映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「イン・ザ・ハイツ」

2021-07-31 18:52:11 | 映画(自分好みベスト100)
映画「イン・ザ・ハイツ」を映画館で観てきました。
これはすばらしい!
躍動感のあるミュージカル映画である。



「イン・ザ・ハイツ」はトニー賞を受賞したミュージカルを台湾系アメリカ人ジョンチャウ監督が映画化した作品である。ラテンの色彩が強いという解説に、なんか楽しそうと思って足を運んだがムチャクチャ良かった。

ともかく明るい。ワシントンハイツにいる住人の生活は必ずしも楽ではなく、気分が暗くなりそうな場面はいくらでもあるが、曲のノリでダークな部分を消す。それなので、後味がいい。

ニューヨークマンハッタンの北部、移民が多く住むワシントンハイツで、ドミニカ系二世のウスナビ(アンソニーラモス)は食品店を営んでいて、地元のみんなが買い物に立ち寄る。地元タクシー会社のロザリオ社長にはスタンフォード大学に進学した自慢の娘ニーナ(レスリーグレース)がいて、今度帰郷する。タクシーの呼び出し係のベニー(コーリー・ホーキンズ)は気のいい男でニーナが好きだ。ウスナビは店に買い物に来るデザイナーを目指しているヴァネッサ(メリッサバレラ)がお気に入りだ。

ニーナが帰郷して、街の秀才をハイツのみんなで暖かく迎えるが、様子がおかしい。大学を辞めようとしている話を聞いて、初耳の父親をはじめみんなビックリ。説得しようとしても難しそうだが。。。

⒈下町人情劇
ウスナビ、ニーナ、ベニーとヴァネッサの4人を中心に、すべてはワシントンハイツを中心にストーリーは展開する。実際に存在する移民中心のエリアだ。そこでは共存共栄でみんな助け合って生きている姿を見せてくれる。複雑な話ではない。

これって昭和40年代くらいまでの日本の下町と変わらないよね。下町人情劇とも言えるのだ。ここに来て、日本では近所付き合いの煩わしさを嫌がる傾向が次第に強くなっているデータが目立つ。アメリカでも同様だというのは米国共同体が変わりつつあることが書いてあるロバートパットナム「孤独なボウリング」を読んでもよくわかる。


しかし、地域開発の波はこのエリアにもきている。みんなの馴染みの美容院も駅でいくつか先のブロンクスに移ることに決まったし、タクシー会社の社長も資金繰りの関係で資産売却せざるを得ない状況だ。ウスナビも祖国ドミニカに行くことをきめた。そういう地域情勢の変化も映し出される。まったく違うエリアだが、先日観たホーチミンを舞台にした「走れロム」の貧民マンションも頭に思い浮かべた。住民たちが宝くじが大好きだというシーンも同じである。貧乏人ほど一攫千金を夢みる。


⒉ミュージカル
正統派ミュージカル映画が好きな訳ではない。ニューヨークが舞台のミュージカルというと、名作「ウエストサイドストーリー」を連想する。60年経ってもあの完璧なダンスの凄さはかわらない。下層社会を中心に描かれるのは同じだ。ポーランドとプエルトリコ移民の抗争を基調にした恋の物語である。音楽は名指揮者レナードバーンスタインでもポピュラー調の楽曲も多い。いつ見てもナタリーウッドにドキドキしてしまう「トゥナイト」をはじめとして何年たっても心に残る曲が多い。

ここでは、中米カリブ海の色彩が満載で俗っぽい部分が強い。こうやって映画を見終わって最も印象に残る曲と言ってもあげられる訳ではない。でも、それだからダメというのでない。ここでは全体に流れるカリビアンのムードとコミカルな歌詞のラップを楽しめればいいんじゃなかろうか。


自分の映画ベスト3の1つである「ブルースブラザーズ」や「サタデーナイトフィーバー」を彷彿させるシーンも多い。周辺のストリートやハイツの中で住人たちが踊るダンスは「ブルースブラザーズ」ジェームスブラウンやレイチャールズの歌に乗って踊りまくる黒人たちのパフォーマンスをすぐさま連想する。

ラテン系クラブのダンスフロアのシーンは「サタデーナイトフィーバー」をダブらせる。サルサ音楽とディスコミュージックと鳴り響く音楽のテイストは違うけど、ノリの良いのは同じ。このサルサダンスは観ているだけでウキウキしてくる。

このダンスシーンと戦後ミュージカルのスターである元水泳選手の エスターウィリアムズの映画を連想させるプールのシーンが好きだ。コーエン兄弟「ヘイシーザー」でもスカーレットヨハンソンが同じように水着着てオマージュしていたよね。夏にこのシーン観るのは心地よい。


⒊名門大学に行ったのになじめない
タクシー会社の社長の娘ニーナが大学を辞めると聞いて、みんなビックリ。子どもの頃から上昇志向が強く地元のコロンビア大学に行っても良いのに、あえて遠方にあるスタンフォード大学に行った。それなのに、孤立してしまうことも多く、同じ寮の女の子が真珠をなくしたときに疑われたこともあったらしい。このエリア出身ということもあるのか?


学費についても本人の奨学金はあってもそれだけでは足りない。父親は金策に走るが、滞納気味だった。日本の大学の学費も自分たちの時代よりずいぶんと高くなったと思うけど、アメリカの名門大学は日本の私立医学部並みである。軒並み高い。そんな金欠話も一部に織り込まれる。ただ、それだけに日本よりもアメリカは教育歴はかなり重視されているし、名門大学に行っているというだけで街のみんなの自慢になるというのは現代日本と違うかも。

⒋ニューヨークのダウンタウンへの引越し
ウスナビの恋人ヴァネッサは一生懸命お金を貯めてダウンタウンに引っ越そうとしている。お金はあるんだけど、それだけでは入居審査は通らない。40ヶ月分の収入証明書を出してくれと言われ、難しくなる。それは保証会社利用が必須になりつつある日本の賃貸事情と変わらないよね。

「サタデーナイトフィーバー」のトラボルタのダンス相手ステファニーもは上昇志向が強く、いつもマンハッタン話で見栄をはっている。ある意味このヴァネッサとかぶってしまう。あれから40年近く経つけど、マンハッタンのセンターを目指す女性の思考は変わらない。

逆に男性はトラボルタもそうだけど、この映画のアンソニーラモス演じるウスナビもまったくそういう上昇思考がない。ある意味そちらの方が好感がもてる。同時に応援したくなる。アンソニーラモスは若いころのロックのカルロスサンタナに顔が似ているね。


前半から飛ばしまくりで、息も抜けず楽しい。でも、後半戦ちょっとバテ気味かも。それでも、実に楽しい映画を満喫できた。観に行かれる方はエンディングロールで帰らないようにご注意ください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「夕霧花園」 リー・シンジエ&阿部寛

