映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「恋文」萩原健一&倍賞美津子&神代辰巳

2021-09-29 06:20:45 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「恋文」を名画座で観てきました。


「恋文」は1985年の神代辰巳監督作品である。萩原健一とのコンビというだけでこの映画の存在は気になっていたが、DVDになっていない。これまで観れていなかったので、名画座に駆けつける。連城三紀彦の直木賞受賞作「恋文」を映画化した。

妻(倍賞美津子)と小学生の息子を持つごく普通の家庭の美術教師(萩原健一)のもとに昔の恋人(関根恵子)から白血病で余命が短いという手紙が届く。死ぬまで面倒を見ようとする夫と親戚のふりをして元恋人と接近する妻との三角関係を描いている。


ストーリー自体はあまりのれない。こんなつまらない話でよく直木賞とったなと思ってしまう。何もかも不自然で、登場する誰にも感情移入はできない。ただ、神代辰巳監督の映画術は冴えわたる。

昭和にデートバックしたなあと実感する映画である。井上堯之の音楽にもいつもの切れ味はない。バックに不必要に流れるだけで古さを感じる。まさに70年代のクサいTVドラマを見るようだ。携帯電話はもちろんない頃だ。連絡をつけるために、公衆電話を使ったり、行く先で電話の呼び出しをする。現代と行動範囲がまったく違ってくる。今で考えると、不自由極まりないが、神代辰巳監督は萩原健一と倍賞美津子を巧みに方々へ疾走させる。「恋文」ではこの2人のピークの姿を見るだけで十分価値はある。

⒈萩原健一
岸恵子との「約束」では顔立ちが未熟な感じがする。その後、TVの「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」や「前略おふくろ様」などを経て俳優らしさが色濃くなってくる。「青春の蹉跌」あたりで、我々がイメージする俳優ショーケンの顔になる。神代辰巳監督とは意気投合できたのであろうか?共演作は多い。内田裕也も同様だが、神代辰巳は破天荒な男の使い方に長けている。

この役柄ちょっと変わった役柄だ。円満な家庭を築いていたのに、死の病に侵された昔の恋人の面倒をみるというだけで、学校をやめてしまう。しかも、元恋人の手紙を家に残して飛び出してしまい、今や消えた風景である東横線に向かい合う渋谷川沿いのバラックに住み着いて、築地の場外で働く。

もともと破天荒そのものな私生活と連動するような役柄の方が得意なはずだが、「青春の蹉跌」での弁護士の卵といい、「恋文」の元美術教師といいインテリ的な匂いが入る。この時代のショーケンはそんな役も楽にこなす。飲んで暴れて警察に何度もやっかいになるという設定になっているが、「傷だらけの天使」で見るような暴れまくるハチャメチャな演出はない。

⒉倍賞美津子
この頃はアントニオ猪木と結婚していた。20代の倍賞美津子には現代的な美人というイメージをまだ小学生の自分は持っていた。猪木と結婚すると発表されたときは驚いたなあ。でも、今村昌平監督作品「復讐するは我にあり」で豊満なバストを世間に見せつけてくれたときは、その衝撃に当時大学生の自分はもっと驚いた。

この映画の頃、ちょうど39才である。絶えず、いい役がまわっていて女優としていちばん輝いていた。それだけに美しい。雑誌の編集者という役柄だ。キャリアウーマンが似合う雰囲気をもつ。一眼レフを持つ倍賞美津子を映したショットがカッコいい。演技も安定している。キネマ旬報の主演女優賞をはじめ、賞を総なめするのもうなずける。


昭和の頃、80年代であることは間違いない。どうしても時期を特定できないが、一度だけ実物を見たことがある。ホテルニューオータニのトロピカルラウンジ「トレーダービックス」に男の取り巻きを連れて飲んでいた。すごい迫力だった。まさに後光がさしていた。最近映画館の予告編で佐藤健の新作で年老いた倍賞美津子を見た。本当に老けた。今回名画座で観れるということで足がむいたのも、当時絶頂の倍賞美津子を見たかったのだ。よかった。

⒊高橋恵子
萩原健一演じる主人公の元恋人で余命短い白血病の患者を演じる。高橋伴明と結婚して間もない頃だ。自分はデビューまもない大映倒産寸前の「おさな妻」の頃からのファンである。少年の頃はよく「お世話」になった。70年代後半は精神的に不安定だったのか?失踪事件を起こしたり、常にスキャンダルと背中合わせだった。

ここでは、花嫁姿まで見せつけるが、高橋恵子はそんなに素敵だと思わない。もっときれいな高橋恵子ってもう少し後の方が拝めると思う。

⒋神代辰巳
神代辰巳監督はいくつか鋭いショットを見せつける。西新宿の地下道で、通勤時に一斉に駅から高層ビル方向に向かって歩く大勢の人混みの反対方向に萩原健一と倍賞美津子を歩かせるショットがうますぎる。それに加えて、カメラに向かって萩原健一と倍賞美津子を並んで座らせ、長回しで演じさせるシーンも大画面にはえる。交互に横向きの2人を切り返すアングルもいい。大人の恋というのを強く意識させる。

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映画「クーリエ 最高機密の運び屋」 ベネディクトカンバーバッチ

