映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ストックホルムケース」 イーサンホーク&ノオミラパス

2021-04-28 06:08:19 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ストックホルムケース」は2020年日本公開


監禁事件で、被害者が犯人に心理的つながりを持つというのをストックホルム症候群というらしい。「ストックホルムケース」はここのところ出番が多いイーサンホークが主演で、北欧系の女優ノオミラパスが色を添える。銀行強盗を扱った作品は山ほどある。ただ、監禁された銀行員が強盗犯に親しみを覚えるなんて設定は見たことない。

これが実話に基づくというのに驚く。70年代前半の雰囲気を、ニクソン大統領が映るTVニュースや服装やシトロエンなどの自動車などで醸し出して、簡潔な短編小説を読んでいるような気分にさせてくれた。


1973年、ストックホルムで銀行強盗が発生した。実行犯のラース(イーサン・ホーク)はアメリカ人の名を騙り、幼い娘を持つ行員のビアンカ(ノオミ・ラパス)を含む3人を人質にとり、服役中の犯罪仲間グンナー(マーク・ストロング)を釈放させることに成功する。人質と交換に金と逃走車を要求するが、警察は彼らを銀行の中に封じ込めて、長期戦に持ち込んでいく。

警察や政府の対応に不信感を募らせた人質たちは、ラースたちの境遇や人柄を知るにつれ親近感を覚え、両者は連帯感で結ばれていく。(作品情報より)

⒈簡潔でムダのないストーリー展開
まわりくどい前置きはない。銀行の入口前に銃を持って主人公は登場する。余計な話もなくいきなり銀行構内で銃を乱射する。お客さんを銀行の外に追い出し、従業員を人質にとり、立てこもる。そして、収監されている仲間を釈放させて一緒に銀行内に籠城するのだ。


一方で、警察もただでは済ませない。建物の周囲は固め、内部もじわりと包囲網をつくる。でも、なかなか事態は進展しない。


ここではノオミラパス演じる人質の女性ビアンカをクローズアップする。小さい子どもがいるから私を殺さないでなんて最初は言っている。映像は家族にもカメラを向ける。もともとビアンカは、犯人に強く反発していた。その後、市長と犯人とのホットラインでもなかなか事態が変わらず徐々に様子が変わってくるのだ。

⒉銀行の監禁事件
日本でこういう銀行監禁事件といえば、1979年大阪北畠の三菱銀行に籠城した梅川事件が有名だ。これは自分が大学生時代の事件で今の若い人は知らないかもしれない。結局犯人は射殺されたが、当時は日本中大騒ぎだった。いきなり、猟銃で警官を射殺した後、責任者は誰だと呼び出した支店長も殺してしまう。本気で銃を乱射するとなると、人質も言うことを聞かざるをえない。監禁した行員を裸にしたり、めちゃくちゃやった。

この映画では、警察から撃てるものなら撃ってみろと言われて、ノオミラパス演じる人質のビアンカを撃つのだ。倒れて死んだものだとみんな思う。ここがターニングポイントだ。TVでも射殺されたと大騒ぎだ。こいつは本気だということで展開が変わるのは同じかもしれない。

⒊ノオミラパス
スウェーデンの女優で、「ドラゴンタトゥーの女」で一歩抜けた存在となる。個人的には、ブライアンデパルマ監督作品「パッションが緊迫感溢れるサスペンスで見応えあった。いつも、強いベタベタのメイクをしているのに、薄いメイクで普通ぽい違う姿を見せた。


この映画でも「パッション」に近い普通メイクで、ノオミラパスだとはすぐにはわからない。途中まで普通の主婦であるが、突如として変態を愛する女に変身する。まあ、子供もいるのに何でこんな男に引き寄せられるの?こういうのを演じれるのもノオミラパスならではである。
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映画「グッバイ リチャード!」 ジョニーデップ

2021-04-26 18:16:26 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「グッバイリチャード!」は2020年日本公開


「グッバイ リチャード」ジョニーデップの主演作品。ここ数年はちょっとイマイチな作品にばかり出ている印象が強い。ただ、ラムダイアリーなど彼の駄作と言われる作品でも自分には合う映画が多く、相性は悪くない。

余命が短いと言われた大学教授が自分の好きなように生きていこうとする姿を描く。とっさに黒澤明監督志村喬主演の名作「生きる」を連想した。がんと言われて落胆した公務員が死ぬ前に公園を作ろうと突如奔走するというストーリーだ。ちょっと違うだろうなあとは思っていたが、ある意味似ている部分はある。世捨て人のキャラクターはジョニーデップには合っている。


自分もいい年になってきたので、いつ何時同じような状況になるかわからないと思いながらふと見てしまう。90分に簡潔にまとめていてムダもない。でも、傑作とは言えず世間の評価も良くないが、なぜか心に残る。

大学教授・リチャード(ジョニーデップ)に告げられた突然のがん宣告。博学でエレガント、真面目な夫として美しい妻と素直な娘との何不自由ない暮らしを送っていたはずのリチャードの人生は一変。追い討ちを掛けるかのように妻に上司との不倫を告白された彼の日々は予期せぬ展開を迎える。死を前に怖いものなしになったリチャードは残りの人生を自分のために謳歌しようと決心。

あけすけにものを言い、授業中に酒やマリファナを楽しむ。ルールや立場に縛られない新しい生き方はリチャードにこれまでにない喜びを与え、人の目を気にも留めない彼の破天荒な言動は次第に周囲にも影響を与えてゆく。しかし、リチャードの“終わりの日”は着実に近づいていて…(作品情報引用)

