映画とライフデザイン

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映画「濹東綺譚(1960年)」 山本富士子&芥川比呂志

2024-02-19 18:59:49 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「濹東綺譚」を名画座で観てきました。


映画「濹東綺譚」1960年の東宝映画。永井荷風の原作を大幅に脚色して豊田四郎監督、山本富士子、芥川比呂志主演で描くモノクロ作品だ。永井荷風が亡くなってちょうど一年経った後だ。個人的に永井荷風の生き様に強い関心があるので名画座放映が気になる。

1992年に新藤兼人監督墨田ユキ、津川雅彦主演で映画化したときは、永井荷風の伝記的な要素もあると同時に墨田ユキの美しい肢体をクローズアップした。たぶんそのせいか、以前1960年版もDVDで見た気がしたけど、エロっぽさがないのでさらっとスルーしたかもしれない。ストーリーをたどって行くうちにちゃんと観ていないことに気づく。縦横無尽に振る舞う東宝に出張した山本富士子の魅力に引き寄せられる。

1936年(昭和11年)玉の井遊郭のおでん屋にいた中学の教師の種田(芥川比呂志)が、突然降った雨の中を歩くと、に入れてくれとお雪(山本富士子)が近づいてくる。そのまま、歩いてお雪の店に行き雨宿りをする。話をしていくうちに、お雪に別部屋へ引き寄せられる。


種田は妻(新珠三千代)と息子と一緒に暮らす。息子は妻が奉公先だった素封家の主人との間にできた子だった。妻は給金を相変わらずもらっていた。夫婦仲は良くない上、妻は宗教にハマっていた。
種田はお雪が気に入り、玉の井に日参するようになる。お雪は以前宇都宮の芸者だった。行徳にいる母親の病状が思わしくなく、治療費としてカネを出してくれと言われ遊郭の仕事をせざるをえない状況だった。

種田は家庭内のイザコザに嫌気がさしてきた。なじみになったお雪から好意を受け、勤務先の学校を辞めようかと同僚の教員(東野英次郎)に告白する。


戦前の遊郭のムードが流れる山本富士子を観るための映画だ。
永井荷風の原作では、永井荷風自身の分身のような小説家が玉の井遊郭でお雪と出会う。なじみになって交わす会話が語られる。そして、小説家が現在書いている「失踪」という小説の登場人物として種田が登場する。いわゆる「小説の中の小説」だ。

映画では傘がご縁でお雪と出会ってなじみになるのは芥川比呂志が演じる種田である。妻のプロフィールは概ね一緒であるが、新珠三千代のような美貌を持つ女性でなく太めの女として描かれている。小説では種田は退職金をもって別の女性と失踪しようとしている設定だ。

映画では、永井荷風とそっくりなロイド眼鏡をかけた小説家が登場する。遊郭の中を闊歩するが、ストーリーには大きく絡まない。1992年版では津川雅彦演じる永井荷風を模した小説家がメインだ。麻布にあった偏奇館も登場して、芸者に貢いできた永井荷風の女性遍歴を語っていく。永井荷風の裏伝記のようなものだ。つまり、原作と1960年版、1992年版とは玉の井遊郭が舞台なのは一緒でも基調に流れるいくつかの点を除いては別物である。小説の中にある重要な会話は山本富士子がセリフとして数多く話す。

当時大女優の道を歩んでいた当時28歳の山本富士子と演劇界で地位を築きあげてきた芥川比呂志の共演は見どころが多い。しかも、東宝所属の新珠三千代や娼婦役も淡路恵子、原知佐子などでしっかりと脇を固める。永井荷風は芥川の高等師範付属中(現筑波大付属)の先輩にあたり、2人の美女が共演で映画出演は少ない芥川比呂志もまんざら悪い気はしないだろう。

日経新聞の山崎努「私の履歴書」で、豊田四郎監督演技指導が厳しかったと山崎努が独白する。情感こもった俳優の演技にはそれを感じさせる部分もある。



原作を脚色して、お雪が行徳の母の面倒をみるために遊郭で働いているとしているが、小説にはない。行徳の町の名前すら出てこない。色んな意味で都合よくつくった映画である。改めて観ると、玉の井の遊郭を再現したセットが趣きある。道の中心にドブのような水路も流れていて、旧式の右側から横に文字を書く「すまれらけぬ」の看板もある。(「ぬけられます」となったのは戦後か?)最後の娼婦たちの顔出しの場面は狂気に迫るものを感じる。

向島周辺と思しき隅田川もロケで映す。まだ昭和30年代だし戦前と大差はないのか?行徳を映した映像って浦安の昔と同じように、いかにもひと時代前の漁師町の場面だ。


先日浅草に行った時に、永井荷風がよく行っていた蕎麦の尾張屋で2本の大きなエビの天ぷら蕎麦を食べた。同じく荷風なじみの洋食のヨシカミは行列ができていたけど、急激に値上げして高くなっているね。ストリップのロック座は健在。ともかく、浅草は外人比率が異常に高いエリアに変貌した。晩年市川に住んだ永井荷風がよく食べた大黒屋のカツ丼も、千葉で仕事をしている10年ほど前は何かと食べに行ったものだ。なくなったのは残念だ

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