映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「K2 初登頂の真実」

2015-07-29 17:51:52 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「K2 初登頂の真実」は2014年日本公開のイタリア映画

公開時から気になっていた映画をようやく見れた。
過酷な登山のシーンが映し出される中、エゴ丸出しの人間模様が語られる。


世界最難関の高峰K2(8611m)。それは世界最高峰のエベレストよりも登頂が圧倒的に困難とされる標高世界第2位の「非情の山」。1954年、その名誉ある初登頂を果たしたのは、アキッレ・コンパニョーニ、リーノ・ラチェデッリの二人。本来であれば、その偉業を達成した二人は国を挙げて祝福されるはずだった。しかしイタリアは「登頂は隊全体の名誉」として、長い間その名前を公表しなかった。その陰で、50年以上に亘って1954年のイタリア隊によるK2初登頂をめぐりクライマー達の思惑、そして名誉を懸けた訴訟が繰り広げられていた。

世界第2位の高峰初登頂の記録が公になるとともに、隠されていた事実は明らかになり、アキッレ・コンパニョーニ、リーノ・ラチェデッリの名前が世界に知れ渡ることとなる。結果的に54年のイタリア隊はK2初登頂に成功したが、頂上アタックにおけるメンバー間の齟齬はヴァルテル・ボナッティを精神的に傷つけることとなってしまう。デジオ教授による下山後の登山報告書や、登頂から10年後のマスコミの報道などで、K2初登頂におけるボナッティの役割が歪曲して記録、報道されたことが発端で、50年以上にわたりヴァテル・ボナルッティは裁判で争い、初登頂から54年後にようやくK2登頂における事実が認められた。2004年にはCAI(イタリア山岳会)の公式見解も訂正され、名誉回復がなされた。

1.K2について
中華人民共和国の新疆ウイグル自治区とパキスタンのギルギット・バルティスタン州との国境にある、カラコルム山脈に属する山である。標高は8611mでエベレストに次ぐ世界第2位の標高である。人里から遠く離れた奥地にあるため、19世紀末まではほとんど人々に存在を知られることもなかった。不安定な天候や地形の厳しさにより世界第2の高峰であると認知されたのは、他の8000メートル峰よりも後の事である。


中国側からのアプローチは困難なため、ほとんどの登山者はパキスタン側からアプローチをする。K2は世界最高峰のエベレストよりも登る事が困難な山と言われている。その理由として、人が住む集落から離れているためアプローチが困難であること、エベレストよりも厳しい気候条件、急峻な雪崩、滑落の危険性などが挙げられており、冬季における登頂は未だ達成されていない。2010年までの時点で、エベレストの登頂成功者は延べ5104人、K2の登頂成功者は延べ302人。遭難者の数も多く、4人に1人が命を落とすと言われている。


2004年初頭の時点で登頂に成功した女性登山家は5人。しかし、5人全員が下山中に死亡あるいは遭難死している。2009年6月、イタリアのミシェル・フェイトが山頂からの滑降に挑戦したが転倒して死亡。当時、同行していたスウェーデンのプロスキーヤーは翌2010年再挑戦するも、滑落死。2011年8月カルテンブルンナーらは再びK2にアタックし無酸素登頂を成し遂げたが、カルテンブルンナー自身は4度目の挑戦であり、パーティーには7回目の挑戦となるメンバーもいた。

2.ストーリー概要
1954年、イタリア・ミラノでは野心家のデジオ教授が密かに最強のアルピニスト・チームを集めていた。厳しいトレーニングで中には肉体的、精神的な限界にぶつかる者もいた。だが、皆前へ進みたい。登頂したいのだ。強靭な精神力と足腰を持つ青年ボナッティはその代表格だ。最終的には12人が選ばれる。


男たちが地球を半周し命知らずの登攀を始めると、それぞれの個性がぶつかり合い、結束したチームに嫉妬と不信が見え隠れし始める。だが、嵐、雪崩、高山病、そしてクライマー感の葛藤の中でそれぞれのクライマーはただならぬ闘志を見せ、徐々にチームの結束力が高まっていく。ところがボナッティは失意の底に落ちる。最終的にデジオは頂上アタックのクライマーとしてコンパニョーニと、彼自身にもう一人選ばせる、という決断を下したのだった。


しかし、最年少のボナッティは、遅れる仲間を引っ張り上げ、高所でも無類の強さを発揮していた。そんなボナッティに初登頂の偉業を奪われると危惧したコンパニョーニは、荷揚げ予定のボナッティが届きそうもない、当初予定していた場所より高い位置までのぼりキャンプを設ける。何も知らず頂上アタック用の酸素ボンベを荷揚げしたボナッティはキャンプ予定地に到着するが、誰も何も見当たらない。彼は、疲れ切ったハイポーターをかばいながら必死のビバーグを強いられた挙句、ハイポーターが重度の凍傷を負った為、下山せざるを得なくなる。そんなボナッティが必死の思いで荷揚げした酸素ボンベでコンパニョーニと彼に選ばれたラチェデッリは、K2初登頂へ向けて出発するのであった…(作品情報より)