2021-09-25 18:06:22 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「クーリエ」を映画館で観てきました。


「クーリエ 最高機密の運び屋」は久々観る英国のスパイ映画でベネディクトカンバーバッチ主演である。キューバ危機をまたぐ情報戦ではスピルバーグの「ブリッジオブスパイ」という傑作がある。ベルリンを舞台にして緊迫感のある傑作だった。この時期の世界情勢に関する映画は好きで迷いなく映画館に向かう。

東欧エリアでのビジネスに携わっているというだけで、まったく無縁の諜報活動に駆り出された英国商社マンがソ連高官から得た機密情報を英国に運んでキューバ危機回避に貢献するという話だ。実話というのがすごいなあ。

低予算の日本映画を連続してみた後で、久々に映画らしい映画を見たという実感だ。緊迫感を引き出すカメラワーク、音楽、簡潔に要旨を抜き出す編集いずれも高水準である。ソ連が舞台なのに、英語のセリフだと物足りない感じが残る映画もある。その点、ここではソ連内の場面はロシア語の会話でいかにもというロシア人公安の顔をした登場人物が出てきてリアル感はある。


でも、5点満点というわけでなく、評価するなら全部4点という映画なんだよなぁ。史実というのはすごいけど、結末が予測できてしまうだけに思わぬ逆転があるスリルがないのは、弱い部分だ。それでも十分楽しめた。

1960年代初頭、米ソの対立が激化した時代、英国のMI6は東欧諸国で工業製品を卸す英国の商社マン、マングレヴィル・ウィン(ベネディクト・カンバーバッチ)に目をつける。まったくの素人のウィンだったらソ連側にも怪しまれないと、機密情報の「クーリエ(運び屋)」にスカウトする。新規顧客開拓の名目でモスクワ入りしたウィンは、ソ連高官のオレグ・ペンコフスキー大佐(メラーブ・ニニッゼ)と会う。ペンコフスキーはフルシチョフの強硬姿勢で世界大戦に向かうことを恐れ、米政府に自国の機密情報の提供を申し出る。

ウィンは密かにペンコフスキーが得たソ連の機密情報を西側に運び続ける。しかし、何度も往復するうちに、ソ連KGBも何かがおかしいとマークし始めるのであるが。。。

⒈ベネディクトカンバーバッチ
HPには、セールスマンとなっているけど、国をまたがって個人相手でない商売をしているわけで商社マンというべきだろう。大酒飲みで、最愛の妻と10歳の息子がいる。いつ見ても同じブリティッシュストライプの細めのレジメンタルタイをしている。もともとやる気がなかったのに途中で様相が変わる。秘密を共有したソ連の大佐を亡命させようとしてしまうのがやり過ぎだった。


ベネディクトカンバーバッチ大減量で役作りしたのが後半戦でよくわかる。なかなか難易度は高い役柄だ。彼の出演した映画は、最近多いコミックものを除くとほとんど見ている。天才数学者を演じた「イミテーションゲーム」では二重スパイの疑いをかけられる。そういった意味では今回の役とにているが、どちらかというと奇人の部類に入る天才数学者役の方がうまい。

⒉メラーブ・ニニッゼ
軍人出身の諜報本部高官である。評論家の財部誠一のような顔をしている。最愛の妻と娘がいるふつうの家庭だ。フルシチョフが核のスイッチを押す衝動的な動きをすると恐れている。ソ連の裏の裏まで知っている中、大胆にもアメリカと内通する。冷戦時代の映画では、ソ連はみんな敵だ。ロシア人らしい顔をした悪玉の顔はみんな似ている。ニニッゼはそこまででもないが、緊迫感あるシーンを見せつける。好演だ。


ソ連の貧困を隠すために外国にロシア人が出ないなんてセリフがある。そののち露呈されるが、核や宇宙開発で先陣を切っていても社会主義経済がすでに行き詰まっていたということも示されている。

⒊資本主義批判のクズ
最近日本では、資本主義批判をして、マルクスを持ち上げる人の本が売れている。斎藤幸平の本など読んでみると、世間知らずと呆れるばかりである。資本主義の根本というばかりでなく経済活動の基本である分業を否定するし、70年代くらいまでバックする位経済を減速させろという。バカには困ったものだ。


ここ最近、高度成長過程にあった中国がまるでバブル期の日本を思わせる不動産への規制を当局がおこなった途端、中国を代表する不動産会社がとんでもないことになっている。それを見ても経済成長の鈍化というさじ加減は難しいのだ。それなのに経済を70年代まで戻したら全員こじきだ。後戻りになったら国は貧困のどん底に落ちる。それなら彼らのいう社会施策の財源はない。経済音痴にはわからないだろうなあ。

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映画「由宇子の天秤」 瀧内公美

2021-09-23 18:22:21 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「由宇子の天秤」を映画館で観てきました。
これはよかった。いくつかのマイナス面はあるが,本年屈指の傑作と評価されるであろう。


「由宇子の天秤」「火口のふたり」での大胆な演技で一躍有名になった瀧内公美が主演、前作「裏アカ」「アンダードッグ」でも美しい裸体を見せていたが、今回はそういうシーンはない。高校の校内で教師と女子高生の不純な噂が広まり、それを苦にして自殺した事件を追う女性TVディレクター(瀧内公美)が、学習塾を経営する自分の父(光石研)が塾に通う女子高校生を妊娠させてしまった事実を知り右往左往する展開だ。


