映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「泣く子はいねぇが」仲野大賀&吉岡里帆

2021-03-28 21:33:30 | 映画(日本 2019年以降)
映画「泣く子はいねぇが」は2020年の作品

泣く子はいねぇが」はここに来て活躍が目立つ仲野大賀主演の映画である。Netflixで時間潰しのつもりでみたが、予想よりもおもしろい。子供の成長を願って、鬼に扮した男たちが幼児のもとを夜歩き回る「ナマハゲ」の伝統行事で大失態を犯して、田舎を追われて東京にいた主人公が地元に戻って穴埋めをしようともがく顛末である。みじめな男の物語なんだけど、そのみじめさに妙に感情流入してしまうのだ。


年末大晦日になると、TVのニュースで毎年恒例の「ナマハゲ」行事が映っているのは何気なく見ていて知っていた。小さい頃は、泣き止まぬ子どもを鬼が脅かすのをTVで見て、うちにだけは来て欲しくないなあと思ったなあ。そんな伝統行事が代々行われている秋田の男鹿という町がある。行ったことはない。


たすく(仲野大賀)は、娘が生まれ喜びの中にいた。一方、妻・ことね(吉岡里帆)は、子供じみて、父になる覚悟が見えないたすくに苛立っていた。大晦日の夜、たすくはことねに「酒を飲まずに早く帰る」と約束を交わし、地元の伝統行事「ナマハゲ」に例年通り参加する。しかし結果、酒を断ることができずに泥酔したたすくは、溜め込んだ鬱憤を晴らすように「ナマハゲ」の面をつけたまま全裸で男鹿の街へ走り出す。そしてその姿をテレビで全国放送されてしまうのだった。


それから2年の月日が流れ、たすくは東京にいた。ことねには愛想をつかされ、地元にも到底いられず、逃げるように上京したものの、そこにも居場所は見つからず、くすぶった生活を送っていた。そんな矢先、親友の志波からことねの近況を聞く。ことねと娘への強い想いを再認識したたすくは、地元に戻る決意をする。だが、現実はそう容易いものではなかった。(作品情報引用)

⒈シングルアゲイン
仲野大賀演じる主人公は、美人の奥さんにも恵まれ、可愛い赤ちゃんが生まれた。そもそもだけど、まだ子供が生まれたばかりなのに、実際裸で失態をしてしまっただけで、離婚するのかなあ?というツッコミはある。とはいうもののそれが前提のストーリーだから仕方ない。

今のご時世、カッコ良くて頭もいいという男だけがモテるわけでもない。周囲の若い男たちを見ていても良くわかる。この仲野大賀が演じるやさしそうなホンワカムードの男の方がむしろモテるんじゃないかな?であるから、映画の中でも若い女の子が気がついてみたら主人公のアパートに転がり込んできて誘惑されるなんてシーンすらあるのだ。

それにしても、元妻に未練たらたらである。キャバ嬢になっていると聞いて、そこへ行ったりもするのだ。そういうみじめったらしい部分にちょっと共感を覚える。

⒉仕事のない田舎
東京に行ったけど、自分の居場所がなく、もう故郷に一度戻ってくる。かなりの敗北感を持っての帰還であろう。もともと実家は製材所を営んでいたようだ。工場の気配をそのまま残している。でも、兄貴もやる気がない。

実家に戻ってきたとき余貴美子演じるお母さんが暖かく迎えてくれる。こんなシーンがいいなあ。お母さんは地元の水族館の前でアイスクリームを売ったりしている。同じようにアイスクリーム売っているおばさんたちの運び役を主人公は任されるのだ。


役場に行って職の希望を言うと、柳葉敏郎演じるナマハゲの保存委員長のような奴に何でお前戻ってきたんだとなじられる。祭りの日に裸になるやつなんて他にもいると思うんだよなあ。みじめだなあ。また、そこで同情してしまう。

⒊妻の再婚
いちばん哀しいのは妻の再婚話だな。勤めているキャバクラを探しあてて、突撃するのだ。でも、白い眼でしか見られない。娘にも合わせてくれない。しまいには、再婚するんだと言われてしまう。

正直、前夫との子供がいる女って再婚はなかなか厳しい部分があるのは事実。吉岡里帆くらい可愛いと別なんだろうけどね。だからセリフを聞いて、そう言っているだけだと思ったら、本当に再婚するんだ。

しかし、ここで主人公は一世一代の勝負にでる。
これはネタバレだから言えないが、心から応援したい気になった。映画の後味は悪くない。
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映画「ノマドランド」フランシスマクドーマンド

2021-03-27 19:19:32 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「ノマドランド」を映画館で観てきました。

オスカー主演女優賞を2度受賞しているフランシスマクドーマンドの新作である。前評判は高く、ベネチア映画祭とトロント映画祭で作品賞を受賞している。夫であるコーエン兄弟の作品をはじめとして自分には相性の良い女優である。必見と思い、映画館に向かう。


ここでは、夫をなくして1人になった女がキャンピングカーで車上生活を続けるロードムービーである。実際にノマド生活をする人たちが多数出演し,ドキュメンタリー的な色彩も強い。フランシスマクドーマンドは演技を超越した演技である。ちょっと老けたなぁ。ただ,期待したほどの面白みはなかった。

ネバダ州の町、エンパイアが不況により採掘所が閉鎖されて、町そのものが消滅する。仕事と住居を同時に失った60代のファーン(フランシス・マクドーマンド)は、亡き夫の思い出を詰め込んだキャンピングカーに乗り、車上生活をする。

生活費を稼ぐために、Amazon配送センターや国立公園のスタッフなど、季節労働の現場を渡り歩く。同じようにノマド(遊牧民)として生きる人たちと各地で出会い触れ合う。さまざまなトラブルにも遭遇しながら、自由に生きる道を進んでいく。


1.車上生活
車上生活といっても,車を止めるところを探すのも一苦労だ。そこには,同じように車上生活をしている仲間たちがいる。いろんな地方を渡り歩きながら,再会する人も多い。一緒に暮らさないかと言ってくれる人も多い。でも,迷いながらも1人で暮らす道を選ぶ。そういう苦悩もいろんなところで見せてくれる。意外にも,アマゾンの配送センターやハンバーグレストランの裏方など季節労働の職が方々に色々とあるのに驚いた。


