富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

絹文化お国ことば調査プロジェクト2019群馬女子大学と共催 世界遺産富岡製糸場と絹産業遺産群広報活動in高山社跡   

2019年10月25日 22時03分15秒 | 世界遺産伝道師協会

絹文化お国ことば調査プロジェクト2019群馬女子大学と共催

世界遺産富岡製糸場と絹産業遺産群広報活動in高山社跡   

富岡製糸場世界遺産伝道師協会

藤岡市高山の世界文化遺産養蚕改良、高山社跡長屋門に隣接した仮設テントで10月19日(土)群馬県立女子大学、藤岡市高山社顕彰会と共に伝道活動を行いました。

群馬県立女子大学 新井小夜子教授から、お話を持ち掛けられて、伝道師協会として、初めて世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産「高山社跡」での活動を行いました。藤岡市文化財保護課 軽部課長の全面協力を頂き、この活動を開催することが出来ました事、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

当日は一週間前に来襲した台風19号の風水被害で、会場周辺の河川の流木痕跡や、抉り取られた崩壊爪痕が生々しい環境下での行事となりました。

この様な状況でしたが、この日の伝道師協会スタッフは、I川西部支部長・U原理事・S井洋・S藤和男伝道師の4人で足下の悪い中、現場に応じて効率的に分担し、まゆクラフト作り、パネル展示、啓蒙資料の配布など、体験活動や広報資料による伝道活動を行いました。

 

隣りのテントは 高山社跡を訪問する観光客を対象に群馬県立女子大学 国文学科・新井小夜子教授の指導の下、4名の学生が参加してくれました。

学生たちは「絹文化!お国ことば調査プロジェクト2019in世界遺産」と題して、富岡製糸場世界遺産伝道師協会と連携しつつ、それぞれの観光客が生まれ育った地域の養蚕言葉を聞き取り、カラーシールを全国地図に貼り付ける等養蚕ことば方言マップを、作成していました。会話の中からは小さい頃、家でお蚕を飼っていた」「桑のどどめ(桑の実)を食べて口を紫色にしたので、母親に叱られた」とか交わされていました。

県内はもとより、遠方からの来訪者は福岡県、福島県からの観光客もおりました。

 

さらに藤岡市、高山社顕彰会では、「世界文化遺産登録5周年記念フェスタ」による行事が併催され、高山社養蚕家屋内では「床の間de展覧会」が開催され、高山長五郎の信念に基ずく言葉である国 利 民 福と記された、大文字の掛け軸が床の間に掛けられると共に、まゆクラフトによる 「繭花の生け花」が見事に展示されていました。

 

ところで、この機会に「新しい養蚕法」を全国に普及指導した「養蚕改良高山社」の存在について記しておきます。この高山社は明治17年(1884)高山長五郎によって考案された近代養蚕技術法「清温育」を農民に普及するために設立された教育機関です。

高山社では、清温育を普及するために、養蚕法を修得させる人材育成の教育指導制度や農家に出向いて指導する養蚕指導の先駆けとなった授業員制度、高山社と契約して個別指導を受ける高山社社員制度を設けました。

明治34年には、私立甲種高山社養蚕学校を多野郡藤岡町に開校すると共に、養蚕農家に開校された分教場は116ケ所。従業員が全国各府県に出向いての指導は延べ回数14,680回 清温育の個別指導を受けるため、契約した社員数は60,000人に達したそうです。

 

最後に、この養蚕教育機関「高山社」は明治から大正時代にかけて、最盛期を迎え、養蚕法「清温育」を学び、清温育を普及した授業員により、本県特有の言葉が分布する地域は高山社に係わった人達が足を運んだ地域かも知れません。高山社跡の歴史と係わった人との繋がりが見えてくると面白いですね!