ここでは大きく2つのストーリーがパラレルに流れている。由宇子にとっては、報道の取材における関係者家族やTV局上層部との葛藤と、父親が犯した行為の顛末と両面で常に心が揺れている。ふつうの女の子だったらくじけてしまいそうなことにも耐える。行動力があり精神的に強い女性だ。そんな女性の心の葛藤を描くストーリー立てがうまい。

由宇子の天秤は長回しが多い映画だ。個人的には不必要に長いと感じる場面もある。取材している教員側の家族が苦悩するシーンで、自分の理解度が弱いのか意味がわからないシーンもある。それでも情感がこもったシーンの方がまさり、展開の巧みさで映画の質を高めている。

⒈瀧内公美とその葛藤
キャリアのある女性を演じるのがうまい。「火口のふたり」の時にはまったく感じなかった。事件のせいで周囲から白い目で見られている当事者の家族が感じる辛い思いをTVのドキュメンタリー番組にしようとする由宇子(瀧内公美)を追っていく。ディレクターと言ってもTV局の社員ではない。下請け制作会社で局に売り込むわけだ。

犯罪を犯した当事者の家族が苦しい思いをする映画はこれまでにもいくつかあった。過剰な報道にも責任があるという由宇子の主張がTV局の幹部と相容れない。その論点があるとともに、亡くなった女子高校生と教員のそれぞれの家族との交流を描くのが映画の序盤戦の主体であった。

由宇子は父親の経営する学習塾を手伝っていた。ある時、1人の女子高生が塾の中で嘔吐する。体調が悪いという女の子の様子がおかしい。由宇子は妊娠を疑い検査薬を買うと陽性だ。まして、赤ちゃんの親は由宇子の父親と本人から聞き慌てる。女の子の家は貧しい。塾の学費はただにするというのだ。

行動力のある由宇子は、父親の行為には落胆しても事を荒立てないように処理しようと、医師の友人に相談する。密かに診察してもらうが、専門医でないと手に負えない状態のようだ。安易には処理できないのだ。

⒉読めないストーリー展開
ミステリー映画では謎をつくって、その謎が徐々に解決していくという流れがある。当然、ストーリー展開がどうなるか気になりながら映画を追う。この映画では謎は投げかけられない。でも、打つ手が八方塞がりになっていく過程で決着の持って行き方が気になる。観ている方も映画に集中してしまう。


塾頭である父親は自分の責任だと告白しようとするが、由宇子は取材した重要なTVドキュメンタリーが日の目を見ようとしているからそれを待ってくれという。過ちが起きると、その周囲が苦しい思いをするのを見ているので本当は表沙汰にしたくない。でも、母体には危険が迫っている。

この先どうなってしまうのだろうと映画を観ながら何度も展開を脳裏で想像した。この後も春本雄二郎監督は数多くの伏線を張り巡らせながら、推理を複雑にしていく。

そして、最終場面が近づくにつれ、逆転技を連発する。ここまできたのに、こうくるか!ディートリッヒの「情婦」を連想した。展開的には満点と言えよう。

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映画「からみ合い」岸恵子&小林正樹

2021-09-15 19:09:26 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「からみ合い」を名画座で観てきました。

「からみ合い」は昭和37年(1962年)の作品。名画座の悪女特集でいちばん注目した作品である。岸恵子がこんなエロい表情を見せる写真は珍しい。60年代前半のジャンヌモローを彷彿させる。小林正樹監督岸恵子主演で松竹配給ではあるが、岸恵子が有馬稲子、久我美子とつくったにんじんクラブの制作だ。


南條範夫の原作「からみ合い」を映画化したこの作品は小林正樹、岸恵子のキャリアにとって重要な時期に作られているのに正直存在すら知らなかった。Wikipediaにも何故かこの作品だけ記載がない。現在DVDはあるようだが、少し前までなかったのではないか?これって松竹の映画だよねと再確認するくらい東宝作品で見る顔が多く、仲代達矢、山村聰以下共演の配役は豪華である。若き日の芳村真理の姿が新鮮だ。

ある社長(山村聰)ががんで余命短いとわかり、3億の遺産を妻(渡辺美佐子)に3分の1渡した以外の3分の2を離れ離れになっている3人の子供に分けようと、弁護士(宮口精二)とその部下(仲代達矢)や秘書課長(千秋実)と社長秘書(岸恵子)に探してもらおうとする。その探す過程でさまざまなあくどい利害が絡むという話だ。


謎解きというわけではない。登場人物がほぼ全員が悪というドラマだ。3人の子どものうち、1人が亡くなっている。でも、その子を生きていることにして秘書課長(千秋実)と今の妻(渡辺美佐子)が昔つくった子を社長の子供に仕立てたるなど自分の都合のいいように資産が他に渡らないように手を尽くす。

「人間の条件」で映画界の注目を一気に浴びた小林正樹監督が現代劇のミステリーを次作に選んだ。「からみ合い」はサスペンス小説がベースで登場人物が多いので、観ているこちらには一度だけではわからない場面も多い。割とロケのシーンが多く、昭和37年の街の様子が随所に出てくるので、それを楽しむだけで満足と思うしかない。

