映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「クリード 過去の逆襲」マイケル・B・ジョーダン

2023-05-28 08:17:41 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「クリード 過去の逆襲」を映画館で観てきました。


映画「クリード 過去の逆襲」は「ロッキー」シリーズのアポロの息子「クリード」をフィーチャーしたシリーズ第3作目である。今回、前2作で登場したシルベスタースターローンはプロデューサーの1人としてクレジットに残るが出演していない。主演の「クリード」マイケルBジョーダン自らメガホンをもつ。ロッキーのトレーナーとしての復活は実に衝撃的だった。2作目「クリード炎の宿敵」もロッキーにとっての強敵ドラゴの息子を引っ張り出して、1作目「クリード」ほどの感動はなかったが、水準は高かった。さて3作目はどうなる?予告編では幼なじみと対決するとなっているが。

引退試合と決めた世界タイトル戦に辛うじて勝ったアドニスクリード(マイケル・B・ジョーダン)は、後進の指導とプロモートに専念しようとしていた。ある日、少年鑑別所で一緒だったデイミアン(ジョナサン・メジャース)がアドニスのところに突然来訪する。18年の刑務所暮らしを終えて出所してきたのだ。デイミアンが長いお勤めをするきっかけにはアドニスも絡んでいた。その昔はアドニスにボクシングを教えていたデイミアンがボクシングをしたいというので、ジムを紹介する。ケンカまがいのボクシングスタイルに周囲は困惑する話だ。


予告編では両者の対決が前面に出ているので、ストーリーの展開は予想外だった。バックストーリーがあり、そこでは少年の時にクリードの起こした行為がきっかけでデイミアンが刑務所に長くいたのだ。そのことでデイミアンはクリードを恨んでいない。もともとお互いに対決するつもりもない。ところが、シャバに戻って徐々にエスカレートするデイミアンの行為に奮い立たされるのだ。

ボクシングファイトの迫力はすごかった。クリードのライバルにジョナサン・メジャースを起用したことでこの映画は成功している。
スポーツを題材にした映画には主役をくってしまうほどの強いライバルの登場が必要だ。マイクタイソンを思わせる刑務所上がりの強面が登場する。まずは人相が違う。どう見てもワルだ。不良あがりのケンカファイトをするという映画の設定にジョナサン・メジャースの起用はこれほど適切な配役はないだろう。


もともと第1作目でクリードは少年鑑別所上がりという設定だった。とはいえ、ハングリー精神あふれるという感じが徐々に薄れていく。マイケル・B・ジョーダンエリートの役柄もできる雰囲気をもつ。「黒い司法 0%からの奇跡」で実際に弁護士役をらしく演じている。いい映画だった。ジョナサン・メジャースはどう見ても無理だろう。こんな奴が周りにいたら危ないと観客のわれわれに感じさせる怖さがある。

見どころはボクシングシーンだ。これでもかとハードパンチのシーンが次から次へと出てくる。同時にスピード感もすごい。「あしたのジョー」を思わせるクロスカウンターもきまっている。ボクシングシーンにそれなりの編集はあったとしても、その技術自体もすごいと感じさせる。


「ケイコ 目を澄まして」が昨年のキネマ旬報ベストテン1位をはじめとして映画賞を次々受賞した。三浦友和の悲哀のこもったジムの会長役も含めて人間ドラマとしては良かったと思う。でも、自分は過大評価だと思っている。ボクシングシーンは極めて貧相だった。岸井ゆきのが繰り出すあのパンチでは誰も倒せないし勝てそうに見えない安藤サクラ「百円の恋」ではシェイプアップして颯爽とパンチを繰り出す安藤サクラの役づくりに感動した。試合に勝っても当然と思わせる。ボクシング映画はファイト場面に迫力がないとダメだ


ただ、第1作目「クリード」の感動からは徐々に弱まる。2作目の時も、経済学の限界効用逓減の法則のように感動は薄らいだ。いったん引退した設定のクリードが再びリングに上がったが、もうネタ切れかもしれない。続編はむずかしいだろう。あとは聴覚障がいのある娘のボクサーとしての成長した姿を見せる以外はきびしいのでは?
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映画「波紋」筒井真理子&光石研

2023-05-27 17:21:01 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「波紋」を映画館で観てきました。


映画「波紋」は「川っペリムコリッタ」荻上直子監督のオリジナル脚本で筒井真理子が主演のシリアスドラマである。予告編で何度も観て、内容はうっすら想像できた。夫が失踪してしばらくして妻が新興宗教にハマった時に夫が突如戻って来るというストーリーは予想通りのままだった。「よこがお」など筒井真理子主演のドラマはいずれも好きで、期待して映画館に向かう。直近にいい公開作がないせいか、上映館は比較的多いようだ。

東日本大震災の直後に放射能の影響が報道されている頃、親子3人と要介護の父親で暮らしている須藤家の主人修(光石研)が突如妻の依子(筒井真理子)の前から姿を消す。それからしばらく経って、義父も亡くなり息子(磯村)も九州の大学に行って就職して一人暮らしの依子は新興宗教「緑命会」にハマっていた。そこに突然夫が戻ってきた。線香をあげたいという夫を家に向かい入れると、夫はガンになってしまったという。そのまま夫が家に住み着くようになる話だ。


映画自体は興味深く観れたけど、期待したほどではなかった。
でも、筒井真理子、光石研は相変わらずの安定した演技である。特に筒井真理子はほぼ出ずっぱりで普通の主婦が新興宗教にハマっている姿を描いている。それ以外のプールやサウナのシーンやお隣さんとのやりとりのシーン、息子がフィアンセを連れてきた時の動揺を巧みに演じた。光石研は今回のようなダメ男の方が味がある。新興宗教の教祖?役を演じるキムラ緑子やスーパーの同僚の木野花の存在も映画の幅を広げる。いずれもうまい。


予告編で予想した通りの出だしで、ストーリーも普通に展開しただけでその後の起伏が少なかった意外性はなく、残念ながらパンチがない「川っペリムコリッタ」も中身がない映画だと思ったが、震災や介護や障がい者問題など世相の話題をいくつも継ぎはぎにしているだけで新興宗教の扱い以外は中途半端だ。荻上直子監督の作風はこんなあっさりした感じなのかもしれない。

ただ、筒井真理子演じる妻は夫が戻ってきた時に泣いたりわめいたりしなかった。普通だったら家の中に入れないだろうと思うけど、あえてその展開にしたのであろう。それ自体は悪くはない。別に寛容性があるというわけではない。いやで仕方ないけど、つらく当たると自分にしっぺ返しをくらうと考えてそうしているだけだ。それなのに、息子がフィアンセを連れてきたときの態度は考えられないほどの嫌悪感だ。これって女流監督だから演出できる男にはわからない女性心理を描いているのか?


