ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

正義のために戦争だって?

2019-05-14 11:31:58 | 日記
夜、ベッドの中でスマホをいじっていたら、次のニュースに出会った。

「戦争しないとどうしようもなくないですか?」北方四島の国後島をビザなし交流で訪れていた大阪選出の丸山穂高衆院議員が現地で暴言です。
13日、北方四島の国後島から戻ったビザなし訪問団。参加した国会議員からとんでもない発言です。
「団長は戦争で、この島(北方四島)を取り返すことには賛成ですか?反対ですか?」(丸山穂高 衆院議員)
「戦争で?」(大塚小弥太 団長)
「ロシアが混乱している時に取り返すのはOKですか?」(丸山穂高 衆院議員)
発言の主は大阪選出の日本維新の会、丸山穂高衆院議員。まるで「戦争をしないと島は返ってこない」とも受け取れる発言が続きます。
「戦争なんて言葉は使いたくないです。使いたくない」(大塚小弥太 団長)
「はい。でも取り返せないですよ」(丸山穂高 衆院議員)
「戦争するべきではない」(大塚小弥太 団長)
「戦争しないと、どうしようもなくないですか?」(丸山穂高 衆院議員)
「戦争は必要ないです」(大塚小弥太 団長)
これは11日、国後島の友好の家で訪問団の団長を相手に飛び出したもの。
              (TBS NEWS 5月13日配信)

ほほう、なかなかおもしろい記事ではないか。丸山議員とやらは、多分こう言いたかったのだろう。
「北方四島は戦争をしてロシアから取り戻すべきだ、という意見がありますが、この意見にあなたは賛成ですか、それとも反対ですか?」
おいおい、待てよ、丸山さん。他人に意見を求めるのなら、その前にまず自分の意見を言うのが礼儀だろう。
ーー私がこう言えば、丸山議員はきっとこう答えるだろう。
「もちろん、私はこの意見に賛成です、はい。それが何か?」

この種の意見があること、それが広範に流通していることを、私は知っている。読売新聞は1月16日付の社説《北方領土 不法占拠の事実を歪めるな》の中で、次のように主張している。
「第2次大戦末期、旧ソ連は日ソ中立条約を一方的に破って参戦した。その後、4島を不法に占拠した。歴史的事実を歪ゆがめるロシア側の主張は受け入れられない。」
また、産経新聞の社説《北方領土交渉 「2島」戦術破綻は鮮明だ 日本の立場毅然と表明せよ》の主張も、ほぼ同様である。
「択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島は日本固有の領土であり、ロシアに不法占拠されている。この唯一の真実を無視した暴言は到底、容認できない。旧ソ連は45年8月9日、当時有効だった日ソ中立条約を破って対日参戦した。日本が8月14日にポツダム宣言を受諾した後も一方的な侵略を続けた。8月28日から9月5日にかけて、火事場泥棒のように占拠したのが北方四島である。」

ここまでは受け入れられるが、問題なのは、この種の見解から導き出される次のような極論である。
「正義を侵犯する不正義の行いに対しては、鉄槌を下さなければならない。戦争によって鉄槌を下し、日本固有の領土を奪い返さなければならない。それによって初めて、正義は回復されるのだ」
こうなると、話は俄然、きな臭くなってくる。「北方四島のために、戦争を辞すべきでない」と言えば、「え?たかが四島のために、そこまでしなければならないの?どうしてそんな犠牲が?」という反論が予想されるが、「正義を貫徹するために、戦争を辞すべきでない」と言えば、こうした反論は鳴りをひそめるだろう。

「正義はなされよ,よしや世界が滅ぶとも」(fiat justitia et pereat mundus)
ドイツの哲学者カントは、自分の立場(義務論)を明確にするために、この古代の格言を援用した。そのためか、この格言には高尚な香りすら漂うが、何のことはない、丸山議員の発言の根底にあるのも、この格言の精神である。

しかしなあ。私は思うのである。世界を犠牲にしてまで貫徹すべき〈絶対正義〉などというものが、はたして存在するのだろうか。「正義と正義の戦い」と言えば聞こえは良いが、そこにあるのは、欲得ずくの「利害の衝突」にほかならないのではないか。だから、丸山議員の質問は、こう言い直すべきなのである。
「北方四島を奪還して、領土を拡張するために、戦争を仕掛けるべきだという意見があります。あなたはこの意見に賛成ですか、それとも反対ですか?」
戦争の悲惨さを体験した世代なら、「断固、反対!」と答えるだろう。「戦争なんて、本末転倒だよ」と。
読者諸賢はこの意見に賛成ですか、それとも反対ですか?
コメント
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