⒈家族には内緒
リチャードはがんで余命が短いと医師に宣告を受ける。家に帰って妻と娘にその話をしようとしたら、する間もなく娘は自分はレズビアンと告白して妻と揉めている。しかも、妻までリチャードが勤務する大学の学長と不倫していると言い出し話を切り出す間もない。結局その後もそのまま何も言わない。


「生きる」では志村喬演じる主人公が自らがんだとわかって帰宅してぼう然としている。それなのに、妻を早々に亡くして男やもめで育てた息子なのに、自分を追い出して家を建てる話を嫁としている。呆然とするばかりだ。思わず夜の街に1人飛び出して放浪する。結局、家族に言い出すことができないままだ。

それぞれ状況は違うがいちばん肝心な家族に言える状態でないということでは同じだ。この辺りは脚本家も「生きる」を軽く意識しているのであろう。


⒉単位はくれてやるから授業に出なくていいよ
リチャードは大学の文学部教授である。講義を聞きにきている学生たちにこう言う。「単位が欲しい人は今すぐ退席すればCの成績をあげるよ。」すると、大多数の学生は退出する。それでもまだ残っている学生はいる。いくつもの退出する条件をあげると、少しづつ退席するが、それでも10人程度の学生は残る。


そこからリチャードの特別講義が始まる。それぞれが読んできた「白鯨」などの作品の要旨を発表させる。それも教室でなくオープンエアでだ。すぐさま、リチャードは思った通りの論評をする。AをくれずBの評価だけど酷評された学生はふくれっ面だ。でも辞めない。しかも、酒場で特別講義は続く。リチャードはちょっとした隙間にバーの店員を口説いてトイレでいたしたりもする。そんな軽いノリだ。この辺りの展開は悪くない。


「生きる」志村喬は自分の疎外感を感じて、行ったこともないストリップ劇場に行ったり、伊藤雄之助演じる怪しい男と夜の酒場を彷徨い散財する。でも、翌日役所を辞めようとしていた小田切みき(チャコちゃんこと四方晴美のお母さん)演じる事務員と語り合い人生を考え直すのだ。リチャードも講義に出席している学長の姪と親密な会話を交わし、近づいていく。構造は似ている。


でも、リチャードは志村喬が汚い下水溝をふさぐ暗渠を作って公園にするためにこれまでになく奔走したような人生をかけた健全な動きはしない。

⒊ついに告白
親しい大学の同僚には自らがんだということは話した。でも他には話さない。妻の冷え切った態度は相変わらずである。抗がん剤治療を選択していないので、あっという間に病状は悪化する。体調も良くない。

そこで大学の学長や妻および大学関係者が集まるパーティがある。そこでの動きはネタバレなので話さない。ただ、ようやくがんであることを告白するのだ。そこからの展開はうーんという感じである。リチャードの妻はインテリ系の奥さんだけど、なんか嫌な女だ。こういう奥さんをもらっていなくて良かったとひたすら思う。


⒋もしも自分が。。。
母が13 年前がんで亡くなるとき、地元の医者に見てもらい、胃カメラでがんであることがわかった。その後で、大学病院へ行き、診察を受け抗がん剤治療となる。その際、自分が医師よりあと半年と言われた。ものすごいショックだった。

母にはそこまで進んでいるがんであることは隠して、しかも妹も含め周囲に言わず自分の胸に置いた。それとは知らず、母は生きようと抗がん剤治療に真面目に取り組んだ。委員を拝命された区の教育審議会の会合にも出席した。結局2年生きたが、限界だった。

自分はどうするんだろう。延命治療を願い出るのではないか。その間にいろんなことをしたい気がする。でも、逆にリチャードのような道を選ぶかもしれない。blogを終了するのもいつのタイミングにするのかな?ちなみに親しい友人にさえもこの映画blogをやっていることは言っていない。知っているのは妻と娘だけだ。しかし、2人とも読むことがない。そうなったとき、どう処置しようか?死にそうになったら止めといてねと娘には言うのかな。


やっぱり、相続にあたってどう処理するのか考える時間がないとまずい気もする。
ついついそんなことまで考えるきっかけになってしまった。
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映画「るろうに剣心 最終章 The Final 」佐藤健&新田真剣佑

2021-04-25 19:09:00 | 映画(日本 2019年以降)
映画「るろうに剣心 最終章 The Final 」を映画館で観てきました。


るろうに剣心の新作がついに公開された。当然すぐ観にいく。第1作目るろうに剣心を観て、そのスピード感に圧倒された。佐藤健もこの作品で一皮むけた。でも第1作目からもう9年も経つのね。このシリーズは日本の時代劇の革命ではないかと思う。大友啓史監督はこれで新時代を築いた。アクション監督谷垣健治による剣の対決をさばくカメラの腕前にもうなる。

当然強いライバル剣士がいるから、るろうに剣心も映える訳で、第1作の吉川晃司から強敵を目の前に揃えてきた。今回は中国語を話す妙な若者が出てくる。これも強い。見たことないやつだなあ?映画の間、誰なんだろう?ジャニーズ系かなと姿を追う。終わって作品情報を見ると新田真剣佑という名だ。知らない。でも、調べてみたら千葉真一のセガレだ。それで妙に納得。途中で肉体を見せると、妙に筋肉隆々としている奴だと思ったっけ。


明治12年、かつて<人斬ひときり抜刀斎>として恐れられ、激動の幕末を刀一本で戦い抜いた男、緋村剣心(佐藤健)。新時代を迎え、二度と人を殺さないと誓う。斬れない< 逆刃刀>に持ち替え、日本転覆を狙った志々雄真実をはじめ数々の敵との戦いを乗り越えた今は、仲間たちと平穏な日々を送っていた。


ある日、東京が何者かに攻撃され、次々と大切な人々が襲われた剣心は、次第に追い詰められていく。憔悴しきった彼の前に現れたのは、あの志々雄に武器や軍艦を送り込んでいた上海マフィアの頭目・雪代 縁(新田 真剣佑)。剣心の<十字傷の謎>を知る彼こそが、剣心自らが生み出してしまった最恐最悪の敵だった。剣心に強烈な恨みを持ち、剣心だけではなく<剣心が作った新時代>をも破壊するため<人誅じんちゅう>を仕掛けてくる!

