前橋市総社小学校での活動報告
令和二年10月26日(月)前橋市立総社小学校で三年生二クラス53名対象の学校キャラバンを行いました。
当校は開校以来150年近い歴史のある小学校で、近くには総社古墳群・古代の神社跡・天狗岩用水などがあり、又、秋元歴史祭りでは伝道師協会が広報活動を行ったこともありました。
本日の三年生は二クラス53名の児童ですので、クラス毎に講話は教室で、座繰り体験は多目的室で交替して行いました。
M田悟さん担当の講話の報告は次の通りです。
小学校3年生にどこまで話ができるか心配でした。ただ春のころの3年生に比べると半年たったこの頃は理解力などが進みある程度分かってもらえるかなと期待していました。
蚕の漢字の成り立ちから、「おかいこ、おかいこさん」と大切にされてきたことを導入としました。そして、町内の熊谷稲荷の絹笠大神の碑や山王集落等に残る総二階屋の養蚕農家の写真を映し、総社町の人々が昔から蚕を飼い、生活を支えてきたことを話しました。そこから、繭がたくさん売れたわけ、品質の良い糸をもっと多く売るために富岡製糸場がつくられたこと、今残っている製糸場の大きさと校舎の大きさを比べたり、座繰り製糸の体験と比べたりして世界遺産としての価値について話をしました。
子どもたちは2クラスとも最後までよく話を聞いており、担任の先生の日頃の指導の良さがうかがわれました。日本にある世界遺産をたずねたとき、核兵器禁止条約が発効となるニュースと重なったためか、姫路城に続いて原爆ドームが上がったのは予想外でした。そのため予定外でしたが、負の遺産としての価値にも少し触れることができました。
話を終わってみて、伝えたいことが多すぎて話が一方的になってしまったこと、理解の進んでいる子の発言から話を進めてしまったことが反省点となりました。特に最後に話した今とこれからの蚕と糸の話は、時間切れもあり、テレビCMでのシルク入りの食品・化粧品の例でしか具体的な話はできませんでした。最後はもっと余韻を残して終わりにすることが課題となりました。
座繰り体験はH岡誠さんとN木多恵子さんが、二台の座繰り器を使って行いました。
いつも通り持参した繭をポット煮繭して座繰り体験を行いましたが、担任の先生から、子供たちが育てたお蚕の繭があるので、それも糸にしてみたいとの要望がありました。
そこで、持参した繭での座繰り体験が全員終わった後で、先生からお預かりした子供たちが育てた繭を新たに煮繭しました。
50粒ほどの殆ど白い繭に少量の黄色い繭が混在する状態でしたが、全部一緒で構いませんとのことで、まとめて煮繭した繭を二台の座繰り器に分けて、希望者がハンドルを回しました。
通常でしたら巻き取られた生糸は、鋏を入れて小枠から外すことになりますが、本日はH岡さんの機転によって、当校の【郷土コーナー】にあった地元の製糸工場が使った古い小枠を、先生の許可をいただいて使いましたので、小枠に巻き取られたままの状態で残すことができました。
M田悟さんの講話にもありましたが、通学路に残っている大きな養蚕農家や、総社組という製糸工場もあったという地元名残りの小枠に、後世の小学生が育てたお蚕の繭を座繰りで巻き取るという、絹産業の伝承が文化として偶然残るということになりました。
子どもたちも皆で育てたお蚕の繭が糸になって、学校に保存されていた小枠に巻き取られてゆくことに喜びを感じている様子でした。
又、本日は2・3校時の活動でしたので集合時間の8時15分は児童の登校時間と重なって、先生方が学校前の道路で交通指導をされていました。
その時のエピソードを紹介させていただきます。
その交通指導をされていた先生の中にF岡校長先生がいらっしゃいまして、本日講話担当のM田悟伝道師が当校の校長先生をされていた当時、教諭として勤務されていた方でした。
この邂逅にお二人は驚かれたご様子でしたが、私は、M田悟さんが総社小学校の校長先生をされていたことを聞き及んでおりましたので、本日の担当にM田さんをお願いしたという経緯がありました。
M田さんが当校に勤務されていたのは15年近く前のことですが、当時同僚であった先生が何方かいらっしゃるかなと期待しましたが、校長先生になっておられたとは驚きました。
F岡校長先生も当日の様子を『学校だより』に「三年生の座繰り体験の講師の先生方は県のボランティアの方々でしたが、その中に、私が教諭として勤めていた時の校長先生であったM田悟先生がおられ、その元気な姿に感銘を受けました」とお書きになっていました。
数多くの学校を訪問していますと、時にはこのような巡り合わせに遭遇することもありまして、ご褒美をいただいたような気持になりました。
本日担当のM田悟さん・H岡誠さん・N木多恵子さんお疲れ様でした。 (Y田:記)