夕陽を見せるシーンが多い。どれもこれもきれいだ。クロエ・ジャオ監督はロケハンティングに成功している。

2.フランシスマクドーマンド
「スリービルボード」は傑作であった。ちょっと性格が悪いいやな女だった。「あの頃ペニーレインと」での主人公の母親役が子供にも他人にも厳しい人でやっぱりいやな女で、こういう役柄に力量を発揮する気がする。ジョエル・コーエンが夫なので一連のコーエン兄弟映画には常連のように出演しているが、むしろそれ以外の作品で力量を発揮していると自分は思う。


この映画の役柄でも、ノマド的放浪がクローズアップされるが、性格は決して良いとは言えない。やっぱり普通じゃない。そんな主人公の気持ちに同化することはなかった。ある意味、こういう変人はフランシスマクドーマンドの得意技なのかもしれない。
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映画「まともじゃないのは君も一緒」成田凌&清原果耶

2021-03-25 22:43:51 | 映画(日本 2019年以降)
映画「まともじゃないのは君も一緒」を映画館で観てきました。

気になるラブコメディだった。結果観て良かった。


「まともじゃないのは君も一緒」の脚本の高田亮は自分が好きなレベルの高い作品さよなら渓谷」「そこのみにて光り輝く」「オーバーフェンスの脚本を担当している。いずれも近年の日本映画を代表する傑作である。登場人物のキャラクターもなんか面白そう。映画館に向かう。

世間ズレした予備校数学教師が話がかみ合わない個別指導の女子高校生に恋愛指南を受け、女子高校生が憧れる有名人の彼女に接近していく話である。話自体は単純である。ストーリーに意外性もない。でも、おもしろい。主人公2人のキャラクターに嫌味がないせいだろうか?TVのトレンディドラマでも作れそうな作品だけど、1時間半に簡潔にまとめたのも好感が持てる。

18歳の高校生香住(清原果耶)は、個別指導の予備校で数学一筋でコミュニケーション能力ゼロの予備校講師大野(成田凌)の指導を受けている。授業内容から脱線すると、2人の会話は全くかみ合わない。大野は世間ズレしていて、女性には縁がない。かっこいいので大野に憧れる女子予備校生はいるけど、どう付き合っていいのかわからない。香住が話を聞いて呆れている。


一方の香住も口は達者でませているけど、恋愛経験はない。そんな香住は自己啓発セミナーで未来を語る青年実業家宮本(小泉孝太郎)に憧れている。積極的な香住は宮本にアプローチを試みるが、宮本には美奈子(泉里香)という彼女がいることが判明する。すると、香住は宮本と美奈子を別れさせようと、大野への恋愛指南の一環で、大野から美奈子を口説くように作戦を立て実行に移すのであるが。。。

香住の作戦はかなり強引で絶対にうまくいくはずがないと思っていた。でも、予想に反して、素朴な大野に美奈子も惹かれる。普通の会話ができるようになっていく大野の姿に、香住は彼氏がとられてしまうような気持ちが沸き、複雑な感情を抱くのである。ジャンルはラブコメディというべきであろうか?ウディアレンの映画のタッチが近い気がする。

⒈清原果耶
すごくかわいいんだけど、実はあまりよくは知らない。背も高すぎず男好きがする。庶民性がある雰囲気を持った女の子だ。このセリフを難なくこなせるのはかなり賢い。大物になる予感がある。

女子の同級生の輪に入っても人の陰口ばかり叩いている仲間に馴染めない。自己啓発セミナーのカリスマのような男に高校生で憧れて、しかも積極的にアプローチするませた女の子っているのかな?と思ってしまうが、会社でもいい男を見つけるとここぞとばかり積極的な若手女子社員っているから何となくわかる。同期の実家のスナックに行って、酔客を相手に恋の愚痴を言ったり、カラオケで歌いまくるシーンがいい感じだ。


ここでは清原の両親役がいない。普通だったら受験生はこんなに夜出歩いたりしないよね。いちいち両親がいるシーンを映し出したら不用意に長くなるだけ。これはこれで映画を簡潔に求める巧みな要素となっている。

⒉成田凌
さよならくちびる」のマネジャー役が自分としていい感じだった。恋愛映画系ではもう常連になりつつある。

村上春樹の「1Q 84」の主人公が予備校の数学教師だったのをふと連想した。そういえば17歳の主人公に対峙する天才小説家の少女が登場する。あの主人公は、年上女とやりまくったりして女と付き合えるが、この男は女性との会話がトンチンカンな方向に進む。恋愛には不器用だが、かっこいいので女からは好かれる。でも恋愛の空気が全く読めない。香住の指示には素直に従う。


本当は数学を極めたいけど、周囲にもっと頭の良い奴がいるから予備校の教師になっちゃったと言っている。理系の一歩頭が抜けたやつにぼーっとした奴いるけど、どこかの時点で周囲の影響を受けて垢抜けたりするけどね。

自分が受験生時代は、今も受験界で活躍する長岡亮介が数学を教えていた。切れ味が鋭かった。当時はまだ30代になるくらいでカッコ良く、周囲には美人の女性予備校生と付き合っているなんて噂があったな。その後数学者として著名になった秋山仁が常に意識してたっけ。

⒊小泉孝太郎
小泉純一郎が首相の頃にデビューしたので、ずいぶんと経つけど、主演を張るという俳優にはならない。今回の青年実業家で、自己啓発セミナーで教祖的存在という役柄は適役のような気がする。キャスティングには成功している。ホテル事業の経営者の娘が彼女で、父親ともビジネスでも一緒という設定はコロナ前なら十分セレブだったなあ。さすがに、コロナ後に撮影するならホテル業がえらい目にあっているので、この設定がないかもしれない。


あと、気づいたんだけど、苗字が宮本だ。これって小泉孝太郎の実母の苗字と同じだ。実母も講演とかするけど、機関銃のようにしゃべりまくる女だ。離れているけど、もしかして意識しているのかな?