⒈岸恵子
いきなりカメラは銀座の街を闊歩する岸恵子にフォーカスを合わせる。撮影当時30才で、フランスに渡ったあと一時帰国してこの作品に取り組んだ。ドレスアップしたその姿はずば抜けて洗練されていて美しい山村聰演じる社長の秘書役で、死期を間近に迎える社長の寵愛を受けると同時に、社長の子供の川津祐介からも求愛される。


世で言う悪女映画はスリラータッチになることが多い。ちょっとした浮気が女性の狂乱をまねく危険な情事クリントイーストウッドの「恐怖のメロディ」カーティスハンソン監督の「ゆりかごを揺らす手なんていうのが代表的な作品だろう。この映画では悪女が引き起こす恐怖に満ちた場面は一切ない。どちらかというと、「ずるい女」というのが適切だろう。

山村聰演じる社長が方々であちらこちらでつくった子供に渡る財産を、自分も社長と交わり子どもをつくり、横どりしようと虎視眈々と狙っていくのだ。彼女自体も悪さを企む。このスチール写真の顔はいつもと少し違う。

⒉芳村真理
温泉場のヌードスタジオなんていうのもコロナ禍でどうなったのであろうか。社長が方々につくった子どもの1人という設定だ。福島の飯坂温泉まで仲代達矢演じる弁護士の使いが向かい、芳村真理演じるヌード嬢に接近する。悪巧みを考えて、用意周到に父である社長の前に現れる。


われわれの世代が若いころは芳村真理をTVで見ない日はなかった。出ずっぱりである。スタートは昭和41年の小川宏ショーで、露木茂と組んでアシスタントを務めたあと、昭和43年から夜のヒットスタジオでの前田武彦との名コンビで完全なメジャーな存在となる。フジテレビが本線だったが、TBSの人気番組「料理天国」は毎週見ていた。

小川宏ショーの前は単なるセクシー俳優の1人だった。東映の「くノ一シリーズ」で見せる姿とこの映画は似たようなもの。その後、TVでいかにも上流のイメージを強く押し出していたキャラクターとこの映画のアバズレキャラはまったく交わらない。でも下層階級上がりで自由奔放な女を演じるこの映像は貴重である。

⒊黒澤組の俳優たちと劇団員
いきなり弁護士役の宮口精二が出てきて、秘書課長役の千秋実、弁護士の補助役の仲代達矢三井弘次も出てきて女性の脇役で菅井きんと千石規子まで出てくれば、これは黒澤組だなと思ってしまう。先日亡くなった田中邦衛川津祐介をはめるチンピラ役で出てくる。黒澤明「悪い奴ほどよく眠る」の殺し屋と同じような使われ方をしている。


映画を観たあと、小林正樹のキャリアを振り返ると、仲代達矢主演の大作「人間の条件」などでこれらの俳優が出演していることに気づく。もっともこの当時は、文学座、民藝、俳優座といった劇団の俳優たちが小遣い稼ぎに映画に出ていた訳だ。逆に劇団の俳優たちが出演しないと映画が成立しなかったともいえる。

岸恵子の日経新聞「私の履歴書」ではこの時期の苦労が書かれている。民藝所属の奈良岡朋子から劇団員にギャラが半分しか支払われていないと岸恵子が問い詰められたようだ。愕然としたという記述がある。もっとも岸恵子もギャラを受け取っていない。にんじんクラブも結局は倒産している。身内の亭主にあたる人に経営を任せていたが、放漫経営がたたって悲劇になる。

⒋武満徹
音楽は武満徹だ。とはいうものの、前半戦から正統派モダンジャズが奏でられている。ジャズミュージシャンのポスターがクローズアップされたり、帝国ホテルのバーなど当時としてはモダンな場所が映されたりする。一瞬最初だけ音楽違うのかな?と思ってしまうが、何度もモダンジャズが鳴り響く。もともと、武満徹がモダンジャズの影響を受けているのを確認して納得する。


途中から、ストーリーの事態が入り組んでくるようになって時折武満徹独特の不安心理を増長させる音楽となる。シリアスな映画では武満徹の音楽が効果的だが、そこまでは流れない。それ自体その程度の緊張感しかない映画ともいえる。
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映画「Blue/ブルー」松山ケンイチ&東出昌大

2021-09-13 05:58:14 | 映画(日本 2019年以降)
映画「Blue/ブルー」は2021年公開


「ブルー」𠮷田恵輔監督松山ケンイチ主演のボクシング映画である。タイミング合わず見損なった映画がNetflixに登場して見てしまう。でも、これって不思議な映画である。こんなボクシング映画ってちょっと経験ない。何せ主人公がひたすら負け続けるのである。きっと途中で何かあるのでは?と思って見続けるが、意外な後味である。

𠮷田恵輔監督の作品ではさんかくが良かった。その後ずっと観ているわけではない。どうも吉田監督は長きに渡ってボクシングをやっているらしい。そんな中で生まれた作品だ。派手さはないが、見ておいた方がいい映画だ。