こういった新興宗教の信者たちって、みんないつもニッコリして健全な感じだ。駅の前でよく見る宗教の勧誘や共産党のビラを配るおばさんたちと同じだ。江口のり子がそのうちの1人というのはいつもと違う。宗教の集会でキムラ緑子の教祖と一緒に信者たちが歌ったり、踊ったりする歌は当然オリジナルだろう。作詞作曲や振り付けも荻上直子監督が自ら考えたのであろう。これだけは事前取材の成果が出てすごいなと感じた。筒井真理子赤いカサを持ったフラメンコも好意的に見れた。
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香港映画「縁路はるばる」

2023-05-22 04:28:33 | 映画(アジア)
映画「縁路はるばる」を映画館で観てきました。


映画「縁路はるばる」は香港映画、IT系企業に勤める若き男性が、香港の中でも僻地に住む5人の女性と付き合うラブコメディである。新世代香港映画特集として観た。アモス・ウィー監督の作品だ。民主化デモ以来なかなか香港に行けていないので、こういったミニシアターの特集は現代香港を知る上でもありがたい作品だ。香港島や九龍の中心部が描かれることの多い香港映画では異色の存在で行ったことがないエリアだ。しかも、黒社会系ドンパチの類ではないし、民主化デモにも触れていない。変わりつつある辺境部を中心に現代香港の若者の偶像が見れてうれしい。


香港のIT系の企業につとめるハウ(カーキサム)は大学で情報工学を学んだ28才のいわゆるオタク系の社員だ。これまで2人の女性と付き合ったが、結局フラれてしまった。恋愛には自信がない。そんなハウにもモテ期が訪れて、美女5人と次々とデートをするチャンスに恵まれるという話だ。

香港好きの自分としては、心地よく観れた映画だった。
あえて、香港の中心部でなく、中心から約40km以上離れた中国本土との境や離島方面に女性たちが住んでいるという設定にする。沙頭角、下白泥、大澳、船灣荔枝窩、長洲、茶菓嶺という地名だ。香港には方々行った自分でもなじみは薄い。


その昔からすると、なくなりつつある村部エリアを舞台にする。緑あふれる山間部や海を見渡すなかなか貴重な映像だ。目の保養になる。ハイキングもできてしまう場所もある。島部といえば自分も南Y島には中環からフェリーで向かったことがある。海辺のオープンエアで食べる海鮮料理がおいしかった。最後に空港のあるランタオ島に近い長州島で締めくくるのはうれしい。


ハウはもともと女性と面と向かって会話するのも苦手な男性だ。ただ、香港ではエリートとされる香港中文大学を卒業して、IT系企業でそれなりの仕事はしている。同じような婚活をしている女性たちから見て、結婚相手としては悪くはない存在だろう。そんなハウが奥手ながら5人の女性とデートするようになる。会社の同僚、親友の結婚式の介添の女性、婚活アプリで知り合った女性、大学時代のマドンナや一緒にチームを組んだ仲間などである。以前から知っている女性からすると、空気みたいな存在だったのが一気に近づく。森山未來「モテキ」のような要素をもつ。


もしかして、日本の30前後の女性よりも香港の女の子の方が結婚願望が強いのではないかと思わせるセリフが目立つ。30までに子供が欲しいという女性もいる。積極的な女性が多い。女性には疎いハウも少しづつ修練を重ねていく。

日本でいうと、酒井法子のようなかわいいタイプの顔を香港人は好む。5人の女性はまさにそのタイプでいずれも美人揃いだ。性格的には気の強い女性が多い香港人そのものである。現代のIT気質を象徴するようなタッチで描く新しいタイプの香港映画が観れたのはうれしい。
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映画「神坂四郎の犯罪」森繁久彌&左幸子

2023-05-21 04:02:26 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「神坂四郎の犯罪」を名画座で観てきました。


映画「神坂四郎の犯罪」石川達三の原作を久松静児監督で映画化した1956年(昭和31年)の作品である。名画座の森繁久彌特集で観た。以前から気になっていた作品であるが、チャンスがなかった。この時代にしては珍しい法廷劇の要素をもつ。展開的に黒澤明「羅生門」のように数人の証言者のバラバラの発言をクローズアップする。森繁久彌もまだ若い。共演する女性陣の演技のレベルが高く見応えがある作品となっている。

雑誌の編集長神坂四郎(森繁久彌)が梅原千代(左幸子)と抱擁を交わす場面からスタートする。気がつくと、千代は薬を飲んでいて息は途絶え、神坂四郎も病院に運ばれていた。神坂には妻雅子(新珠三千代)と子がいた。心中未遂かと一気に新聞ネタとなった。神坂四郎には勤めている三景書房のカネを横領している疑いもあった。横領と自殺幇助罪で訴えられて、裁判が始まった。

雑誌社の女性編集者永井(高田敏江)や文芸評論家の今村(滝沢修)をはじめとして、神坂と縁があったシャンソン歌手戸川智子(轟夕起子)や妻の雅子の証言が次々とあった。神坂は亡くなった千代だけでなく、さまざまな女性と関係があった。それぞれの証言に矛盾があり、予想外の事実が浮き彫りになった後で、神坂四郎が弁明する。


これはむちゃくちゃおもしろい!傑作だと思う。
話がおもしろいのに加えて、それぞれの俳優の演技がすばらしい。
この時代の森繁久彌「夫婦善哉」「猫と庄造と二人のをんな」など女たらしでたらしない男を演じさせると天下一品だった。ある意味、社長シリーズで淡路恵子や新珠三千代あたりを前にして鼻の下を伸ばすのも似たようなものだ。この映画でも途中までは徹頭徹尾そのイメージである。思わず吹き出してしまうシーンもある。でも、今回は骨がある。

