富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

蚕神の調査で実りも学びもたくさんありました(蚕神調査雑感)

2017年09月12日 23時44分35秒 | 世界遺産伝道師協会

蚕神調査雑感

 

9月7日(木)前橋地区担当者は新たに情報が寄せられた新規の蚕神調査に出かけました。

N木さんが都合で急遽不参加となったため、N屋さんとY田の二名で、先ずO野功一伝道師が蚕業職員の先輩から引き継いだという資料を頼りに、富士見町横室十二山「赤城神社」から調査開始です。

細く曲がりくねった道路沿いに「郷社赤城神社」の石塔を見つけ、通行に支障のない少し離れた場所に駐車して神社に向かいました。

石の鳥居を潜ると終わりの見えない石段がずっと続いているのが目に入ってきました。辺り一面うっそうと木々がはびこるこれが十二山でしょうか、頭上からはカラスウリの枝が玉のれんのように垂れ下がり、周りからは「ウワンウワン」とやぶ蚊が襲ってきて、半袖のN屋さんはあっという間になん十か所も刺されてしまいました。

漸く頂上に到着して二つ目の石の鳥居をくぐると正面に赤城神社の社はありましたが、O野伝道師からの資料にある手前左手にあるという衣笠大明神は見つかりませんでした。

社の左手に更地になって青草の生えているそれと思しき空き地がありましたので、既に取り壊されていたのかも知れません。

仕方がないので三百段の石段を下って道路に出て、丁度通りかかった男性に「この神社の事に詳しい方をご存知ですか?」とお聞きしました処、とても親切に対応してくださり「多分○○さんだと思います」とのこと。しかし、漸く探し当てた○○さん宅でしたが、残念ながらご本人は不在でした。

こちらの衣笠大明神は改めて別の日にということにし、次はM田リーダーに桐生市在住の職場の後輩から寄せられた情報、粕川町上東田面伊勢の森神明宮内「蚕影山」の調査に向かいました。

こちらの神社は道路に面した場所にあってすぐに分かりました。しかし「蚕影山」を探しましたが見つからないのです。

ここで、経験のない私たちは認識不足からの勝手な思い込みにより大きな失敗をしてしまいました。もっと大きい物を想像していました。「蚕影山」はあったのです。

事の顛末はこうです。

新規調査の難しさを感じつつも、次はM田リーダーが既に調査済みの粕川町中にある阿夫利神社境内の「蚕影山」の調査に向かいました。

この阿夫利神社の「蚕影山」を見てふと思いました。先の神明宮にいくつも並んでいた石祠も台座があればこんな感じだったかも知れないと。

そこで、ご迷惑とは思いましたが、情報提供者のM木様に電話してみました。生憎お留守でして、留守録に名前と用向きを伝言しました。

余り期待はせずに伝言しましたが、程なくして着信履歴にこの番号があったのでと、私の携帯にM木様から電話をいただき、恐縮しながらも事情を説明しました。そしてご親切にも「これから現地へ行ってみますからそちらも戻って下さい」と言ってくださったのです。

やはり目的の「蚕影山」はいくつも並んでいた苔むした石祠の中の一つでした。「これですよ」と言われ、持っていた刷毛で文字らしき部分の埃を払ってみましたら確かに「蚕影山」の文字が見えてきました。「蚕」は旧字の「蠶」でした。

N屋さんと私の驚きと喜びをご想像ください。この苔むした小さな石祠がとても愛おしくなりました。

M木さんとの会話も弾み「報告書が出来上がるのを楽しみにしています」とのことでした。又、さすが熟練者で、虫よけスプレーを携行しておられました。

M木様に心よりお礼を申し上げ、今日予定した最後の目的地、粕川町月田「近戸神社」へ向かいました。これもO野伝道師からの情報です。

近戸神社は現在も六百年の伝統を誇る獅子舞などで有名な地域の鎮守神として信仰されていますのですぐに分かりました。「蚕影山大神」の額は社殿正面上部に飾ってありました。こちらの「蚕」の文字も旧字の「蠶」でした。