けっこういやらしい話だなあ。
フィクションと思われるそれぞれの家族の話がからまっていくんだけど、功を誰がつかむかでエゴがもろ出てきてしまう。
山のシーンを除くと、いかにも楽天家っぽいイタリア人の話といった映画なんだけど
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映画「欲動」 三津谷葉子&杉野希妃

2015-07-22 20:46:08 | 映画(日本 2013年以降主演女性)
映画「欲動」は2015年公開の杉野希妃の初監督作品だ。


「ほとりの朔子」のプロデュースでその存在を初めて知った杉野希妃のその美貌に引き寄せられた。今回は彼女の長編初監督作品である。死期の迫っている夫に付き添い、夫の妹が出産しようとするバリ島での妻の複雑な心の動揺を描いている。
これは予想よりもよかった。
バリ島のオールロケで、現地の美しい風景をバックに呪術的な踊りのシーンをおりまぜる。映像コンテの美しさはなかなかで、思わずうなってしまうシーンも多い。三津谷葉子のヌードは脱ぎっぷりもよく、2回に及ぶ濡れ場はなかなか官能的でかなりレベルの高いムードを見せる。

勢津ユリ(三津谷葉子)とその夫・千紘(斎藤工)は臨月を迎えた千紘の妹・九美(杉野希妃)の出産に立ち会うため、バリを訪れた。  


異国で出産する九美にとって兄がバリまで来てくれたことは嬉しく、また看護師であるユリの存在も心強かったが、その一方で心臓に重い病を抱える千紘にとってこの旅は危険を伴うものだった。  九美の夫・ルークを含め4人でバリ観光を満喫していたが、立ち寄ったカフェで何気ない会話の中で発せられた千紘の「日本に帰りたくない」という一言をきっかけにユリと千紘の口論が始まり、看護師であるユリに対し千紘が吐いた「人の死に慣れたお前が嫌なんだ」という決定的な一言によってユリはその場を去ってしまう。

 
バリの広大なライスフィールドをさまようユリだが歩き疲れて座り込むと先ほどのカフェにいた日本人男性の木村がユリの傍に車を停め、気分転換にクタに行こうと声を掛ける。誘いに応じ、クタのナイトクラブへ。ユリは大音量で鳴り響く音楽と周りの雰囲気に圧倒され気後れするものの、次第に開放感を感じ始め、その表情には明るさが戻ってくる。
そんなユリに地元ビーチのジゴロ・ワヤンが熱い視線を送るが、危うさを感じたユリはワヤンを避ける。するとクラブの通路では木村が地元の青年・イキと激しく絡み合っていた。思いがけない光景を前に魅入るユリ。そのユリの背後からワヤンが強引に彼女の体を奪おうとする。必死の抵抗で逃げることが出来たユリだったが、その心には怯えと共に突き動く欲動の感覚がはっきりと残っていた。 そして、翌日、ユリは千紘とのわだかまりを未だ感じながらもワヤンは再び出会うことになる。 (作品情報より)




多少ネタばれで語りたい。
この映画は「禁忌」とともに映画館で観たかったが、何せ夜遅くしかやっていない。いくらなんでもそれは無理。


先日「禁忌」を見た時は、杉野希妃のヌードしか見どころがないまさにC級映画だったので、この映画も大して期待していなかった。でも「なかなかやるじゃん」という印象をもつ。ともかく映画に映し出す映像の構図がすばらしい。現地の踊りは何が何だかわけがわからないが、ラストの夕日のもとで映す海辺のショットの美しさはたぐいまれなものだし、まさに「欲動」というべき三津谷葉子の夫との濡れ場は実にお見事だ。かつてグラビアアイドルと言われただけに男をそそるバストトップをもつナイスバディは実に美しい。


たしかに杉野希妃は美しいが、脱いだらバストは普通である。自分にないものを求めるのか?三津谷葉子の豊満なバディを映しだしながら、この映画を監督として撮ってみたいという気持ちをもつのは普通であろう。

重い心臓病のうえ、妻にイラついている夫が妻からセックスを迫られる。いったんは迫ってきたユリを拒否したが、ユリが思いっきり泣き始めると、男は女の涙に弱い。


そこから、妻を抱きしめたかと思うと、激しいセックスシーンがはじまる。かなりの長まわしで映し出す濡れ場はここ最近の日本映画では見られないすばらしいシーンである。やるな!杉野希妃といったところだ。


(参考作品)
ほとりの朔子
杉野希妃プロデュース&出演作品

 
禁忌
杉野希妃のヌードあり


欲動
ようやく全部見せてくれた三津谷葉子
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映画「激戦 ハート・オブ・ファイト」