誰よりもボクシングを愛する瓜田(松山ケンイチ)は、どれだけ努力しても負け続き。一方、ライバルで後輩の小川(東出昌大)は抜群の才能とセンスで日本チャンピオン目前、瓜田の幼馴染の千佳(木村文乃)とも結婚を控えていた。


千佳は瓜田にとって初恋の人であり、この世界へ導いてくれた人。強さも、恋も、瓜田が欲しい物は全部小川が手に入れた。それでも瓜田はひたむきに努力し夢へ挑戦し続ける。しかし、ある出来事をきっかけに、瓜田は抱え続けてきた想いを二人の前で吐き出し、彼らの関係が変わり始めるー。(作品情報 引用)

⒈ボクシング映画の定石外し
映画とボクシングの相性はいい。ハングリーでひたすら闘争心に燃えるボクサーがはいあがろうとする。「ずっと負け続けで最後に勝つ。」「最初は負けているが、徐々に勝ちはじめていくが、最後で負ける」などいろんなパターンがある。類似作を脳裏でいくつも彷徨って探したが「ブルー」と似た作品は記憶にない。


ボクシング映画の最高傑作「ミリオンダラーベイビー」クリントイーストウッド、モーガンフリーマン、ヒラリースワンクの3人の物語である。並行して3人を語るが、ヒラリースワンクの成長を語るのが基本だ。女性ボクサーの物語でこの流れを引き継ぐのが安藤さくら主演「百円の恋で、いずれも序盤戦の気だるい雰囲気から高揚感を感じさせる流れに持っていく。結末は悲劇的であっても、途中は浮上するのだ。「ロッキー」でも「レイジングブル」でもボクシング映画でわれわれの気分が盛り上がるのはそういう上向きな場面である。でも、ここではそうしない。ある意味監督の意志が感じられる。

⒉ずっと負け続けのボクサー
松山ケンイチが演じる。練習は一生懸命やる。後輩の練習にも付き合ういい奴だ。ジムの仲間が対戦する相手の過去の試合をひも解いて弱点を集めて教えてあげる。こうするといいよと具体的にアドバイスをしてあげるのだ。


でも、後輩から「ずっと負け続けの瓜田さんのアドバイスを聞いても勝てない」と言われる場面が2度出てくる。それを言われても、瓜田はムカッとするわけではない。そのまま黙るのだ。つらい場面だ。でも、このアドバイスは的確なのだ。長くボクシングをやってきたという吉田監督は同じような先輩をかつて見てきたのであろう。名選手名コーチにあらず、ということわざの逆に「名コーチは名選手にあらず」ということもいえるというわけだ。


栄光に向かう選手がいる一方でこんなボクサーもいるんだよと我々に問いかけているような気がした。的確なボディブローのように見終わってしばらくしてから心に響いてくる。
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映画「浜の朝日の嘘つきどもと」高畑充希&大久保佳代子&タナダユキ

2021-09-12 08:55:56 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「浜の朝日の嘘つきどもと」を映画館で観てきました。


「浜の朝日の噓つきどもと」は福島南相馬を舞台にしたタナダユキ監督の新作である。映画に流れる独特の優しいムードがお気に入りでずっと追いかけている。四十九日のレシピが大好きで前作ロマンスドールも良かったが、今回も予告編で気になったので早々に映画館に向かう。

閉館しようとしていた福島の名画座に突然映画館を立て直すという若い女の子が現れ、オーナーとともに復活を目指そうとする話だ。南相馬が舞台ということで、無理やり震災話を組み合わせようとするのは若干強引かもしれない。

これまでのタナダユキ作品の主人公たちと比較すると、高畑充希演じる立て直そうとする主人公があまり礼儀正しくない女の子で共感も持ちづらい。ここでの「嘘」も意味はわかったがあまり良くは思えない。逆に、主人公の恩師役の大久保佳代子の活躍が目立った気がする。これはキャスティングに成功している。

ここのところ、セリフを最小限にして映像で見せるという外国映画を続けて観たので、ナレーターも含めて説明調のセリフが多いのも久々だ。最近流行の映画文法とは若干違う。それだけに何がなんだかよくわからない映画の展開ではない。逆に観客にはやさしい時間軸をずらしながら揺れを示すストーリーも悪くはないんだけど、傑作だというほどでもないかな?


福島の南相馬で約100年まえに開業した映画館、朝日座の跡継ぎ森田保造(柳家喬太郎)は、時代の波に押されて売却することを決め、祖父がここをはじめるきっかけとなった映画、D・W・グリフィス監督「東への道」のフィルムを映写して終えようとした。


映画館の前で、フィルムを焼却処分していた時に、見知らぬ娘浜野あさひ(高畑充希)が強引に止めようとする。名乗りもせずに、この映画館を立てなおすために来たと宣言する。すでに心を決めていたオーナーは驚く。名前を聞くと、茂木莉子=モギリ子と名乗る。浜野あさひにとって、朝日座再興は大切な恩人との約束だった。

恩人とは、あさひが通っていた郡山の高校の教師田中茉莉子(大久保佳代子)である。震災のあと父親(光石研)の仕事の関係で周囲から総スカンを喰らって1人ぼっちになって高校の屋上で1人ぼっちだったあさひを救ってくれた教師だった。その先生から朝日座をなんとか救ってくれと東京から南相馬に来たのであるが、売却を避けるためにあさひがいくつかアイディアを出すのであるが。。。