何せすごいのが左幸子である。自分には「にっぽん昆虫記」「飢餓海峡」などの昭和40年ごろのイメージしかなく大衆的な印象を持っていた。ここでの左幸子はビックリするくらい美しい。彼女に対して、そんな思いを持ったのは初めてだ。妖艶な感じをもつ。その彼女の演技は極めて情熱的森繁久彌に一歩もひかない姿を見せてくれる。情念がこもって実に素晴らしい。まだ羽入進とは結婚していない頃だ。加えて、自分にとっては「細うで繁盛記」新珠三千代「チャコちゃん」のお母さん役の高田敏江もいい感じだ。


石川達三の文庫本を書店で見ることは最近なくなった。自分が大学生くらいまでは、ドロドロとした男女関係のもつれというと石川達三の本を連想した。萩原健一、桃井かおり共演の「青春の蹉跌」も映画で大ヒットして、社会派の「金環蝕」もヒットしていた。ちょっとインテリで生意気な女性陣もみんな石川達三が大好きで自分もつられて読んでいた。田園調布に豪邸の自宅があったけどどうなったのであろうか。

周囲が亡くなっていて、自分だけ生きているというと、最近の市川猿之助に関わる事件を連想してしまう。神坂四郎横領罪に問われるが、文芸評論家の今村を助けてあげるために会社で使っている訳で、一定の交際費は認められている。亡くなった千代は小説の勉強のために今村のところへ北海道から上京した女性だった。実はその彼女を助けるために神坂が住まい探しなどに動いている訳でもある。一方で、会社への背任行為と雑誌社の社長に仕組まれる要素もある。それぞれの言い分には矛盾が潜んでいる。ただ、神坂は既婚なのに未婚と女性にウソをついているので始末が悪い。


最近の法廷劇といえば、弁護士が活躍する場面が多い。それと検察官の対決がクローズアップされる。ここでは両者はいてもそれぞれの証言が中心となる。それぞれの女性の言い分に対応した再現映像で、森繁久彌がいくつもの顔をする。駄々をこねたり、横柄になったりとこれだけの使い分けができるのもすごい。そして最後に向けて、この時代によく見られるだらしのない森繁久彌と違う顔をする。そのギャップにも注目したい。映画館の大画面で堪能したい作品である。
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映画「最後まで行く」岡田准一&綾野剛

2023-05-20 07:59:46 | 映画(日本 2019年以降)
映画「最後まで行く」を映画館で観てきました。

映画「最後まで行く」は韓国の名作サスペンス「最後まで行く(ブログ記事)」の日本版リメイクである。監督は話題作を次々と生む藤井道人だ。韓国得意のクライムサスペンス映画の中でも,波状攻撃のようにハラハラドキドキさせられた作品であった。5分ごとに何かが起こり、窮地にさらされる。さすが韓国のサスペンスだと思った。どのようにリメイクされているか気になるので,公開早々に観に行く。

雨の中、亡くなった母親の病院に車で向かう刑事の工藤(岡田准一)は飲酒運転で運転している。警察署の課長から「暴力団との癒着のカネの問題で県警本部から監査が入る」という知らせが来て慌てているその時に人を轢き殺してしまうのだ。死体を自分の車のトランクに入れて移動すると、警察の検問がある。飲酒運転の工藤はそこで一悶着あるが、たまたま通りかかった県警本部の矢崎(綾野剛)が後で事情を聞くということで見過ごされて病院に向かう。

その後も工藤はひき殺した死体の処置や暴力団との癒着の話の問題で窮地にさらされながら、目撃者からのお前が殺したなという連絡が入りあわてる



登場人物を増やして内容を広げたリメイクであった。
直近で2015年に観た韓国の「最後まで行く」をとりあえず再見した。「パラサイト」の邸宅の主人役やシリーズもの「マイディアミスター」の主役で活躍したイソンギュンが刑事役で、得体の知れない警察官役をチョ・ジヌンが演じた。何せチョ・ジヌンが強烈に気味悪かったし、不死身で圧倒的に強い男だった。さすがにここまでは綾野剛は無理だろうと思ったが、設定を若干変えてそれなりには追いつく。岡田准一はそつなくこなした。

流れの基調は同じである。
飲酒運転中に何者かをひいてしまうこと。母親が亡くなったこと。裏金で監査が入ること。死体を母親の棺桶に入れてしまうことなどなど。5分ごとにハラハラさせる細かいネタは再現されている。日本では死体をそのまま土の中に埋めるなんてことはない。当然火葬する。そのあたりに変更は生じざるをえない。ただ、それだけでなくいくつか設定を変更している。


設定の変更
⒈主人公には妻がいない。妹とその家族の設定だった。離婚寸前の広末涼子の妻と娘がいる設定に変更
⒉裏金をプールという設定では変わらない。暴力団に情報を与えることでカネをもらってそれをプールしていることとした。そこで、柄本明の暴力団組長という設定をつくり強い存在感を与える。
⒊得体のしれない警察官が県警本部の本部長の娘と結婚することにして、本部長から政治家がらみの裏金を回収する特命を与えられていることにする。

話はかなり広がっている。特に政治家がらみの裏金がお寺にストックされている話は全くない。その金に暴力団組長や警察の本部長が目をつけるカネの問題をクローズアップする。ただ、どうしても話が不自然になってしまう気がする。前作にないカネの問題を取り上げてもその決着の仕方には疑問が残る。割とよくできていた「ヤクザと家族」を監督した藤井道人も少しやりすぎかも知れない。


あとはちょっとワルの警察本部長を登場させる。でも、警察本部長ってほぼエリート警察官僚で次々と全国を転勤する人たちだし、のちの天下り先までしっかり用意されている人だ。黒いカネには手を出さないだろう。ヤクザにことを頼ませるなんてことは昭和の昔ならともかく今はありえない。しかも、その地に家庭があって娘と地元の警察官と結婚させるなんてことはまずありえない。良かれと思って広げた話には欠点が多い。脚本家に世間常識の欠如を感じる。この本部長と結婚相手の話に伏線の回収がなされない。

話を広げてうまくいったつもりだろうけど、まとめ方は残念ながら原作の方がスッキリする。原作は得体の知れない警察官をしばらく映像に登場させないでわれわれの恐怖感をあおった。映画を観ている時に感じるハラハラ感は若干劣る気がする。でも、そんなことは考えずに初見の人はそれなりに楽しめるだろう。
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映画「アダマン号に乗って」