全てを悟った剣心は「自分のせいでござる」と、薫(武井 咲)や仲間達を集め自分の過去を語り始める。今まで語られることのなかった衝撃の過去に仲間たちはショックを受ける。その矢先、遂に縁による東京への総攻撃が開始され、一瞬で修羅場と化す。そして縁の復讐の刃は神谷道場の仲間たちにも容赦なく向けられていく。逃れられない運命を背負い、愛する者のため全てをかけて立ち向かう、究極の戦いが始まる。(作品情報より)


映画ではいつものように、佐藤健やライバルたちが立ち回る空間を思いっきり使った「刀アクション」が冴え渡る。それはそれでお見事だ。今回の悪役新田真剣佑もおそらく千葉真一のセガレなら小さい頃から鍛えられていただろう。香港の武侠映画を見るような娯楽性にあふれている。


その他にも「ジョーカー」や「ダークナイトライジング」を意識するような化け方をした悪役たちを次から次へと文明開化日本をぶち壊すが如く映画に放つ。第1作で香川照之がぶっ放していた旧型機関銃を乱射させたり、悪さし放題だ。また、伊勢谷友介や神木隆之介などこれまでの作品で、佐藤健のライバルになった男たちが再登場する。存在だけでワクワクさせる。

でも、もう少し時間を短くできたかな?と思う。凡長になってしまう場面も多い。経済学でいう、限界効用逓減の法則のような気分かもしれない。あともう一作、それは行ってみたい。
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映画「喜劇 愛妻物語」 濱田岳&水川あさみ

2021-04-21 20:04:44 | 映画(日本 2019年以降)
映画「喜劇 愛妻物語」は2020年日本公開


名作『百円の恋』の脚本家・足立紳が、自伝的小説「喜劇 愛妻物語」を自ら脚色した監督作品である。カネなし脚本家と夫を罵倒する奥さんの物語だ。昨年のキネマ旬報ベスト10の8位にランクインしている。


「百円の恋」の持つ湧き出るような高揚感はすごかった。演じる安藤さくらに凄みを感じたが、当然足立紳の脚本も良くできている。濱田岳を主演に起用しているならそれなりにレベルは期待できる。映画館で観ようかと思ったらあっという間に終了していた。

結果的には普通かな?稼ぎのない旦那に呆れながら、子どもがいるので自ら金を稼ぐ妻が、夫にはキツイという世間にありがちな夫婦である。いつも吠えまくっている奥さんを見て、ウチと同じだなと思う男性諸氏は多いだろう。喜劇というが、そんなには笑えない。

濱田岳はヤラレキャラなので適役、風俗に行く金もないので、やらせてくれと常に愛妻?に懇願する夫というのは逆に見ないけど、まあ原作者はそんな感じなのかな?

売れない脚本家の豪太(濱田岳)は、チカ(水川あさみ)と結婚して10年目。5歳の娘のアキ(新津ちせ)がいる。脚本家としての年収は50万円程度で、もっぱら生活費はチカに頼っている。チカも豪太の情けなさに呆れ果て、口を開けば罵倒の言葉が飛び出す毎日だ。

豪太のさしあたっての問題は、チカと三ヶ月セックスしていないこと。人並みの性欲を失っていない豪太は、チカのご機嫌を取り、あらゆる手段を使ってセックスに持ち込もうとするのだが、けんもほろろに拒絶され続けている。

ある日、豪太は旧知のプロデューサーに預けていたホラー映画の脚本の映画化が決まったことを知らされる。豪太が以前に「四国にいる高速でうどんを打つ女子高生」の存在を知って、映画の企画書を提出していたのだ。脚本化するに運転免許がない豪太は、チカに運転係として同行してくれるよう説き伏せ親子3人で高松への取材旅行に行くことになった。


金がないのでチカが手配した旅程は、東京から高松まで丸一日かけて鈍行列車に乗る強行軍。しかも初日の宿はビジネスホテルのシングルルームで、チカは豪太とアキがチェックインした後に、裏口から潜入して合流するという。

しかし翌日、「高速でうどんを打つ女子高生」の家を訪れるが、彼女をモデルにした映画とアニメの企画が同時進行していると知らされる。豪太は完全に出遅れていたのであるが。。。(作品情報引用)

濱田岳の情けなさを強調する。ようやく脚本が採用されそうになったのに、同じターゲットを狙ったライバルがいて難しそう。奥さんもなんとか亭主に仕事をと思ってもうまくいかない。いい加減愛想をつかす。


どちらかというとイイ女系の水川あさみも街によくいる口うるさい奥さんという感じだ。ふと気づくとキネマ旬報の主演女優賞だったのね。

自伝的作品ということなら、出世見込みはない脚本家に映画ではなっているけど、結果的には世に出れてよかったんじゃない。
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映画「悪人伝」 マ・ドンソク