⒈高畑充希と柳家喬太郎
いきなり自分の名前も名乗らずに閉めようとしていた映画館の前で、立て直すとオーナーにかます言葉遣いがタメ口の礼儀知らずで、しかも偽名を使う。なんだこの女と違和感を感じる。でも、徐々に印象は変わる。江戸弁の福島南相馬の映画館の主というのも妙だが、噺家だけに柳家喬太郎の語りのテンポは軽妙である。2人の掛け合いは田舎人の会話と思えないスピード感だ。ワイドスクリーンを思いっきり使った2人の見せ方はうまい。


セリフにあるが「もともとは中流家庭出身」という主人公あさひは普通の運送業者の娘だった。父親が震災後の復興事業でカネ儲けしているとうわさされ、田舎なのでそれが高校にまで伝わり友達もなくすという設定だ。ある意味かわいそう。それを救うのが大久保佳代子演じる先生という訳だ。

先日観た明日の食卓では、高畑充希はカネがないのに親の援助を受けずに頑張る典型的なシングルマザーを演じていた。あまりに頻繁にみられる話である。でも、ネイティブ関西弁で演じる演技も悪くはない。土着の関西舞台の映画なんか出演させてみたらいいんじゃないだろうか。今回は回想シーンで、高校生まで演じてしまう。違和感はまったくない。

⒉大久保佳代子
高校の教師である。もともとは映画の配給の仕事をしていて、たまたま教員免許を取っていたので、採用試験を受けたら受かっちゃったという設定だ。映画好きで、マニアックな作品のDVDを家で見ている。男出入りは割と激しく、入れ替わり立ち替わり泊まりに来るが続かない。自分の馴染みの店に放火しようとしていたベトナム実習生を助けて、一緒に暮らすという設定だ。


人はいい。家庭の事情で周囲から白い目を向けられている高校生の主人公あさひを助ける。それでも、ドロップアウトしてしまうあさひに大学くらい出ないときついよと大検の試験を受けるのを勧める。教育者の見本のようなものだ。

タナダユキのキャラクター設定は成功しているし、アンバランスな部分を持つ教師に大久保佳代子を起用するのもうまい。彼女も良く応えている。千葉大学出身で庶民的国立大出である。教員になる人が多い大学だ。それなり以上に学があるけど、美人ではない。もともとお笑いでのスタートだけど、気がつくと性格俳優的使われ方をしている。ますますオーダーが増えるのではないか。


⒊世間知らずなのかな?監督は
朝日座は売却することが決まっていた。でも、450万円ほど借金がある。この借金というのが謎だ。購入希望者と土地建物の正式契約はしていないというセリフがある。ということは手付金ではない。事前に購入主から運転資金として借りていたということなのであろうか?これも妙だ。

しかも、すでに解体業者を手配しているので1000万かかっているので計1450万円返してもらえないとダメだと購入側から言われる。あさひの案ではじめたクラウドファンディングでは到底足りないという設定だ。でも、解体の業者を手配しているだけで、明日工事に入るというわけでないのに多額の損害金が発生するはずがない。準備だけでかかる費用はたいしたことない。逆にこれでそのまま費用請求したらぼったくりだ。映画でのお金のやりとりは超不自然だ。これで1450万円支払ったとすると、あきれるしかない。

毎度のことながらタナダユキ監督のセンスの良さは認めるが、プロデューサーも女性のようだし、もっと商慣行のわかる人に聞いた方がいいと思う。


今回、吉行和子さんが出演していた。日経新聞私の履歴書の連載にこの5月に登場していた。おもしろかった。その際、劇団民藝に入団して、労働歌とか歌わせられながら左翼思想に毒されたことが書いてあった。今でも演劇界には左翼が正義みたいな風土があるが、それは別としても経済取引についてはもう少し勉強してほしいという部分はいつも感じる。
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映画「アナザー・ラウンド」 マッツミケルセン

2021-09-05 07:47:39 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「アナザー・ラウンド」を映画館で観てきました。

「アナザーラウンド」は2021年第93回アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞したデンマーク映画である。過去のアカデミー賞でデンマーク映画は、1987年にグルメ映画の傑作パベットの晩餐会や翌年の「ペレ」、2011年にも未来を生きる君たちへという受賞作がある。今年もわたしの叔父さんという愛情溢れた作品があり、デンマーク映画は気になる存在だ。


しかも、扱っている題材がアルコールと聞き、禁酒続きの自分もこれは観てみようと早速映画館に向かう。主演はデンマークが生んだ国際派俳優のマッツ・ミケルセン、トマス・ヴィンターベア監督との最強コンビというのも気になる。デンマークの原題は「druk」でなんかやばそう。英題の「アナザーラウンド」町山智浩によると、「もう一杯」という意味だそうだ。

セリフは簡潔である。決して多くはない。悲劇的な場面もそれと匂わせる状況事実を映し出し、説明に頼らない。描写でストーリーを示す高等技術で映画としての質は高い。笑いも常に誘う。でも、巷で絶賛されているほどまでは良いとは自分には思えなかった。