活動は9:00~15:00まで行われました。

(S藤和男 記)

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秋の上州どっと楽市での世界遺産伝道活動実施報告(2019)

2019年10月24日 16時48分24秒 | 世界遺産伝道師協会

秋の上州どっと楽市での伝道活動

令和1年10月19日(土曜)9時~5時まで高崎問屋町のビエント高崎(ビックキューブ・問屋町公園)にて、ぐんまの名店80店大販売会上州どっと楽市が行われました。

 

群馬パース大学と連携、スタンプラリー(ビンゴ大会)、ぐんまの地域キャラが会場内に出没、今回の目玉として美ら海移動水族館が問屋町公園にやってきました。見るだけでなく直接触れ合えるとあって,たくさんの子供たちが水の中に手を入れていました。魚の他、ヒトデ、サンゴなど海を表現したプールに数多くのチビッコの手が魚に近づくと、素早い動きをします。これが頻繁になるとストレスになり元気がなくなるそうです。

午後になると、水も汚れていました。日曜日に備え早めに切り上げ、水の入れ替えと循環に気を付けたそうですが、ここで蚕に触れるイベントとかさなり、人寄せの為にはやむをえないが犠牲になる生き物がかわいそうに思えるのでした。

富岡製糸場世界遺産キャンペーン、祝世界遺産登録5周年、ビックキューブロビーにてパネル展示、ぐんまちゃんの繭クラフトの案内がいつものように大チラシで紹介されていました。

19日はN島(進)I井(規)U原、O田(三)の4名の少ない人数での活動でしたが、久しぶりの梅原さん大活躍です、来場者に笑顔で応対し、ソフトな声で語りかけやさしく、ぐんまちゃんを作るお手伝いをして人の波が収まるとパネル解説の要点を解説慣れしている伝道師に再確認する勇気、

久しぶりの活動にも気合が入っていました。以前にも久しぶりだからとN岸伝道師が積極的に伝道師に聞いたりして時間内はフル活動、伝道師の鏡です。イベント内容でキングオブパスタ優勝店(バンビーナ)のえびジェノパスタには長蛇の列で大人気。試食したらすごく美味しかったです。

また、台風の影響で時間をずらしたり中止になったのもあり、(問屋町公園)前回の春の入場者と同じ2万人に来てもらえたようです。

20日はM田(睦)T比地、N島(常)、S田、O田(三)の5名、13時からのヘリテイジ仮面ショーにはN島副会長他数名の伝道師で活動、ショーが終わったのち、会場内を歩きヘリテイジ仮面のはいった名刺を配っており、ヘリテイジのパフォーマンスをパネル前で披露、男の子は触ったり、握手して喜んでいました。

今回もT比地さんの流暢な解説、M田さんのパンフレット配布時に繭クラフト体験への誘導により、たくさんの体験者で4時近くには繭が足りるか心配に成る位の盛況ぶりで前回で覚えたからと上手にできる女の子、前橋から初めて来たという3世代親子は老眼で顔が描けないからと孫に助けを求める仲の良さ、お母さんよりお婆ちゃんが好きだと教えてくれました。

午前中結婚式に出てアルコール入ってるから娘に迎えに来てもらったので、何か買ってあげようとここに来たと話す婦人など、理由はそれぞれの人たちと会話しながら世界遺産の4資産につなげていくのも活動の醍醐味です。晴れて出足の良かった2日目ですが途中暗くなりまたの雨、高崎市をあげてのマーチングフェステバル30周年のイベントにおびえながらの楽市でしたが、雨に助けられ、屋根のある場所を求める人で、いつもより多めの20000人、2日間で約40000人でした。卸商社協同組合の永井課長、組合員の方々、毎回お世話になり、ありがとうございました。参加伝道師の皆さん大変お疲れ様でした。そして駐車場を毎回使用させて下さる絹小沢の土井さんに感謝いたします。

O田 三枝子

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富岡市立一ノ宮小学校で学校キャラバンを実施しました

2019年10月23日 19時21分16秒 | 世界遺産伝道師協会

富岡市立一ノ宮小学校で学校キャラバン実施

過日10月16日(水)Y村和子伝道師、S藤登伝道師、K渕秀子伝道師、U原一美伝道師、I井伝道師の5名が参加して一ノ宮小学校で学校キャラバンを実施しました。

一ノ宮小学校は、学制発布後間もない明治6年6月28日に三会寺を仮校舎として創立された歴史あるある学校で、現在306名の児童が在籍しています。校区にはご存じのように上野国一之宮の貫前神社が鎮座しています。

本日のキャラバンでは「児童が新しい発見をし、楽しく聴いたり体験したりする時間にしたい。そして子どもたちの心に響く講話や座繰り体験にしたい」という方針を立てて実施しました。

午後1時55分より午後3時30分まで4年生49名を対象に、2組のクラスごとに講話(2階の4年1組の教室)と座繰り体験(1階の多目的室「夢里人教室」)を、ローテーションを組んで実施しました。