2021-07-25 21:29:44 | 映画(アジア)
映画「夕霧花園」を映画館で観てきました。


映画「夕霧花園」は予告編でアジアンテイストの映像に阿部寛が登場しているのが気になっていた作品だ。早速足が向かう。マレーシアが舞台で、戦前戦後、そして80年代と3つの世代にわたって今は裁判官になった1人の女性を中心に描いていく。日本占領時代や戦後英国統治時代の共産系ゲリラの独立運動も絡めた歴史的な要素を含むストーリーの流れは、日本庭園や刺青の本質に踏み込み、奥が深い。

若き日の主人公ユンリンをマレーシアの女優リーシンジエ(アンジェリカ・リー)が演じ、60代になった主人公を台湾のベテラン女優シルビア・チャンが受け持つ。そして、阿部寛は日本人庭師で主人公と恋に落ちる役柄だ。

監督のトム・リンの作品は初めてであるが、緑多いマレーシアの中でのしっとりとした映像は自分にとっては居心地が良いムードである。音楽も映像に合っているし、丹念に映像コンテを考えているのも感じられる。エンディングロールに流れる曲が素晴らしく終了まで席を立てなかった。

1980年代、女性として初めて裁判官に抜擢され、マレーシア連邦判事を目指すユンリン(シルビア・チャン)は、キャメロン高原に久々来訪し旧知のフレドリックと再会した時に、その昔日本庭園のことを学ぶために日本人庭師中村有朋と出会ったときの日々を回想する。


1951年、皇室御用達の庭師だったという中村有朋(阿部寛)は、キャメロン高原で「夕霧花園」という日本庭園をつくっている。そこへユンリン(リーシンジエ)が天龍寺の庭を意識した日本庭園を作って欲しいという依頼で訪れた。亡くなった妹が京都に行ったことがあり、気に入っていたのだ。有朋はすぐさま断ったが、粘るユンリンに今造っている庭園を造ったあとなら、引き受けてもいいと応諾する。すると、有朋はしばらくここで手伝わないかとユンリンに言うと、「夕霧花園」の下職とともに造園作業に携わるようになる。


ユンリンは日本軍のマレー占領末期に日本軍の強制労働の収容所に妹とともに駆り出されていた。その際、姉妹ともども兵士たちにむごい仕打ちを受けたこともあった。しかも、終戦となる際に妹は不幸な事故で亡くなってしまうのだ。それもあってか妹の思いを実現したいと思ってきたのだ。

やがて、ユンリンは造園工事を手伝いはじめると、有朋とユンリンとの関係は芸術性を求める有朋の凝り性で、重い石を何度も動かす繰り返しでギクシャクしていた。しかし、いくつかのきっかけで徐々に縮まっていくのであるが。。。

1.マレーの虎 山下奉文
1941年12月世界大戦で宣戦布告した直後に、あっという間に英国領マラヤ(当時)を占領した山下奉文大将の活躍はあまりにも有名である。ここでは、山下率いる日本軍が獲得した財宝をマレーシアに隠しているという伝説にあやかって、ストーリーを組み立てる。戦後英国からの独立を図るマレーシアの共産ゲリラが、山下大将が隠した財宝のありかを有朋が知っていると追求するシーンがある。


実はシンガポール陥落させてマレー半島を占領した山下大将は翌1942年初頭に満州方面に異動になっている。そして、終戦時はフィリピン戦線を指揮していた。終戦に至る事情は山下大将の部下だった元陸軍参謀堀栄三氏による名著「大本営参謀の情報戦記」にも書いてあるし、財宝伝説はむしろフィリピンでマレーの地にそのまま埋めたという話はちょっと違うんじゃないかなと思うけど、まあ突っ込みすぎる必要はないでしょう。

2.マレーシア
2015年の秋に出張で首都クアラルンプールに行ったことがある。高層ビルが建ち並び、近代都市という感じがしてその発展ぶりに正直驚いた。日本からもディベロッパーが進出してマンションを造っている。マレー料理は普通、シンガポールは明らかに日本より物価が高いと感じたが、クアラルンプールは日本と同じ程度だった。
2015年の時撮ったもの↓


ヴェールをかぶっているマレー人女性が多く目立つが、華人でもかぶっている人もいる。イスラム国家だ。ショッピングモールにはイスラムの礼拝スペースがある。郊外にあるシリコンバレーのようなIT都市にも行ったけど、至るところでイオンの進出がやけに目立った。熱帯ムードが強い沢木耕太郎の小説「深夜特急」に出てくるエリアまでは行っていないので、ちゃんと評価することはできないが、清潔で近代的な国である。

3.阿部寛とアジアンビューティー
阿部寛の英語はあまりうまくはない。そもそも、この時代に英語がうまい日本人なんている訳がないと思うので、別に不自然ではない。しかし、当時の日本人としては、あり得ないほどの長身である。どういう経緯で彼を起用したのか。とはいうものの、好演だと思う。落ち着きがあり、日本伝統の仕事をしている風格もある。


あまたある古書に囲まれ、障子のある窓から外を眺めながら指示して、この場から最もよく見える庭園の美を追求するという。ただ、映画では最後まで日本庭園の庭は完成しない。こればかりは、マレーシアの田舎に日本の庭師が行って仕事するってわけにはいかないから仕方ないでしょう。


主人公の若いころを演じるリー・シンジエはしっとりしたアジアンビューティーである。自分が観たことある作品にも出ていたようだが、記憶にない。シルビアチャンは香港映画ではずいぶん活躍していた。でも、さすがに年をとった。ジャ・ジャンクー監督「山河ノスタルジアで、少年に恋されるおばさん役を演じていた。これはいくら何でも不自然な設定だと思った。さすがベテランだけあって、この映画では安定感がある演技を見せる。2人とも背中に刺青を入れるシーンがある。これは大変だったんじゃないかな。


映画を通じて、日本の右翼が見たら怒りかねない日本軍兵士によるむごいシーンもあるが、末梢神経を刺激するほどではない。ブログ開設4800日目深い緑の映像を目で追い、安らかな音楽を聴きながら映画を観る楽しみを堪能できる優雅な時間が過ごせた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」キャリー・マリガン

2021-07-23 17:35:08 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」を映画館で観てきました。


自分にとっては相性の良いキャリーマリガンの新作「プロミシング・ヤング・ウーマン」は、アカデミー賞の脚本賞を受賞している作品だ。好奇心を誘う。ポスターはピンク基調の原色で、派手目な女性映画の色彩が匂う。人気女優マーゴット・ロビーもプロデューサーに加わり女優でもあるエメラルド・フェネルが脚本を書いた上にメガホンを持つ。

promisingというと、受験時代のテキストの文章にあって「前途有望」と覚えた記憶がある。医大生が前途有望なのは当然アメリカでも同じだろう。医大を中退して、今はカフェの従業員をやっている30 歳の独身女性が、医大時代の同級生に再会したのをきっかけに、むごい目にあった親友の仕返しをしようと事件の当事者に会って復讐を重ねる顛末である。


