ストーマの手術ではよくあることなのですよ。ストーマの手術の後で、ヘルニアになるのもよくあることなのです」


このドクターはなぜこんなことを言ったのか。おそらく、かかりつけ医のN先生が紹介状に「この患者は、ストーマ手術を筑波記念病院で受けたが、術後の経過にトラブルがあり、この病院には二度と掛かりたくないと言っている」と書いてくれたのだろう。


ともあれ、記念病院のI医師の失敗は失敗ではなく、「よくあること」だそうだから、このI医師はそれほど酷い藪医者ではなかったのかもしれない。そうだとすれば、「I先生、失礼しました」と謝るべきなのだろうか。
まあ、どうでもいいことだけど。


とりあえず、めでたし、めでたしの結果である。

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朝の祈りに

2023-06-27 11:26:11 | 日記
紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾が事に非ず。」
(大義名分をもった戦争であろうと自分には関係のないことだ)


この言葉をモットーにして、俗事などは歯牙にもかけない人もいることだろう。私自身にも多分にその傾向はあるが、では、私はこの態度をどこまで貫くことができるのか。それを考えてみたい。


早い話が、私はブログ書きである。毎日ちょっとでもキーボードに触らないと気が済まない。「時事」と呼ばれる俗事をネタにしなければ、私は1行もキーボードを打ち込めなくなってしまうだろう。私のブログ書きが行き詰まることは目に見えている。


いや、そうではない。心を自分の外ではなく、自分の内部に向けるのだ。内省というやり方があるではないか。ーーそんなふうに宣(のたま)う人もいることだろう。
だが、私の心は外部の出来事に反応しながらさまざまに脈を打ち、絵を描き、息づいている。外部の出来事からの刺激を遮断したら、私の心は空っぽの灰色になり、そこからは何一つ出てこないだろう。


もう一つ、我々は外部の出来事から絶えず大きな影響を受け、外部との交渉なしには生きていけない、という事実がある。ロシアがどうなろうと、俺には関係ないね。プーチンがどうなろうと、俺には関係ないね、とあなたは言うかもしれないが、追い詰められたプーチンが核のボタンに手を出し、それがトリガーになって戦火がウクライナからヨーロッパ全体に、さらには世界全体にまで拡大するようなことがあれば、あなたはそれでも「俺には関係ないね」とうそぶいていられるだろうか。


アメリカが戦火に巻き込まれれば、中国は「これは物怪の幸いだ」と、ロシアに加担して、アメリカに宣戦布告するかもしれない。そうなれば、在日米軍基地も当然、熾烈な攻撃のターゲットになる。それでもあなたは「俺には関係ないね」とうそぶいていられるだろうか。


あるいは、「マイナンバーカードなんて、俺には関係ないね」とあなたは言うかもしれない。だがマイナンバーカードを皮切りに、行政のデジタル化が進み、それとともにどんどん管理社会化が進んで情報統制が厳しくなったとき、あなたはそれでも心穏やかでいられるだろうか。


ブログで「政府の軍拡政策は馬鹿げている。そんなもの、クソ喰らえだ」と書いただけで、あなたは(現在の中国がそうであるように!)ブタ箱行きとなり、何年も拘束されるかもしれないのだ。そんな将来がすぐそこまで迫っていると知ったとき、それでもあなたは心穏やかでいられるだろうか。


そんな未来を食い止めるために、あなたは社会問題に関しても積極的に発言しなければ、と思い、新聞の社会面や政治面にも目を向けるようになるのではないだろうか。
ドイツの哲学者・ヘーゲルは「毎朝、新聞を読むことは、現実主義者の朝の祈りである」と言ったらしいが、この言葉が聡明なあなたのモットーになるに違いない。

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それを言っちゃぁ・・・

2023-06-26 16:34:09 | 日記
記憶とはいい加減なものだ。


紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾が事に非ず。」


この言葉だけが記憶に残っている。
その意味は、「大義名分をもった戦争であろうと(文芸の徒である)自分には関係のないことだ」ということらしい。


この言葉をきょうのブログで使おうと決めたのは、ネタ切れの言い訳にしようと思ったからである。世間ではロシアがどうの、プーチンがどうの、プリゴジンがどうの、マイナンバーカードがどうの、と騒いでいるが、そんなこと、世捨て人である自分には関係のないことだ。ーーそう言い放って、きょうのブログは「はい、それまで」にしようと思ったのである。


映画「男はつらいよ」の中で、寅さんは何度となく「それを言っちゃぁ、お終えよ」というセリフを吐くが、「紅旗征戎吾が事に非ず」のような捨てゼリフは、(俗事を生業(なりわい)とするブロガーにとっては)自分の首を絞めるーー自分をお終いにするーー禁句なのかもしれない。


ところで、この「紅旗征戎吾が事に非ず」であるが、私はこれをずっと源実朝の書き残した言葉だと思い込んでいた。ところがネットで調べてみると、どうやらこれは藤原定家の『明月記』の中にある言葉であるらしい。


私はその昔、吉本隆明の『源実朝』を読んだことがあるのだが、そのとき、この言葉だけが妙に印象に残ったために、この言葉を源実朝と結びつけて覚えてしまったらしい。半世紀以上も前の記憶となると、こんなふうに自分で自分の記憶を捏造してしまうのだから、老いの身とはいえ、我ながら哀しくもあり、汗顔の至りでもある。


というわけで、きょうのブログは何やら訳のわからない、ぐだぐだの文章になってしまった。あえてタイトルを付けるとしたら、「記憶は当てにならない」だろうか。それとも「それを言っちゃぁ、お終えよ」だろうか。

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