講話は今井が担当し、『蚕とまゆ、世界遺産』と題した自作のパワーポイントを使い、映像を通して説明を加えながら「蚕の生態」や「富岡製糸場と絹産業遺産群」について楽しんで理解してもらうように努めました。また、大きな蚕の標本や、蚕種紙、黄繭、生糸の綛など実物を提示しながら講話を進めました。そして4資産が世界遺産になったわけ等単なる理解に留めるのでなく、終末にはさらに進めて「みなさんはこれから4資産をどのようにしていきたいと思いますか。」と投げかけ(この講話ではこの部分を重視したかった)、自分の思いを発表してもらいました。子どもたちからは「外国の人にも宣伝したい」「富岡製糸場の機械を動かしてみたい」「これから大切に保護していきたい」(4年生なのに「保護」ということばが使われ驚きました)というような意見が出されました(グループでの話し合いも取り入れた)。

2クラスとも私語は一つもなく、全員の子が一生懸命講話に集中してくれました。この講話で何か一つでも子どもたちの心に残り、これからの実践につながればと思っています。

座繰りでは、Y村、K渕、U原、S藤の各伝道師が協力・連携し合い、準備から実施まで計画通りに進めてくれました。特に今回はこれから始まる富岡市小学校キャラバンの最初の学校ということで実施方法や役割分担、方針等参加伝道師の打ち合わせ会をもって臨みました。

座繰り体験を始める前に伝道師が操作をして見せるとともに、児童全員に座繰り器のしくみや操作の仕方(右手、左手の動きなど)を説明し、事故のないよう諸注意も話しました。体験中は個に応じた支援をし、楽しく充実した経験になるよう配慮しました。また併せて「繭糸の長さは1,300mくらいあります」「繭はさなぎの家なのです」などと実物を見せながら解説を加えました。

子どもたちは上州座繰りを体験してうれしかった、糸を挽くとき、両手の動かし方が違うのでむずかしかった、楽しく体験できた、おもしろかったなどと感想を述べていました。また、「繭を煮ると繭糸が優しく挽けることがわかった」「繭糸が集まると強くなる」「繭糸(生糸)が光っていてきれい」「生糸の意味がわかった」と新しい発見を口にする子もいました。

下校時階段で子どもたちに行き会うと、一人ひとりが「ありがとうございました」とあいさつしてくれました。また、資材を車に積み終わり帰るとき、下校中の数人の女の子が私たちを見つけ、「さようなら」と大きく手を振ってくれたことが印象的でした。私たちも一ノ宮小学校の元気でがんばる子どもたちに会えて、満足して家路につきました。

なお世界遺産課からN島さんが一ノ宮小学校へ表敬訪問をしてくださり、私たちの活動を側面からバックアップしてくださいました。

私は帰路、県から借用した座繰り器を今後保管することになる富岡行政県税事務所にN島さんと立ち寄り、所定の部屋に収納して帰りました。

本日参加してくれた伝道師の皆さんには子どもたちに温かく接し、全力でキャラバンに当たってくれたことに感謝したいと思います。

末筆になりましたが、校長先生、教頭先生、1組2組の担任の先生、公務員さんにはいろいろお世話になりありがとうございました。

                              (I井 規雄記)

             

 

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伝道活動報告(第36回渋川駅前通り歩行者天国;令和元年10月6日)新入会員2人とともに

2019年10月19日 15時20分18秒 | 世界遺産伝道師協会

伝道活動報告(第36回渋川駅前通り歩行者天国;令和元年10月6日)

 

渋川駅前通り歩行者天国での伝道活動を10月6日に行いました。

いろいろな事情で例年より2週間早い開催でした。

当日の参加者は、K藤功、M田睦、N嶋常雄、A井啓子、O笠原信之、Y野雅史、N屋和幸の7名の参加でした。

O笠原さんとY野さんは、伝道活動のデビュー戦でした。

活動は、パネルを展示しながらの、繭クラフト&パンフレット配布です。

パネルは、“風 対策”を施してイーゼルなしで紐を使って固定しました。

今回は、タレントの“泉谷しげる”と地元出身のヴァイオリニストの“心奏(らら)”もゲスト参加のイベントでした。

開会式での高木市長のあいさつとゲスト二人の紹介で歩行者天国は始まりました。

また 開会式後に、ゲスト二人を人力車に乗せ地元の子らのブラスバンドを交えたパレードを実施して大いに盛り上げていました。

我々のコーナーは、最初から ほとんど休みなく熱心に老若男女楽しみながら“ぐんまちゃん”作りを楽しんでいました。

今回は、子供はもとより大人も多く参加していただけたようでした。

パネルを見入る人も何人かいましたが、意外と「まだ行ったことがない」と言う方が多くいました。また ゲストの話が、事前に新聞に記事として出ていたせいか遠方の方も多くいたようでした。