2021-04-17 11:37:50 | 映画(韓国映画)
映画「悪人伝」は2020年日本公開の韓国映画

これは面白い!
「悪人伝」は韓国得意の変態人物が絡むクライムサスペンスであるが、警察とヤクザが手を組むなんて発想でどこかコメディ的な要素を含む。


深作欣二監督作品に「仁義なき戦い」の合間につくった「県警対組織暴力」という傑作がある。警察とヤクザの癒着を描いた作品である。冒頭に菅原文太演じる刑事が特に悪さをやっていないチンピラを平身低頭させて、激しい暴力を振るうシーンがある。チンピラの川谷拓三と菅原文太とのやりとりは笑うしかない。笠原和夫ならではの脚本が冴える。


この映画のチョン刑事のパフォーマンスを見て、菅原文太の立ち振る舞いを連想した。基調は同じである。警察権力をいいことにヤクザをいたぶるのを趣味にするような男だ。たぶん子供の頃からいじめっ子だったんじゃないかなというような奴だ。もともと、ケンカ好きでヤクザにならず警察官になったような奴っているかもしれない。応援したくなるよりやられてしまえばいいのにと感じるキャラクターだ。

一方で、ヤクザの役が続くマ・ドンソクを組長役で登場させる。どの映画でも立ち振る舞いよく不死身の男を演じる。ところが、この映画では不意を突かれ、刃物を振りかざすシリアルキラーの男に刺されて入院してしまうのだ。常に圧倒的な剛腕の男がやられるというのもこの映画のミソである。反社を応援するというとカドがたつが、気持ちは傾く。


ヤクザの組長のチャン・ドンス(マ・ドンソク)は、夜道を一人で運転中に、追突してきた何者かに襲われ、めった刺しにされてしまう。一命をとりとめたドンスは復讐のために、独自に犯人探しを開始する。


事件を聞きつけたチョン・テソク刑事(キム・ムヨル)は、近隣で発生していた同様の手口の殺人事件と同一犯の仕業だと推理する。組織の論理を無視し、手段を選ばないチョン刑事は、手がかりを求めてドンスにつきまとう。利害関係の一致した2人は、情報を共有しながら犯人を追い詰めていくが、その間も殺人鬼は犯行を重ねていく。(作品情報 より)

それにしても、韓国得意のクライムサスペンスではこういう異常キャラのシリアルキラーが多い。頭巾の下に顔を隠した似たような殺人鬼がよく出てくるよね。車をぶつけた後で、示談のフリをして刀を振りかざす。

日本に比べて韓国は異常性格者が多いのであろうか?そういう相手に、刑事もヤクザも思うようにできない。正規で捕まえようとする警察ルートから外されたはぐれ刑事と、面子で警察に頼らず標的を探して裏社会的な制裁を与えようとするヤクザがある意味手を握るなんて展開にもっていく。


日本では、昭和の頃なら警察にお仕置きを受けながら無理やりつくったであろう題材だ。深作欣二の映画では、菅原文太の刑事と松方弘樹のヤクザの親分が仲がいい。この映画では、マ・ドンソクのヤクザ組長がはぐれ刑事の大胆な振る舞いに刑事の上司の捜査課長に「毎月手当出しているんだから手加減してくれ」という。この辺りはついこの間までの日本での裏社会的との癒着みたいだ。

韓国ではこんなヤクザと警察が組むなんて映画を今でも作ってしまう。実際に日本でこんなことだと大変だが、おもしろい。欧米映画のスリリングなアクション映画のような激しいカーチェイスも織り交ぜ、映画「チェイサー」のような坂の多い街での階段を追いかけるシーンとかのスピード感は今の日本映画で残念ながらこのレベルまで達している作品はない。

シリアルキラーを扱った映画の中でも脚本がこなれている方だ。ギャグのような最後の最後まで注目したい。
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映画「異端の鳥」 ペトル・コトラール&ヴァーツラフ・マルホウル

2021-04-15 14:33:15 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「異端の鳥」は2020年公開のチェコ映画

傑作である。

「異端の鳥」は昨年のキネマ旬報ベスト10の中で見逃した映画残り2つのうちの1つ。上映時間の長さにわずかな隙のロードショーで観るタイミングを逃してしまっていた。これは観れてよかった。映画の大画面に映えるショットが多い。いくつかの酷いショッキング映像の衝撃を緩和させるが如くモノクロ映画である。東欧の前近代的な村落で、親と離れて1人ぼっちになった人の少年がロードムービー的に渡り歩くいくつかの逸話を積み重ねている。


何でこんなにいじめられなくちゃならないの?と思うと同時に、少年は人間の持ついやらしい本能に向かい合う。いつ何時殺されてもおかしくないのに、ギリギリのところで助かる。司祭や鳥売り、老婆やソ連兵など哀れみで助けてくれる人もいる。でも、助けてもらう倍だけ迫害される。生きている方が地獄じゃないかと感じるくらいの仕打ちである。

映画ポスターの首だけ、頭を出しているシーンではカラスが大挙押し寄せ顔を突く。
ホラー映画ではないけど、それに近いシーンも多い。目を背けながら169分映像を追う。

東欧のとある国。ホロコーストから逃れて田舎に疎開した少年(ペトル・コトラール)は、因襲的阻害感が強い地元の人に異質な存在として退けられていた。預かり先の老婆が病死した上に火事で家が焼失したために、少年は村から追放されて1人旅にでる。


行く先々で彼を異物とみなす周囲の人間たちの酷い仕打ちに遭いながらも、彼はなんとか生き延びようと必死でもがき続けるのであるが。。。

作品情報に監督のインタビューがある。映画がよくわかるための要素が盛り込まれているので引用する。

監督のインタビューから
35mmの白黒フィルム、1:2.35アスペクト比で撮影した。シネマスコープという画郭は、豊かに感情に訴えるフォーマットだ。他のフォーマットでは、このような正確さと力で、画面上に映し出される美しさと残酷さの両方を捉えることはできない。そして画の本質的な真実性と緊迫感をしっかりと捉えるために白黒で撮影した。(作品情報 引用)