デンマーク、高校の歴史教師のマーティン(マッツ・ミケルセン)は、生徒と保護者たちから授業の進行が支離滅裂で重要科目なのに困ると抗議を受ける。スランプ気味だったのだ。仕事を惰性でやり過ごしていて、妻アニカ(マリア・ボネヴィー)や2人の息子との家庭内の状況も良くなかった。


落ち込むマーティンは、高校の教員仲間に励まされる。そこでノルウェーの哲学者の「血中アルコール濃度を常に0.05%に保つと仕事も私生活もうまくいく」という仮説を知り、4人で実証してみようとするのだ。トイレで一杯引っかけて、授業のやり方をかえると、生徒にも歓迎されて、冷え切った家庭にも変化の兆しが出た。


そんな時、同僚との寄り合いで仲間の3人から血中濃度を上げるくらいもっと飲んでみようと誘われる。自分はやらないよと、その場を立ち去ろうとしたマーティンは一杯だけ試しに飲み始めたら、止まらなくなるのであるが。。。

⒈マッツ・ミケルセン
マッツ・ミケルセンは国際派俳優と持ち上げたが、二枚目俳優ではない。人相は決して良いとはいえない。007シリーズの「カジノロワイアル」での悪役ぶりで全世界に強い印象を残した。顔をみてあいつかと思う人は多いだろう。マッツ・ミケルセンとトマス・ヴィンターベア監督のコンビの前作「偽りなき者は幼児の偽証言に翻弄される大人を描いた物語で目をふさぎたくなるようなきつい映画だった。ちょっとやるせない話だ。


飲むつもりはないのに、一杯飲んだだけで止まらないというのは自分と同じ。そういう男の「悲しい性(サガ)」を巧みに演じている。ここでは、主人公だけにスポット当てられるというよりも同僚の3人も同じように酒に狂っていく。みんな仲がやけにいい。高校の教師同士って科目を超えてこんなに仲良かったかなあ。

⒉酒に寛容なデンマーク社会
映画ポスターの写真でマッツミケルセンが豪快に飲んでいる後ろに写るのは、卒業した生徒たちである。それも高校のフェアウエル路上パーティだ。初めて知ったんだけど、デンマークでは飲酒は何歳からでもOKだそうだ。ただし、購入できるアルコールが16.5%未満が16歳以上、16.5%以上が18歳以上という制限があるだけのようだ。これもすごいね。

実は、東京オリンピックで世界最強のデンマークハンドボールチームの試合をずっと追いかけていた。信じられないくらい上手い。でも、決勝でフランスに負けた。大番狂わせで驚いた。選手村でヤケ酒飲んだんだろうなあ。


日本は逆にキツくなる一方で、高校生の飲酒に対してかなり強く制限しているだけでなく、20歳前の大学生も飲めない。確かに、以前から20未満禁だけど、もっと世の中も寛容だった。選挙権年齢は下げても、飲酒可能時期は下げない。個人的にはどうかと思う。

確かに、大学のOB会に行った時、晴れて母校の教授になった4期後輩が部長になり、20歳以下の現役部員に飲まさないでくださいと挨拶の際に自分の名前を出していた。そう、自分が社会人1年目の時、新入生の歓迎会に行って現教授にしこたま飲ませまくったのが今でも印象に残るようだ。高校の時もフェアウェル宴会を卒業式の日にやって、男女仲良くしこたま飲んだなあ。担任も知っている。ネットSNS社会イコール恐ろしい監視社会だけに今の若者は告げ口気にしてかわいそう。

⒊アルコール濃度0.05%ではおさまらない
「血中アルコール濃度を常に0.05%に保つと仕事も私生活もうまくいく」これはわかる気がする。昭和50年代に阪急で活躍した今井雄太郎投手は、浮上できなかった時にコーチにビールを一杯飲んでから行けと言われ好投した。それをきっかけに20勝投手になり、完全試合も達成した。こんな話ってビジネスの世界ではいくらでも転がっているかもしれない。


ただ、一杯飲んで良い授業ができるようになったなんて話はさすがにないだろう。常に一杯だけで済ませられれば良いが、なかなかそうはいかない。自分もそうだ。植木等先生の「スーダラ節」でも「ちょっと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒」という歌詞がある。これこそ「アナザーラウンド」だよね。ここではかなりのエスカレートである。ドツボに落とされる。

⒋禁酒法日本
7月中旬から酒を飲んでいない。もともと家では正月や家族の誕生日などのイベント事以外は飲まない。飲まなければそれでも大丈夫。逆に飲むときはハシゴ酒。たまに、高級酒や高価なグラスをもらうことがあるが、困ってしまう。先日、市販で2万くらいするワインをもらった。しばらくとっておこうとしたら、飾っても仕方ないと家人が言い家のイベント事で飲みきった。γ-gtp は30を切ったままで肝機能はAだ。長期的悪化傾向だった肝臓機能も信じられない改善だ。


でも、これってやっぱりまずいよね。コロナでいつも通っていた店がかなり潰れた。今のデンマーク飲酒事情どうなっているんだろう。
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映画「シャン・チー テン・リングスの伝説」 シム・リウ&トニー・レオン

2021-09-04 07:47:47 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「シャンチー テン・リングスの伝説」を映画館で観てきました。