中には、伊勢崎、深谷から来た方が、まだ田島弥平旧宅に行ったことがないというので強く勧めておきました。

昼食は、開催者のほうで用意されたカレーライス(サラダ&コーヒー付き)を、交代でおいしくいただきました。

楽しい活動をしていましたが14時過ぎに雨が”パラパラ“と降りだし、パネル等を片付け始めたところ急に大雨になり、急遽活動は終わりにしました。

その際には、びしょ濡れになった伝道師もおり、大変な騒ぎでした。

30分程度で雨は小降りになりいつものように最後のビンゴゲームを楽しみ活動は終わりにしました。

参加された伝道師の方は、準備片付け等ありがとうございました。特に片づけは、大変な雨の中でした。

新人のお二人も積極的に繭クラフトに取り組みお客様の対応ありがとうございました。

これを機会に、引き続き積極的な参加をよろしくお願いいたします。

頑張っていただきありがとうございました。

また 渋川駅前通り商店街振興組合の入沢理事長をはじめ地元の方には大変お世話になりました。

今後とも よろしくお願いいたします。

 

(庭屋 和幸 記)

 

 

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「天増寺地蔵尊祭典」で世界遺産の伝道活動

2019年10月08日 21時19分07秒 | 世界遺産伝道師協会

「天増寺地蔵尊祭典」で伝道活動

 

 10月6日(日)、伊勢崎市昭和町の「天増寺地蔵尊祭典」で伝道活動を行いました。ここでの活動は、地元在住の諸井伝道師がパイプ役となり、今年で12回目になります。

伊勢崎城主・稲垣氏の菩提寺であった天増寺に程近い県道わきに台座を含めた高さ約4.7㍍の天蔵寺橋供養地蔵尊が立っています。近くを流れる粕川に架かる天蔵寺橋の無事と、川の氾濫で亡くなった御霊の供養のため約260年前に建立されました。市の重要文化財に指定されています。

毎年10月の第1日曜日に祭典が行われます。

祭典に伴い、隣の広場にコの字型に設営した8張りのテントで昔の子どもの遊びや手芸、野菜や焼きそばなどの販売、綿菓子やポップコーンの無料配布、福引き抽選会などが行われ、町内の大人や子どもで賑わいます。

明け方の雨もあがり活動日和になりました。9時過ぎに集合の参加伝道師6名は借用したテント内にパンフレットを並べ、座繰り体験と繭クラフトの道具をセット、テント脇に2本のノボリを立て、6枚のパネルを並べて準備完了。

10時から天蔵寺の住職による祭典が執り行われ、終わると来場者が徐々に回って来ます。この周辺もかつては養蚕や伊勢崎銘仙の織物に関わる人の多かった地域です。座繰りの道具や繭を見て「うちでもやっていたんだよ」「こういう道具が物置にあるよ」などと声を掛けてくる人もいました。殖蓮小の3年生は、「学校でカイコを飼って、取れた糸で校章を作ってもらうんだよ」と嬉しそうでした。地元の市議も楽しそうにハンドルを回していました。繭クラフトも変わらずの人気です。パネルの前ではかつての養蚕の体験などをお聞きしながら4資産の解説をしました。

昼食は地元のご婦人たち手製のカレーライスを公民館でおいしくいただきました。綿菓子やポップコーンの差し入れもあり、活動にも力が入ります。

午後2時頃になると来場者もめっきり少なくなり、片付け出すテントも出てきました。各テントの終了を見届けて、片付けに入りました。

地元自治会の方々から、「毎年参加してくれて有り難い、また来年もお待ちしています」という暖かい言葉もいただき、嬉しい限りです。

 