2023-05-17 19:39:56 | 映画(フランス映画 )
ドキュメンタリー映画「アダマン号に乗って」を映画館で観てきました。


映画「アダマン号に乗って」セーヌ川に浮かぶ船上のデイケア施設で精神科の患者たちが送る日々を描いたドキュメンタリーだ。ベルリン映画祭で最高賞を受賞して、日本の評論家筋の評判もいい。公開すぐさま行こうとは思わなかったが、時間が空いたので覗いてみる。映画の雰囲気は想像できたが、ほぼ予想通りだった。


個人のプライバシーの問題があって、なかなか衆目にはさらされていない世界ではある。こういったドキュメンタリーにまとめる事自体は画期的なことだと思う。ある事情があって、こういった精神科の病院の内情には若干の知識がある。日本もフランスも大きくは変わらない。映画のうたい文句に自由を感じるなどと言う言葉もあるが、日本の精神科のデイケア施設もこんなものではないか。


輪になってそれぞれの患者たちが、自分の体験談を話したりするのは日本の施設でも同じようなことをしている。アダマン号というデイケア施設に通う人たちの病気の程度は、強い精神疾患を持っている人たちから若干精神の安定を崩している人たちまで程度はいろいろだ。中には相手と目を合わせない自閉症患者もいる。表情を見ると、ほぼ全員精神科の薬を飲んでいるのは間違いない。目を見ればわかる。ある男性が,「お互い体験談を語ったりする機会を設けてくれるのはありがたいが,薬を飲まないとどうにもならない」と言っていた。


音楽では、エレキギターを弾いたり、ピアノを弾いて自ら作曲をしたり、普通の人ではできないことをたやすくできてしまう人がいる。美術関係にしても、普通の人が描ける以上のレベルの絵画を描いている。その絵を他の人たちにどういう趣旨で書いたかを説明している。


普通の人と大きな差があるわけではない。ただ、何らかの理由で精神のバランスを崩してしまったのだ。その時点ではこのように安定している状態ではなかったであろう。病院に入院した時は、かなり荒れ放題だったかもしれない。世間一般が精神病院で描いているイメージの治療をするのはやむを得ないのかもしれない。

それでも、今それぞれに向上心を持って生きているのは素晴らしいことだ。それをニコラ・フィリベール監督とカメラが解説もなく舐めるように追っていく。
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映画「ベニスに死す」ルキノ・ヴィスコンティ

2023-05-15 18:20:54 | 映画(洋画 89年以前)
映画「ベニスに死す」は1971年日本公開のイタリアフランスの合作映画だ。


映画「ベニスに死す」はルキノヴィスコンティ監督の1971年日本公開の名作だ。ここしばらく観ていないが、何度も観ている。「TAR」マーラー交響曲5番が取り上げられていることで、ふと観てみたくなった。気がつくと、ブログ記事も書いていない。公開当時ビョルン・アンドレセンの美少年ぶりは日本でも雑誌を中心に大騒ぎになった記憶がある。まだ中学生だった自分にはピンとこなかった。確かに現代感覚でみても飛び抜けている。

静養でベニスの街を訪れたグスタフ・フォン・アッシェンバッハ教授(ダークボガード)は作曲家である。滞在するホテルで、上品で気品あふれる母親(シルヴァーナ・マンガーノ)とその子どもたちの中にいる美少年タッジオ(ビョルン・アンドレセン)に目が止まる。その後、ホテルのレストランでも、海岸でも何も言わずにタッジオの一挙一動に目を奪われる日々が続いていく。


絵画のような映画だ。
計算つくした映像コンテで、上質な絵画を思わせるショットが次々と続く。風景がいいというわけでない。教授と美少年と取り巻く人物とバックの風景や建物、インテリアがバランスよく配置されている。美的意識に優れる。この時代の映画は、ズームレンズの遠近を調整するようなカメラワークが多い。最近はあまりない不自然な捉え方だが、それを除いては構図は完璧だ。

セリフは少ない。ひたすら、美少年タッジオを目で追うグスタフに注目する。ホテルの従業員たちとの会話を除いて、グスタフに不必要な会話はない。タッジオはグスタフの視線を気にするが、会話はない。静かに時間が流れる。映像のバックにはマーラーが流れる。久々に観て、マーラーの交響曲5番が重要場面で繰り返し長めに使われていることに気づく。この曲が美しい映像に溶け込んでいる。しかも、主人公の名前はあえてグスタフマーラーから名前を拝借する。いかにもマーラー本人がモデルのように錯覚させる。

ベニス(ヴェネツィア)の街は古今東西いろんな映画でロケ地となる。見どころが数多い場所だ。キャサリンヘップバーン主演の「旅情」のように観光案内的に街をめぐるわけではない。ビーチサイドのシーンも多く、別にベニスでなくても撮れてしまうシーンも多い。それでも、絶えず絵になるショットルキノヴィスコンティは狙っている。そして、美少年ビョルン・アンドレセンにフォーカスをあてるだけでなく、イタリアのセクシー女優シルヴァーナ・マンガーノを美少年の母親に配役してわれわれの目を奪う。ヴィスコンティ作品の常連だが、以前観た時にはあの「にがい米」セクシー女優と結びつかなかった。


途中から、ベニスの街に感染症の波が来ているのではないかとグスタフはさかんに気にする。街に白い消毒薬がまかれている。インドが感染源のコレラ菌の波が欧州に来ていることもわかる頃には、グスタフは少しづつ体調を崩していくのだ。今まで観た時にはグスタフが病気で衰えることがわかっても、感染症の影響とは気にしていなかった。このコロナ禍で映画の見方が変わった。大きなユーラシア大陸は東西につながっていて、感染症の影響に常にさらされているのだ。時代により映画の見方は変わっていく。


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映画「アルマゲドン・タイム」

2023-05-14 07:46:57 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「アルマゲドンタイム」を映画館で観てきました。


映画「アルマゲドンタイム」はユダヤ系のある12歳の少年の思春期物語である。ジェームズグレイ監督自らの体験を織り込んで作品をつくりあげたようだ。アンソニーホプキンスやアンハサウェイなど一流どころの俳優が出演していて、おもしろそうかと選択する。

