富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

自主見学会報告

2024年03月07日 09時48分03秒 | 世界遺産伝道師協会

自主見学会報告

「岩佐中佐の墓」・「繭市場設立の額」

「西塚梅の墓」・「藩営前橋製糸所跡の碑」を訪ねました


2月13日(火)、県庁での役員会議の後、標記の研修を行いました。この2か月ほど前、「伝道師通信」などの発送作業に行く車中で町田睦伝道師と岩佐中佐の話題が出ました。だいぶ前の新聞に「歴史の流れとともに、岩佐中佐の存在を知る人も少なくなり、墓に参る人もめっきり減っている」という記事が載っていたというものでした。  

後日、町田さんから「岩佐中佐の墓所を知っているから案内しましょう」という連絡がありました。また「市内にある絹関係の遺産の2か所も案内しましょう」とも。

役員会後、数名が近くの店で昼食を摂る中で、その話をすると4名が参加を希望しました。昼食後近くの駐車場で町田さんと合流し、出かけました。

5名の乗った車は、最初に前橋市本町にある松竹院の岩佐中佐の墓に向かいました。寺域の一角にその墓はあります。墓の入口の左右の柱には「義烈」「忠勇」と刻まれ、上部に弾丸を模した装飾があるので、軍神の墓であることはすぐに想像できました。そこには岩佐中佐を讃える複数の軍歌碑や父母に宛てた遺書の内容が刻まれた石碑などが立っています。

1941(昭和16)年12月8日、ハワイの真珠湾攻撃の際、岩佐直治大尉は「甲標的」と呼ばれる二人乗りの特殊潜航艇5隻を率いて自らもその一隻に乗り、米海軍艦艇への決死の攻撃を行いました。結果は捕虜になった一人を除いて9名は戦死しましたが、この戦功が評価され「軍神岩佐中佐」・「真珠湾の九軍神」と讃えられました。岩佐大尉は、2階級特進し中佐に昇格。他の8名も2階級特進しました。国民に向けての戦意高揚・国威発揚に大きな功績を残しました。しかし、享年26歳と聞くと複雑な気持ちになります。

松竹院を後にして、住吉町の愛宕神社に向かいました。この神社は、1630(寛永7)年京都の愛宕神社から分社したものです。社殿東側面の上部に縦約50cm、横約2mの額が掲げられています。この額は、かつて旧安田銀行担保倉庫北側にあった八坂神社に掲げられていたのですが、2001(平成13)年に愛宕神社に合祀される際に移されたものだそうです。額には、1884(明治17)年に町の有志が高崎の糸商人とともに細ケ澤町(現住吉町)に繭市場を創設し、歳月を経るに従い隆盛繁栄していったと記されています。かつて八坂神社のあった辺りは、繭の一大集散地であり一大製糸工場地帯でありました。

次に昭和町にある森厳寺の西塚梅の墓に向かいました。寺の墓地の奥まった一角に西塚梅の墓があります。梅は1825(文政8)年、川越藩士の速水政信の長女として生まれました。実弟に速水堅曹と初代研業社社長の桑嶋新平がいます。17歳で川越藩士遠藤鐘平に嫁ぎますが死別。その後、上司の勧めで前橋藩士の西塚清造と再婚します。

1870(明治3)年、藩営前橋製糸所の設立後は、器械製糸に従事する工女の指導に当たりました。1875(明治8)年、前橋藩時代の堅曹の上司であった深澤雄象が士族授産施設として開業した研業社(関根製糸所)でも教婦兼工女取締として、多くの工女に技術指導を行い、器械製糸の普及に貢献しました。こうした功績により群馬県から2度にわたり表彰されます。1888(明治21)年、64歳で死去。前橋市三河町の東福寺に葬られますが、後に菩提寺である森厳寺に改葬されました。

二つ並んだ墓石のうち、左側が梅の墓石、右側が西塚家の墓石です。伝道師として活躍のN氏とK氏(ともに埼玉県在住)は梅の子孫です。

最後に、岩神町にある「藩営前橋製糸所跡」の碑に向かいました。風呂川のほとりに立つ碑を見ていると、2010(平成22)年12月18日の除幕式の光景が昨日のことのように思い浮かびます。建立に賛同された関係団体や蚕糸関係者、伝道師、一般市民など70名余の参加者があり、冬の寒さを感じさせない熱気にあふれた式典でした。建立委員会代表の近藤会長と委員会事務局長の町田睦さんも感慨深げに碑を見つめていました。数年前には、町田さんと伝道師の有志で碑の周辺に人工芝を敷きました。それまでは町田さんが折に触れ除草作業をしてくれていたのです。

研修を終え、集合した駐車場へ戻りました。今回研修した中から会員の現地研修コースに取り入れたい箇所もあり、有意義な見学会でした。

今回の参加者は、案内役の町田睦伝道師、近藤会長、安田副会長、市川理事、井上の5名でした。

最後に、参加者に熱心に分かりやすく解説してくださった町田睦伝道師に感謝いたします。  (井上 雄二 記)

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