今回、参加した伝道師は6名(M井、K嶋、渋澤、K原、K暮和、I上雄)です。終了後、参加伝道師は天蔵寺境内にある稲垣氏累代の墓にお参りして帰途につきました。

来場者に終始笑顔を絶やさず応対された伝道師の皆様、お疲れ様でした。

最後に毎年の活動を温かく受け入れてくださる昭和町の岩瀬区長を始め自治会の皆様に感謝いたします。

             (I上 雄二 記)

 

 

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深谷市上柴西小学校での学校キャラバン報告 令和元年9月30日(月)

2019年10月04日 08時42分32秒 | 世界遺産伝道師協会

深谷市上柴西小学校での学校キャラバン報告

                      令和元年9月30日(月)

 

令和元年9月30日(月)深谷市上柴西小学校で学校キャラバンを行いました。

同校は児童数550名の大きな学校で、柴崎千穂校長先生と金井拓美伝道師が知り合いだったご縁で、本日のキャラバンが実現しました。

四年生(91名)が10月に富岡製糸場見学を行うための事前授業として、講話と座繰り体験を行いました。

3クラス91名を2班編成にして、体育館でH岡誠さんが講話を、多目的室でK井拓美さんとN木多恵子さんが二台の座繰り器を使って体験を行いました。

H岡さんは予め黒板に要点をまとめて書いておき、それに沿って絹産業のつながりを、特に今回は10月に富岡製糸場見学がありますので、その参考になるよう分かり易く工夫しながら解説を行いました。

皆さんとても熱心に講話に耳を傾け、時には鋭い質問もあって、H岡さんを驚かせました。

座繰り体験は騒がしくはなかったですが、とても積極的でした。

先ず糸口を出して見せるところから歓声が上がりました。20個ほどの繭から糸が引かれて小枠に巻き取られていく様子に「えぇ~すごい」と驚き、糸口の出た繭を持っての接緒体験では「あれっ!どうして」と不思議がったり驚いたり。

雑用係の私にも繭の中の蛹は生きているのか、どうして糸が切れずにずっとつながっているのかなど、煮繭の追加や写真撮影の合間では対応しきれないほどの質問が出されました。

ご当地深谷市は皆様ご存知の通り渋沢栄一のお膝元で、新一万円札の肖像に決まったこともあって、市内は渋沢栄一一色でした。

当校の校長室には青淵会発行の肖像入り一万円札が飾ってありました。

又、当日は地元紙「埼玉新聞社」の取材もありました。

柴崎校長先生は群馬県で行っている「校旗を作ろうプロジェクト」にとても関心をお持ちで、私がスマホに入っていた校旗の写真をお見せしますと「埼玉県では無理でしょうが!?」と仰っていました。

K井拓美さんと柴崎校長先生とのご縁で深谷市でも学校キャラバンのお声がかかりまして、9月27日(金)に同校一年生対象に金井拓美さんが座繰り体験を行いました。

又、10月10日(木)には渋沢栄一の出身地でもある八基小学校で座繰り体験が行われることになっています。

柴崎校長先生はじめ諸先生方、学校ボランティアの皆様、大変お世話になりました。

本日の担当はH岡誠さん、K井拓美さん、N木多恵子さん、Y田節子の四人でした。皆様大変お疲れ様でした。          (Y田:記)

 

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伊香保まつりでの世界遺産伝道活動;令和元年9月18日、19日、20日)

2019年10月03日 17時27分14秒 | 世界遺産伝道師協会

伊香保まつりでの伝道活動;令和元年9月18日、19日、20日)

 

伊香保祭りは、毎年9月18日19日20日の開催です。

今年は、水木金の平日開催です。

1日目は、朝から怪しい天気でどんよりとした曇り空から始まりました。

しかしながら 東京の板橋の小学生が、移動教室とのことでバス2台約60名の子供たちが押しかけてきました。伊香保と榛名のことを調査するのが目的らしく、与えられた資料を手元に、様々な質問を投げかけられて閉口するほどでした。しかしながら 近くに伊香保の観光ボランティアの方がいたので伊香保に関する質問は、心配することはありませんでした。逆に 勉強熱心な皆さんなので、世界遺産のこと蚕のこと等興味を持たれ、説明する機会を得て、我々も少し啓蒙されました。