2015-07-20 21:50:00 | 映画(アジア)
映画「激戦 ハート・オブ・ファイト」は2015年日本公開の香港映画だ。


これはおもしろい!
映画館で公開中の時にいこうと思っていたが、行けずDVDスル―だった。もともとスポーツ系映画特に格闘技が絡むのは好きな方だ。昨年の日本の映画で一番好きなのはボクシングだけど、「百円の恋」だ。
スポーツ系映画でランキングをつくると、最高峰はいつ見ても気分が高揚する「ロッキー」だね。プロレスではアルドリッチ監督の遺作「カリフォルニア・ドールズ」がムチャクチャ面白い。これがランキング2位だな。落ちぶれたレスラーを描いたミッキーローク主演「レスラー」もいい映画だけど、どちらかというとドラマ仕立てで、格闘にかなりのウェイトを置いている方がいい。格闘技系でいうと「イップマン」は好みだ。
総合格闘技の映画って記憶にない。ここでは何でもありの真剣勝負をする戦いを映しだすけど、なかなかリアルだし、主人公それぞれの苦境にスポットをあてたストーリーづくりにも評価すべきところが多い。いい感じだ。格闘技映画好きにはおすすめだ。


ボクシング王者だったファイ(ニック・チョン)は、八百長事件に関わったことで王座をはく奪、ボクシング界を追放されてしまう。すでに40代半ば、博打好きがたたって借金取りに追われる毎日の彼は、香港からマカオに渡り、知り合いが働くジムの雑用係の職を得る。下宿先でシングルマザーのクワン(メイ・ティン)とその娘シウタン(クリスタル・リー)と知り合う。クワンは夫に見捨てられ、酒浸りになっていたために、不慮の事故で愛する息子を失った心をふさいでいた。今はしっかり者の長女で10歳のシウタンに守られながら暮らしていた。当初は、がさつで無遠慮なファイと反目するクワン母娘だったが、ファイの素朴な優しさを知るうちに、徐々に心を開いていく。


彼は、ジムに通うワケあり青年・スーチー(エディ・ポン)の切実な思いにもほだされ、スーチーのMMA挑戦をサポートすることに。スーチーは、バックパックで世界をめぐっていた裕福な御曹司だったが、実業家の父が破産し、今は生活費を稼ぐため、建設現場で働く毎日を送っていた。しかし、父は酒に溺れては、その都度息子に酒場に迎えに来てもらうという体たらくだった。そんなときスーチーの目に入ったのは、総合格闘技MMAの試合中継。自らの尊厳を取り戻し、そして強敵に果敢に立ち向かう姿を通して、父に生きる希望のメッセージを伝えるため、深夜のジムで強烈なパンチを放っていたファイに弟子入りを申し出る。


二人はタッグを組み、人生の再起を賭けて戦いの場に出る。
(作品情報より)

いい映画なので少しだけネタばれで語る。

1.ドツボな3人
「何かが欠けている」のが物語の主人公要件の基本とすると、何もかも欠けまくっている3人だ。その3人が立ち直ろうとする中で少しづつツキがまわってくる。このままうまく行ってしまうかと思うと、さすがに脚本はしっかり考えていて、再び3人を谷底に落とす。そしてもう一度あくせく頑張って上を目指すのだ。こういう紆余屈折まじりのストーリーは日本人好みかもしれない。


2.格闘技の実技と決め技
途中の格闘技試合の場面はどれもこれもリアリティにあふれているのでいい。主役2人は徹底的にトレーニングして鍛えたと思うけど、パンチっていくつかは本気で食らったりしているよね。もちろんキックも。こりゃ痛いよね。大変だ。技の出し方もいかにもショーを見るごとく、簡潔にまとめている。しかも、こちらをわくわくさせる。強敵の決め技は「バックドロップ」である。これを知っていてどう逃げるのか?昔プロレスの無敗王者ルー・テーズの必殺「バックドロップ」を力道山がかわすのに使ったのが相撲技の「河津掛け」というのはあまりにも有名だ。同じようにやるのかな?とおもってドキドキした。

ネタばれだけど、今回のキモはラストだよね。スーチーを半殺しにした強敵とファイとの対決で、相手の技をあえて肩を外すこと脱出して逆転するというパターンはいかにもスポーツ劇画的でいいなあ。そこで見せる逆転のアッパーがお見事、スーとするねえ。

3.マカオ
香港で借金取りに追われてマカオで身を隠すなんてみっともない主人公だ。この映画はマカオの街の中の猥雑な部分を思いっきり見せてくれるので、映像的にもムチャクチャ楽しめる。新しいグランドリスボアが割と全面に出てくると、また行きたいなあとワクワクしてしまう。

(参考作品)
カリフォルニア・ドールズ
アルドリッチ監督の遺作、スポーツ映画の最高峰


イップ・マン 葉問
ブルースリーの師匠の物語


レスラー
落ちぶれたプロレスラーの物語
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映画「フレンチアルプスで起きたこと」