メイクがどぎつくなったキャリーマリガンの変身ぶりにはビックリする。ストーリーの進行とともに展開予想を少しづつ外すのは巧みではあるが、脚本賞を受賞したというストーリーとパフォーマンスにはもう一歩のりきれない。

30歳を目前にしたキャシー(キャリー・マリガン)は、ある事件によって医大を中退し、今やカフェの店員として平凡な毎日を送っている。その一方、夜ごとバーで泥酔したフリをして、お持ち帰りオトコたちに裁きを下していた。

ある日、大学時代のクラスメートで現在は小児科医となったライアン(ボー・バーナム)がカフェを訪れる。この偶然の再会こそが、キャシーに恋ごころを目覚めさせ、同時に地獄のような悪夢へと連れ戻すことになるが。。。(作品情報 引用)

⒈キャリーマリガン
映画が始まって、いつものキャリーマリガンとはえらく違う雰囲気で泥酔している。ベロベロで尻軽と思われて、男にお持ち帰りされるが、いざという時になって返り討ちを喰らわせて驚かせるシーンでスタートする。起きた出来事を暗号のような文字で手帳にチェックをつける。昼間はカフェのごく普通の従業員だ。これって、渋谷神泉で起きた東電女子社員殺人事件で被害にあった娼婦のパフォーマンスみたいな展開なの?と思わせるが、そうではない。


家庭崩壊を描いたポールダノ監督の前作「ワイルドライフ」では、夫が離れているうちに不倫をしはじめた途中からメイクが変わっていったのが印象的だった。もともと17歳の肖像」から追いかけている。「ドライヴ」や「私を離さないでなど彼女の作品はほとんど見ている。清純派テイストが強かった女優である。この映画では、最初から強烈なあばずれメイクでいつもと違う。SMクラブの女王様みたいな雰囲気である。


その中でも、ナースのコスプレメイクで男に手錠をしてベッドにつなげて動けないようにするシーンが印象的だ。

⒉復讐劇
ハッキリと説明しているわけではないが、少女時代から仲の良かったニーナという同級生がレイプにあったのに、学校当局も取り合わず失望したニーナが自殺して、その時にキャシー(キャリーマリガン)が医大を中退したという顛末のようだ。

当時の同期で事件に関わっている女に会いベロベロに酩酊させて、依頼した男に誘惑させたり、復学したいと言いつつ母校の教授にあい、教授の娘に酷いことを企てていると思わせる脅しを企てたり復讐はエスカレートする。


⒊むごい事実を想像させる脚本
実はむごいことが行われているんだけど、露骨なレイプシーンなどはない。一部の場面を除いて、全部想像の域を超えない。説明調ではなく想像させる。そのこと自体は悪くないけど、実際のところどうなのかがよくわかりづらい。


ちょっと突っ込むと、地方性が強いアメリカで、この舞台となるキャシーの自宅のあるエリアと医大の位置関係がどうなっているのか?同じエリアなのか?セリフでは、キャシーはしばらく同期の女性などにはあっていないようだが、同じ地方都市にいるんだったら、いくらなんでも全く会わないこともなさそうだけど。男たちを手玉にとるバーもそんなにはないと思うので、手帳にあるほど何度も繰り返して悪さできないような気もする。

ちょっとわかりづらかったかな。
キャリー・マリガンの熱演はすごかったけど
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「少年の君」 チョウ・ドンユイ

2021-07-21 05:01:32 | 映画(アジア)
映画「少年の君」を映画館で観てきました。


オリンピックの開幕を前にして、開会式の音楽担当に関する過去のいじめ経験がマスコミにクローズアップされている。「少年の君」は中国の高校におけるいじめが題材になっている。同時に中国の受験生模様も描かれる。本を読んで厳しい受験生事情は知ってはいたが、こうやって映像で見るのは初めてだ。香港の名優エリック・ツァンの息子デレク・ツァンの監督作品である。

同級生からいじめにあっている受験を前にした進学校の高校生が、ひょんなきっかけで裏社会に足を突っ込むチンピラ少年としりあう。自分を守ってもらうように頼むが事態が悪化してしまう顛末である。現代中国の受験事情を描くと同時に、裏社会につながる黒い部分にもスポットを当てているので、単純な青春ものとは違うテイストがある。ノーヘルで2人乗りバイクで仲良く街を疾走する映像は素敵だ。ただ甘酸っぱい恋愛ではない。


ストーリーの行き先には目が離せない面白さはある。ただ、韓国クライムサスペンスでも感じるんだけど、こんな女子高校生が暗い夜道を歩くのかなあという素朴な疑問だ。ちょっと出来過ぎの気もするけど、現代中国を知るにはいい作品だ。

2011年の中国、高校生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)は、進学校で名門大学を目指して勉強に励んでいる。「全国統一大学入試(=高考)」が近づいているある日、同級生の少女がクラスメイトからのいじめを苦に、飛び降り自殺で命を絶った。

校庭で死体に寄り添っていたのをみて、チェンはいじめグループの次の標的となってしまう。チェンは母親が出稼ぎ中で、1人住まいだった。下校途中、1人の少年シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)がリンチをくらっているのを見て通報する。急場を救ったことをきっかけに親しくなる。シャオペイはチンピラグループの一員だった。


その後も、チェンへのいじめは止まらず、我慢した末に警察に連絡をする。それを受けていじめグループは停学にはなるが、まったく反省の余地がなく、仕返ししてくる。そこでチェンはショオペイの掘っ立て小屋の棲家に逃げ込む。ショオペイはいじめから救うためにボディガードを買って出るのであるが。。。

⒈家庭に恵まれない女の子チェン
コンクリートの公営アパートと思しきところに住んでいる。シングルマザーの母親は出稼ぎと称して娘を1人置いて化粧品の販売に携わっている。客から肌が荒れたというクレームを受けているようだ。(この映像を見ていると、日本における中国人の化粧品爆買いの意味がなんとなくわかる)借金取りが自宅に押し寄せている。金を返せという張り紙がアパートに貼ってあり、それを目ざとく見つけたいじめグループがSNSで撒き散らす


世間をだましだまし生き抜いてきたであろう母親がいたので、なんとか金がかかりそうな進学校に通っていたのであろう。それでも、大学に入れば、今より良い水準の生活ができるからと、懸命に勉強している健気な女子高校生だ。

自殺したいじめられっ子からは「助け」を求められたが、結局何もできなかった。その思いで、死体に近寄っただけだ。故人と親しいのかと思われて、警察に事情徴収を受けたが、何もしゃべっていない。それでも、いじめグループは何かチクったのではと思い、次の標的にされる。気の毒だ。