14時半ごろになると雨が激しくなり、活動は中止にし、お祭りの本部へもどり、ご挨拶等して15時半ごろには、引き上げることにしました。

その後17時ころには雨はやみ、中止になった行事はあったものの夜遅くまでにぎやかだったとのことです。

2日目は、1日目とは打って変わって良い天気に恵まれ、お客さんの流れもあり、「これから富岡製糸場へ行く予定ですとか明日行く予定です」と言ってくださる方もいて、気持ちよくパンフレットも受け取っていただきました。

しかしながら 若い人のグループ(5,6人くらい)は、ほとんど受けとてもらえませんでした。“もう少し話を聞いてもらえたらなぁー”と思いました。

お祭りは、2日目が一番賑やかで、本神輿も神社へ向かって石段を登っていきました。

3日目も天気は良く気持ちよくパンフレットを受け取ってもらいました。

2日目とは違い若い方も受け取ってもらえました。

2日目3日目は、近隣のホテル、旅館へもパンフレットを配布させていただき気持ちよく受け取っていただけました。配布しきれなかったホテル、旅館の方は、申し訳ありませんでした。また 次回以降活動時に声をかけていただければ忘れないようにしたいと思います。

今回も丸本館さんには、荷物を置かせていただき、活動の拠点とさせていただいてありがとうございました。また 話のついでに温泉を勧めて入ったお客さんはとても喜ばれていました。流石 ご主人が自慢のお風呂だと思いました。

また 毎日 活動の後にお祭りの本部によらせていただいた都度“あついおもてなし”ありがとうございました。伊香保の方々の熱い思いが伝わってきました。

連日 我々の活動は昼間でしたが、お祭りは深夜まで続いたことでしょう。

伊香保温泉が群馬の(日本の)代表的な温泉としてにぎやかになり、世界遺産との観光のつながりができるよう頑張りましょう。

今回の活動した伝道師は、1日目N島進、K島静江、K井拓美、N屋和幸、2日目Y澤朗夫、F縄宗一、T平和子、N屋和幸、3日目K川尚允、S藤登、N屋和幸でした。

ほとんど立ちっぱなしの活動でしたが、みなさん頑張ってくださりありがとうございました。来年は、金土日の開催ですので また違った賑わいのお祭りになるでしょう。

楽しみにしての皆さんの参加をお待ちします。

(今年も伊香保祭りの特番を群馬テレビで行うとのことです10月5日20:00~)

(N屋 和幸 記)

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秋篠宮さまが桑園に おいでになられました。(富岡)

2019年10月03日 16時47分49秒 | 世界遺産伝道師協会

秋篠宮さまが桑園に おいでになられました。

富岡製糸場世界遺産伝道師協会

秋篠宮さまは10月2日富岡市田篠の桑園農家の大竹文明氏宅を訪問し、桑茶工場や桑園を視察されました。

宮さまをお迎えする、初秋の空も天下一の秋晴れとなりました。

 (お迎えする市民)

大竹文明さんは県桑苗協会会長をされて、年35,000本を出荷されています。

皇室 紅葉山ご養蚕所に 良質の桑苗を毎年献上され16年目になります。

大日本農会の総裁を務められている、宮さまから優良農家の表彰を平成30年11月いただきました。

(大竹さんから桑の説明を受けられる殿下)

富岡製糸場の近くに、美味しいおやき、桑饅頭・桑茶の販売、おやすみ処「いと」を経営され市民の皆様や、観光客の皆様に好評です。

このお店のお饅頭が宮さまに、桑茶のお供に提供されました。

 

(秋篠宮様、大竹家にご到着)

お忍びで、おいでになられるとお聞きしましたが、沿道には宮さまをお迎えする地元の住民や市民で、ご到着なされる1時間前から埋め尽くされました。

 

10:50大竹氏宅にお車でご到着になられ、20分ほど、旅のお疲れをお取りになり、お話をされて、大竹さんのご案内で、経営する桑茶工場を視察なされました。この工場は蚕を、1齢から3齢まで飼育をしました、元飼育場跡です。

(桑園工場へ向かわれます)

(桑園に向かわれる殿下)

 

宮さまは、とても腰が低く、柔軟の笑顔で市民の皆さんに、ご挨拶されながら視察なされる、次の場所へと、お歩きになられ、移動されました。

桑園を視察され、桑畑の中にお立ちになられ、大竹さんのご説明をお聞きして、質問など、かずかず、されたご様子でした。

 

(大竹さん経営の「いと」)