⒋ウディアレン映画のタッチ
舶来のラブコメディ映画は日本人には人気がない。アメリカで興行収入が高くてもDVDスルーになることすらある。その中でも、ウディアレン作品は別格だ。最近は何かと問題あり風当たりが強いけど、安定しておもしろい。この映画はそれに通じる。あと、ウディアレン作品には欠かせないドリーショット的移動撮影がここでも多用されている。


すなわち、成田凌と清原が歩きながら会話するのを後ろに引き込むようにカメラが長回しするのだ。柳ジョージの歌にも出てくる横浜元町の石畳の坂を2人でしゃべりながら降りていく姿を長回しで映し出すショットはアニーホールの頃からのウディアレンの得意技と同様だ。アレンの映画には毎回この手法のショットがある。


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映画「恋文」森雅之&久我美子&田中絹代

2021-03-24 18:27:49 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「恋文」を名画座で観てきました。

映画「恋文」は昭和28年の田中絹代初監督の新東宝映画である。名画座の森雅之特集の作品では「恋文」も注目していた。
渋谷の109ビルを東急本店に向かって行った途中に、恋文横丁と看板が書かれているエリアがあった。109のビルとくじら屋を過ぎると、薬局があった。今や、都市開発で整理されヤマダ電機が入ったビルが建ちわからなくなった。その恋文横丁あたりが舞台になる映画であれば、観るしかない。


丹羽文雄の原作「恋人」を木下恵介が脚色した作品で田中絹代がメガホンを持つ。確信はないが、このエリアを恋文横丁と呼ぶようになったのも、丹羽の小説とこの映画の影響ではないか。

復員後5年たって細々と翻訳で生計を立てていた男が、本国に帰還した米軍兵に想いを寄せた女たちの英文手紙を代筆するようになる。すると、男が好きだった女性が米軍兵の手紙を書くために来て狼狽するという話である。朝鮮戦争終了が昭和28年、サンフランシスコ条約後も米軍兵は相当数日本にいたのであろう。

ここでは、昭和28年の渋谷が映される。舞台の中心は109ビルの裏手にあった雑然とした三角州地帯である。地形は今も昔も同じだ。当時のハチ公前広場や電車乗り場が次々と映る。渋谷の原風景を見るだけでも価値がある。田中絹代が監督するだけあって、ご祝儀の意味を持つのか出演者は豪華である。月丘夢路や三原葉子、日生のおばさん中北千枝子などがパンパンを演じるとともに田中絹代監督自ら中年のパンパンになり切る。凄い貫禄だ。


やる気を失った復員兵と夫を失い米軍兵に身を任せていた過去を持つ女を中心にドラマを組み立てる。この恋物語という設定自体が昭和20年代の世相を象徴している気がする。

礼吉(森雅之)は兵学校を出たエリート士官であった。戦後復員してからは弟洋と一緒に同居して翻訳料で細々と暮らしている。弟は古本をブローカーのように動かし、一儲けしている。その礼吉が渋谷のハチ公前でばったり旧友の山路(宇野重吉)に会った。山路は渋谷駅西口の三角地帯の一角で、パンパンから依頼を受けて米軍兵に英語で恋文を書く代書屋をやっていた。


定職につかず弟に世話になっていた礼吉は、英語力を活かして山路と一緒にパンパンたちの代理で手紙を書くようになる。そんなある時、礼吉が店の控え室で休んでいると、仕切りを隔てて聞こえてきた山路が接客している女の声に聞き覚えがあった。最愛の女性道子(久我美子)の声ではないかと、店から帰った後で懸命に渋谷駅付近を追う。道子は結婚していたが、死に別れたと聞いていた。やっとの思いで会えて再会を喜ぶ。しかし、他の米軍兵相手の娼婦たちと同じように落ちぶれてしまったのかと落胆して、山路が道子を責めるのであるが。。。

⒈昭和28年の渋谷
自分が生まれる前の渋谷である。ここ数年渋谷駅周辺の地域開発が進んで新しいビルが数多く建った。映画が始まりいきなりタクシーから下車している弟がいる場所は、坂の上からガードが見えるので宮益坂付近に思える。スクランブル交差点のすぐ横の三千里薬局は映像でその看板を見せる。よく頑張っているね。


父に連れられ渋谷に行くようになった昭和40年代前半西武百貨店のところには映画館があった。センター街には夜でも黒いサングラスをした男たちがいて子供心に怖かった。今の109ビル横に長らく残っていたくじら屋には父とよく行った。あとはロシア料理のサモワールはもう少し先にあったが、大人になっても行った。

実家の家業に絡んで、祖父がこの辺りの仕事をやったと50年以上前に父が言っていた言葉が今だに脳裏に強く残る。祖父が亡くなって52年経つ。何でここが恋文横丁となっているのか??、少年時代から謎だったがようやくこの歳になって謎が解けた。

映画ではすずらん横丁ということで出ている。いろいろ調べると、映画の後に名前が変わっているようだ。恋文横丁でGoogle検索すると興味深いサイトがいくつもあり、参考になった。

⒉本のブローカーの弟
弟は兄の食い扶持を探して、翻訳の仕事を持ってくるが、元々は「せどり」というべき古本のブローカーである。香川京子が店の看板娘の古書店から本を仕入れて他に転売して利鞘を稼いでいる。米軍兵と付き合っているパンパンたちは、手にしたvogueなどの洋雑誌を香川京子の店へ持ち込んで換金している。それを弟が買い取って、洋風文化に関心ある紳士に売り込むのだ。しかも、弟はメイン通りの店玄関横に陣とっている。


中古品というのは、値段は自由に付けられ貴重品であれば高値で売れる。今でも同じだ。メルカリやアマゾンマーケットプライスの前近代的なビジネスの姿を映し出していて興味深い。

⒊現代との意識の差
昭和20年代の映画には、生活するために自らを売らざるを得なかった女たちの姿を映すものが多い。先日観た我が生涯のかゞやける日でも山口淑子が銀座の女給を演じていたし、田中絹代が演じた溝口健二監督「夜の女たち小津安二郎監督「風の中の牝鶏」もその手の作品だ。


ここでは落ちぶれた久我美子森雅之がなじる場面がある。2人がいるのはたぶん明治神宮の鳥居付近の映像だと思う。人気はない。人を非難する権利はないのに何でこんなに怒るのかと思ってしまう。でも、昭和20年代にはこういうシーン多いんだよな。男女差別の話は最近至る所で言われるけど、戦前をひきづる頃に比較すると、マシになった方だと思うけどね。
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映画「ファイブブラッズ」スパイク・リー

2021-03-23 10:47:45 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ファイブブラッズ」はスパイクリー監督によるNetflix映画

黒人人種差別に対するメッセージが強い監督だけにおおよそ内容が想像される。それでもメジャー監督作品なので、思わず観てしまう。ベトナム戦争の黒人帰還兵4人がサイゴン(ホーチミン市)に集合して、主戦場だった山奥のジャングルに向かい従軍中に見つけた金槐を取り出して一儲けしようとする顛末だ。