1980年代前半公立の学校に通う12歳のポールグラフ(バンクス・レペタ)は、教育熱心の母親(アンハサウェイ)と厳格な父親(ジェレミーストロング)と兄の4人家族だ。母方の祖父アーロン(アンソニーホプキンス)が心の拠り所だ。いたずら好きのポールは黒人の少年ジョニーと気が合いつるんでいる。ジョニーは祖母と暮らしているが、実質ホームレス状態だ。悪さががバレて大目玉。結局、兄が通う私立学校に転校することに。それでも、別の学校に移ってもジョニーとの腐れ縁が切れない。

退屈な映画だった。
一流の出演者がそろったので、それなりの水準かと感じた。でもがっかり。表だったクレジットにはないが、ジェシカチャステインも出演している。同じように少年時代の思い出を中心に青春を語ったスティーブンスピルバーグ監督「フェイブルマンズ」とは大違いだ。この主人公にはまったく感情移入できない。いたずら好きなのはわかる。でも、何をやっても懲りない少年だ。ここまでいくと単なるバカだ。そんな話には付き合いたくなくなる。

人種差別の問題が言及される。グラフ家もユダヤ系の家族だ。裕福であっても至るところで差別を受けている。それ以上に、黒人少年ジョニーとの落差がひどい。ジョニーもやる気がなく、落第している。この年齢での落第は日本ではありえない。ポールが私立学校に移った後でも、同級生から前の学校で一緒だった黒人と付き合っていることに呆れられる。80年代前半であっても、アメリカの人種差別のレベルはひどかったのであろう。ポールと一緒に悪さをしても、結局黒人少年のせいにされてしまう。


クレジットトップのアンハサウェイは活躍場面がなく終わってしまう。アンソニーホプキンスの祖父役は悪くない。でも、印象付けようとしたセリフは心に残らない。あとは、私立学校に多額の寄附をしたドナルドトランプの父親とトランプの姉がスピーチする場面がある。トランプの姉役はジェシカチャステインで驚く。社会的な優位性をかちとるスピーチだ。レーガン大統領の当選をTVで見てグレイ家では核戦争が始まるといっている。いずれも見どころのつもりだったろうけど、リベラル性を強調するジェームズグレイ監督の悪趣味だ。


結局つまらない話が続いて終了してしまう。
ちょっと選択をミスった。こういうこともあるだろう。
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映画「TAR」 ケイトブランシェット

2023-05-13 09:56:23 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「TAR」を映画館で観てきました。


映画「TAR」はケイトブランシェットが指揮者を演じて各種女優賞を受賞した作品である。ケイトの新作はほぼ毎回おさえている。前回の「ナイトメアアリー」でもセレブな雰囲気の彼女らしい役柄だった。レズビアンといえば名作「キャロル」優雅なマダムを思い出す。ここではオーケストラを率いる強烈な個性をもった女性を演じる。監督脚本はトッドフィールドだ。コロナ禍というセリフもあり、現代の設定になっている。SNSやメールといった現代のツールも活用する。

ベルリンフィルハーモニーの首席指揮者リディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、恋人である女性のコンサートマスターのシャロン(ニーナ・ホス)と生活して養女のペトラと暮らしている。作曲家としての活動に加えて、若手女性指揮者の育成財団の運営をするとともに、ジュリアード音楽院でも教えている。アシスタントで副指揮者をめざすフランチェスカ(ノエミ・メルラン)はターの秘書役として、シャロンとともに多忙なターの仕事を支えている。そして今はマーラーの交響曲5番の録音に備えてオーケストラの指導にあたっている。

そんな時、ターが以前指導した女性指揮者の卵クリスタが自殺をした知らせが入る。巻き込まれるのを恐れたターはメールの削除をフランチェスカに指示する。


まさにケイトブランシェットの独壇場であった。
2時間半にも及ぶ長時間の最初から最後までほとんどのシーンでケイトブランシェットが絡んでいる。出ずっぱりだ。感情の起伏も激しい。ジュリアード音楽院での実践的講義の場面で超絶長回しもある。セリフも理屈っぽく観念的で、よく覚えたなあと感じる場面だ。これはなかなか難しいシーンだ。しかも、完璧にこなす。

これらのターのセリフの内容を一回観ただけで理解できる人はそうはいないだろう。小林秀雄の随筆「モオツァルト」のような内容だ。カット割が普通の映画のようにされる中盤から終盤と前半戦の長回しとは映画の構成の仕方にも差がある。

フルトヴェングラーやカラヤンという往年のベルリンフィルハーモニーの首席指揮者の逸話が出てくる。特に戦時中、ナチス絡みのフルトヴェングラーの話題が多い。加えて、マーラーの交響曲といえばレナードバーンスタインの十八番であり、作曲家としても活躍したバーンスタインを意識したターの音楽プロフィールにもなっている。


⒈脇役の配置
ケイトブランシェットが独壇場の映画でも、脇役がいないと映画は成り立たない。映画が始まってすぐに、2人の見たことある女優に気づく。ニーナ・ホスとノエミ・メルランだ。いずれもこのブログで取り上げた。ニーナホスはドイツ映画「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」で主演を張った。いずれも東西分割が絡んだどんよりした重い映画であった。ノエミ・メルランは2020年の「燃ゆる女の肖像」でレズビアンの関係となる女性画家役で存在感を示した。いい配役だと思う。


自分は男なのでレズビアンの本当の気持ちはわからない。聞くところによれば、嫉妬心はかなり強いらしい。ここでも、それが1つのテーマだ。ケイトブランシェット演じるターはステディな彼女がいても、他にツバをつける。そこら辺の不良オヤジと変わらない。ある程度わかっていて見過ごす部分があっても許せない。強い嫉妬心による葛藤がおきる。見どころの1つだ。それでも、ターは懲りない若いチェリストに惹かれるのだ。チェリスト役のゾフィー・カウアーは本物だ。すごいプレイを見せつける。よくぞ見つけたものだ。

⒉不安と精神的なアンバランス
映画が継続している間、不安を呼び起こす低音の音がずっと流れる。一瞬隣の映画かと思ったけど違う。ターの性格は激しい。発狂するが如くの激しさはない。それでも、養女のペトラへのいじめに気づき、いじめた相手に対して強く是正をうながす場面が印象的だ。要職に就けば、諸問題が多い。ストレスがたまるのも当然だろう。どんなに偉くても不安に思うことはある。徐々に精神が錯乱する気配がみえる。妙な音を聞いたり、夜うなされる場面が多くなっていく。サイコスリラー的な要素が出てくる。そしてあるピークを迎える。

