富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

座繰りについて

2006年01月17日 14時33分25秒 | 養蚕・製糸・織物
「座繰り」製糸という「座繰り」はどうして、そう呼ばれているのか?について、上毛文庫「群馬県民の歴史4 近現代」の中で『明治期の産業』を読んでいくと石原征明氏が「座繰りというのは、座ってやるからという説と、歯車を使うという説と二つあるんですね。歯車が菊の花ににているので菊座というのだそうです。その『座』をとって座繰りという説でして、東京の農工大学の先生は歯車からだろうと言っています。」と述べていました。

これを読んで、木で作った、あの歯車を菊座というんだ、それが語源で「座繰り」という言い方が出てきたという説があり、東京農工大の先生がその説をとっているというので、そういう説が有力なのかな?と思っていたら、みやま文庫の「群馬の生糸」を読んでいたらチョット違うかなと思った。

石井寛治先生の「明治期の群馬の生糸」の中にある『改良座繰り結社の形成と展開』の稿の中で「座繰りには上州座繰りと奥州座繰りの二系統があり、いずれも生糸を巻きつける小枠の回転をスピードアップする点に特徴があるが、奥州座繰りがそれを大車と小車を調紐で結んで行うのに対し、上州座繰りは大小の歯車をかみあわせて行うのである。」と書いてありました。

ここで、歯車を使わない奥州のものまで”奥州座繰り”という言い方をしています。やはり、座って糸を引くので「座繰り」というのでいいのかなと思うのですが・・・。

また、改良座繰りということについて、石井寛治先生は「座繰り器それ自体の改良をもって、いわゆる改造座繰りの成立の条件とみなすことはできない。」とのべ、「改良座繰りの『改良』の核心は、基本工程である繰糸工程よりも、むしろ仕上工程に属する揚返工程の改善(絡交装置つき揚返枠を備えた揚返所での集中揚返)にあった」とあり、「集中揚返の担い手が商人であるばあいが、(略)前橋生糸商による昇立社・天原社などの揚返所であり、担い手が座繰り小生産であるばあいが、(略)精糸原社・碓氷社などの改良座繰り結社であった。と書いています。

寝込んでの読書の中からの記事です。また、勉強します。
コメント (1)
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