2015-07-19 18:58:36 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「フレンチアルプスで起きたこと」を映画館で見てきました。


雪山のアルプスを映しだす構図が気になって見に行ったけど、気がつくと退屈で寝てしまった。人工雪崩で雪がくつろいでいたテラスにいる家族を襲う。ドキッとするが、特に何も起きない。ところが、その時に家族をかばうのでなく一目散に逃げた夫を責め立てるというだけの話である。何でこんなことくらいで妻もおこるのかなあ?しかも、せっかくのバカンスなのに。よくわからない。しかも、それだけの題材で2時間もの映画を構成するわけだからつまらない。寝てしまった。

アメリカ映画は基本的にこういう男いじめの映画は少ない。むしろ女性のイヤな部分に焦点を当てる映画が多い。欧州はちょっと感覚が違うのであろうか?寝てしまう理由は「男いじめ」気にいらないだけだったのかもしれない。   

フランスの高級リゾートにスキー・バカンスにやってきたスウェーデン人一家。
スマートなビジネスマンのトマス、美しい妻エバ、愛らしい娘のヴェラと息子のハリー。普段仕事に忙しいトマスは、たまに取った休暇で高級リゾートを奮発し、ここぞとばかり家族サービスに精を出す。


バカンス2日目。たっぷりとスキーを楽しみ、陽が輝く絶景のテラスレストランで昼食をとっている最中、いきなり爆発音が鳴り響き、彼らの目の前の斜面で雪崩が発生する。それはスキー場の安全確保のため、人工的に起こした雪崩であった。トマスや他のスキー客たちは、ダイナミックな光景に面白がってカメラを向けるが、エバは何かがおかしいことに気づく。果たして、雪崩は予想外に勢いを増し、テラスめがけて向かってきた。

真っ白な雪の煙がだんだんと晴れていく。幸い大事には至らず、人々は再び笑いと活気を取り戻すが、雪崩の瞬間、トマスが見せた“期待はずれの行動”は、エバと子供たちを大いにガッカリさせ、家族の間の空気がぎくしゃくし始める。エバは雪崩が起きた時のトマスの行動を問いただすが、トマスはエバと異なる主張を繰り広げ、次第に夫婦仲にも暗雲が立ちこめてくる。今までの結婚生活に疑問を抱きはじめるエバ、反抗的な態度をみせる子供たち。そして「理想のパパ」の座を取り戻そうと必死にあがくトマス。

バカンスは5日間。残された時間の中で、バラバラになった家族の心は、再びひとつに戻る事ができるのか─?(作品情報より)


ネタばれ気味にいうけど、最終場面に向かって、強い雪が降る雪山の中で家族が一緒にスキーをするシーンや最後にバスが立ち往生するシーンなど若干見どころはある。でもこの映画の良さは分からない。ただ、ずっと固定したカメラ位置とそれに長回しに映し出される映像がちょっと一味違うのは確かだ。最初雪崩がテラスにかぶさった後、しばらく雲の中に入り込んだように真っ白になる。どうなるんだろう??と思っているとしばらくして少しづつテラスの風景が見えてくる。長まわしで続いていくその映像は印象には残った。




映画の最初から最後までヴィヴァルディ「四季」の夏のテーマが高らかに流れる。不安なそれぞれの感情を強調するかのようだ。なるほど、この曲ってそういう使い方もできるのね。何度も聞いたこの曲の奥の深さを改めて感じる。
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映画「嗤う分身」 ジェシー・アイゼンバーグ&ミア・ワシコウスカ

2015-07-18 05:13:06 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「嗤う分身」は2014年のドストエフスキー原作を現代に当てはめた作品だ。


いつの間にか公開されていたようだけど、まったく知らなかった。大好きなミア・ワシコウスカちゃんが出演しているようだ。ジャケットの写真はかわいいので気になる。共演は映画「ソーシャル・ネットワーク」で圧倒的な早口言葉であっと言わせたジェシー・アイゼンバーグだという。これはDVD借りてみたくなる。ただし、映画の内容はちょっと変な感じ。存在感の薄い男の職場に、突如として顔が同じで性格が反対の男が現れて翻弄されるという話である。


解説に近未来とあるけど、雰囲気がいかにも60~70年代の欧州といった感じで少しレトロ、アキ・カウリマスキ監督の映画の背景に似た感じだ。そこに突如として坂本九やブル―コメッツの歌が流れる。これはなんじゃ?!