⒉中国進学校事情
映画によると、中国における大学入試共通テストには全国で923万人受けているという。(日本は48万人、中国は約20倍近くだ)ここで映る進学校は共学であるが、学校内の熱気がちがう。このイメージは、日本で言えば名門中学を目指す塾で「合格!」に向けてのシュプレヒコールを叫んでいるかの如くだ。むしろ、日本のレベルの高い進学校の生徒はもっと冷めているし自由だ。そういえば、この間日本でいちばんの女子高で自殺があったと報道されていた。

生徒のパフォーマンスにはいくつかあれ!?と思うシーンはある。それぞれの生徒の机の上にテキスト、教科書?らしきものが乱雑に積まれている映像が印象的だった。試験の不出来で教室の席順もかわる。みんながガツガツ勉強しているイメージである。

でも、受験を控えている進学校の生徒にいじめにうつつを抜かすヒマってあるのかしら?という疑問は残る。話が出来過ぎというのはその部分である。


⒊全国統一大学入試(=高考)
いじめを受けたりするが、チェンは共通テストを受験する。そこには作文がある。課題に対して、先生がヤマを張るなんて言葉があるが、記述式である。日本の新共通テストでは、採点に難ありとマスコミに非難され記述式は中止になった。

1300年もの間科挙という官僚登用試験のあった中国には作文というのは欠かせないものなのであろうか?アジアの大学ランキングでは常に中国は上位にランクされる。ますます日本と中国及び香港、シンガポールとの学力レベル差が大きくなるのではないかと感じる。

⒋学歴と能力
自分が敬意を払う社会学者である本田由紀東大教授「教育は何を評価してきたのか」によれば、

努力:努力する人が恵まれる。能力:知的能力や技能のある人が報われる。教育:給与を決めるとき教育や研修を受けた年数の長さ、日本では能力、努力、教育の順となっている。(本田「教育は何を評価してきたのか」p41)日本以外の国(特に欧米先進国)では教育歴が給与に反映されるべきだとする。(同 p42)日本では学歴は能力を反映しないという見方が強い。(同 p47)

この日本の考え方に反するつもりはない。諸外国において大学を出るという意味が日本における戦前の旧制帝国大学を出るくらいの意味を持っているのかもしれない。

上海市の正社員の給与昇給率は14%以上だ。20%以上もある。初任給が日本企業より少なかったとしても30歳になる頃には,日本の給料を追い越している場合も少なくない。(中島恵「中国人のお金の使い道 」p37)アリババファーウェイといった中国を代表する有名IT企業であれば初任給は手取りで2万元約300,000円だった。入社3年目で3.6万元約540,000円にアップしている。(同 p40)

上記のような記述からも日中の違いが良くわかる。いずれにしてもこれらの給料もらう人が大卒なのは間違いない。

⒋パクリという説については
そもそもこの手の話は似通っているものだ。演歌の節回しがどれも似通っているのと同じであろう。東野圭吾の作品からとったというパクリ説もある。良いとこどりはあっても、パクリではない。韓国映画で連想すると、高校生がむごい目に合う母なる復讐や不良と子供の友情を描いたアジョシなんて映画を思い浮かぶ。中国映画というより、陰湿な韓国映画で良く描かれたパターンなのかもしれない。まあ、何かしらかぶるものだ。


この映画は重慶でロケされたという。坂道と階段が多い。いずれも映画と相性が良い。何処なのかなと考えていた。猥雑なダウンタウンから高層ビルが立ち並ぶ現代的な中国に急激に変わりつつあるその姿を見るだけでも価値があるんじゃなかろうか?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「17歳の瞳に映る世界」 シドニー・フラニガン&タリア・ライダー

2021-07-18 18:12:12 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「17歳の瞳に映る世界」を映画館で観てきました。

同じ青春ものでも、日本では見たことないテイストの青春映画である。
一見の価値がある良く出来た作品だ。


2020年のベルリン国際映画祭の銀熊賞作品で、評価は極めて高い。ロッテン・トマトでも99%の超高評価というのも凄い。その評価自体は映画を見てみると納得できる。17歳の望まれない妊娠をしたペンシルバニアの女子高校生オータム(シドニー・フラニガン)が仲の良いイトコのスカイラー(タリア・ライダー)と共にニューヨークに中絶手術に向かう顛末を描く。


当然フィクションであるが、まるでドキュメンタリーと思しき映画の流れをくむ。妊娠してしまった女の子は泣いたりわめいたりしない。どうしてこうなってしまったか?ということを含めて説明は少ない。数少ないセリフと映像描写で説明する手法エリザ・ヒットマン監督の力量を感じる。

こういう映画の内容だからか、女性スタッフ中心でできている映画である。一般に相手に共感を求める度合いが高いのは女性の方だ。だからといって女性だけに受ける映画ではない。ただ、男性に強い警鐘を与えているのも事実、われわれ男性は謙虚に受け止めなければならない。

主人公の名前は、オータム・キャラハン。意識しているかどうかわからないが、ダーティハリーのハリー・キャラハン刑事を連想して思わず唸る。

⒈普通の17歳
両親が普通にいる家庭である。母親の方が仲が良く父親とはギクシャクしているが、それ自体は思春期では別におかしくもない。妊娠が分かり、思いっきり泣いたりはしない。でも、自虐的にお腹を叩いて、流れてしまえばいいのにとなり気がつくとアザができる。

いとこで友人のスカイラーもスーパーのレジをやっている。スカイラーはスーパーのマネジャーに好意をもたれている。それもあってか、ちょっとした隙に売上のお金をさっと持ち去って、中絶のための資金に充てる。ペンシルバニアから長距離バスに乗ってニューヨークへ2人で向かうのだ。


普通は、この世代の女の子だとおしゃべりし放題という感じだが、しゃべりは極めて少ない。この辺りが日本青春映画で見るタッチと若干違う。

⒉妊娠中絶にあたって
望まれない妊娠というのは診断した初老の女医にもすぐわかる。中絶はペンシルバニア州では親の同意がいる。女医は中絶というのは小さな命を殺すことだとビデオをオータムに見せて養子縁組を勧める。こういったディテールには細かい映画だ。
昨年の日本映画の傑作「朝が来る」では若すぎる妊娠をした高校生が産んで養子縁組で子供を授ける話であった。同じように女医には勧められたが、そうしていない。


親になんて言えるわけがない。ネットで調べて、ニューヨークでの中絶を決意して、一緒のスーパーで働くいとこに付き添いを頼む。地元の診断では、10週目ということであった。ところが、ニューヨークで診断すると、18週目になっているという。これだと、1日で処理することはできない。金銭面も含めてあらゆる予定が狂っていくのだが。。。

ここでは、中絶手術のためにカウンセラーから質問を受ける。これがしつこいくらいに執拗に続く。性交渉の頻度や初体験、体験した人数などそこでいろんなことがわかる。この映画の原題はNever Rarely Sometimes Always、これはその時の4択の質問をこの4つのどれかで答えるのである。