アメリカの黒人比率は11%なのに、ベトナム戦争に出征した軍隊の黒人比率は32%だったという台詞がある。黒人が最前線に行かされていたのは間違いない。自分が小学校の頃、最強のヘビー級チャンピオンであるカシアスクレイ(モハメド・アリ)が従軍拒否をしたのが子供心に記憶に残る。そんなシーンも出てくる。正直、何でアメリカがベトナム戦争に関わるのか我々日本の子供は誰も意味がわからず、大人になってからも納得させられる理由に出会っていない。

米軍が制空権を制して、爆撃を繰り返してもベトコンのゲリラ戦には米軍は難儀したものだ。ベトナム戦争に加わった米軍兵士も大義名分がなく、厭戦でやる気も失せるだろう。そんな戦争の途中で偶然金塊に出会った兵士たちのハンフリーボガードの映画「黄金」ばりの物語だ。スパイクリー監督だけに人種差別も含めた社会問題をかなり盛っている映画である。

アフリカ系アメリカ人のベトナム帰還兵、ポール(デルロイ・リンドー)、オーティス(クラーク・ピータース)、エディ(ノーム・ルイス)、メルヴィン(イザイア・ウィットロック・Jr)が、45年ぶりに久々サイゴンで再会する。現代のサイゴンは近代化している。

戦地で銃弾に倒れたノーマン隊長(チャドウィック・ボーズマン)の遺骨を回収するとともに、戦争中のどさくさで見つけて、終戦後に取りにこようと土の中に埋めた金塊を探し出すことだった。PTSDに苦しむポールを心配した息子のデイヴィッドも加わり、5人は戦地へと向かう。


川の上流に向かい、ラオスの山奥に入る。見覚えのある地形で遺骨を懸命に探そうとする。金塊の換金で裏社会のボス(ジャンレノ)に相談をしたこともあり、5人が金槐を探している情報が既に出回っていた。しかも、周囲は旧ベトコンが地雷をあちらこちらに埋め込んでいる。そんな危険なエリアにきて、地雷が爆発したり、お互いに疑心暗鬼となり仲違いしたり敵味方入り乱れていくのであるが。。。


⒈スパイクリー
スパイクリーの映画では完全に白人は敵だ。前作「ブラッククラウズマン」では白人至上主義の団体をオーバーに登場させたりしていた。ここでも、相変わらず過激な白人批判が飛び交う。ドキュメンタリー映像も黒人に都合の良い映像ばかりである。時代が70〜80年代くらいならわかるけど、キング牧師が亡くなってから半世紀以上経って状況は違うと思うんだけどね。でも、このくらい白黒ハッキリする方が映画の構造としてはメリハリがつくかもしれない。


正直途中でストーリーは訳が分からなくなる。4人のうちの1人ポールベトナム戦争で心に傷を負ったPTSDで、敵味方が入り乱れてからはアレ?どうだったけ?

⒉ソウルフルなムード
音楽のセンスは抜群だ。旧サイゴンでソウルフルな曲が流れるダンスフロアのあるディスコ(クラブ)に4人が連んで入るシーンがある。歳をとっていてもかっこいいよね。ボートに乗って戦地に向かうときには、「地獄の黙示録」で流れたワグナーだ。いざ出陣という勢いがつく。マービンゲイの曲『Inner City Blues』や『What’s Going On』が効果的に使われるのもいい感じだ。いつも何気なく聴いているけど、結構歌詞は凄いこと言っているんだよね。


⒊ホーチミン(サイゴン)
今から6年前にホーチミン市に行った。活気のある街だ。旧フランス領だったというのを偲ばせる洋風の建物が高層ビルが立ち並ぶ一角に建つ。この映画でも一部出てくる。その中を大量のバイクが滑走する。TVでよく見るこの光景も身近で見ると圧倒される。信号が割と少なくて、バイクが走る中横断するのに難儀した。

ベトナムの後にクアラルンプールとシンガポールに行ったけど、シンガポールは日本より物価は明らかに高くてホーチミンが物価は一番安かった。それでも、一昔前とは考えられないくらいに発展しているのを実感した。自分が大学生の頃は、東南アジアと対等な交易ができるように経済を発展させようと教授が話していた。今やどっちが上だかわからないくらいだ。

この映画では、その昔戦ったベトコン戦士と黒人退役兵たちがバーで出会うシーンがある。もうわだかまりがない。それは実感として感じるものがあった。
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映画「コロンバス」

2021-03-21 19:12:54 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「コロンバス」は2017年のアメリカ映画

久々のDVDレンタル屋で漁っているうちに見つけた作品。日本公開は2020年3月だったようで、コロナ禍まったく気づかなかった。モダニズム建築が多く建てられているコロンバスが舞台という紹介で、みてみたい気になる。そもそもコロンバスという街のことは正直知らなかった。インディアナ州にある人口4万人ほどの小さな街だ。この位置だと、たぶん一生行くことはないだろう。


期待通りで、映像に映るコロンバスの街にある建築作品はどれもこれも素晴らしい。メガホンをとったコゴナダも建築が好きなんだろう。ガラスが全面に貼られているモダニズム建築のだけでなく、レンガ貼りのアメリカっぽい建物もいい感じだ。いい建物をピックアップしている。


建築の専門家でもアメリカのど真ん中にあるコロンバスには行ったことある人は少ないだろう。ニューヨークで名建築巡りをしたり、シカゴでFLライトの建物が数多く建つオークパークに行ったことはあるが、それらに比較しても劣らない。

First Christian ChurchとNorth Christian Churchの両方の教会は何度も映像に映るが素晴らしい。目の保養になった。


建築学者の父が倒れたという報を受け、韓国に移住していた息子のジン(ジョン・チョー)はアメリカインディア州の小さな街コロンバスを訪れる。父との確執もありこの街に留まることを厭うジンが出会ったのは、夢を諦め母の看病を理由にこの街に留まる図書館員のケイシー(ヘイリー・ル・リチャードソン)。
どこまでも対照的な二人の運命が交錯し、建築を巡り、語ることで、それぞれの新しい人生に向かって歩き出す…。

ストーリーは正直何が何だかよく分からない。地元の図書館員であるケイシーはいかにもハリウッド女優というような派手さは皆無で、庶民的な感じが好感持てる。もともと近い存在だったボーイフレンドがいたにもかかわらず、ふとしたことで知り合ったコリア系のジンに惹かれて一気に近づいていく。


母親の看病で地元を出られないケイシーは建物巡りのガイドも志す。有名建築家の息子だというジンを引き連れて建物を巡っていく。父親が名建築家という素性に反発する人生を送ってきたというジン自体はそんなに建築は好きではない。しかも、性格もわるい。個人的にはこういう奴は付き合いたくないタイプの男だ。


それでも素敵な建物やインテリアを目の前にして2人が自分の好き嫌いをお互い語り合うのがいい感じだ。気の利いたカフェでBGM的な感じで映像を流すんであればいいんじゃないかな。
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映画「アルプススタンドのはしの方」

2021-03-21 06:56:29 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「アルプススタンドのはしの方」は2020年の日本映画

先日、キネマ旬報ベスト10と映画芸術のベスト10の両方に入っている作品はいい作品が多いということで37セカンズを取り上げた。いい作品だった。「アルプススタンドのはしの方」キネマ旬報で10位、映画芸術で3位となっている。Netflixの影響でDVDレンタルに遠ざかっていたが、久々レンタルしてみる。

「アルプススタンドのはしの方」はまさに甲子園に出場した高校の応援席の片隅で繰り広げられる野球がわかっていない女の子たちのちぐはぐな会話とスクールカーストの中で彷徨っている高校生の姿を映し出している。元々は演劇の題材で作られた物語である。練りに練られた感はないけど、高校生の時こんなこと考えていたかな?と自分を振り返ってみるいい機会をつくってくれる。


高校野球のアルプススタンドの応援席の片隅に。2人の演劇部員、安田(小野莉奈)と田宮(西本まりん)が座って試合の行方を見守っている。野球のルールを知らないので、グラウンドで行われている一部始終にトンチンカンなことを言い合っている。そこに遅れてやって来た元野球部の藤野(石原壮馬)に野球部の裏話を聞いたりしている。
そしてぽつんと一人いるのは、帰宅部の常に学年トップの成績優秀女子・宮下(中村守里)。彼女は、吹奏楽部でトランペットを吹く部長に成績学年一位の座を明け渡してしまったばかりだった。


ひたすら声を出して応援しろという英語教師の厚木先生(目次立樹)が時折現れて大騒ぎ。相手は高校野球の名門校でメジャーなスタープレイヤーがいる中で、完全劣勢にも関わらず、少しづつ展開が変わっていくのであるが。。。

⒈野球のルールを知らない女の子
われわれの小学生の頃は「巨人の星」の連続ドラマを男女問わずクラスの全員が見ていた。、TVのゴールデンタイムには巨人戦が毎日のように放送されていたから、女の子も基本的な野球のルールはわかっていた気がする。最近はプロ野球人気も落ちて、野球のルールを知らない女の子は急増しているのではないか?


TV「徹子の部屋」で野球のルールを知らない黒柳徹子に男女ともにみんな唖然としていたところを見ても、自分の仮説はある程度言えると思う。ここでの主要出演者の野球知識レベルはまさに黒柳徹子並みで男性諸氏から見るといかにも滑稽なセリフの数々である。

⒉青春の響きと野球部
高校の時に母校野球部の試合を見に行ったことはない。部室が隣同士だったにもかかわらずだ。地区大会で一回も勝てないようでは誰も関心を持たないのは無理は無い。こういった青春の響きが応援スタンドで交わされてはいない。

ところが、今や母校が異様に野球が強くなってしまい、以前は学区制だった都立高校も東京中の野球好き少年が集まるようになった。まったく違う世界になり、元の女性クラスメイトから都大会に応援に行きましょうメールが我が高校3年のクラスメーリングリストに飛び込んでくる。時代も変わったものだ。

⒊スクールカースト上位
野球のルールを知らない女の子たちの会話では,誰と誰が付き合っているとかの会話が交わされている。そこでのスクールカースト上位は野球部のスター選手である。付き合っている相手は吹奏楽部の部長,しかも今回のテストでは学年トップに浮上したという。勉強はできるんだけれどもみんなと馴染めないこれまでずっと学年トップを続けていた女の子がいる。その女の子はなかなかみんなの輪に入れない。その女の子にも焦点が当たる。


自分の高校時代の女の子の学年トップは、男性で勉強できる数人の方が常に上位であり,そこまで大げさな存在ではない。ただ,現役で東大文一に入り在学中司法試験合格で今や裁判長である。今のように女の子が東大に大勢入る時代ではなかった。牛乳瓶の底みたいなメガネをしていたけども,周囲とはそれなりに交わっていて、男性も一目置いていた。ここの女の子みたいには浮いていない。最近お気の毒に騒ぎになっているエリート女性官僚のように今やあか抜けてきた

スクールカースト上位だったのは,バスケットボールのスタープレイヤーだったのかなあ?テニス部のキャプテンと付き合ってるなんて話をここの女の子たちと同じようにみんな羨ましそうに見ていた。なかなかこういう高校のスクールカースト上位には上がれなかった人は多いんじゃないかな。自分もそのクチである。
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映画「わが生涯のかゞやける日」 森雅之&山口淑子

2021-03-16 09:04:55 | 映画(日本 昭和34年以前)
吉村公三郎監督の「我が生涯のかゞやける日」は昭和23年(1948年)の松竹映画、名画座の森雅之特集の中でも気になっていた作品である。機会がなく見れなかった作品で、山口淑子がヒロインとなる。


軍の急進派将校に殺された終戦受託派の政界大物の娘が、落ちぶれて銀座のキャバレーに職を求める。そこの用心棒は父親を殺した元軍人だったが、図らずも恋に落ちていくという顛末である。

森雅之はこの当時37才、戦後のドサクサの中きわどい仕事で生計を立てる男を演じる。クスリ中毒の禁断症状がでている。その後「羅生門」で共演する「酔いどれ天使」の三船敏郎も連想してしまう。似たような人種だ。むしろここでは、対する山口淑子のきわどいパフォーマンスが見ものである。お嬢様がキャバレーの女給になれ下がって、底辺で生き延びていこうとする姿を巧みに演じる。

昭和20年8月14日,ポツダム宣言受託の方針が決まった後で、終戦締結派の政治家戸田の自宅を陸軍急進派の将校沼崎(森雅之)が襲う。いきなり戸田を拳銃で撃っているところに、娘の節子(山口淑子)が現れる。節子は持っていた短刀で沼崎を刺すが、将校はそのまま逃げていく。

昭和23年の銀座、裏社会の顔役佐川(滝沢修)は愛国新聞という新聞社を経営すると同時にキャバレーを経営していた。そこの用心棒として、沼崎が働いていたが、クスリ中毒になっていた。佐川には情婦(逢初夢子)がいたが、新入のホステス(山口淑子)が気に入り、沼崎に縁を取り持つように指示していた。節子は利かん気が強い女で、佐川の思い通りには簡単にはいかない。それでも、元検事の兄平林(清水将夫)を雇ってくれるならという条件を出して佐川の情婦となる。

それでも、なかなか言うことを聞かない強情な節子の気を紛らわそうと沼崎が試みているうちに、節子が終戦直前に父親を殺した男を探していることがわかる。そして、あの時自分を刺した女が節子だと気づくのであるが、黙っていた。襲ったときは暗かったので気づかないのだ。気がつくと、親分の情婦でありながら、沼崎は逆に近づいていく。


そのキャバレーに1人の脚の悪い新聞記者高倉(宇野重吉)が入ってきた。高倉は沼崎の旧友だった。高倉はいずれ佐川のところに手入れが入るのではと探りに来ているようだった。佐川はいくらか記者に金を渡して、引き取ってもらうようにと平林に頼む。高倉と平林の二人は互いに見憶えがあった。平林は検事時代、自由主義者の高倉を取調べる際に拷問で苦しめていたのだ。ここで一つの葛藤が生まれるのであるが。。。

⒈山口淑子
自分はこの時期の山口淑子では昭和25年の池部良共演の「暁の脱走」、昭和26年の三船敏郎共演の「醜聞の両方を見ている。終戦後、危うく中国の非国民として罰せられそうになるのを危うく逃れてからまだ2年しか経っていない。

やがて、参議院議員とまでなる山口淑子であるが、戦前の李香蘭から日本人女優としての変貌を遂げようとする頃の作品だ。森雅之とのディープキスが当時話題になったと言う。米国の女優並みになかなか情熱的だ。「暁の脱走」での池部良へのエロい色目づかいを思い出す。

元々は家柄のいいお嬢様なのにあっという間に没落している。先輩ホステスにはむかって取っ組み合いをするシーンが場末の落ちぶれた酒場の女の争いだ。眼光も鋭く山口淑子のキャラからするとちょっと意外。

⒉劇団民藝と滝沢修の怪演
映画会社の専属俳優出演協定がある中で、劇団民藝や文学座などの俳優は昭和40年代くらいまでの戦後の映画にとっては主演というよりも脇役で欠くことができない存在だと思う。それに加えて、戦後映画の名脇役というべき三井弘次、殿山泰司といったメンバーも佐川の子分役で出ている。殿山泰司の髪の毛が黒くふさふさしているのが印象的だ。



ここでは、滝沢修、宇野重吉という民藝の主力俳優が出演している。左翼系俳優が揃い、新藤兼人が戦後民主主義をクローズアップさせる脚本を書く。怪演というべきは滝沢修である。大学教授や政財界の大物などを演じることの多いが、ここでは裏社会のボスである。これは珍しい。背中に刺青で顔に刺し傷の痕、軽いメイクをしたその顔を見て、プロレスのユセフトルコに似ているので、一瞬外国人かと思い、滝沢とはわからなかった。

⒊戦後民主主義と新聞

宇野重吉は戦前は民主派の活動家で現在は新聞記者という役柄がよく似合う。「人民」なんてアカっぽいセリフも主に宇野にしゃべらせる。この当時の方が日本の知識を形成する鋳物の型を作るという意味で新聞記者というのが知識人の象徴であろう。でも、自分を迫害する検事と対決するなんて話はちょっと大げさかな?

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映画「37セカンズ」

2021-03-07 17:46:29 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「37セカンズ」は2020年公開の日本映画

傑作である。
たぶん昨年ロードショーで見たら、間違いなく日本映画のベストと評価したであろう。情報不足を悔いた。


日本の映画賞ではキネマ旬報ベスト10が最も権威があるが、その一方で雑誌「映画芸術」のベスト10もある。脚本家の荒井晴彦の主宰する雑誌であるが、若干ひねくれていて、素直に?いかない部分もある。2020年のキネマ旬報の1位は「スパイの妻」であるが、映画芸術ではワースト1位である。確かに「スパイの妻」には途中から個人的にはアレ?ちょっと疑問と思う部分も多々あり、ある程度言えている部分もあると考える。

そういう対比するベスト10の中で、両方の雑誌でベスト10に入る作品は、これまでも自分も支持する素直に良くできた作品であることが多い。「37セカンズ」キネマ旬報6位で映画芸術2位となりその類の作品である。

名画座で観るチャンスを逃しているなと思ったところ、Netflixのラインナップに入ってきた。これはラッキーと思い見てみるとこれが実に良かった。気がつくと、我が涙腺を激しく刺激していた。ここまで自宅で泣ける映画は少ない。


脳性麻痺の障害を持ち、車椅子生活を送る主人公貴田ユマ(佳山明)は売れっ子漫画家の実質ゴーストライターというべきアシスタントをしている。独立して漫画家になることを夢見るが、雑誌社にエロ漫画を描こうとすると実体験がないと言われ、体験すべく夜の街を徘徊して右往左往するという話である。最初は障がい者のセックスが題材だけの映画に見えた。でも、そんな浅はかな映画ではなかった。奥が深い。思わず主人公を応援したくなるストーリー展開で、胸にしみるシーンがたくさん用意されている。

⒈エロ漫画への道と探究心
ミーハーなルックスで人気漫画家になっているサヤカのアシスタントになっているが、実際にはゴーストライターのようなものである。サヤカは自分一人で描いていると公表しているのがウソ。サイン会に主人公ユマが寄っても素っ気ない。それでも、漫画家を夢見て、サヤカに出入りの雑誌社の編集者に売り込むが相手にされない。そこで、自分で電話してエロ漫画の雑誌社に向かい、編集長(板谷由夏)に会う。


作品はいいが、リアル感がないと言われ、当然実体験がないユマはガッカリ。ここから自力で動き始める。ネット検索で、出会い系サイトで相手も探すがうまくいかない。約束をすっぽかされ、気がつくとディープな新宿の風俗街に入り込み男を買おうとするのであるが。。。


この後も妙な話が続く。なんか悲しい。これだけでは障害者セックスのつらさを訴える映画に見えるがそれだけではない。たまたま、夜の世界で1人のホテトル嬢(渡辺真起子)と知り合う。それが意外なつながりができていくのだ。ネットワーク理論はやっぱり言えている。