映画館で観るべき作品としたが、人物のアップの度合い、バックの美しい背景をこれほど臨場感を持って映し出す映像は少ない。自分は映画館至上主義者の主張には時おり異常ともみなすタイプであるが、この映画に関しては、DVDで見るのがもったいないと感じる


ストーリーテリングのスタイルは口語的ではなく、映画的である。内的独白や説明的なナレーションはない。そして、現実感を保つためにストーリー順で撮影した。その結果、子役の成長は主人公の進化と成長を反映している。(作品情報 引用)
セリフは少ない。最小限だ。しかも、あまりのショック続きに主人公は言葉をなくす。2年にわたって撮影されたという。単なる田舎の子どもにすぎない当初の少年の姿から、最後の場面まで顔も身体も成長していることがわかる。実際にこの旅路が数年にかけての過酷な試練であることを肌で感じる。撮影すること自体がむずかしい場面がいくつもある。


私は断固として哀れみを避け、使い古された決まり文句、搾取的なメロドラマ、人工的な感情を呼び起こすような音楽を排除しようとした。絶対的な静寂は、どんな音楽よりも際立ち、感情的に満たされる。
この名作小説の映画化で私が目指したことは、主人公が経験する度重なる人間の魂の闇のまさに中心へと導く一連の旅を、絵画的に描写にすることだった。(作品情報 引用)

いくつもの物語では、理由もなく暴力を振るわれている。子どもに対しても容赦ない。宗教的な要素が強いのかな?と感じる部分も多い。飛行機が映るので20世紀の物語だとわかっているが、もしかして19世紀以前の話なのかと錯覚してしまうこともある。女性の性的欲望もかなり強調されている。別の物語で2人の淫乱女が出ていて、村の女たちに罰としてあそこに4合瓶程度ボトルを突っ込まれるシーンまである。何じゃこりゃという感じだ。


映画祭で何人も席を立ったいう逸話もわからなくもない。それでも、映画の大画面を生かしたこの映像表現は年にそうは見れない。ヴァーツラフ・マルホウル監督の力量はすごい。
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映画「帰郷(1964年版)」  森雅之&吉永小百合&渡辺美佐子

2021-04-11 20:31:24 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「帰郷」を名画座で観てきました。

名画座の森雅之特集でどうしても観たいと思っていたのが「帰郷」である。大佛次郎原作を西河克己監督が設定を変えて脚色した1964年版の日活映画である。


横浜港の見える丘公園の横に大佛次郎記念館がある。昭和40年代前半まで当代きっての流行作家であった大佛次郎の名前を見て、ダイブツジロウと思っている人は多い。若い時分からここにデートで行くと、大佛次郎のある小説で、母の先輩で自分が幼少からお世話になった女性がモデルになっている作品があるんだ。なんてウンチクを語っていた。それが「帰郷」である。

この2年前の「キューポラのある街」では中学生役だった吉永小百合も、ここでは雑誌社に勤める若手の編集者役である。大人の世界に一歩踏み入れようとしている。本当の意味での主役は森雅之であり、渡辺美佐子である。森は影のある初老の男性を演じるが、キャラクターの雰囲気がでている。現在の俳優で、この役柄を同じように演じられる俳優がいるかと思うといないかもしれない。その風格に感服する。

都電が走る東京の原風景や出来たての高速道路が通る赤坂見附、いまだ残している田園調布の駅舎、一方で和のテイストを持つ国電奈良駅の駅舎法隆寺の五重塔など視覚的にもオリンピックを迎えようとしている日本の姿が見れるのもいい。


1957年のキューバハバナ、遊び人の男女で賑わう夜のナイトクラブには新聞記者牛木が高野左衛子(渡辺美佐子)を連れ添って入ってきた。そこには外交官の守屋恭吾(森雅之)が来ていた。守屋はキューバ革命軍を資金援助していた。ナイトクラブでも革命軍の絡みのいざこざがあり、左衛子にはクラブで再会した恭吾に連れて行かれた地下室でその晩強烈に結びつく。しかし、革命に協力した恭吾の逃げ場を自分を守るために政府系の秘密警察に密告してしまう。翌日のキューバの新聞では守屋は処刑されたとでていた。

雑誌社で女性週刊誌の編集に携わる守屋伴子(吉永小百合)には外交官の父がいたが、赴任先のキューバで動乱に巻き込まれて死んだと聞いていた。伴子の母・節子(高峰三枝子)は大学教授の隠岐達三(芦田伸介)と、子連れで再婚した。

ある日、伴子は原稿を受け取りに女画商で有名な高野左衛子(渡辺美佐子)の画廊を訪ねた。初対面の左衛子が守屋という伴子の名字を聞いて素性を確認すると恭吾の娘であることがわかった。改めて明日自宅まで原稿を取りに来てほしいという。

その日、父の達三の知り合いの古本屋へ伴子が一緒に行くと、バイトしている岡部雄吉(高橋英樹)という大学院生と知り合った。伴子は好感をもった。達三は自宅に帰宅する時、すれ違うのが、妻節子の知人牛木であるのに気づく。何の用で来たかと問い詰めても節子は言わなかった。しかし、ようやく口を割ってでてきたのは守屋の帰国である。達三は唖然とする。


一方で、伴子は原稿を受け取りに左衛子の豪邸を訪れた。会話が弾んだあとで、左衛子はハバナで伴子の実父・恭吾に会ったことがあると告げるのだった。伴子には実父の記憶はまったくない。しかも、実父は日本に帰国しているということを左衛子から聞く。伴子は家庭内のイザコザが起きることを恐れて、それを黙っていようと決意するのであるが。。。

⒈大佛次郎
大佛次郎といえば鞍馬天狗を連想する人が多いであろう。同時に映画ファンはすぐさま嵐寛寿郎の黒頭巾姿を連想する。初期のNHK大河ドラマで昭和38年の赤穂浪士、昭和42年の三姉妹と2作原作を提供して、昭和39年には文化勲章も受賞している。横浜港の見える丘公園に記念館はあるが、鎌倉文化人として有名である。


⒉高野左衛子と渡辺美佐子と木暮実千代
母がお世話になった先輩がモデルになった大佛次郎原作の映画があると聞いた。木暮実千代が主人公ということで調べてみて、それが「帰郷」でないかと探って原作を読んだら、高野左衛子のキャラクターがまさに母の先輩Tで間違いないとわかった。

元々大佛次郎の原作では、高野左衛子は料亭の女将である。母の先輩Tは元々育ちの良いお嬢様で、家柄のいい家に嫁いだ。しかし、元々の社交的な性格で、夫を差し置いて飛び出して鎌倉居住の大臣にもなった有名法律家の2号になる。T女史は鎌倉でも文化人のサロンに出入りしていたマダム的存在だった。鎌倉文壇の主である大佛次郎はそこでT女史と知り合い、小説の登場人物に仕立て上げたという顛末だ。それを母から聞いていた。

原作のキャラクター設定に近い昭和25年(1950年)の「帰郷」では木暮実千代が高野左衛子を演じている。木暮実千代の方がキャラクターとしても、モデルと言われたT女史にも通じる。でも、渡辺美佐子の高野左衛子も悪くはない。着物姿が似合う。自分が子供の頃は「ただいま11人」に出演していたお姉さんという感じだった。子供にはその良さはわからなかったが、こうしてみると美しい。ここでの高野左衛子は画廊を経営して周囲に「マダム」と呼ばれる。それ自体でT女史を思い出す。

T女史は文京区西片に住み「本郷のおばあちゃん」と自ら呼び、自分が社会人になっても孫のように可愛がってくれた。そんなT女史を思い浮かべる。金曜日の夜自分が本郷の高級肉で接待を受けたのも何かの縁を感じる。


⒊無理のある脚色
ここでは実父をキューバ革命で革命軍側を援助したという設定にした。これにはかなりの無理がある。安易な設定かもしれない。まずは、実父と母親が何で離婚しなければならなかったのか?子供の頃からずっと会っていないようだが、これが不自然でつじつまが合わない。大学教授隠岐達三と結婚した時期がいつなのか?ともかくはちゃめちゃである。

しかも、戦後20年近く経っているこの頃では、吉永小百合演じる娘は、大学教授の娘なら当然大学に進学する時代であろうが、ここではそうはしていない。

映画のセリフで、大学教授隠岐達三が日中の親善協会の座長になるのをメンバーに左翼系の人物が多いといって断るシーンがある。どちらかというと、既存体制に忠実な人間として継父を描きたかったようだ。反体制的人物が脚本を書いたと思しき脚色だが、キューバ革命を絡めたりアカ的な不自然さが原作を打ち壊した印象もある。ただ、それでも森雅之、芦田伸介、高峰三枝子の名優はその弱点もしっかりカバーするだけ凄いと言える。
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映画「水を抱く女」クリスティアン・ペッツォルト&パウラ・ベーア

2021-04-06 20:18:04 | 映画(自分好みベスト100)
映画「水を抱く女」を映画館で観てきました。

中盤から終盤にかけての展開はお見事、ファンタジーの匂いもにじませながら単なるラブストーリーに終わらせない。「水を抱く女」は見応えのあるよくできた作品である。


大学の第二外国語はフランス語でドイツは言葉も含めて縁が薄い。それでも、ドイツのクリスティアン・ペッツォルト監督の作品は「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」で取り上げたが、いずれも良かった。主演女優に存在感があった。その新作となれば気になる。予備知識ほぼゼロで見にいく。

映画が始まってすぐの、男女の会話の意味がわからない。頭の中が整理つかない。主人公がベルリン観光案内をしているところまでで少しわかる。男との関係どうなるのか?と思った後に、グシャッと水槽が破壊する場面になる。一瞬ビクつくが、これは映画でいくつも起きるサプライズでは序ノ口であった。こんなきっかけで恋が生まれる観光ガイドと潜水夫の恋なのね。と映像を追った。

いくつかトラブルが起きる。途中から急展開して、予想外の流れとなる。え!この次どうなるんだろう。これで打ち止めか。次に起きることを予測しながら観ていく。 こう感じさせるのが映画の醍醐味だ。おもしろい!!

別れ話をしている男女が映る。女ウンディーネ(パウラ・ベーア)はベルリンの住宅都市開発省の職員で、観光客にベルリンの街模型を見せながら街の歴史を語る仕事だ。その案内を聞いて感動した若者クリストフ(フランツ・ロゴフスキ)がいて、カフェで話しかけてきた。ところが、若者がうっかりカフェの水槽にぶつかり、水槽は割れてウンディーネも巻き込まれて一緒に水浸しになる。男は潜水夫だった。そんなきっかけで親しくなり、ウンディーネは元彼氏を忘れて恋に没頭する。


そんなある日、元彼氏が復縁を申し出る。当然拒絶する。しかし、その様子を察した如く潜水夫クリストフからウンディーネに電話がかかってくる。別に何もやましいことはない。汚名を晴らすために潜水夫のもとに向かうと、なんと、クリストフは潜水中にアクシデントがあり入院しているのだ。しかも、危篤状態だ。酸素不足で意識不明となっているのであるが。。。

⒈水がテーマの映画
原題は主人公の女性の名前、「ウンディーネ」である。外国映画ではよくあるパターンであるが、日本映画では原題通りにつけずに題名をつくる。「水を抱く女」とはよく考えたものだ。適切だと思う。ベルリンの街の説明には水は関係ないが2人が親しくなるきっかけはぶつかって水槽を破壊することだ。男の職業が潜水夫であることも加えて、水への縁が深くなる。ぶつかって破壊する水槽の中には潜水夫の模型がある。この模型がキーポイント、すなわち映画のマクガフィンになる。


ファンタジーの色彩があって水がテーマだとなると、とっさにシェイプオブウォーターを連想した。言葉が不自由な女性と半魚人との恋である。まったく違うストーリーなのに根本に流れる基調が似ている。同じように不思議な世界に導いてくれる。


⒉展開の巧妙さ
恋物語が進む。潜水夫にならって、ウンディーネも水に潜る。大きなナマズにつられて溺れてしまう。ビージーズの「ステインアライブ」に合わせて潜水夫はウンディーネのくちびるを思いっきり吸う。潜水夫が強引に息を復活させて生き返る。恋が深まる。こんなあたりはありきたりのラブストーリーだ。

これだけのトラブルかと思ったら、途中からトラブルだらけになる。元恋人が出現して当惑した後で、今度は潜水夫にトラブルが起きる。危篤状態だ。しかも、現実と夢が交差する事象を引き起こす。ミステリーの匂いもする。


基調は主人公2人であるが、ウンディーネの元恋人、潜水夫の同僚で潜水夫に思いを寄せる女性の2人を巧みにストーリーの中に混ぜていく。このさじ加減が実にうまくストーリーに味付けを加える。
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映画「裏アカ」 瀧内公美

2021-04-03 18:48:19 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「裏アカ」を映画館で観てきました。

裏アカは火口のふたり柄本祐と大胆な濡れ場を演じて一皮向けた瀧内公美の新作というだけで、映画館に向かう。twitterはじめSNSの類に一切ご縁のない自分は「裏アカ」という言葉すら知らない。自分自身の名前でない偽名の裏アカウントの略語である。SNSがきっかけでキャリアレディが男と会うようになるなんてストーリーというのも気になり、たまたま昼メシを一緒に食べに行った娘を映画館に道づれにする。


瀧内公美はここでも美しく、惜しまずに美しい裸体も見せてくれる。途中まではストーリーは展開よく進みどういう形で終末に持っていって締めくるかと思ったけど、ラストに向けては意味不明というのは娘の感想で、自分も尻切れトンボという印象を持つ。主人公が落ち込む展開も読めてしまう。そのあとも脚本に重層感がないのが残念

青山のアパレルショップで店長を務める伊藤真知子(瀧内公美)は、自分の意見は採用されず、年下のカリスマ店員・新堂さやかに仕事を取られ、ストレスが溜まる日々。


そんなある日、さやかの何気ない一言がきっかけで真知子はSNSの裏アカウントを作り、胸元の際どい写真を投稿する。表の世界では決して得られない反応に快感を覚えた真知子の投稿はどんどん過激になっていった。


「リアルで会いたい」 そんな言葉に誘われ、フォロワーの1人と会うことになった。その相手は、”ゆーと”(神尾楓珠)という年下の男だった。 真知子は彼に惹かれていく。しかし、その関係は1度きり。それがゆーととの約束だった。真知子は他の男と関係を持つようになるが、その心は満たされない。


裏の世界でフラストレーションがたまっていくのとは裏腹に、表の世界は、店の売り上げ不振回復への施策に自身のアイデアが採用され、大手百貨店とのコラボレーション企画が決まるなど充実していく真知子。やりがいのあるプロジェクトに意気込む真知子だったが、その百貨店担当者の原島努こそが、あのゆーとだった。表の世界で再会を果たした2人。(作品情報引用)

⒈フォロワーを増やす快感
有名俳優は出演していない。低予算で作られた映画であろう。ファッション業界は正直まったく疎い。ブティックの店長なのに、自分よりもInstagramに積極的に投稿しているカリスマ店員が注目されるということを気にする女の嫉妬話からスタートする。


自分も注目を浴びたいと思って、いった方向が自身のバストを強調する下着姿を投稿してフォロワーを増やそうとするところ、そこからエスカレートするのである。エロティックに転向するこの辺りの心理はよくわからない。

⒉フォロワーと会う
若き日のダイアンキートンの主演で、まじめな教師が酒や男に溺れる1977年の「ミスターグッドバーを探して」という名作がある。その後転落していく姿が印象的で当時随分と話題になった記憶がある。この映画も同じような展開を歩むのかと思った。1人のフォロワーに会ってから次々と一夜の関係を次々と作っていく。でも結局いちばんの色男が忘れられないということに落ち着く。


ダイアンキートンの映画の時代にはなかったSNSという手法では、こんな感じでフォロワーと会うことがあるのであろうか?好きなタイプの男が出てきたら拍車がかかるのか?マッチングアプリでカップルができて結婚するなんて話も多々あるということなのでまあそういう時代なんだろう。ただ、せっかくの瀧内公美の主演なのに、名手高田亮にしては物足りない脚本ではちょっともったいない印象を持った

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映画「猫と庄造と二人のをんな」森繁久彌&山田五十鈴&香川京子

2021-04-01 18:31:19 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「猫と庄造と二人のをんな」を名画座で観てきました。

これは無茶苦茶おもしろい!
森繁久彌は昭和30年代くらいまでは、ダメ男を演じると天下一品だった。晩年しか知らない人から見ると,この情けなさにひたすら笑うしかない。同じ豊田四郎監督作品「夫婦善哉」でのダメ男ぶりも楽しいが、それよりも「猫と庄造と二人のをんな」の方が上方のお笑いを見ているような軽快なタッチで実に笑える。コメディの傑作だ。


芦屋の浜辺の近くで小さな荒物屋を営んでいる庄造の母親おりん(浪花千栄子)と庄造の女房品子(山田五十鈴)が大げんかして、品子が家を飛び出そうとしている。仲人の畳屋が現れ説得しても無理そうなので、荷物を運び出すのを手伝っている。都合の悪い庄造は外へ飛び出しているのだ。

おりんは夫亡きあと女手一つで出来の悪い息子庄造(森繁久彌)を育て上げた。しかし、庄造はどんな仕事についても長続きはしない。飼い猫のリリーを可愛がるばかりの毎日だ。品子は結婚して4年、おりんとは全くそりが合わなかった。庄造の叔父が娘福子(香川京子)を持参金付きで庄造に嫁がせてくれるとなったので、おりんはすぐさま折り合いの悪い品子を追い出そうと企んだ。庄造はじゃじゃ馬女の福子にいいように使われて海辺で遊んでいる。


行き場所のない品子は妹初子の家にもぐりこんだ。ある日、元仲人の畳屋から自分の後釜に福子が来たと教えてもらい憤慨する。品子は福子にあいだを引き裂こうと手紙を書いたり、猫のリリーを引き取ろうと庄造に持ちかけるが、すべて品子の企みだとおりんが気付き騒ぎは収まる。しかし、品子はあきらめない。リリーが品子のもとにくれば、必ず庄造がこっちに来て縁が戻ると確信していた。偶然を装い、品子は庄造を待ち伏せしたり、福子の目の前に現れ、庄造と自分が会っていると話を錯乱させる。

だが庄造は福子が来てからもリリーの面倒を見るばかりである。福子も猫のリリーへの溺愛に我慢できなくなり、リリーは品子が引き取ることになる。庄造は落胆してしまう。しかし、品子の家でもなつかぬリリーに困っていたが、留守の間に逃げてしまうのであるが。。。

⒈関西弁の応酬
主要出演者は山田五十鈴、浪花千栄子、森繁久彌といずれもネイティブな関西弁を話せるので、不自然さがない。香川京子も履歴を見ると、芦屋で幼少期を過ごしている。その女性3人の関西弁の応酬に疾走感がある。まさに昭和関西の原風景をありのままに映し出していてお笑いを見ている気分になる。


森繁久彌はボケの系統のダメ男を演じて、ほかの3人の女性と張り合わない役柄だ。本人は名門旧制北野中を出ている秀才だが、その後上京しているので、露骨な関西弁が出るキャラではない。でも、甲斐性のない大阪のボンボン役はうまい。晩年の大富豪キャラになる要素が見当たらない。

山田五十鈴は同じ昭和31年に成瀬巳喜男「流れる」柳橋芸者の置屋女将を演じた。江戸のど真ん中で東京弁だ。新幹線が走る昭和39年までは東京大阪の時間的距離感もあり、まだTVも普及しているとは言えない時代にしては極めて器用な東西言葉の使い分けである。

⒉女の業
女のいやらしさというのが、前面にクローズアップされる。浪花千栄子と山田五十鈴が嫁姑の関係で仲が悪い。お互いに女の業が深い。あっけなく、出て行って山田五十鈴が清々したのかと思うと、若い女が自分の後釜に来たのでムカつく。香川京子もいつもの上品なお嬢様キャラとはまったく違うアバズレ系で、そう簡単には言うことは聞かない。亭主を「あんた」と言う。

実はウチの奥さんも生まれは尼崎で関東に来て26年関西弁しか話さないが、自分のことを「あんた」と言う。そんなもんだ。


この激しい応酬が実に楽しい。エゴのぶつかり合いだ。ふらっと現れた山田五十鈴と香川京子が諍いを起こしているのに気付いた浪花千栄子がこっそり隠れる。こんな仕草に笑える。でも、こんな連中の中で暮らすことになったら、生きた心地がしないだろう。とは言うものの、庄造こと森繁久彌は極楽とんぼで、何を言われても、「ぬかに釘」だし「柳に風」猫を可愛がることしか能がない。

ただ、戦後この頃はすべてが男ありきである。決して立場が悪いわけではない。むしろいちばんなのは猫か?題名「猫と庄造と2人のをんな」の順番通りだ。谷崎潤一郎の意図がここにありきか?

⒊香川京子の変貌
何度もこのブログで書いているが、まだ子供だった頃から香川京子のことをずっと素敵な人だと思っていた。年齢が亡くなった自分の父より1つ上である。普通は父母の年ごろだと好きな女性には縁遠いはずだけど違う。その香川京子の出演作でも、溝口健二監督「近松物語」と狂女を演じた黒澤明監督「赤ひげの演技は毎度の育ちの良さそうなお嬢様や奥様役とはまったく違う。でも、この映画の香川京子ももっと一味違う。新境地だ。


最近の若い女の子が夏に着るような水着のような服を着ていて、言葉遣いもいつものお上品さのかけらもない。こんなに肌を見せることってない女優さんなので、思いがけないスタイルの良さに驚く。オールドファンは一見の価値あり。でも、やっとたどり着いたこの映画はDVDないんだよなあ。観れて良かった。
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