映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「翔んで埼玉」GACKT&二階堂ふみ

2019-02-27 21:43:54 | 映画(日本 2019年以降)
映画「翔んで埼玉」を映画館で観てきました。


これはむちゃくちゃ面白い!
埼玉県民として気になる映画である。漫画家の魔夜峰央の原作を映画化とした作品。GACKT&二階堂ふみがダブル主演だ。娘と二人で平日にイオンシネマに行ったが、超満員。若い人というより、年寄りも数多い。埼玉の侮辱ネタだけど、館内は笑いの渦に包まれていた。出るは出るは、埼玉のディスネタ。最後のエンディングロールが終了するまで、満員の観客は誰も立たない。関西人は埼玉といっても全然見当がつかないだろうけど、東京はもとよりライバル千葉や神奈川の人、群馬、栃木の北関東の人が観てもおもしろいじゃないかしら?

結局間に5年の栃木県宇都宮市での生活を挟むが、合計で19年埼玉に住んでいる。東京の30年に次いで長い。大宮、川越、浦和と住んでいるが、住みやすいところだと思う。映画の中でもそれは強調される。確かにこれといった特産品はない。それだけに映画では埼玉の名産と言って草加せんべいがクローズアップされる。埼玉のご当地ソング、さいたまんぞうの「なぜか埼玉」も久々に聞いた気がする。埼玉のカラオケスナックでは誰も歌わないし、知らない人も多い。

埼玉県の農道を1台のワンボックスカーがある家族を乗せて、東京に向かって走っている。
カーラジオからは、さいたまんぞうの「なぜか埼玉」に続き、DJが語る埼玉にまつわる都市伝説が流れ始める――。


その昔、埼玉県民は東京都民からそれはそれはひどい迫害を受けていた。通行手形がないと東京に出入りすらできず、手形を持っていない者は見つかると強制送還されるため、埼玉県民は自分たちを解放してくれる救世主の出現を切に願っていた。

東京にある、超名門校・白鵬堂学院では、都知事の息子の壇ノ浦百美(二階堂ふみ)が、埼玉県人を底辺とするヒエラルキーの頂点に、生徒会長として君臨していた。しかし、アメリカ帰りの転校生・麻実麗(GACKT)の出現により、百美の運命は大きく狂い始める。


麗は実は隠れ埼玉県人で、手形制度撤廃を目指して活動する埼玉解放戦線の主要メンバーだったのだ。
その正体がばれて追われる身となった麗に、百美は地位も未来も投げ捨ててついていく。

2人の逃避行に立ちはだかるのは、埼玉の永遠のライバル・千葉解放戦線の一員であり、壇ノ浦家に使える執事の阿久津翔(伊勢谷友介)だった。東京を巡る埼玉vs千葉の大抗争が群馬や神奈川、栃木、茨城も巻き込んでいくなか、伝説の埼玉県人・埼玉デューク(京本政樹)に助けられながら、百美と麗は東京に立ち向かう。(作品情報より)



1.池袋
品川で生まれて育った自分からすると、池袋ってめったに行かないところである。軍艦のような西武デパートがあるといっても、渋谷に行けばなんでもある。新宿すらあまり行かなかったなあ。でも、埼玉に住むようになってから池袋に寄るようになった。埼玉県民は池袋に行くと落ち着くという人が多い。何度も聞いたことがある。東武、西武に埼京線、今は神奈川までつながる湘南ライナーが通る。エンディングロールのはなわの歌でも「やたらやたら池袋で遊ぶ」と歌われる。確かにそうかもしれない。

2.千葉への対抗
千葉にはディズニーランドに、成田空港、そしてららぽーと東京ベイと年間1000万人を超える人が訪れる場所がある。観光では大きく出遅れている。小江戸川越や秩父長瀞なども注目されているが、比較にはならない。しかも、千葉には海がある。埼玉が千葉に対抗して、茨城県の太平洋からトンネルで海水を引き込んだなんて馬鹿げた話が笑える。会社の仕事で千葉へ5年通った。人口は埼玉の732万人に対して、千葉は627万人で埼玉の方が多い。県立の雄浦和高校があって、早慶の付属高校があるなんてセリフも映画にある。でも民度は千葉の方が高いかもしれない。

映画ではGACKT率いる埼玉県民と伊勢谷率いる千葉県民が流山で川を隔てて相対する場面がある。これが面白い。それぞれの出身の芸能人なんかの大きな絵を出して対抗する。いったいこの対決どうなるんだろうと思いつつも、しばらくすると両県民が一緒になって都庁に乗り込む場面になるのが笑える。埼玉と千葉の人口を合わせると1360万人で全国の人口の一割を超える。両県の映画好きがこの映画を見るなら、相当な興行収入になりそうな気がする。