内気で要領が悪く、存在感の薄い男サイモン(ジェシー・アイゼンバーグ)。会社の上司にも同僚にもバカにされ、サエない毎日を送っている。コピー係のハナ(ミア・ワシコウスカ)に恋をしているが、まともに話しかけることもできない。

そんなある日、期待の新人ジェームズが入社してくる。驚くべきことに彼は、サイモンと全く同じ容姿を持つ男だった。何一つサエないサイモンに対し、要領がよくモテ男のジェームズ。容姿は同じでも性格は正反対の2人。サイモンは次第にジェームズのペースに翻弄され、やがて思いもよらぬ事態へと飲み込まれていく・・・。(作品情報より)

暗い!!
昼間の映像を映し出していないというより自然光が入っていない。いきなり地下鉄のシーンも出てくるが野外ではない。
OA機器やCPUも一時代前の設定であるが、近未来と考えてもおかしくない場面もある。監督が意識的に時代をある場所に設定していない感じだ。


そこにジェシー・アイゼンバーグが登場するが、会社の人間に無視されてかわいそう。これじゃむしろイジメだ。ミア・ワシコウスカが唯一安らぐ存在になっているだけだ。こういうヒーリングムードの役柄はうまい。そんなうちに突然主人公と同じ顔をした別人が現れるのだ。てきぱきしていて、会社の同僚も一目置く。でもこの男が同じ顔をした人間が2人いることで悪だくみを考えるのだ。


1.60年代の日本のポップス
監督のインタビューによると、1948年から1971年までアメリカで一世を風靡した「エドサリバンショー」坂本九やジャッキー吉川とブル―コメッツが出演していてそれで知ったという。もちろん若い監督はリアルで見たわけでなくソフトで見たのであろうが、こういうファンっているんだよね。ちょっとビックリだ。この間「インヒアレント・ヴァイス」でも坂本九の「スキヤキ」が流れていて、これは日本人唯一の全米ヒットチャート一位の曲だけに不自然さは感じなかったけど、ブル―コメッツには驚いた。今聞くと昭和歌謡というジャンルに属すように言われるが、当時はバリバリのGSだった。長髪でないので紅白歌合戦に唯一出演していたなあ。

youtubeにその映像あり。英語の歌詞がちょっと不自然だけど一世一代の大舞台
司会のエドサリバンにいつもながらのふてくされたような司会で紹介されている。↓



2.ウォーレス・ショーン
冴えない男の上司役ででているのがウォーレスショーンだ。顔を見るとドキッとする。まだまだ健在だよね。my dinner with anndreという日本未公開の「死刑台のエレベーター」のルイマル監督による名作の主人公である。


ハーバード大やオックスフォード大で学んだインテリだけど、若ハゲで昔の顔はさえない。そのキャラそのままにmy dinner with anndreでアンドレグレゴリーといかにもインテリらしい対話をしているのが極めて印象的だ。「25年目の弦楽奏」にもでていたよね。若い時は冴えないけど、年をとった時の方がいいムードを醸し出す名脇役だ。


隣の住むミア・ワシコウスカを覗くシーンというのはヒッチコック「裏窓」に似た場面のようだし、レトロなムードとうらぶれたバンドに演奏させてるパターンはフィンランドのアキ・カウリマスキ監督の影響を強く感じさせる。数人の監督作品の強い影響も感じさせる。
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映画「スキマスキ」 佐々木心音

2015-07-12 09:19:07 | 映画(日本 2013年以降主演女性)
映画「スキマスキ」は2015年公開の佐々木心音主演作品


「フィギュアなあなた」佐々木心音のヌードを見て、その魅力に取りつかれて以来、彼女の出演する映画はなるべく見るようにしているが、この映画は六本木のみで公開され、しかも上映回数も少ないのでアウト。ようやくDVDレンタルできるようになった。

低予算映画の典型みたいな映画で、ストーリーもどうってことない。ただ、佐々木心音のナイスボディの進化を見るだけの映画だけど、蒲田周辺の昭和に建てたアパートの部屋で、窓のすき間から美女の下着姿が見えて、それにときめく男子学生という構図がみていてたのしい。


隣に住む女の子はチョットだらしないみたいで、いつもカーテンが少しだけ開いている。
隙間に猛烈な愛着を感じてしまう因果な癖を持つ建築学科の2部に通う大学生ヘイサク(町田啓太)は隣家のカーテンの隙間から見える情景に夢中になっていた。そこのわずかな隙間からは可愛い女の子(佐々木心音)の隙だらけの私生活が垣間見えていたのだ。


学業に手がつかず、教授(松野井雅)からも追加のレポートの提出を迫られる始末だ。
そんなある日学食で一人食事をしていると、その彼女文緒が突然「ここに座っていいですか」と声をかけてくる。ヘイサクはビックリしてしまう。彼女は同じ大学の法学部に通う女子学生だったのだ。


そんなきっかけで文緒と友達になってしまう。ヘイサクの友人を含めて飲みに行くとあっけらかんとして感じのいい女の子だというのがわかる。それでも、帰りに送っていくとき、家はどちら?と言われ、ヘイサクは一瞬だじろぐ。そして別の方向へ向かった。しかし、覗くものはまた覗かれるもの。ヘイサクもまた、窓の隙間から文緒に観察されてヘイサクの一挙一動は写真にバッチリ撮られていたのだ。文緒は写真部に所属する華(中村映理子)に現像を頼んでいた。やせ型の体型の華はコンプレックスがあり、豊満なナイスバディの文緒にくっつきたがる。