このあと世界遺産「富岡製糸場」に向かわれる為、11:30市民のお見送りに答えられ、ご出発されました。

(I川武男記)

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富 岳 風 穴 見 学 記  

2019年10月03日 15時50分49秒 | 世界遺産伝道師協会

富 岳 風 穴 見 学 記  

過日山梨県南都留郡富士河口湖町西湖青木ヶ原の樹海にある富岳風穴を見学してきました。

風穴は大きく分けて溶岩トンネル、石灰岩の洞窟、崖錐型風穴の3つの型に分類できますが、この富岳風穴は溶岩トンネルの風穴で貞観6年(864年)に富士山の大噴火があり、富士山北西部の中腹から流れだした大量の溶岩が青木ヶ原をつくった際に形成されたものです。

青木ヶ原溶岩は玄武岩溶岩で粘性が低く、流動性が高かったため現在21本もの溶岩トンネルが存在しています。日本で「風穴」と呼ばれるものはほとんど崖錐型風穴で、溶岩トンネルは富士山麓には多数ありますが、ほかではごく一部にみられるだけです。

 富岳風穴は明治10年ころ村民によって発見され最初は天然氷の採収場として使われていたようです。しかし、三井種太郎、八田達也、早川文太郎らが人工の風穴の不完全さを憂えて国家経済界のため奮起し、数年の実験を重ねて貯蔵蚕種の成績が極めて良好であることを確信し、委託された蚕種の貯蔵を開始したのでした。そして明治39年に初めて「富岳風穴」と命名し組織を株式会社に改めました。昭和4年に国の天然記念物に指定され、現在は富士観光興業株式会社が運営しています。

 冬季に結氷した氷は、その年の気候にもよりますが夏季まで解けることがなく、洞内の温度は平均3゜Cを保っているということです。富岳風穴入口(洞口)は階段で降りていく形になっていますが、洞内と外気の気温差でその辺りは、もやっとしていて幻想的な感じでした。見学して帰ってくる人は「寒かったね」「見学する価値があったね」などと満足そうな感想を述べていました。

階段を下りてすぐ向かって左側の広い空間に「氷の池」(ほとんどは外部から運ばれた氷である。冷蔵庫のない時代は西湖等から氷を切り出して保管し、医療等の便宜を図った)があり、別世界に来たようでした。

内部は総延長201m、高さは最大8、7mで横幅もあり、地面も比較的平坦です。とはいっても地面は水浸しといった感じで水たまりもあり歩くのにちょっと難儀しました。ところどころに「頭上注意」「足元注意」の看板が掲げられ、日本語はもちろん英語、中国語、韓国語、タイ語での案内放送が流れていました。子どもや老若男女、家族連れ、外国から来た人、また観光バスを使った団体客等気軽に沢山の人々が溶岩トンネルの中を行き交っていました(世界文化遺産の「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」との関係もあるのでしようか)。有名な氷柱は時節柄見られませんでした。

薄暗くひんやりした洞内を進んでいくと一番奥の方に広い空間があり、昭和30年前後まで蚕種や種繭、樹木の種子を保存した貯蔵庫(復元)があり、当時の様子が再現されていました。棚には蚕種を入れた蚕種箱や、種繭を保管した直方体のブリキ缶(一斗缶)がイルミネーション化され、陳列されていました。種繭については、長野県、埼玉県、私たちの群馬県などから成育良好な繭(生きている)が集められ、成虫にならないよう貯蔵され、夏、秋になって取り出し、成虫になった親に卵を産ませました(一代交雑種で発蛾をそろえるときにも利用されたと考えられます)。

余談ですが、私の実家である春秋館経営の荒船風穴でもこのような目的で委託され種繭を貯蔵しました。大正に入って全盛期には第3号風穴の中室を公開して無料で種繭を貯蔵することもありました。

現在と違って当時は気温も低く、一面が氷に覆われた富岳風穴内での作業は大変だったことが推測されます。しかし「どうにかしなければ」という固い信念を持ち、「国利民福」を目指して努力したのでしょう。