⒉母親からの自立心
娘が障がい者になった母親(神野三鈴)の苦しみはよくわかる。外から見たら、過保護に見えるが、実際にその立場になると例外なくそうなっていくのは何人も見てきた。でも、娘から見たらやっぱり過保護なのだ。お風呂も一緒に入ってという生活を23才になるまでずっとしているが、本人からしてみると自立心があるし、自分でできるのである。他の人には逆らえることができなくても、身内の母親には逆らう場面も出てくる。お母さんがこうだからお父さんが出て行ったという一言がキツい。


夜の新宿に1人車椅子で飛び出して、たまたま知り合って仲良くなった仲間と大はしゃぎ。家では母親が心配という構図である。

自分のように長く人生を生きていると、似たようなケースを身近に見ることもある。それなので、人ごとに見れない。しかも、この映画は偶然が偶然を呼び思いがけない展開になっていく。それがまた泣けてくる。母親役も好演。意図的でなく、明らかに演技を超越した実感がこもった涙を見せていてこちらも泣けてきた。

それでも、障がい者の映画という暗さでない後味の良さが得られた。必見であろう。


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映画「女妖」山本富士子&船越英二&三隅研次

2021-03-07 08:31:34 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「女妖」を名画座で観てきました。


「女妖」は昭和35年(1960年)の大映映画だ。名画座の三隅研次特集で初めて出会う映画である。売れっ子作家をめぐる3つの独立したストーリーが描かれるオムニバス形式である。京マチ子、山本富士子、若尾文子という当時の大映看板女優で制作した女経はブログにもアップしているが、なかなか面白い。似たような題名の「女妖」にも惹かれて映画館に向かう。3人の美人女優ということでは同じだが、男性側は売れっ子作家の船越英二1人である。

浅草六区で雑誌社のカメラマンに写真を撮られた山本富士子が写る記事を売れっ子作家の船越英二が見つける。雑誌社に自ら名乗り出たら3万円あげるという。その彼女を雷門の側で見つけた後に地下鉄の駅で見かける。その後、船越が馴染みの寿司屋にいたら、なんと富士子が入ってきて思わず声をかける。

雑誌で写っていた方ですねというと、自ら名乗り出るつもりはないという。そんな富士子と昼から飲んで意気投合し、深夜まで2人ではしご酒、そのままホテル直行する。しかし、そんな富士子の姿を街のチンピラがずっと追いかけている。やがて、夜半に外で音がすると、ヤクザの組長の高松英郎が撃たれホテルに飛び込んでくるのであるが。。。

箱根のロープウェイで売れっ子作家の船越英二は、鮮やかな黄色のワンピースに身を包んだ野添ひとみに声をかけられる。船越が作家だという身分を知った上で、ちょっかい出してくる。美人なのでついつい気が緩み、熱海に連れて行こうとするが連絡先だけ教えてその場を立ち去る。

その後、ひとみから手紙をもらい高井戸のアパートに行くが、ボロアパートであった。色目を使う野添に船越は抱きつこうとすると、自分は結核だと言って咳き込む。船越はこれで病院に行きなさいと小遣い銭を渡すが、もう先がないと薬を飲んで自殺未遂をする。慌てて救急車を呼ぶのであるが。。。


売れっ子作家の船越英二は、グランドキャバレーに行き、ホステス叶順子を探しに行く。その後、本人が船越の自宅にひょっこり現れる。お父さんでしょと順子が言う。戦前、上海にいたときに船越が付き合った女性がいた。戦中ということもあり別れたが、どうやら彼女との間にできた娘のようだ。母親はすでに亡くなっている。順子が母親の写真を見せると、本人に間違いない。船越は喜び、ご馳走したり一緒に日光に行ったりするのであるが。。。


⒈三隅研次監督
座頭市や眠狂四郎シリーズ、大菩薩峠などの大映時代劇でメガホンをとっている。大映の時代劇は、独特のムーディーな感じの照明効果を持つ夜の描写が自分のお気に入りだ。その中でも三隅は、市川雷蔵の妖気じみた雰囲気を出すのが天下一品である。そんな三隅研次には珍しい現代劇というなら気になって仕方ない。

誰もが、三隅研次の職人的腕前を知っているので、大映倒産後も映画版「子連れ狼」でメガホンをとっていたが、早く亡くなっているのは残念

⒉3人の美人女優
女経でも山本富士子船越英二とコンビを組んでいる。今のご時世、女は魔物なんていうものなら、女性蔑視でとんでもないパッシングを受ける。でも、1960年代に入るくらいは、生きていくのに精一杯の女たちが、男をたぶらかしながら生きていくという構図があるのであろう。

売れっ子作家がたまたま意気投合した美女山本富士子がヤクザの2代目だったという話、いつもながら着物のセンスが抜群に良く美しい。野添ひとみは昭和40年代も美人女優で活躍していたのでなじみがある。川口浩とのおしどり夫婦というのがむしろ売りだったかもしれない。小悪魔的ムードもあり、女詐欺師を演じるのは適役であろう。叶順子は昭和30年代には引退してしまったので、自分には縁が薄いが、いかにも人気女優らしく自由奔放なあっけらかんとした雰囲気がいい。父親が風呂に入っているのに、裸になって洗い場に入ってきて船越英二の父親が戸惑う。

⒊昭和35年の日本
昭和35年の浅草六区エリアが映る。映画館の周りに人が多い。自分が子供の頃昭和40年から50年代にかけてには浅草六区が落ちぶれていた時期がある。寂れた感じがしたものだが、ここでは往年の浅草が残る。東武浅草駅と松屋を映すが、その前の花川戸周辺の道路をトロリーバスが走る。自分が小さいときは地元五反田の近くも走っていた。逆の方向に向かうショットでは神谷バーも出てくる。

スシの折り詰めが400円、金魚すくい1回10円、連れ込みホテル泊まりで800円だ。これってイメージ10倍かな?3万円の賞金というのは今で言えば30万円ということなのか?

野添ひとみが出るシーンでは、箱根と小田原が映る。古い小田原駅が情緒ある。野添の住所が高井戸になっていて、駅が若干周囲の家より高い位置にあることから、おそらくは駅は高井戸駅で走る電車は旧型の井の頭線ではないだろうか?

叶順子と船越英二が親子だとわかって、一緒に日光に向かうシーンがある。華厳の滝と中禅寺湖畔、東照宮を映す。日光の華厳の滝自体は変わりようがない。でも、映画の大画面であの豪快な滝をアップで映すシーンって意外にないんじゃないだろうか?マリリンモンローの「ナイアガラ」もそうだが、大画面で見ると迫力があるもんだ。

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映画「春江水暖」

2021-03-03 19:39:44 | 映画(アジア)
映画「春江水暖」を映画館で観てきました。

中国現代劇の傑作である。ゆったりしたムードを満喫できた。


裏社会にもつながる現代中国を描いた作品では、「帰れない二人」「罪の手ざわり」のジャ・ジャンクー監督や「鵞鳥湖の夜」や「薄氷の殺人」のディアオ・イーナン監督の作品はいずれもハズレがない。サスペンスタッチで楽しめる。

両監督の作品と違って、映画「春江水暖」には末梢神経を刺激するようなバイオレンスシーンはない。優雅に流れる富春江に沿った風光明媚な風景を前面に映し出し、快適な気分で映画を鑑賞できた。今回グー・シャオガン監督は新人監督と聞いてこの完成度に驚く。


現代中国の都市開発に絡む立ち退き問題や中国人の母親が娘に理想の花婿を押し付けようとする中国結婚事情などはつい先日読んだ中島恵「中国人のお金の使い道」で読んだ話と共通している点が多い。

杭州市、富陽。大河、富春江が流れる。しかし今、富陽地区は再開発の只中にある。顧<グー>家の家長である母の誕生日の祝宴の夜。老いた母のもとに4人の兄弟や親戚たちが集う。その祝宴の最中に、母が脳卒中で倒れてしまう。


認知症が進み、介護が必要なった母。「黄金大飯店」という店を経営する長男、漁師を生業とする次男、男手ひとつでダウン症の息子を育て、闇社会に足を踏み入れる三男、独身生活を気ままに楽しむ四男。恋と結婚に直面する孫たち。変わりゆく世界に生きる親子三代の物語。(作品情報より)


⒈現代中国と黒社会
おばあちゃんの誕生日パーティが行われている場面からスタートする。いかにも幸せそうだ。ところが、おばあちゃんが倒れてからその4人の息子と嫁や孫たちの物語が始まる。

金を返すとか返さないとかの話が出てくる。ダウン症の男の子を抱えた男やもめの三男の借金がたまっているようだ。三男がいったん姿を消そうとして、長男がかばい、経営する中華料理店に黒社会系の男たちに乗り込まれる。いったん三男が消えた後でまたこの町に帰ってくる。ここで一気に金回りが良くなるが、どうしてなんだろう。


あとは、日本では見たことのないような博打のシーンが出てきて、黒社会を取り扱うジャ・ジャンクー監督などの匂いを少しだけ感じさせる。どうも中国の人には借金体質があるようだ。

⒉立ち退きは一儲け
中国で立ち退きと言えばおいしい話である。立ち退き=自分にもチャンスが巡ってきたとほくそ笑む。(中島恵「中国人のお金の使い道」p31)

上方の女芸人風に見える長男の奥さんが無理して家作を手に入れた結果、そこに開発話があって立ち退きの収用費用で一儲けしたという自慢話をする。家が持てない人にアンタ下手ねとばかりに話すシーンもある。しかも、家のない娘の恋人との結婚には猛反対だ。中国では適齢期女性より男性の人口が3000万人多く男女比がアンバランス。男性はマンションを持っていないと結婚してもらえない。(同上 p66)それなので、むしろ女側も強気だ。清の時代をはじめとして歴史的にも中国では独身男性が多くなる傾向がある。

あとは、古い団地の解体のシーンが多い。次男が自宅があった建物を壊しているのを見てたたずむシーンもある。現代中国の縮図と思しきシーンだ。

⒊驚きの長回し
これには驚いた。家族の長男の娘と彼氏のデートシーンである。富春江の川岸で、自分は川を泳ぐので、君は歩いていってと彼氏がいい泳ぎはじめる。カメラはおそらく船上からずっと追う。泳ぎ終わって川岸を2人で延々と歩く。セリフは続く。一つミスしただけでゲームセットである。これもすごい!


周囲にはエキストラと思しき、川で泳ぐ人や犬を連れた人なども大勢映る。それらがあっての映像コンテである。一筆書きのようなずっと連続する映像は時おり見るが、編集がされているのは間違いない。ここでは一つのカメラで長い間ずっと映し続けるのだ。圧巻とはこのことだ。

⒊富春江と美しい映像ショット
後漢が終わるころに中国の支配をめぐって争った魏、蜀、呉国の一つ呉の孫権が舞台になる富陽の出身だと映画で何度も語られる。近代になって架けられた橋や高層ビルも借景になり、古くからの建物とあわせて美しい姿を見せる。夜景もきれいだ。そこでいくつもの美しいショットをこれでもかというくらい見せてくれる。


そのバックに映る長男の娘が清楚で美しい。これが清々しい。
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映画「DAU ナターシャ」

2021-03-01 13:01:52 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「DAU ナターシャ」を映画館で観てきました。

誇大広告ってこういうことなのかという映画である。
つまらない時はblogアップもしないが、近来になく呆れたので誤解して観に行く人のためにネタバレありで言っておきたい。

まず誇大広告から

実に、オーディション人数延べ39万2千人。衣装4万着。欧州史上最大の1万2千平米のセット。主要キャスト400人、エキストラ1万人。撮影期間40ヶ月。35mmフィルム撮影のフッテージ700時間。莫大な費用と15年もの歳月をかけて本作を完成させた。(作品情報引用)


どう見ても低予算で作られたのは見え見えだ。ちなみに、殆どが室内劇、キャストは少ない。エキストラもほとんどいない。ちなみにこれ撮るために40ヶ月かかったとは思えない。続編あるとはいうが、観るのはこれだけなんだからこの誇大広告はない。量産型の日本のAVよりもヒドイ。


科学者を収容する施設で働く2人の女給をクローズアップする。
①女給2人の大げんか②酒で酔ってメイクラブする外国人ハゲ科学者とナターシャ③大酒酔って大騒ぎの2人の女給④外国人のハゲ科学者とやったことがバレ、KGBの高官に訳もわからない拷問を受ける場面

大きくいうと、映画の構成はこれだけである。誇大広告も酷すぎる。それぞれがドキュメンタリーのように長い。2時間半以上のこの4シーンが30分~40分に収まっていて、全体の一部ならまだ納得するけど。


②に関しては、本当にやっているんじゃないかと思わせるような絡みの場面が延々と続く。これってまるでC級ポルノやAVみたいだ。④についても、拷問がキツい。スターリン時代の旧ソ連の粛清はあまりにも有名だけど、全裸にして、ブランデーのボトルを無理やりあそこに突っ込む。これも延々とやる。


ちょっと驚いた。

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