いくつかの質問でオータムが心を乱す場面がある。
映画の見せ場かもしれない。

⒊ニューヨークの片隅で
もともと金はない。バイトしているスーパーの売り上げの一部をネコババして旅費と中絶費に充てている。1日で終わらない処置となるため、帰りの旅費もピンチだ。治療で健康保険を使ったら親にバレるから使えない。まともにホテルには泊まれない。街のベンチで泊まってしまおうとしても、追い出される。都会の片隅でたたずむ姿に哀愁が漂う。



美少女の2人を舐めるようにカメラが追う。大画面にアップで映る2人は初々しいところを持ちながら美しい。撮影の腕前も光る。当然フィクションであるが、そう思えないほどのリアル感が漂う。好演である。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナム映画「走れロム」

2021-07-12 22:23:24 | 映画(アジア)
ベトナム映画「走れロム」を映画館で観てきました。


走れロムは2019年のベトナム映画だ。新鋭チャンタンフィ監督の作品で、プロデューサーにはこのブログでも何度も取り上げた「夏至」や「ノルウェイの森」のトラン・アン・ユンが名を連ねているので、早速観に行く。ベトナムの労働者層が大好きな闇くじ(デー)を扱う孤児の少年ロム(チャン・アン・コア)が下層社会でのたうち回る姿を描いている。原題は「ROM」で、「走れ」と入るのはこの映画を見ればよくわかる。最初から最後までずっと走り回る少年である。

映画は80分に簡潔にまとめている。釜山の映画祭で賞を受賞した後で、国家当局の検閲を受けていないということでいくつかのシーンがカットされたという。映像ではこの闇くじについて、何度か説明がある。でも、一回見ただけでは、理解しづらい部分もある。それでも、ベトナムの下層社会のバクチ好きがよくわかる。日本に当てはめると阿佐田哲也の「麻雀放浪記」の時代に属する昭和20年代の下層社会のレベルといった感じかなあ。いずれも規範を逸脱した世界である。その世界を生きるために疾走する少年を見るのもなかなか面白いものだ。


⒈闇くじ(デー)
政府公認の毎日発行する正規のくじがある。その当選番号の下二桁を当てるというのだ。普通のくじを購入すればいいのにとも思うが、一般の労働者たちは皆カネがない。ツケで借金して購入するのだ。きっと金貸しと博打の胴元両方で裏社会の資金源になっているのであろう。そして、借金が積み上がってニッチもサッチもいかない人が山ほどいる。自殺者も出るくらいだ。

映画の解説によると、胴元が仕切り、賭け屋が運営し、走り屋が繋いでいる。ロムは予想屋兼賭け屋への取次だ。自分の棲家である小屋裏部屋でこじつけて数字を考えて、集合住宅の住人たちの賭けを誘う。当たれば、ご祝儀をもらえるが、外れたら責められて殴られる。そんな毎日だ。きっと胴元は優雅な生活を送っているのであろう。バクチはテラ銭を取る胴元が1番儲けるのは万国共通の真理だ。賭け屋がいる掘立て小屋がドブ川を隔てた反対側の岸にあって、イカダというには貧相な乗り物でロムは取り次ぐために向かう。ロムは泳げないから、決死の仕事だ。


日本で言うヤクザが運営する競馬、競輪などのノミヤはあらかじめ当たったオッズはわかっているけど、これはわからないらしい。映画を見ているだけでは配当の仕組みがよく理解できない。こんな闇くじによく賭けるなあと思うけど、ハマったら逃れられないようだ。ある意味かわいそう。

⒉ホーチミン市(サイゴン)
ベトナム独立の立役者ホーチミンの名前をとって1976年からホーチミン市になっている。自分より上の世代は60年代半ばにベトナム戦争の戦況がTVで放送されていたので、サイゴンの地名にはより馴染みがあるだろう。
以下↓2015年に行ったときの写真


2015年の秋に自分は東南アジアに向かい最初にホーチミン市から入った。深夜に到着したが、空港から中心部にあるホテルまで、どの商店も空いていて、店の前に人々がたむろっているのが印象的だ。傀儡政権というべき旧南ベトナム政府はサイゴンに政府を置いていた。官邸を見学したが、地下に戦況を把握する防空壕のようなものがあった。旧サイゴンということで、アメリカのベトナム帰還兵が観光でずいぶんと来るらしい。


街には高層ビルが立ち並ぶ。社会主義政権とはいえ、市場主義経済である。中国同様一国資本主義の強みを生かして経済は成長基調を保つ。結局こうなるならアメリカもムキにならなくてもよかったのに。自分もサイゴン川が見渡せる高級ホテルの天井高が3メートルを超える部屋に泊まった。


三階建分譲住宅を見たが、天井高がどの階も3メートルあって驚いた。日本の住宅では斜線と高さ制限でよほど敷地が広くないと不可能である。

コンビニだけの感覚では物価は日本より安い。街を歩くと、至る所にバイクが連なっている。誰も彼もがせっかちだ。このパワーには圧倒される。でも、この少年は走るだけ。そういえば何才というセリフはなかった。バイクの免許が取得できないくらいの年頃だろうか。


⒊ライバルの少年フック
ロムと同じように、闇クジを取り次いでいるフックという少年がいる。バク転とかすいすいとやってしまう。でも、ヤクザ映画を見るかの如くに、敵と思ったら味方のようになり、気がつくと取っ組み合いの大げんかをしている。この辺りの2人の心境は良くわからない。


ある時、ロムが絶妙の思いつきで数字を閃き、さて賭け金を集めようとしたら、フックに邪魔をされ監禁された。集合住宅の住民はロムがいないので仕方なくフックがカネを集めて賭け屋に行ったけど、締め切りを過ぎていた。いつもの集合住宅ではそのラッキーナンバー41が出て大騒ぎだ。ところが、戻って間に合わなかったとなったものだから袋叩きだ。

フックは博打場にも足を踏み入れる。「裏金融」を本職とする男にビリヤードで大負け、カネを返せないとなると1日当たり20%の異常利息をつけられる。こんな感じでみんな地獄に落ちていくんだなというのを映像を次から次へと映し出す。


日本も公認カジノをつくらないかどうかと横浜市長選挙の論戦のポイントになっている。個人的には公認バクチとしないから裏が生まれると思ってしまう。ベトナムの闇くじのようなデタラメな博打が横行する。アメリカの禁酒法のようなもので、禁じると裏で地下マネーが動く。それよりも正規の金が動くようにした方がいいんじゃない。日本も先日危うく禁酒法設定まがいになり損なったけど。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「夜叉ヶ池」坂東玉三郎&篠田正浩

2021-07-12 05:00:12 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「夜叉ヶ池」を観てきました。


映画「夜叉ヶ池」は1979年(昭和54年)の坂東玉三郎主演の篠田正浩監督作品である。泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」を映画化したものだ。公開当時大学生だった自分も、坂東玉三郎が女形で一人二役を演じる面白そうな映画があるのは気づいていた。残念ながら当時観ていない。この映画の存在をすっかり脳裏から外していたのも、篠田正浩監督の他の有名作品と違い、名画座でもDVDで見たことがないからだ。今回90歳になった篠田監督が坂東玉三郎の同意を経て構成し直したらしい。日経新聞の記事で気づき公開早々観に行く。