ある日窓の中で2人が抱き合う姿を見てヘイサクは驚く。隙間から見ていたヘイサクと華が文緒をめぐって妙な対抗意識をもつようになるのであるが。。。

「うさぎドロップ」を描いた 宇仁田ゆみの同名コミックが原作だ。覗いている相手が突如学食で前の席に座った時は、一瞬ありえないと思ってしまったが、その後の展開を見るとそうでないことに気づく。自宅の目の前にあるアパートに住む女子学生の部屋の窓があいて豊満なボディの美女がいることがわかると普通の男性だったら興奮して舞い上がるであろう。これって普通の男が持つある意味あこがれだよね。
そう考えていくとだんだん面白くなっていく。

1.佐々木心音
「フィギュアなあなた」でアッと驚かせてくれてから早2年がたつ。「裸のいとこ」では脱ぎ渋って我々を落胆させたが、「マリアの乳房」ではバストトップをみせて期待を裏切らなかった。ただ、「マリアの乳房」はちょっとバランスが悪いし、撮影に問題があるのか佐々木心音がきれいに見えなかった。その間、園子音監督の『TOKYO TRIBE』では女子警官役で気前よくヌードになっていたけど、映画がちょっと好きにならずコメントアップしていない。それらの作品よりはましかな?ちょっとこの子変だ?と思わせるセリフもあるが、初めての交わりでの男をリードする場面なんかはかわいい。


2.初めての交わり
実際の町田啓太くんは男前でカッコいいけど、ここでは今一つもてなくて悶々としている童貞という設定だ。意外な展開で窓先の彼女と知り合い、彼女の部屋にもいくようになる。そして今までは窓のスキマから見る下着姿を見て興奮していたのが、いつの間にか彼女が目の前で脱いでいき、豊満なバストをみせてくれる。興奮しない男はいないだろう。

お互いパンツ一丁になった時に、同時にパンツをを脱ごうと彼女に言われ、同時に脱ごうとしたときに彼女だけが脱がないで男が脱いでアソコをみて彼女が笑うシーンがおかしい。


そのあと、2人が交わるシーンも初々しくていい感じだ。やさしいリードで導かれる男の立場になって見たい気がした。

(参考作品)

フィギュアなあなた
佐々木心音の出世作、ナイスバディにアッと驚く


過去記事 フィギュアなあなた

マリアの乳房
佐々木心音が超能力をもつ女に扮する


過去記事 マリアの乳房

スキマスキ
こんな子が身近にいたら
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映画「インヒアレント・ヴァイス」 ポール・トーマス・アンダーソン&ホアキン・フェニックス

2015-07-11 22:02:50 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「インヒアレント・ヴァイス」を名画座で見てきました。
ポール・トーマス・アンダーソン監督作品は公開すぐいくべきだったが、多忙でいきそびれる。早稲田松竹でやってくれるのはたいへんありがたい。自分と同じように見そびれた連中がいるのであろう。平日なのに意外に入っている。


でも変な映画である。私立探偵の元に美女がある依頼をしてきて、探偵が不条理な陰謀に巻き込まれるというのはフイルムノワールの定跡である。「マルタの鷹」や「三つ数えろ」など1940年代から50年代に同じパターンはいくらでもある。そのルールを守りながらも、この映画何が何だかよくわからない。軽い解説がついているけど、この人味方なの?それとも敵?って見ている自分を惑わせる。ロス市警が絡んでくるので、いつもながら警察自体も正義の味方かどうかがよくわからない。

そんな感じで映画はどんどん進むが、70年代初頭のニクソン政権時代というのは厭戦ムードが残り、ヒッピーや反体制の人たちが暴れ回っていたときで、その時代背景を映像がとらえているので楽しめる。尾崎紀世彦ばりの濃いもみあげがトレードマークの主人公探偵に、訳のわからない人間を大勢からめて作者が遊んでいるようなタッチである。そのそも原作があるんだけど、有名な著者らしいが自分は知らない。

たぶん観客のみんなはいずれも「わかんねえなあ」と思いながら映画を見ていたのかもしれない。単純な1つの依頼だけでないからであろう。それでも誰も席をたたないのはアンダーソン監督「マグノイア」で突如カエルが天から降ってきたのと同じような意外性を期待したのであろう。さすがに最後に向けては手が込んでいた。


1971年、ロサンゼルスに住む私立探偵のドック(ホアキン・フェニックス)のもとに、ある日突然、かつて付き合っていたシャスタ(キャサリン・ウォーターストン)が現れる。 開口いちばん、「助けて、ドック」とシャスタ。不動産業界の顔役ミッキー・ウルフマン(エリック・ロバーツ)の愛人になったシャスタはドックに、カレの妻とその恋人が大富豪の拉致と監禁を企てていると訴え、その悪だくみを暴いてほしいと依頼する。


ドックにとってシャスタは、忘れられない女である。ドックは独自の調査を開始する。ドックは、ロサンゼルスの情報通リートおばさん(ジーニー・バーリン)に電話し、ミッキーの情報を得る。ドックは、ミッキーに会うべく、建設工事の進む新興住宅地に出向く。近くにマッサージ・パーラーがあり、ここにミッキーの用心棒のグレンがいるらしい。受付にはジェイド(ホン・チャウ)と名乗る若い女がいる。ジェイドが席を外す。ドックは店内を物色する。ところが突然ドックは何者かに殴られて気絶してしまう。気がついたときには、隣にグレンの死体が転がっている。


ビッグフット(ジョシュ・ブローリン)と呼ばれているロサンゼルス市警の警部補にドックは殺人容疑で取り調べを受ける。濡れ衣だ。仕事柄ドックはビッグフットと顔見知りである。ビッグフットから、ミッキーが行方不明と聞かされる。ドックの友人の弁護士ソンチョ(ベニチオ・デル・トロ)が、不起訴の申請にやってきて、証拠不十分でドックは釈放される。

ドックは、裏でつきあっている地方検事補のベニー(リース・ウィザースプーン)、ソンチョに、事件解明の協力を取り付け、独自の調査を進めていく。


ドックの調査が進むにつれて、麻薬組織の影が見えてくる。ロサンゼルス市警やFBIを巻き込んだ大きな陰謀も感じられるのであるが。。。


1.ポール・トーマス・アンダーソン監督
「ゼアウィルビーブラッド」の時は狂犬のようなダニエルデイルイスの演技が本当にすごいと思い、感動のあまり文章がまとまらずまだ感想が描けていない。「マスター」では新興宗教をひきいる故フィリップ・シーモア・ホフマンの演技もさることながら、映像表現が非常に美しいと感じた。今回その次の作品だが、そこまでの感動はなかった。登場人物も多すぎで、原作にある伏線を全部入れようとして失敗したという感じもする。らりっているような感覚はちょっと苦手だ。

2.ジョシュ・ブローリン
「LAギャングストーリー」でロス警察の敏腕刑事を演じた。それに引き続くものである。警察の捜査陣というのが実にキャラがよく合うし絶妙にうまい。ニックネームのビッグフットというのは玄関ドアを蹴って室内に入ってくるからつけられたあだ名という設定だ。事実映画の中でも蹴っ飛ばして入り込むシーンもある。日本料理屋で坂本九の「スキヤキ(上を向いて歩こう)」が流れた後に、ちょっとおかしな日本語をしゃべっていたのが印象的だが、何を言っているのか意味不明だった。


3.キャサリン・ウォーターストン
可憐な元恋人が出現する。美女が探偵に依頼するのはフィルムノワールの定跡通りだが、しばらくすると姿が見えなくなる。どうしたのかな?と思っていたら後半戦に向けて再登場だ。これがいい味出していた。スレンダーな体つきに形のいいバストを見せる。チラ見だけなのかと思ったら、長まわし。これが割と長くて、そのままホアキン・フェニックスと絡んで独りよがりのファックシーンを見せつける。キャサリン・ウォーターストンのヌードシーンがこの映画の一つのヤマだ。彼女の名前は初めて知ったような気がするけど、くたびれたようで全身からエロオーラを出していい感じだ。


4.冴えわたる音楽
バックに流れる音楽がよくなかったら、この映画の独特のムードは出し切れなかっただろう。ヒッピー系のじんぶつだけでなく自宅のプールでくつろぐようなブルジョアもふんだんに出演させるところもロスっぽい。70年代前半のヒットチャートものだけが次々流れるというわけでない。何せ「スキヤキ」まで流れてしまうのであるから。それなのにこの時代のロスが舞台とわかるような響きがある。。ニールヤングの歌が妙に映像にあっていた。胸にしみる。

(参考作品)
ザ・マスター
ポールトーマスアンダーソン監督が新興宗教教祖にスポットを与えた前作


ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
2000年代の世紀の大傑作。ダニエルデイルイスが凄い
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6月食べたもの