そんなあたりをケイトブランシェットは巧みに演じる。しかも美しい


⒊マーラー5番
ヴィスコンティ「ベニスに死す」マーラーの交響曲5番が流れる。主人公が美少年に強く惹かれていく映像とマッチする。美しい曲だ。最近では映画「別れる決心」のクライマックスでも使われていた。映画の中でも、リハーサル中のオーケストラのメンバーに対して「ヴィスコンティ」という言葉も出てくる。オーケストラのリハーサルシーンなので、長くこの曲が流されることはない。それでも、大画面の音響がいい映画館で観るのが望ましい。コンサート会場では独特の柔らかい音色が響くのが聴ける。

個人的に「エブエブ」は好きではないので、なおのことケイトブランシェットのアカデミー主演女優賞が外れたのは残念に思う。明らかに上だ。ターの転落も示すので上映時間は長くなった。もう少し短くてもいいと思うけど、ケイトブランシェットが起用できて16年ぶりの長編にトッドフィールド監督は気合いが入ったのであろう。
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映画「EO」

2023-05-12 19:02:24 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「EO」を映画館で観てきました。


映画「EO」はサーカスにいたロバが方々でさまざまな出来ごとに出くわす一種のロードムービー的な映画だ。ロバというと、自分の世代では日本TV「おはようこどもショー」のロバを思い浮かべる。あの時は愛川欽也のかぶり物だったけど、妙に大きく見えた気がする。ここではそんなに大きくないロバで控えめな性格だ。

もともとサーカスの見せ物用で若い女と戯れていたEOというロバが、動物愛護の観点から保護される。ところが、移った農場から勝手に飛び出してしまう。保護されるごとにハプニングがあり、気がつくと国をまたがっている。どうなるEO?


もちろん、ロバが何か話すわけではない。しかも、周囲のセリフは最小限だ。鳴り響くバックミュージックは、ロバの感情と苦難の環境を示すように高く鳴り響く。牧場を去り野生の動物が渦巻く森の中をさまよう。ところが一転、町のサッカーチームに出くわして守護神のようになる。欧州人のスポーツへの熱狂をコミカルに示すシーンだ。でもすんなり行かない。ライバルチームの恨みをかいEOが傷つけられるのだ。


そんな紆余屈折が続く。ロバの周囲を取り巻く人たちに翻弄されながら、賢いロバが最高の演技をして期待に応える。ロバを人間のように被写体として導くのはお見事である。でも、この映画好きかと言われれば、正直うーんといった感じだ。
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映画「ジュリア(s)」ルー・ドゥ・ラージュ

2023-05-07 18:29:12 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ジュリア(s)」を映画館で観てきました。


映画「ジュリア(s)」フランス映画、もしちょっとした人生の選択が違っていたら別の人生の展開があったかもしれないというあるピアニストの話を映像で見せてくれる作品である。遠出をしないGWなのに、観てみたい映画に恵まれない時に選択した作品である。人生の先のことはわからないけど、「あの時こういう選択をしたら?」、「あの人に出会わなかったら?」なんて過去のことを時折考える。「人生をもしもで考えるとおもしろい。」と言ったのは小泉信三だが、ちょっとした好奇心で選択したこの映画は極めて上質な作品だった。

ピアニストを目指す17歳のジュリア(ルー・ドゥ・ラージュ)ベルリンの壁が崩壊するニュースを見て、音楽仲間と親に内緒で遠距離バスで一緒に行こうとする。この時、うっかりバッグから落ちたパスポートを家に忘れたかどうかで人生が分かれる。

1)パスポートを家に忘れたことに気づく
いったん外に出た後で、あわてて家に戻ると両親がいて、仲間と遠出をすることを止められてしまう。バスの時間があるので仲間はベルリンに旅立ち、ジュリアは何もなかったかのようにピアニストへの道を歩む。

2)家でパスポートに気づきベルリンに旅立つ
出発前にバッグから落ちたパスポートに気づき、そのままバスで仲間と一緒にベルリンに行き、東西の壁を壊す場面に出くわす。壁を壊している場所のそばにあるピアノを弾きはじめると、その音色の美しさに周囲はジュリアに注目して、それが新聞記事になってしまう。でも、未成年が勝手に旅立ったことに父親が憤慨、反発したジュリアは家を飛び出す


まずここで運命が分かれる。
ここからいくつもの出会いと選択でジュリアの人生の道筋が変わっていく。

本屋でたまたま出くわした男性と一緒にカフェに行って話さなかったら?
シューマンコンクールで賞をもらわなかったら?
もし運転する2人乗りのバイクが事故に遭わなかったら?


この展開は映像で堪能してほしい。

時の流れは示しても、それぞれの人生を文字で明示をするわけではない。
最初はもっとわかりづらくなるのかと思ったが、ごく自然になり得たはずのそれぞれの人生の場面に移り行く。こんなに多くの人生があったら、長時間になってもおかしくない。編集がうまい。


むちゃくちゃよかった!今年でピカイチ
コクのあるフルボディのワインを飲むような味わいをもつ。重厚感がある。まず、映像の質が高い。ジュリアが暮らすそれぞれの街で室内外あらゆる美術のセンスに優れる。望まれない妊娠をした女の子を追った昨年屈指の傑作「あのこと」の舐めるように主人公を追うカメラワークを担当したロラン・タニーが撮影を受けもつ。被写体がよく、カメラも巧みなので大画面で観ると我が身に響く

加えて、音楽の選曲がすばらしい。どの曲も心にじんわりとくる。ピアニストが主人公なので、当然ピアノ曲が中心となる。オリヴィエ・トレイナー監督は以前「ピアノ調律師」で短編映画のセザール賞を受賞している。おそらくは音楽の素養があるのであろう。ここまでピアノ曲の選択に優れる映画に出くわしたのは初めてだ。


俳優陣は日本でメジャーとはいえないが、いくつものフランス映画の傑作で観る顔ぶれだ。22年では抜群におもしろかったフランス映画のサスペンス「ブラックボックス」で主人公の妻役を演じたルー・ドゥ・ラージュの熱演がきわだつ。髪型を変えてなり得たいくつものジュリアにそれぞれなり切る。夫役のラファエル・ペルソナは久々に見る気がする。物理を学んだ後に金融の道に進むという典型的な現代エリートの役柄だ。アランドロンばりの典型的なイケメンフレンチでクールな「黒いスーツを着た男」が印象的だった。

ちょっとした選択や出会いでこんなにも人生が変わってしまう。ジュリアのそれぞれの人生で、一見幸せそうに見えた流れが一瞬にして不幸に陥ってしまったり、不幸せのどん底から逆に結果オーライに進んだり、オリヴィエ・トレイナー監督変幻自在に変化球を投げてくれる。単純に進めないストーリー展開も良かった。そして、それぞれの幸不幸の場面を映像で演じてくれたルー・ドゥ・ラージュに敬意を表したい。母親の危篤と葬儀に直面するときの4通りのジュリアに感動した。父娘の交情にも触れる。


自分の人生を振り返るいいきっかけになったすばらしい作品だった。先日観たフランス映画「午前4時にパリの夜は明ける」より10倍良かった。メジャー俳優がいないからなのか、こんないい作品が東京で1カ所しか上映していないことに驚く。
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映画「放課後アングラーライフ」十味

2023-05-06 20:44:24 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「放課後アングラーライフ」を映画館で観てきました。


映画「放課後のアングラーライフ」は頻繁に新作を量産する城定秀夫監督の新作である。井上かおるのライトノベルの映画化で関西の海辺の街が舞台である。「アングラー」とは釣り人のこと。城定秀夫監督作品は毎回観ているが、今回は東京近郊で公開の映画館が1つだけだ。無名の俳優だけでは客が呼べないのであろう。たしかに、脇役の宇野祥平や中山忍、西村知美など以外は知らない俳優しかいない。それでも一抹の期待をこめて映画館に向かう。

父親の転勤で関西の海辺の町に突然引っ越してきた女子高生めざし(十味)は、転校前は同級生にいじめられていた。友達はもうつくらないと誓って、転入してきた。すると、同級生となった椎羅(まるぴ)と凪(森ふた葉)から釣りの同好会であるアングラ女子会に入会を勧められ、一緒に海に向かう。勝気な明里とともに釣りに繰り出すが、めざしには以前のイジメのトラウマがあった。


さわやかな女子高生の友情物語であった。
海辺の田舎町に女子校ってあるのかな?というのが不思議だったけど、海辺の町独特の空気感がいい。若い女の子と組み合わせると清涼感を感じる。ただ、「ちひろさん」「とべない風船」などの直近でいくつか観ている地方の海辺の物語と同じで、話のネタが少ない。田舎町では大きな事件は起きない。釣りの同好会に入会して、どう話が展開するのかと思ったけど、高校生どうしの他愛のない話しかなかった。むかしの「中学生日記」のようなものだ。城定秀夫監督あり合わせの料理をさくっと作ったって感じがした。


それでも、若い女子高生が海辺で釣りに没頭する姿は絵になる。釣りをするシーンに加えて、魚をさばいて料理をつくって食べるシーンもある。のどかだ。主人公のめざしこと十味は、内気な女の子だ。あまりいじめられるようにも見えないタイプだと思うんだけど。都会的な顔立ちで最近よくいる若手女子社員とも見えるし、場末のキャバクラでなく少し値段が高めの銀座クラブにも清純派若手でいるタイプだ。ずいぶんと遠慮がちの演技に疲れたんじゃなかろうか?


釣り同好会会長椎羅の家は釣具店でそのお母さん役が西村知美だ。久々に顔をみた。日本TVのマラソンも完走したし、一時期はTVでその姿を見ない日はなかった。気さくな感じの釣具店のお母さん役で、自分にはよく見えた。これから同じような役で起用されるのでは?宇野祥平は今の日本映画の脇役では欠かせない存在だ。善悪どちらでもokで何でもこなす。未亡人の西村知美のことを慕う農家のオヤジで、まんざらでもなさそうだ。いつもよりやりやすかったんじゃないかな。


舞台が関西で釣る魚を「がしら」というので、てっきり和歌山かな?と思った。平成の初めに転勤で和歌山に住んで、当時「がしら」をよく食べた。関東ではカサゴと呼ぶけど、焼き魚にするとうまい魚だと思った。この映像ってどこかな?と思っていたけど、エンディングロールによるとロケ地は三浦半島のようだ。たぶん低予算だと思うので、それは仕方ないか。
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映画「晩菊」成瀬巳喜男&杉村春子&細川ちか子

2023-05-04 17:18:34 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「晩菊」を名画座で観てきました。


映画「晩菊」は1954年(昭和29年)の成瀬巳喜男監督作品である。名画座の林芙美子特集で観た。昭和29年キネマ旬報ベスト10で7位となっている。この年は日本映画を代表する名作木下恵介監督「二十四の瞳」、「女の園」がワンツーフィニッシュで、その後3位に世界的名作黒澤明「七人の侍」が入る。そんなすごい年に成瀬巳喜男監督は「山の音」と「晩菊」をベスト10に送り出している。ところが、「晩菊」を観たことがなかった。オールドファンで超満員の映画館で杉村春子の名演を堪能する。

元芸者で金貸しで生計をたてているきん(杉村春子)は、昔の芸者仲間にもカネを貸していた。芸者仲間だったおとみ(望月優子)は娘(有馬稲子)にカネの無心をしているが、相手を見つけて結婚するという。たまえ(細川ちか子)はおとみと一緒に暮らしているが、自慢の息子(小泉博)はなかなか寄りつかない。飲み屋を営むのぶ(沢村貞子)もきんにお金を借りている。その店に昔きんと心中し損なった関という男が飲みに来ているが、無視。それでも、旧知の田所(上原謙)から訪問するという手紙が来て、きんはウキウキする。

昭和29年当時の東京の風景をバックに興味深く観れた。
映像を観ながら、本郷3丁目から菊坂を下ったあたりの風景と想像できた。菊坂に並行して裏手の通りがあり、通りの間を抜ける路地の雰囲気に感じるものがある。樋口一葉旧居跡に近いのではないか。昭和30年から40年代に入るころ、東京の街の小路地にはくみ上げの井戸があったものだ。ネットで確認したら自分の推測はどうやらあたっているようだ。親戚がこの場所から比較的近い初音町(現在の小石川1丁目)に住んでいた。