3.GACKT

正月というと「芸能人格付けチェック」を見るのが楽しみである。ここではGACKTが55連勝を持続中である。すげえなあという畏怖の対象だ。今はXジャパンのYOSHIKIと一緒に出演している。流山の川を隔てての千葉埼玉対決では千葉館山出身のYOSHIKIがクローズアップされていたのがおもしろい。40代のGACKTが高校生役というのは、本人は無理があるといって断ったらしいが、不自然さがまったくないのが凄い。しかも、男色の色彩があり、伊勢谷友介とキスしてしまうのにも驚く。しらこばとの柄のある草加せんべいでの踏み絵をするかで埼玉に縁があるどうかをはかるシーンで苦渋の表情を見せるGACKTがかわいい。



4.貧乳ナンバー1の埼玉

これが図入りで何回か出てくる。しかも、逆に巨乳好きナンバーも埼玉だと。何それ?そんな統計誰がとるの?という感じだ。でも、一緒に映画を見に行った娘が妙に感心していた。確かに東京の大学に行くまで、細身で胸の大きいという人に出会ったことがないという。しかも、修学旅行で大阪に行ったときに、お笑いを見に行って埼玉から来たといったら貧乳ナンバー1の埼玉だねと言われたという。なんじゃそれ!確かにうちの娘も少なくとも巨乳ではない。

最後の埼玉県を徹底的にディスるはなわの歌がえらく面白い。最後まで笑える。
でも佐賀じゃなくて春日部出身とはびっくり。

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映画「女王陛下のお気に入り」レイチェル・ワイズ&エマ・ストーン&オリビア・コールマン

2019-02-20 19:55:40 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「女王陛下のお気に入り」を映画館で観てきました。


様々な時代の英国女王が題材になった映画は多い。今回は18世紀初頭のアン女王である。ここでも子供がいないことが話題になるが、イングランドとスコットランドを合同して大英帝国をつくりあげたスチュワート朝最後の女王である。原題は「The Favourite」、まさに「お気に入り」、それがいわゆる好物でなく人としてのお気に入りであることはこの映画を観ているとわかる。

レイチェルワイズ、エマストーンという当代きっての人気女優とアン女王を演じるオリヴィアコールマンの3人がいずれも主演といってもいい女性映画である。ここまで男性に存在感がない映画はめずらしい。「女の業」を顕著に見せるストーリーは昼メロのテレビドラマのようだ。でも、ここでは嫉妬や復讐の精神的対決だけでなく「性」の問題がクローズアップされる。これがこの映画の見どころである。

名優が中心となる女性映画ってなかなかうまくいかない気がする。それぞれの名女優が「わたしがわたしが」の世界に捉われるからであろう。この映画は違う。それぞれの技が均衡している女性映画として成功している作品だと思う。

時は18世紀初頭、アン女王(オリヴィア・コールマン)が統治するイングランドはフランスと戦争中。アン女王の幼馴染で、イングランド軍を率いるモールバラ公爵の妻サラ(レイチェル・ワイズ)が女王を意のままに操っていた。
そこに、サラの従妹だと名乗るアビゲイル(エマ・ストーン)が現れる。上流階級から没落した彼女はサラに頼み込み、召使として雇ってもらうことになったのだ。ある日、アビゲイルは、痛風に苦しむアン女王の足に、自分で摘んだ薬草を塗る。サラは勝手に女王の寝室に入ったアビゲイルをムチ打たせるが、女王の痛みが和らいだと知り、彼女を侍女に昇格させる。


イングランド議会は、戦争推進派のホイッグ党と、終結派のトーリー党の争いで揺れていた。戦費のために税金を上げることに反対するトーリー党のハーリー(ニコラス・ホルト)は、アン女王に訴えるが、ホイッグ党支持のサラに、女王の決断は「戦争は継続」だと、ことごとく跳ね返される。
舞踏会の夜、図書室に忍び込んで、本を読んでいたアビゲイルは、ダンスホールを抜け出して突然駆け込んできたアン女王とサラが、友情以上の親密さを露わにする様子を目撃してしまう。アビゲイルに目を付けたハーリーが、アン女王とサラの情報を流すようにと迫るが、アビゲイルはキッパリと断る。


