透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

八ヶ岳美術館 16年ぶりの再訪

2024-05-13 | A あれこれ


 八ヶ岳美術館は地元原村出身の彫刻家・清水多嘉示の作品の寄贈を受けて計画された村立の美術館で、村野藤吾88歳の時の作品(1979年竣工)。

現在、八ヶ岳美術館で特別企画展「建築家  村野藤吾と八ヶ岳美術館」が開催されている(会期:4月1日~6月2日)。この特別企画展を見ることと、同美術館で開催された松隈 洋さんの講演を聴くために昨日(11日)出かけた。

八ヶ岳美術館は何年ぶりだろう・・・。そう思って、ブログの過去ログを検索した。2008年6月8日、同美術館で開催された建築評論家・長谷川尭さんの講演「村野藤吾の八ヶ岳美術館  ―  偉大な建築家が残した晩年の傑作  ―」とレースのカーテンの吊天井の施工を担当した保科功さんの「八ヶ岳美術館のレースのカーテン」を聴くために出かけて以来、実に16年ぶりということが分かった。

樹林の中に丸いドーム状の屋根、それを支える円弧上の壁面がいくつもリズミカルに連なっている。美術館で配布された資料に村野藤吾は出来るだけ自然を壊さないように計画したということが記されている。美術館を小さなボリュームに分節する計画にしたところに、その意図が窺える。

2008年6月9日のブログ(過去ログ)に、次のように書いている。

**工事の途中で村野さんは「自然の木や草を建築がこわしてはいけない、これは岩だよ」と保科さんに美術館について説明したそうだ。ドーム状の屋根の連なりは「岩」だったのか・・・。**


なるほど、自然と対峙する姿ではない。周辺の環境と連続的に繋がっている。


駐車場から林間の小道を5分程歩いて、エントランスに到る。エントランスの位置を曲面の白い壁で控えめにさりげなく示している。訪れる者を招き入れるフォルム。村野藤吾の優しさがここにも表出してる。


松隈 洋さんの講演「建築と思想――建築をヒューマナイズすること」について、内容は記さないが、「へ~ 知らなかった」ということがいくつかあったので、メモした。一部転記しておく。

・村野藤吾は今 和次郎に私淑し、大きな影響を受けた。
・宇部市民館(宇部市渡辺翁記念会館 1937年)はル・コルビュジェの国際連盟本部コンペ案(1927年)を意識し、参照しながら設計した。講演で示された両案の平面計画はよく似ていた。換骨奪胎
・大阪パンション(1932年)はモダニズムの「白い箱」! 
・船の造形からの引用 



講演会終了後、売店で買い求めた『村野藤吾  建築案内』(TOTO出版)。あれ、没後25年? 今年は没後40年のはずだけど・・・。奥付を見ると2009年11月26日  初版第1刷発行となっていた。そう、これは15年前に発行された本。帯には**本書ほど包括的に村野作品をとりあげたものはない。**という菊竹清訓のことばが載っている。この本で村野藤吾の建築を勉強、勉強。





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