2015-07-02 05:43:06 | 散歩

家のアジサイは今年もきれいに咲いた。
6月もいい店にたくさん行った。振り返ってみる。


吉祥寺のタコライスがおいしかった。


築地の高級ステーキ屋にいく
分厚い肉だ。これがうまい。




最終的にこんな感じになるようにきれいに料理人が作ってくれる。


ガーリックライスをお茶漬けのように食べるのもなかなかいい。
食べ終わったら即銀座へ直行なのでデザートは食べていない。

霞が関の中華もよかったけど、えらい人が一緒であまり写せていない。


神楽坂の料亭でたのしむ。
細い路の奥にあるゆゆしき店だ。先付けのあとお椀だ。蛤がベースになっている
今まで食べていないようなおいしいものだ。


お造り
きれいに切ってある大根の上にお造りがのっている。


煮物で蕪と一緒に伊勢エビが出てくる。和食なのに香港で食べるエビのようだ。


焼き物はかます


揚げ物写しそこないのあとステーキもあるよ


締めのご飯もうまい。ここでも次の店にいくのでデザートは食べられない。
神楽坂の夜を謳歌

付録
二郎ラーメン
普通盛り、昔式にいうと「小ブタ野菜辛め」


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映画「きみはいい子」 呉美保&高良健吾&尾野真千子

2015-07-01 19:53:37 | 映画(日本 2015年以降)
映画「きみはいい子」を映画館で見てきました。


自分にとって昨年ベストの「そこのみにて光り輝く」の呉美保監督の最新作なので、見に行くしかない。子供への虐待、学級崩壊、痴呆症、自閉症などテーマは多岐にわたっている。前作の出来からみて、期待感をもって見たが、映画の構成はちぐはぐな印象をもった。それでも印象に残る場面は多く、主演の高良健吾、尾野真千子2人の演技は悪くない。それよりも呉美保監督の前作に引き続き出演の池脇千鶴が色あせた主婦を演じていたのが印象に残る。一作ごとにいい役者になっているように見える。

岡野(高良健吾)は、桜ヶ丘小学校4年2組を受けもつ新米教師。まじめだが優柔不断で、問題に真っ正面から向き合えない性格ゆえか、児童たちはなかなか岡野の言うことをきいてくれず、恋人との仲もあいまいだ。


雅美(尾野真千子)は、夫が海外に単身赴任中のため3歳の娘・あやねとふたり暮らし。ママ友らに見せる笑顔の陰で、雅美は自宅でたびたびあやねに手をあげ、自身も幼い頃親に暴力を振るわれていた過去をもっている。
あきこ(喜多道枝)は、小学校へと続く坂道の家にひとりで暮らす老人。買い物に行ったスーパーでお金を払わずに店を出たことを店員の櫻井(富田靖子)にとがめられ、認知症が始まったのかと不安な日々をすごしている。
とあるひとつの町で、それぞれに暮らす彼らはさまざまな局面で交差しながら、思いがけない「出会い」と「気づき」によって、新たな一歩を踏み出すことになる―。(作品情報より)

いくつかの逸話を同時進行で語っていく。
どちらかというと、長まわしで情感を高めるのが呉美保監督の得意技だが、いくつもの話を組み合わせているので接続の仕方がもう一歩でちぐはぐに見える。ただ、いくつか印象に残るシーンがあった。ネタばれありなので注意

1.尾野真千子の幼児虐待
これには驚く。どうでもいいことなのに母親である尾野真千子が娘に対して完全に切れる。子供をこれでもかこれでもかと殴りまくる。長まわし得意の呉美保監督は1回や2回ひっぱたくのを見せるだけでは止めない。時間をかけてひっぱたくのを映しだす。いい加減やめろよといいたくなるくらいだ。尾野真千子もまさか本当にたたいているわけじゃないだろうと思っていたら、どうやら自分の手をぶっていたらしい。それにしてもあれだけ叩いたら痛いだろうなあ。


2.池脇千鶴が抱きしめるシーン
ママ友池脇千鶴の子供は男の子でいうことをきかずに暴れまわる。そんな子供と尾野真千子の娘が池脇の家で遊んでいる時に、娘が誤ってボールをおもちゃのバットで打ったら尾野のコーヒーカップを直撃し、割れてしまう。娘はにらまれ、これからまた母親にひっぱたかれるんじゃないかと泣いてしまう。今にも娘をたたこうとしたときに池脇千鶴尾野真千子を抱きしめる。
この映画の一番のクライマックスである。これには感動した。館内ですすり泣く声が響く。
「あなたも小さい頃親に虐待されていたんでしょ」「私も同じだったのよ」と池脇に言われ、腕にあるタバコの跡を指さされる。思わず泣いてしまう尾野だ。そして涙が尾野の目からこぼれおちる。演技とはいえ情感こもっているんだろうなあ。


3.難しい宿題
高良健吾は子供が言うこと聞いてくれないのに加えて、母親からのクレーム電話が次から次にかかってきて嫌気がさしている。そんな高良を慰めるように甥が抱きついてきた。彼は安らぐ。
それで、高良は子供たちに宿題をだす。「家族に抱きしめられてもらうこと」難しいと言って出した宿題にたいして、生徒たちが答える。子供たちが答える言葉って妙に自然で素直だ。これだけは実際に父親や母親から抱いてもらった感想を素直に答えているように見える。一種のドキュメンタリー的な感覚だ。このあたりの持っていき方は絶妙にうまい。

こんな感じで印象に残る場面は多い。
どうやら坂の多い小樽で撮影したようだけど、ロケ地選択はなかなかうまい。

(参考作品)
そこのみにて光輝く
呉美保監督による絶妙なムード作り
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