アビゲイルはサラが議会へ出ている間のアン女王の遊び相手を命じられるが、女王は「サラは国家の仕事より私を優先させるべき」と駄々をこねる。アビゲイルは、女王の亡くなった17人の子供の代わりだという17匹のウサギを一緒に可愛がり、上手く女王をなだめるのだった。アビゲイルはサラの信頼を徐々に勝ち取り、女王のお守役を務める機会が増えていく。いつもストレートに物を言うサラに対し、従順なアビゲイルに女王は心を許していく。(作品情報より)

1.世界史の中のアン女王
改めて山川の世界史教科書を開いてみる。昔暗記した内容を想起する。17世紀の名誉革命までの間をちゃんと覚えたんじゃないかしら。おなじみのメアリー2世とオレンジ公ウィリアムことウィリアム3世までは記憶に残る気がしたが、名前は知っているけどアン女王の印象は少ない。教科書にも大ブリテン王国(大英帝国)をつくりあげたこと、アン女王の死後にハノーヴァー朝が始まったくらいしか書いていない。この映画の中でずっと話題になったスペイン継承戦争と言われる英仏戦争は、ルイ14世のフランス側の出来事のように世界史の教科書は語っている。まさに正反対からとらえているのだ。


でもこの女王おもしろい人だ。痛風で痛みを強く訴えているシーンには、飲みすぎぜいたく病としての痛風で苦しんでいる現代日本のサラリーマンを連想してしまう。常に杖をついて歩くのがこの女王の苦しみを示している象徴的なシーンだ。PH値なんて数字はあるわけないよね。アビゲイルが森林で摘んできた薬草で治るシーンも効果的に映し出している。女官長というより侍従、戦前の日本でいえば内務大臣のようなサラは戦争推進派である。その一方でアン女王はもういい加減辞めたらといった感じである。それでも心身で結ばれている二人の絆は強い。そこに突如あらわれたのがアビゲイルである。じわりじわりアビゲイルの存在感が強くなる。


2.性的表現

英国王室の歴史を描いた映画でも性的な表現はある。それこそエリザベス1世の時代を描いたアカデミー賞作品の「恋するシェイクスピア」でもグゥイネス・パルトロウはしっかり脱いでいた。ここではアン女王とサラ、アビゲイルそれぞれのきわどいシーンが用意されている。ビシッと宮廷内の諸事をおさえているサラとは性的にも結ばれている安心感がある。しかし、サラの従妹として突如あらわれたアビゲイルは全く違うムードを持っている。しかも、性的にも別の満足度をアビゲイルが与えていることをサラに言ってしまう。これは激しい嫉妬が起きるのは仕方ない。ここでは演技合戦の中、差別化するためか?エマ・ストーンがなんとバストトップを見せる。これには驚いた。シーンからして偽物ではなさそうだ。2人のライバルへの対抗とみた。


17回も妊娠して子供に恵まれなかったアン女王も悲劇である。この後150年以上たった明治初期の日本でも明治天皇は妾に何度も子宝をつくりながら生後生きなかったのがほとんどで、結果的には跡継ぎは大正天皇という体の弱い子しか残らなかった。そう考えると今の医療は進んでいるんだよなあ。
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映画「七つの会議」野村萬斎

2019-02-14 19:59:00 | 映画(日本 2019年以降)
映画「七つの会議」を映画館で観てきました。


池井戸潤原作の映画化である。半沢直樹シリーズでの常連である香川照之、片岡愛之助、及川光博が脇を固める中で、狂言師野村萬斎が主人公となる。P社を連想させる大阪本社の電機会社ゼノックスの系列会社東京建電を舞台にする。家電や列車の座席などをつくっている会社だ。割とオーバーな演技をみせる芸達者の出演者がそろい、よくある会社内部におきるさまざまなネタが語られる。

最初は単純なパワハラネタかと思いしや、営業部の経費取り扱いに対する経理系社員の反発や社員同士の不倫などよくありがちな話題に移る。そして、不良品に対する企業対応が語られる。よくありがちなネタだけど、それぞれのドラマと自分の会社での出来事を照らし合わせたくなる話も多い。出演者も男性が大半でむしろ男の物語である。ふつうはいったん話を終えてエンディングロールという流れであるが、エンディングロールを出しながら、最後の最後まで時間を使ってストーリーを見せていく珍しいパターンだ。映画として上質というわけではないが、最後まで楽しませる。