念のため神社裏に回ってみましたところ、道路を隔てた向かい側に「粕川村文化財 社家光善寺」の立て看板が目に入りまして、更に石垣の上には「光善寺石造佛群」と「蚕影山神社跡」の立て看板もありました。こちらも調べてみたいものです。

以上が前橋地区担当者の初回現地調査のあらましです。

赤城神社の三百段の石段上りに始まり、通りすがりの地域の方との触れ合いや、情報を提供してくださったM木様とのご縁など、色々なことがありました。

全くの素人がぶっつけ本番の珍道中でしたが、実りも学びもたくさんありました。

今日の行程が一人でしたら多分めげてしまったと思います。複数のグループにしていただけて良かったです。N屋さん、細く曲がりくねった道路の運転大変お疲れ様でした。

次回は長そで着用と虫よけスプレー持参は絶対条件と学びました。  Y田節子記

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「世界遺産広報活動in下仁田町バイブレーションテーブル」にデビューしました。

2017年09月12日 16時51分50秒 | 世界遺産伝道師協会

「世界遺産広報活動in下仁田町バイブレーションテーブル」にデビューしました。

 

平成29年8月27日第17回富岡製糸場世界遺産伝道師養成講座を終了し、I川武男伝道師に声をかけていただき、9月9日(土)下仁田町で開催された野外フェスで伝道師としてデビューしました。

下仁田町バイブレーションテーブルは、下仁田町の高台「ほたる山公園」や下仁田駅周辺の街中エリアを会場に、音楽、ダンス、フード、クラフトを発信するイベントで今年は8回目、年々賑わいが増しているようです。

伝道師協会の参加者はI川伝道師、O田三枝子伝道師、I田みち子伝道師、新人S藤裕子の4名で、街中のこんにゃく手作り体験道場広場で、パネル展示、解説、繭クラフト、パンフレット配布を行いました。

午前9時過ぎ会場に到着し、展示やクラフト制作の場所の設営。講座で説明を受けていましたが、イーゼルやのぼり旗の組み立てに手こずりアタフタ。先輩方は、会場内のお客様の導線を考えて、机の配置やパネル、資料の設置を工夫してテキパキされており、とても勉強になりました。

秋晴れでまさに行楽日和、大勢のお客様が訪れており、小さなお子様と一緒の親子の姿が目立ちます。伝道師協会の活動場所は、高台の「ほたる山公園」へのシャトルバスの発着所のすぐ横で、午前中は目の前にシャトルバスを待つ長蛇の列。列に並ぶ子どもが、ぐんまちゃんの繭クラフトに目をとめてくれますが、あまり長い時間列から離れることができません。そこで、短時間でも繭に触れ手作りしてもらおうと、カッター作業を済ませた繭を用意しておき、紐付けをして顔を描いて持ち帰れるようにしました。保育園や小学校の子どもたちが、お母様や、お婆さまと一緒に立ち寄って、かわいいぐんまちゃんを作って、行ってくれました。新人伝道師も少し繭クラフト作りが上達したような気がします。

慌ただしい中でも、お話を伺うと、地元下仁田のほか、富岡や高崎から見えているようです。学校で蚕を育てた時のことを話してくれるお子さんもおり、蚕の一生や繭からとった生糸がどのように生かされているのか、伝道師の説明を熱心に聞いてくれました。

午後は、高台の「ほたる山公園」でのパンフレット配布とシャトルバスを降りてくるお客さまへの繭クラフト作りの二手に分かれ、私は、高台にパンフレットを抱え出かけました。荒船風穴のパンフレットをお渡しした女性は、「私のおじいさんがここで働いていた。険しい山の中なので、大丈夫かと家族で心配した」と懐かしそうに話され、おじいさまを思い出されたのか、涙ぐまれました。いろいろな人々の心に様々な形で絹産業遺産の思い出が遺されており、そういった思いを引き出し伝え残していくことが大切だと感じさせられました。

そのころ、繭クラフト作りは、バスを降りた方々が立ち寄ってくださり大忙し。90粒用意したものがすべてなくなり、片付け作業を終え、午後3時半頃、快い疲れとともに会場を後にしました。

まだまだ、知識不足の新人ですが、これから経験を重ねて行きたいと思っております。よろしくお願いします。               (17期伝道師 S藤裕子)記

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