これは凄い映画である。
今から42年前の技術としては最高の特撮技術を使って、山からの大洪水の映像を映す。


また、人気女形として世間の注目を浴びていた歌舞伎界の新しいスター坂東玉三郎を主演に起用して、美の極致ともいうべき姿を映し出す。映像のバックには冨田勲のシンセサイザーが鳴り響き、妖気じみたムードを醸しだす。坂東玉三郎が山の神である白雪姫を演じる場面の迫力は半端じゃない。本来これが戯曲であったというのがよくわかる。上映当時29歳の演技は実に素晴らしく、この迫力は大画面で感じとるべき作品である。
恐れ入った。


岐阜と福井の県境にある様々な伝説のある夜叉ヶ池を目指して植物学者で僧侶でもある山澤(山崎努)が旅をしていた。山のふもとの村落では、雨が降らずの日照り状態で村の人たちが困っていた。井戸でさえもカラカラだ。そんな村から山間部に入ると、泉が湧いているのに気づく。そこでは一人の女百合(坂東玉三郎 二役)が炊事をしているのを見て山澤は声をかけた。


百合は白髪の老人晃(加藤剛)と同居していた。晃の了解を経て、お腹が空いているという山澤は一軒家に寄らせてもらった。百合は旅の間で見聞きした面白い話を聞かせてくれと山澤に告げると、部屋の奥にいた晃は旅人の声に聞き覚えがあり驚く。間違いなく親友の山澤の声だったからである。

晃は世間から姿を隠した身であったので、目の前には出ず、やがて山澤は夜叉ヶ池に向かい山の中に姿を消した。ところが、突如大雨が降ってくる。これはたいへんと晃は慌てて山に探しに向かい、2人は再会するのだ。そして旧交を温める。長くは滞在できないと聞き、2人で夜叉ヶ池に向かうのである。

一方で、いったん大雨が降ってようやくホッとした村落の人々であったが、すぐに止んでしまう。これは困ったと、村では陣中見舞いに来ている代議士(金田龍之介)をはじめとして、夜叉ヶ池の龍神のために若い娘を生贄にしてしまおうとして、百合をその対象にしようとする話がもりあがってきたのであるが。。。

⒈坂東玉三郎の妖艶な姿
百合と白雪姫の一人二役である。戯曲では必ずしも一人二役ではないようだ。か細い声を出して、晃の妻を演じる坂東玉三郎は明治大正の写真に出てくる古風な美人という感じでそんなにビックリする程の存在ではない。妖気じみているわけでもない。ところが、雨がいったん降り、泉の中から水の妖怪のような男2人が出てきてから、神話的な要素が出てくる。そして、白雪姫が登場するのだ。


ここで完全に戯曲的要素が強まる。着物を着た坂東玉三郎演じる白雪姫の迫力が凄い。女形にしては高身長の玉三郎が打って変わって凄まじいオーラを発する。実質的に舞台劇を映画に映し出すというわけである。ましてや大画面でアップに映る玉三郎が醸し出す妖気は半端じゃない。この映画の見所はここだろう。

⒉豪華な出演者
山崎努が最後までストーリーを引っ張る。大学教授兼僧侶という役柄だ。「天国と地獄」をはじめとした黒澤映画の名脇役で存在感を示した後で、この映画に近いキャリアでは1977年の「八つ墓村」の殺人鬼の印象で世間を震撼させた後だ。

加藤剛演じる萩原晃は夜叉ヶ池に魅せられ来て百合の魅力にどっぷりハマって山に残っている設定である。さまざまな場所で色んな職業の人の面白い話を聞くのが好きということで言えば、柳田國男のような民俗学者ということなのであろうか?大岡越前シリーズはもちろん「砂の器」や「忍ぶ川」といったいった名作も撮り終えて乗っている頃だ。


こういった主戦級に加えて、脇役も揃っている。ファンタジーの世界では水の妖怪を常田富士男と井川比呂志という名脇役が演じ、三木のり平もでてくる。腹黒い代議士役は金田龍之介でまさに適役だ。これだけのメンバーを集めたというのも篠田正浩監督作品ということもあるけど、上り調子の坂東玉三郎主演というのも強い吸引力となった気がする。

⒊冨田勲のシンセサイザー
クレジットはなかったが、バックに流れる音楽が冨田勲のシンセサイザーだというのはすぐ察した。映像にマッチしている。音楽がうるさすぎて興醒めする映画は多い。ここではそうは感じない。坂東玉三郎演じる百合の存在がこの世のものとは思えないからだ。しばらくはオリジナルだと思っていたが、ムソルグスキー「展覧会の絵」の有名なフレーズも入っているのに気づく。

自分が初めて冨田勲のレコードを購入したのは「展覧会の絵」が最初だ。ELPことエマーソン、レイク&パーマーの「展覧会の絵」は針ですり減るほどレコードを聴いていたので、馴染みがあったからだ。ピークはホルストの「惑星」だったかもしれない。

⒊龍神の怒りで氾濫する池と特撮
そもそも夜叉ヶ池って泉鏡花の小説に出てくる架空の池だと思っていた。映画を見ながら、どこでロケしたのかなと思っていたくらいだ。まあ幻想的でいくつかの神話ができるのもよくわかる。龍神のご機嫌を取るために、1日に3回鐘を鳴らすわけだ。でも、怒りが表面化する。そこからの大洪水の場面は迫力ある。時節柄不謹慎な話だが、ごく最近に熱海の大惨事をTVで見ていたけど、それを予測していたみたいな映像だ。


溢れるような激しい水の流れは途中でアレ!イグアスの滝だとわかる。ウォンカーウェイ監督の「ブエノスアイレス」にもイグアスの滝が何回も映し出されるが、豪快な滝である。自分がよく知っている画家が、ここにスケッチしに行ったけど、まあ中心部からかなり遠いところらしい。今でも遠いくらいだから、40年以上前なら日本からの直通便は当然ないし、行くだけで難儀したんじゃないかな。

篠田正浩監督はインタビューでこう語る。
南米・イグアスの滝に宮大工を呼び、鐘楼を建てた。大船撮影所の特撮では50トンの水流でミニチュアのセットを押し流した。イグアスの滝は神の手で造られた景色だという。その霊力を日本の歌舞伎の女形なら表現できる。男女の境がなくなる。超現実の世界だ。性を超越した女、性を超越した男というものが歌舞伎劇にはでてくる。

洪水に飲み込まれ、北陸は大水源池に変わる。それをゴジラなんかを作った日本の特撮の技術でやる。近代文明が造った東京や大阪をゴジラが壊すように。僕は42年前に天災と人災、2つのダブルパンチを受けた光景を見ていた。同じ事をやっていた。俺こんな傑作作ったかな?