都内の中堅メーカー、東京建電の営業一課で係長を務めている八角民夫(野村萬斎)。最低限のノルマしかこなさず、会議も出席するだけという姿勢をトップセールスマンの課長・坂戸宣彦(片岡愛之助)から責められるが、意に介することなく気ままに過ごしていた。営業部長・北川誠(香川照之)による厳格な結果主義のもとで部員たちが疲弊する中、突如として八角がパワハラで坂戸を訴え、彼に異動処分が下される。そして常に2番手だった原島万二(及川光博)が新課長に着任する。(作品情報より)

いきなり営業会議の場面が出てくる。香川照之扮する営業部長が及川扮する営業二課の課長を叱責する。計画達成していないのだ。そしてもともとの目論見より高い数字を言わさせられる。一方片岡愛之助扮する営業一課長は連続で計画を達成している。逆に褒められている。その時、会議の内容を聞いていない営業一課の課員がいる。それが主人公の野村萬斎扮する八角だ。この勢いであれば、すぐにでもクビだといわれてもおかしくない態度なのにそうならない。この八角はなんか守られているなと感じる。


そのあと八角はいかにも劣等生のふりをして、上司の営業一課長に逆らう。と言うわけで叱責する。それならパワハラだと会社に訴えると八角は言う。こういう時少し前だったら、逆らったパワハラを訴えた方が飛ばされるわけだが、ここでは営業一課長の方が人事部付になり失脚する。


でも、このパワハラ失脚の流れはここ最近の日本の一般会社ではあり得ることとなった。
こういうパターンは現実にある。

1.地方への左遷
この映画では、やたらと左遷の話が出てきて、小倉とか東北とか関連会社とか行かされるのが、いかにもサラリーマン人生の終わりのような話につなげる。この映画見ている人で左遷先のエリアで仕事している人にはおもしろくないよね。地方でも仕事をした後で今東京にいる自分から見ると、地方で仕事をしている方がよっぽど気楽だと思うんだけどね。池井戸潤はすぐ左遷で地方、片道切符と言うが、出世のチャンスはむしろ地方に広がっているんじゃないかな?こんなことで今の若い人に間違ったことを教えているんじゃないかな??


2.営業と経理の対決
映画の設定では営業部と経理部が仲わるい。営業が接待系で経費を使っていることに目を光らせて、あげ足をとってやろうと経理課長と課長代理が動く。営業一課の八角がねじ会社との会食で10万円の経費を使っている。あの不良社員の八角が下請けと会食?しかも、接待したねじ会社に替わる前よりむしろ原価が高くなっているのではないか。もしかして、バックマージン狙いに新しい会社に近づいた?このあたりに目をつけ、役員会で経理部が営業部を糾弾するという構図だ。

でもこんなことって役員会の話題かよ!?といった感じだね。映画を観ていて笑った。1000万円ならともかく10万円ごときの接待で役員会の話題なんてならないよね。ありがちな話だけど、むしろもう少し下のレベルでの話じゃないといった感じだ。会社の規模は東北やら小倉やら全国ネットであるような会社なんだから、本社経理部がとやかくいうような話でないでしょう。


3.不良品の取り扱い
いろいろな話があるけど、最終的な焦点は利益を増やすために安価なねじを使ったいすや列車の座席をつくったけど、ボディを支えるねじの強度は実験してみると弱い。ほっておくと事故が起きてもおかしくない。しかもこの会社は大会社ゼノックスの子会社だ。リコールするの?リコールしたらこの会社は一気に吹っ飛んでしまうよ。さあどうする?これは見てのお楽しみ

でも経営者もからんで会社くるみで安価な強度の弱いねじを使ったということが焦点になるけど、最近の経営者って品質には敏感だと思うよ。むしろ悪い製品をつくって顧客や一般大衆、マスコミにやられることの方が儲からなくて株主などに怒られるよりもよっぽどイヤなはずだ。経営者に忖度して悪い実験データを公表しないで製品を作り続けたなんてことあるけど、経営者が品質に疑問のある製品をつくる指示するなんてことはないんじゃないかな?自分を守るためにかなりびくびくしているのが現状の経営者でしょう。

いくつかあげたけど、なんかずれているなあといった印象を持ち続けた。八角のキャラも嫌いだ。
でも最後まで飽きずには見れた。
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映画「告発小説、その結末」 ロマン・ポランスキー&エマニュエル・セニエ

2019-02-13 09:04:23 | 映画(フランス映画 )
映画「告発小説、その結末」は2017年のフランス映画である。


ロマン・ポランスキー監督の新作である。2011年日本公開の「ゴーストライター」の不安に満ち溢れた映像には魅せられた。これはその年のキネマ旬報外国映画ベストテンの1位である。「ゴーストライター」に比較すると、ひっそり公開されてあっという間に上映終了した「告発小説、その結末」であるが、個人的には映画終了まで不安心理に追われるサイコスリラー的映像に引き付けられた。