玄人女性をメインにした映画の代表作といえば山田五十鈴主演の「流れる」である。同じ成瀬巳喜男監督の作品だ。昭和31年の「流れる」の前に元芸者が主役の「晩菊」がつくられているのは気づかなかった。「流れる」柳橋の芸者の置き屋が舞台で、山田五十鈴には置き屋のお母さん役が実によく似合う。戦前の名女優栗島すみ子も貫禄があった。杉村春子は芸者の1人として登場する。コミカルな役柄だ。

一流どころの女優陣をまとめるのはむずかしいと想像するが、そこが成瀬巳喜男監督の人柄であり腕前なのであろう。「晩菊」でも、文学座の独裁者杉村春子だけでなく、望月優子、細川ちか子、沢村貞子の4人をまとめるのだからたいしたものだ。もともと、上原謙は演技で際立つタイプではないし、加えて若き小泉博の大根役者ぶりがちょっとひどいので、女優陣の演技がなおのこと引き立つ。

1.細川ちか子
その中でも、細川ちか子の振る舞う姿がよく見えた。演技というより自然体でできてしまう。息子役の小泉博坪内美子(これがまたいい女)演じるお妾さんとできたり、北海道に旅立ってしまうなんて母親役だけど、役柄よりも品よく見えるのは何か違うからだ。細川ちか子と財界の大物から政界に転じた藤山愛一郎との関係はあまりに有名である。品がいいのは当然だ。子供の頃、今のシェラトン都ホテルの場所に藤山愛一郎の大邸宅があり、すげえ大きいなあと思っていた。成瀬巳喜男監督と細川ちか子は戦前からの長い付き合いだ。


2.望月優子
のちに参議院議員になる望月優子が元芸者でいちばん情けない役だけど憎めない。酔ってばかりいる。バクチも大好きだ。子供2人を女手一つで育てる旅館の女中役だった木下恵介監督「日本の悲劇」と役柄としては似ているかもしれない。社会の底辺にいる女を演じるのが上手い。でも、どう考えても這いあがる道がない。そんな女の人たちは多かったのであろう。

3.杉村春子
この映画では、カネをせびりに人の家を訪れる飛び込みの人たちが何人も映される。杉村春子は元芸者で金をしこたま貯めて、カネ貸しである。延滞しそうになると、容赦なく取り立てにいく。貸している相手も滞納している人が多い。借りている元芸者衆は子どもの稼ぎだけが頼りだけど、自分を捨ててどこかに行ってしまう。どうにもならない。そんなきんさんにむかし関係あった男たちがカネをせびりにくる。もともとは好意を持っていた上原謙にはあえて化粧して歓待するが、金の無心で一気に冷める。この時代の映画によくあるパターンだ。


最後に着物姿の若い芸者衆が2人出てくる。たぶん本物だろう。プロデューサーの藤本真澄が連れてきたのかもしれない。その2人の芸者を見ながら恨めしい顔をする望月優子が印象的だ。

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映画「午前4時にパリの夜は明ける」シャルロット・ゲンズブール

2023-05-03 20:29:03 | 映画(フランス映画 )
映画「午前4時にパリの夜は明ける」を映画館で観てきました。


映画「午前4時にパリの夜は明ける」は女優シャルロット・ゲンズブール主演で夫に去られてラジオの深夜放送のアシスタントをやることになった子持ちの女性を描いた作品だ。原題「Les passagers de la nuit(夜の乗客)」とは違う邦題だけど、「午前4時のパリ」という響きとラジオの深夜放送を題材にしていることで関心を持つ。1981年に自分はパリに行ったことがあるのでパリの街がどう描かれるのかも気になる。

1984年のパリ、専業主婦だったエリザベート(シャルロット・ゲンズブール)のもとを夫が去り、娘と息子の2人を養うことになった。深夜放送「夜の乗客」のDJヴァンダ(エマニュエル・ベアール)のアシスタントに職を得たエリザベートは、番組で知り合った家出して外で寝泊まりする少女タルラを家に招き入れ一緒に暮らすようになる。独身に戻ったエリザベートの恋と息子とタルラがお互い惹きつけられることを中心にストーリーを描く。


期待したほどではなかった。
1980年代のパリ市内の映像がかなり組み込まれている。まだ携帯電話がない時代である。もともと建築規制の強いパリではずいぶんと古い建物も残っている。エリザベートが住むアパートメントや近隣の建物は80年代以前に作られたものなのであろう。息子と居候の少女が屋上にはしごで上がってパリの街を眺めるシーンがいい感じだ。この時代の空気感は映画では感じられる。


1981年のパリで、シャンゼリゼ通りから見る凱旋門の迫力がすごかったこと、映画「ファントマ」で一気に好きになったシトロエンがたくさん走っていたこと。(この映画では見当たらない。)タクシーの運転手にベトナム人が多かったこと。シャンゼリゼ通りのはずれの映画館大島渚「愛のコリーダ」の無修正版を見て、藤竜也のあそこを確認したこと。ムーランルージュで酔っ払いながら、ショーの前のダンスタイムで踊ったこと。フォーブルサントノレ通りでエルメス、ジバンシイ、シャネルのブランド品を買いあさったこと(今はしない)思い出した。

自分も70年代は随分と深夜放送を聞いたものだった。それなので,その要素が映画の中に盛り込まれているのではないかと想像していた。このDJ番組はリスナーが直接放送局に電話してDJと語り合う設定である。電話をアシスタントのエリザベートが受けるのである。一部そのシーンがあったが、あまり踏み込んで放送内容には突っ込まなかったのは残念だ。午前4時の空気感はあまりなかった。


夫に捨てられたエリザベートの生活は娘と息子を抱えて決して楽ではない。ラジオ局のアシスタントに加えて図書館でもバイトをする。ただこのエリザベートはかなり尻軽である。図書館でナンパされた男とその日のうちにすぐ寝たり,仕事のことでDJから怒られ落胆しているところをラジオ局の同僚に慰められるとすぐさまキスして抱き合ったりする。15禁となっているのは、シャルロット・ゲンズブールが何度もメイクラブするシーンがあるからだろう。でも、いい年してあまりの尻軽には、観ていてあまり気分がいいものではなかった。

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