「夜叉ヶ池」の普遍的なメッセージを伝え、僕の映画を支えてくれた人たちに報いたいと思った。(篠田正浩インタビュー 日本経済新聞 7月5日記事引用)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「コミック雑誌なんかいらない!」 内田裕也&滝田洋二郎

2021-07-11 06:39:41 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「コミック雑誌なんかいらない!」を名画座で観てきました。1986年キネマ旬報ベスト10の2位である。

なかなか観るチャンスがなかった映画である。これがムチャクチャ面白い。
後におくりびとでアカデミー賞外国映画賞を受賞し一躍有名人となった滝田洋二郎が監督する。内田裕也がTVのワイドショーの突撃リポーターを演じる。「嗚呼!おんなたち・猥歌」「少女娼婦 けものみち」などこの頃の内田裕也が出る映画にハズレはない。


1985年(昭和60年)に話題になった事件がいくつも取り上げられている。豊田商事事件や三浦和義のロス疑惑、神田正輝と松田聖子の結婚などに加えて日航機墜落事件、山口組一和会の抗争までピックアップする。個人情報保護法やコンプライアンス問題に異常に過敏な現在の社会でこんな映画今作ろうと思っても無理だろうなあ。

内田裕也のリポーターぶりはまさに不器用といった感じである。しゃべりっぷりはたどたどしい。素人俳優丸出しだ。梨本勝をはじめとしたよくいるレポーターとは大違いである。もっとも取材陣が押し寄せるときには梨本勝や須藤甚一郎なんかも登場する。でも、突撃取材は反発を喰らうことが多い。演技とはいえ喧嘩早い内田裕也が抑えているのがよくわかる。

三浦和義のインタビューというのがリアルすぎてすごい。内田裕也が真相はどうなんでしょうか?とたどたどしく突っ込む。天才詐欺師三浦の方がある意味役者だ。いくらか出演料もらっているのであろうか?
こんなの映像で見れるチャンスないよ。


ざっとこんな感じだ。
ワイドショーのレポーター、キナメリ(内田裕也)は突撃取材で人気がある。
⒈成田から飛び立つ桃井かおりに、放送作家の高平哲郎氏との恋愛についてマイクを向けていたが、まるで相手にされなかった。これってマジなの?演技なの?

⒉バリ島から帰ってきた三浦和義を他のキャスターとともに成田で待ちうける。準備中と札の出ているフルハムロード・ヨシエに入って三浦和義(本人)にマイクを向けてコーラを浴びせかけられてしまう。


村上里佳子がママをしている馴染みのバーに入って、取材で苦しめた桑名正博と安岡力也(本人)に絡まれ、お前の来るところでないと強い酒を飲まされる。

当時の村上里佳子の美貌に驚く。

松田聖子、神田正輝の結婚式が近づいており、聖子の家に張り込み、風呂場で唄う「お嫁サンバ」を録音することに成功するが、電信柱に昇っているところを警官に捕ってしまう。警察では警官(常田富士男)に絞られるが、チャッカーズ(?!)のサインをくれと原田芳雄演じるプロデューサーにコッソリ耳打ちする。

常田富士男のボケ刑事ぶりが笑える。

山口組、一和会の抗争の取材で、ヤクザの溜まり場に行き威嚇されおびえる。

役者がヤクザの役をやっているように見えないけどなあ。いいのかな?

⒍同じマンションに住む老人(殿山泰司)が、セールス・ウーマンから金を買ったという話を聞いて疑問を抱いたキナメリは独自に、金の信用販売会社を捜索し始めた。現場体験記の番組で、金の信用販売についてレポートしたいとプロデューサーに提案するが相手にされない。
ある日、ホストクラブを取材し、一日ホストを勤めた彼は、ある女に買われホテルに入る。女は激しく体を求めるが金がない。代わりに数百万円の金の証明書を彼に渡した。数日後、テレビのニュースで女がガス爆発で自殺したことを知り、彼はハッとして隣りの老人のドアを叩く

⒎日航機の堕落現場を山に登って取材する。

そして最後に
豊田商事事件で会長襲撃のTVのリアルな映像には日本中が唖然とした。これを真似てビートたけしが犯人役となって金の信用販売会社の会長が住むマンションに行き取材陣の前で窓を破って中に入ると、アッという間に会長を刺殺してしまうシーンも映す。


ビートたけしもこの頃はまだ若く、パフォーマンスは凄いけど、今の顔ほど殺人鬼が演じられる顔にはまだなっていない気もする。なんせあの時、殺しに部屋に侵入した連中の人相はすごかった。人殺しをする奴の人相ってこんな顔なのかと自分は感じていた。

こんな感じである。
こうやってみると鬼籍にはいった人が多い。みんな死んじゃった。時の流れを感じる。まあこの時代には社会人になってリアルに生きてきた自分からすると、面白いシーンが続く。

滝田洋二郎監督はそれまで世間を騒がせた事件を題材にしたピンク映画(ポルノでないピンク)を数多くつくってきた。そういうドキュメントテイストが映像に満ち溢れている。売れっ子ホスト役でピンク映画の名優港雄二や久保新二もでてくる。殿山泰司を騙すセールスレディはピンク女優の橘雪子だ。いわゆる友情出演だよね。

この頃増えはじめたノーパン喫茶からファッションマッサージ系に移りつつある新宿風俗エリアの取材シーンも懐かしい。


その他、内田裕也がTV取材の1日体験でホストをやったりして、郷ひろみが売れっ子ホスト役で特別出演したりする。ホスト仲間に片岡鶴太郎がいて、郷ひろみのモノマネで哀愁のカサブランカを本人の前で歌うのがご愛嬌である。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「サタデー・ナイト・フィーバー」ジョン・トラボルタ

2021-07-10 10:49:47 | 映画(洋画 89年以前)
映画「サタデーナイト・フィーバー」は1977年のアメリカ映画、日本では1978年(昭和53年)公開

Netflixにサタデーナイトフィーバーが見れることに気づく。ロードショーしてすぐに観てからはや43年、あの衝撃をいまだ引きずっている。丸13 年ブログをやって、どこかで紹介した気もしたが、記事が見当たらない。ここで一旦振り返ってみる。ストーリーの大枠は頭に入っている。まあ、誰もが知っているストーリーなので、ネタバレも構わないであろう。


ステインアライブの曲に乗せてさっそうとジョントラボルタが登場する。おなじみのシーンだ。このシーンを見ているだけで気分は高揚する。ベトナム戦争も終戦に至った後の、能天気なアメリカの雰囲気がお気楽な感じで良い。

⒈ブルックリンのイタリアン移民とトラボルタ
家族の中での会話がどうだったかは覚えていなかった。久々見ると、へーそうだっけという感じだ。家族の仲は良いが、いくつも問題を抱えている。父親は失業中、兄貴は教会の神父だったが、やめてしまう。それを聞いて父母ともにがっかりだ。19才のトラボルタは塗装店で勤めている。ペンキ職人ではない。気楽な職場のようだ。すべては週末のディスコで踊ることにかけている生活だ。アルパチーノとブルースリーのポスターが貼ってある部屋でビシッと髪を決めていざ週末のディスコに出発だ。


⒉アネット(トラボルタにすり寄る女)
トラボルタとその不良グループにつきまとう女の子だ。コンテストもトラボルタと一緒に出ようと望んでいる。映画がはじまりすぐ「ディスコインフェルノ」でペアで踊る。常にトラボルタに抱いてもらいたくて仕方がない。トラボルタにその気はないが、無理やり車の中でやってくれアネットがと誘う。その時にトラボルタに聞かれる。避妊具あるのって?