美貌のゴーストライターがベストセラー女流作家に近づいてくる。人付き合いの悪い作家がめずらしく心を許して付き合うが、次から次へと作家の周辺に悪いことが起きる。「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞作曲賞を受賞したアレクサンドラ・デスプラの不安を掻き立てる音楽でいやなムードを増長させる。美貌のエヴァ・グリーンのストーカーのような存在はその昔の「何がジェーンに起ったか?」でのベティデイヴィスの怪演を思わず連想してしまう。


心を病んで自殺した母親との生活を綴った私小説がベストセラーとなった後、スランプに陥っているデルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)の前に、ある日、熱狂的なファンだと称する聡明で美しい女性エル(エヴァ・グリーン)が現れる。差出人不明の脅迫状にも苦しめられるデルフィーヌは、献身的に支えてくれて、本音で語り合えるエルに信頼を寄せていく。まもなくふたりは共同生活を始めるが、時折ヒステリックに豹変するエルは、不可解な言動でデルフィーヌを翻弄する。はたしてエルは何者なのか? なぜデルフィーヌに接近してきたのか? やがてエルの身の上話に衝撃を受けたデルフィーヌは、彼女の壮絶な人生を小説にしようと決意するが。。。(作品情報より)


最初にサイン会で読者の要望に応じるデルフィーヌは気分にすぐれず、サイン会を中座してしまうくらいむしろ人嫌い。それなのに愛読者だと言って近づいて来た謎の女エルと親しくなる。彼女は向かいのアパルトマンに住んでいるゴーストライターだという。夫とは死に別れたらしい。デルフィーヌの部屋に出入りするようになった後で、家主から追い出しを食らったとエルは同居をお願いする。そうすると、エルの行動はエスカレートする。PCのパスワードを巧みに聞き出し、デルフィーヌのクライアントや大切な友人たちにまで、頼みごとを断るメールを勝手に送りつけてしまうのだ。

1.エルの怖さ
第三者の他人がある家庭に入ってきて錯乱させるというのが、怖いストーカー映画のパターンである。「ゆりかごを揺らす手」の家政婦や「エスター」の同居する女の子などから感じる同居人の怖さは格別である。いずれも大暴れだ。この映画ではエヴァ・グリーン演じるエルが怖さを炸裂させる。007のボンドガールを演じたくらいの美貌を持っているだけに、悪女的ギャップに我々がびくつく。いったいどうなっていくのであろうかと?

主人公デルフィーヌを執筆に向かわせるため、すべての雑音を遮断するという名目を言ってはいる。映像に映る他の悪さはエルがやったとは特定できないが、すべてはエルと付き合うようになってからの出来事だ。デルフィーヌに来たメールに対して相手に失礼な返事を書いたり、フェイスブックのアカウントを勝手につくって炎上させたり現代的な悪さも見せる。


ここでのエヴァ・グリーンは過去に出演した作品とはちがった美貌を見せる。どぎつい化粧がやわらいでいる。インテリ的要素を見せるためか?主人公デルフィーヌが自分をとりまく困った出来事に当惑するのと対照に毅然とした顔を見せ、悪さを働く。いったいどういう結末にもっていくのか?そういう謎づくりがこの映画の面白さだ。

2.ロマン・ポランスキー組
英国首相も登場し政治的な要素も強かった「ゴーストライター」の題材とは全く違うんだけど、同一の撮影者や音楽構成者による不安を観客に感じさせる音と映像が類似している。個人的には好きだが、この映画って「ゴーストライター」の二番煎じ的な部分もある。それでも不朽の名作「チャイナタウン」「ローズマリーの赤ちゃん」といった一時代前の作品から映画に携わっているロマン・ポランスキーならでの観客誘導術は見事である。ここでは小技にこだわるヒッチコックというより観客を突然驚かせて楽しむブライアン・デ・パルマへの類似を感じる。


ここでは自分の妻のエマニュエル・セニエを起用する。もう大ベテランだ。映画「ナイトクローラー」で脚本家出身のダン・ギルロイ監督が自分の妻のレネ・ルッソをヒロイン的に使っていた。年とっても色っぽい女だが、さすがにババア。場末のスナックのママのようだ。ある意味似ているねえ。日本でいえば、やくざ映画時代の深作欣二監督が自分の妻の中原早苗を脇役で使ったのと同じかな。
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