富岳風穴の近くには風穴看守人の室、洞内への窪地には第1号室(亜鉛板葺き3階建て)がありそこから洞内に入ったようです。1号室の3階は究理室、及び荷扱所でした。

山梨県は長野県同様風穴利用の先進地で、この富岳風穴は富士風穴(明治34年八達館の八田達也が営業開始)と並び、全国的にも著名な風穴でした。

富岳風穴見学後は隣の鳴沢風穴、そして中央市豊富郷土資料館を見学して家路につきました。

私の実家「春秋館」に富岳風穴株式会社発行の『風穴之栞』があり、いつか訪ねてみたい風穴の一つでした。この栞の発行は荒船風穴開設の時期に当たるので、両者は何か関係があったと思われ今後さらに考えていきたいと思っています。

                               (I井 規雄 記)

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第12回赤岩ふれあい感謝祭への参加報告(世界遺産・日本遺産・ぐんま絹遺産の広報活動)

2019年10月01日 10時35分14秒 | 世界遺産伝道師協会

第12回赤岩ふれあい感謝祭への参加報告

9月14日(土)、秋のこの時期、伝道師協会の恒例行事となっている中之条町六合赤岩の第12回赤岩ふれあい感謝祭に参加して来た。晴天に恵まれ、感謝祭は、開会式を含め、昨年同様、中之条町役場六合支所六合保健センター敷地内の芝生スペースで出来た。

 幸いにも、昨年と反対に、降雨の心配をする必要は全くなかったし、心地よい日和でした。

 日本遺産ならびに重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として脚光を集める赤岩。そこへ、繭クラフトや配布用パンフレットなどを積んだ(ウチの)車が到着したのが朝9時15分頃でした。会場は与えられたテントの周りを見渡すと、ほぼ準備万端かのように整っていた。K藤会長も早々と到着していた。取り急ぎ、のぼり旗、立て看板そして繭クラフトの準備を、I井理事らと行った。

 開会式が始まって間もなく、K下部邦彦理事、I上雄二理事、N木多恵子さん、K島静江さんが到着した。伝道師協会参加スタッフの勢揃いで定刻の10時から開始した。

 開会式で、感謝祭実行委員長の篠原一美・赤岩重伝建保存活性化委員会委員長は、「皆様の支えが合って続いて来た、今後も続けたい。六合地区が一丸となって、おもてなしをしてゆきたい」と強調し、関係者の労をねぎらった。山本・中之条町議会議長は、「六合地区が大自然と温泉と文化とおもてなしなどに特徴があるのが六合地区だから、それらをさらに磨き上げて行きたい。美しい自然も守って行きたい」と述べた。

 来賓挨拶が、いずれも、赤岩地区が保持するボランティア力や結束力を指摘した感があり、赤岩が重伝建で在り続けるのにふさわしい何かを蓄えているように思えた。

 挨拶した近藤会長は、「本日は、絹遺産を中心に幾らかでも貢献できればと思っています。」とし、盛り上げ役に徹する姿勢をみせた。

 その思いで始まった繭クラフトのコーナーには、ひっきりなしに参加希望者がやって来て、昼食をゆっくりとる余裕がないほどの盛況だった。その流れに拍車を掛けたのは、パンフレットをもって富岡製糸場や当地を含む日本遺産を解説してまわる日下部さんや井上さんらの積極的な勧誘があったからだ。なお、感謝祭スタッフが入れ代わり立ち代わり、昼食にと、蕎麦、おにぎり、モツと肉入りの野菜炒め、それから焼きとおもろこしとお饅頭と、差し入れしてくれるありがたいおもてなしだった。

 お客様には、毎年、感謝祭にやって来ると思って私たちのテントにやって来た家族も居れば、初めて繭クラフトを楽しむ方も少なくなかった。一件、普通の子供のように思えたが、ひとたび繭を操り始めると、親世代の創作意欲に勝るとも劣らないセンスを発揮する子供もいて、彼らのその発想と手の器用さに驚かされた。

 午後3時終了と、例年より30分早めの片づけとなったので、終了間際になって繭クラフトを習いたいとやって来た方々には作製を急がせたし、お断りせざるを得なくて申し訳ない気持ちに駆られた。

 総じて言えば、繭クラフトを含めた伝道師活動は、赤岩の感謝祭にとって無くてはならないお馴染みのコーナーとなっていると自任してもおそらく言い過ぎではないのかもしれない。

 なお、参加した伝道師の皆様は、早めに帰った方を除いて、赤岩のメイン・ストリートを回り、赤岩の魅力づくりの足跡を垣間見るに至ったので、あらためて重伝建・赤岩の重厚感を再認識した格好だ。(T丸廣安 記)

 

 

 

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