「シャン・チー/テン・リングスの伝説」マーベルスタジオのアメコミの実写映画化である。最近はこの手の作品はスルーすることが多いが、久々に香港のトニーレオンが観れるというだけで映画館に向かう。ミシェルヨーの姿がみれるのもうれしい。予告編で主人公シャンチーのカンフーアクションが凄そうというのもチェックしていた。要はシャンチーはカンフー的マーベルヒーローなのね。たまには武侠映画を観てみたい気持ちはある。

不老長寿の父(トニーレオン)と武芸の達人の母の元で幼い頃から殺人術を教えられてきたシャンチー(シムリウ)は、父のもとを離れサンフランシスコのホテルで駐車係を同僚のケイティ(オークワフィナ)とやっていた。ある時バスで突然身に付けていた緑のペンダントを狙われ暴漢に襲われる。その場は持ち前の格闘能力で切り抜けたが、同じペンダントをマカオにいる妹が持っているからと、ケイティとともに助けに向かうのであるが。。。


以上のストーリーはあくまで序盤戦、ストーリーは複雑ではないが、次から次へとシャンチーのもとに難関が押し寄せる。そして、父と再会するが、親子であっても必ずしも味方とは言えない要素もあり、敵味方が入り乱れていく展開である。

「シャン・チー/テン・リングスの伝説」を見終わっての率直な感想としては、中盤過ぎまではおもしろかったという感じかな?いきなりの映画「グリーンデスティニー」を連想させる武侠アクションとバスの中で暴漢に絡まれた中でのサンフランシスコの坂道でのカンフーアクションにまず度肝を抜かれる。しばらく行けていないので、「新リスボアホテル」をはじめとしたマカオの夜のネオンにもウキウキする。高所アクションは映画の定石通りのスタイルだけど楽しめる。

でも、最終場面が近づくにつれ、急激にファンタジーの色が濃くなる。しかも、中国なので、竜が出て来る。ダイナミックな映像だけどこの辺りはちょっと微妙、なんかキングギドラとラドンが戦っているみたいな要素はちょっとやりすぎに見えてしまう。お金がかけられているのはよくわかる。この映画では中国語英語両方のセリフがあるが、子連れでなければニュアンスをわかるために字幕でみたい。

⒈トニーレオンとミシェルヨー
米国資本が武侠映画に資金を投入して、アンリー監督「グリーンデスティニー」とチャンイーモア監督「HERO」という名作ができた。色彩感覚に優れ、空間の使い方が衝撃的だった。ちょっと遅れているなあと思っていた中国映画界がこの辺りから一気に進化した。歴史的傑作だと思う。「グリーンデスティニー」のミシェルヨーと「HERO」のトニーレオンが出演しているだけで、期待してしまう。さすがに2人とも還暦に差し掛かる年齢なので、新しい中華スターへの世代交代も図られている。


トニーレオンを映画館で観るのが久しぶりだ。考えてみると、チャンツィイー共演の「グランドマスター以来だ。トニーレオンの履歴を辿ってみると、その後もいくつか出演しているようだけど、日本未公開だったりして縁がなかった。この映画のトニーレオンの風貌は香港で活躍した20年前の姿と変わらない。でも、声がかすれ声だった。不老長寿を感じさせるためにわざとやっているの?という気もするが、どうしちゃたのかな?気になる。あとはストーリーの問題だけど、トニーレオンの途中からの動きの意味がよくわからない。


⒉オークワフィナ
中国、韓国の混血のアメリカ人、日本人といってもおかしくない風貌でネイティブな英語を話す。前作「フェアウェル」ではゴールデングローブ賞の主演女優賞までいただいたが、そんなに良い映画とは思わなかった。でも、彼女の存在感は感じた。中国系に多い正統派美人女優ではなく、どこにでもいるような女の子である。自分にはアニメ「魔法使いサリー」のヨシコちゃんにダブってしまう。東京オリンピックの金メダリストのボクシングの入江選手にも似ている。彼女お笑い向きだよね。


ここではホテルの駐車係をシャンチーと一緒にやっている普通の女の子。コミカルな動きを見せる。日本でいえば吉本の芸人的な活躍で、最後まで笑いを誘う。映画に必要なのは美男美女だけでない。これはこれで重要な存在だ。

⒋シム・リウとデスティン・ダニエル・クレットン
デスティン・ダニエル・クレットン監督は日系の母親でアジア系の血筋もあるようだ。死刑囚の再審がテーマの前作黒い司法 0%からの奇跡とはまるっきり違う。伝統的黒人冤罪映画だからてっきり黒人監督による作品だと自分は勘違いしていた。映画界では相応の期待があるから、今回も起用されたのではないか。

「グリーンデスティニー」などの現代武侠映画だけでなく「燃えよドラゴン」などの古典的アクション映画のテイストも数多く引用している。序盤戦で、竹林の間での戦いで、自分が小学低学年の時のアニメ「風のフジ丸」を連想させる木の葉が舞い上がるシーンがあった。思わず提供の藤沢薬品の名前を連想した。これはこれで悪くない。


主演のシム・リウは初めて知る。正直無名の彼の名前だけでは映画館には足が向かない。アジア系の大スターに挟まっているにもかかわらず、激しいアクションも無難にこなしたのではないか。今後に期待したい。

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