仲間の1人がはらませちゃってということもあるが、トラボルタも妙に慎重だ。ないという言葉に興ざめする。それでも、アネットの方はあきらめない。別の機会にきっちりコンドームを用意する。その時は別のダンスパートナーに気持ちが向かっているので、トラボルタはその気にならない。


何気ないそのシーンだけど、今から40年以上前、この女の子の気持ちってよくわかるわよ。と当時20代になる寸前の数人の女の子に言われた。好きな男のためになんとかしてあげようという気持ちって当時青二才の自分には意味不明だったが、歳をとるうちにわかるのかな?

⒊ステファニー(トラボルタとコンテストにでる女)
トラボルタとその仲間が常連のディスコに突如現れた周囲と違うタッチのダンスを踊る女である。トラボルタも一気に惹かれる。でも、この男格下だわという蔑んだ目をトラボルタに浴びせる。ところが、ディスコのDJがやっているダンス教室で偶然出会うのだ。いったんはふられても猛烈アタック。結局パートナーになる。


マンハッタンで働いているらしい。やれキャットスチーブンスにあったとか、ローレンスオリビエにあって話したとか見栄っ張りである。近々マンハッタンに住むんだと自慢げに話す。トラボルタも「気取り屋」だと思っているが、まずはパートナーになってもらうのが先決と聞き流す。

こういう女のキャラを映画を見た大学生時代はよく理解できなかった。今となってみれば、なんじゃこの女偉そうにという感じである。そういう女を対比に登場させるというシナリオに深みを感じる。実は、トラボルタは突っ張ってそうで自分の立場を理解して意外に謙虚である。大学へ行って立身出世しようなんて気持ちも偉ぶっているところはまったくない。

この辺りのギャップも1つの見所にも思えてくる


⒋歴史的なダンス①:ナイトフィーバー
映画のポスターで右手を大きく上に上げるトラボルタに惹かれてどれだけの数の若者がディスコに向かったであろう。この時代にコンテンポラリーだった自分はなんて幸運だったのであろう。トラボルタが戦場たるダンスフロアに入り込むと、いきなりステップダンスでみんなと歩調を合わせる。

自分が高校生だった昭和50年代初頭、東京のディスコはまだ不良の溜まり場の域を超えてはいない。その頃のディスコは赤坂のビブロス、ムゲンという別格を除くと、みんなが曲に合わせて同じ踊りを踊るステップダンスが中心である。でも、映画が公開された1978年(昭和53年)はそうではなかった。割と自由に踊っていた。でも、みんな同じようにステップを踏む曲がいくつかある。その一つが邦題「恋のナイトフィーバー」である。要は映画のステップの再現だ。

軟派大学生や就職が決まりそうなませた女子高校生がナンパ島とも言われる伊豆七島に向かう。新島や神津島や式根島でみんな民宿に泊まるわけである。どこの島にも臨時に設営したディスコがある。そこで東京と同じように踊るわけである。まあ、誰にとっても青春の素敵な1ページであろう。ナイトフィーバーを聞いた回数は何百万回といっても大げさではない。1978年3月から5月にかけて8週にわたって全米ヒットチャート1位だ。

⒌歴史的なダンス②:ユーシュッドビーダンシングとビージーズ
この映画でトラボルタがもっとも躍動的なソロダンスを踊る時に、you should be dancing が流れる。ビージーズがディスコタッチの曲で見事不死鳥のように蘇る曲だ。

自分が小学生の頃、1968年日本でも「マサチューセッツ」が流行った。洋楽が好きな兄貴のいる友人に教えてもらい好きになる。TVで洋楽を流す番組で随分とかかっていた。その後1971年映画「小さな恋のメロディ」が日本で大ヒットした。同時期に「ある愛の詩」が流行っていたニクソンドルショックの年である。その中で流れる「メロディフェア」も日本だけで大ヒットする。でも、アメリカでは同時期に「傷心の日々」が全米ナンバーワンになるのに、日本ではシングルカットされていない奇妙な現象になった。

その後ビージーズの存在すら頭にない高校生時分に、突如ディスコのリズムで流れるビージーズの甲高い声に気づく。これは衝撃だった。実はJive Talkinという曲がディスコタッチでヒットしたのであるが、印象が薄い。you should be dancingを聞いてまだ頑張っているなとうれしくなった。1976年9月の全米ヒットチャート1位だ。でも、それは本当の意味でのフィーバーの序奏曲にすぎなかった。


ダンスフロアにいるみんなも後ろに下がって、トラボルタのダンスに見入る。これも歴史的なダンスだ。ものすごい超絶技巧を使っているわけでない。ノリのいいロックのリードギターの響きに魅せられるような気分なのかもしれない。
ポスターのトラボルタの姿に合わせて、フィーバーのポーズをディスコでみんなとるようになる。あと5年以上早く生まれていたら学園紛争の洗礼を受けたのであろうか?こればかりはわからない。

⒍歴史的なダンス③:モア・ザン・ア・ウーマン
トラボルタとステファニーがコンテストで踊る曲である。サタデーナイトフィーバーLPレコード1枚目黄金のA面の4曲目だ。ある意味映画の中で見どころと言える場面であろう。ディスコのダンスフロアで見つけたマンハッタンで働く女性に惹かれる。これまで見たことないタイプの女性だ。ダンス教室で偶然再会してトラボルタが猛アタック!いやいやステファニーが受け入れた後で、一緒にレッスンし、コンテストに登場する。

タバレスがもう少しアップテンポな同じ曲を歌っているのはダンス教室でかかる。ここではしっとりとビージーズが歌う曲に合わせる。名曲である。鮮やかに2人でステップを踏んだ後、ダンスのクライマックスでトラボルタとステファニーがディープキスをする。キスのあとでうっとりした目をしたステファニーがイキイキとみえる。見所のひとつだ。ただ、この後で踊るプエルトリコの2人がラテンミュージックに合わせて華麗なダンスをするのだ。でも、トラボルタはそっちの方が上手いとトップ賞を譲ってしまう。

そんなストーリーはいつ見ても楽しい。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする