透明タペストリー

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長野県辰野町の火の見櫓が登録有形文化財に!

2024-03-16 | A 火の見櫓っておもしろい


 
文化庁のHPより(一部切り取り)

 昨日(15日)開催された文化審議会が、同文化財分科会の審議・議決を経て、新たに121件の建造物を登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申したということが文化庁のHPに掲載されているが、答申された建造物の中に上伊那郡辰野町小野の火の見櫓(写真①)が入っている。昨夜、文化庁のHPを閲覧して確認した。尚、辰野町では同地域の小野宿にある旧小澤家住宅(油屋)の主屋(写真⑦)と表門も登録申請していて、答申リストに入っている。


今回の件で3紙の取材を受けた。読売新聞(3月16日付24面地域面)が大きく紙面を割いて報じていた。

**「火の見ヤグラー」を名乗る平林さんは、火の見櫓が国登録有形文化財になることに「地域のランドマークの役割もあるし、自分たちの地域は自分たちで守るという地域愛の象徴でもある。これを機に改めて目を向けてもらえれば」と話している。** 私が伝えたいことをきっちり記事にしていただいた。

 
この火の見櫓は初期中山道、その後伊那街道の宿場であった小野宿(辰野町小野)の南端に位置している。ランドマークとしての存在であることが理解しやすい立地だ。


小野下町の火の見櫓が登録有形文化財に登録されることになった経緯を記しておきたい。

以下の通り幸運が重なった。

2019年11月6日 私はこの日、FM長野の「ラジモ!」という平日夕方の帯番組(現在は放送されていない)に出演して火の見櫓について語った。その際、この火の見櫓を紹介した。幸運にもこの放送を偶々、辰野町の職員の方が聞いておられた。

「憑の里 まちづくり通信」という地元地域の広報紙(令和2年(2020年)3月37日)にこのことに関する記事が掲載されている(写真③)。




記事から引用する。**昨年(注:2019年)の十一月六日の夕方に、FM放送を聞いていると、「長野県一美しい火の見櫓は小野の雨沢の火の見櫓だ」という話が聞こえてきました。(中略)雨沢の火の見櫓が県内一美しいと語ったのは平林勇一さんで、県内はおろか、県外の火の見櫓まで写真に収めている方で、火の見櫓の本まで出版しています。その方が、ラジオ番組で、雨沢の火の見櫓を紹介してくれました。ありがたいことです。全国では、登録有形文化財に登録されている火の見櫓もあるようです。** この記事は**登録有形文化財も夢ではないかもしれません。**と結ばれている。

この記事から分かるように町の職員の方が火の見櫓が文化財であるということを理解していただいていたことも大きい。私にとって、このような認識は大変うれしい。そして幸運なことにこの職員の方は今までの登録申請を担当しておられた。

この火の見櫓が立っている小野地区には既に登録有形文化財に登録されている建造物がある。旧小野村役場庁舎(写真④)及び土蔵(共に2018年登録)、旧小野湯便局局舎(写真⑤ 2022年登録)だ。


④ 旧小野村役場庁舎


⑤ 旧小野湯便局局舎

辰野町の担当課では既にこれらの建造物の申請手続きを経験し、手続きの流れを理解できていたことも幸運だったと思う。書類はそれ程のボリュームにはならないが簡潔にポイントを押さえた報告書、添付資料を作成することは容易ではない。私は報告書の中のこの火の見櫓に関する技術レポート作成のお手伝いをさせていただいた。

辰野町の担当者の労をいとわない姿勢に敬意と感謝を表したい。そのような姿勢なくして、火の見櫓の登録有形文化財への登録は到底実現しなかったと思う。

この火の見櫓を建設した鐵工所は既になくなっているが、私は火の見櫓が縁で鐵工所の経営者のご子息と知り合い、この火の見櫓に関する資料(契約書、図面、建て方の様子等を写した写真他)を見せていただいたことがある。この火の見櫓は1955年(昭和30年)の7月から8月にかけて建設されたがその時の資料が保管されていたことも幸運だった。この貴重な資料は文化庁に提出された書類に添付された。拙著『あ、火の見櫓!』にもそれらの資料を掲載させていただいた(写真⑥)。



旧小澤家住宅(油屋)


以下、改めて登録有形文化財に登録されることになった火の見櫓を紹介したい。


この火の見櫓が登録有形文化財に登録されるということで新聞3紙から取材を受けた。私はこの火の見櫓の美しさに注目したのだが、そのことを説明した。

美しいかどうかは一般には主観による。だが、この火の見櫓の美は構造的な合理性に因るもので、客観的な美であることを説明したかった。だが、この構造力学的に合理的な形、即ち地震力や風力に無理なく抵抗できる形、それは曲げモーメントを示すグラフの曲線に沿う形なのだが、そのことを分かりやすく説明するのはなんとも難しい。曲げモーメント、内部応力などの専門的な用語は使えない。

電柱間に張られた電線はたわむけれど(カテナリー曲線、懸垂線と呼ばれる)、それは自然(重力)の力によるものであって、そこに人の作為はない。自然の求めに素直に応じた形こそ美しい。例えば幹から出ている枝にぶら下がると枝の付け根で折れる(例外はあるだろうが)。枝の付け根に一番力がかかるから。積雪荷重が仮に等分布的にかかった場合でも同じ。それで枝の付け根のところを太くして丈夫にしている。この火の見櫓も自然の求めに素直に従って脚の根本まで末広がりの形をしている、というのはなんとも情緒的な説明だが・・・。

それに屋根と見張り台の大きさのバランスが良い。さらに脚がトラス構造であり(単にトラス構造と言うだけでなく、その形状も好ましい)、構造的に丈夫であるし、櫓の荷重をきっちり受けとめて踏ん張っているということが視覚的にも分かる。

構造的合理性を備えた末広がりの櫓(写真⑧)、屋根と見張り台の大きさの適度なバランス(写真⑧)、好ましいトラス脚(写真⑪)。この火の見櫓はこの3点が体現されていていて実に美しい。






登録有形文化財の火の見櫓及び関連建造物 一覧(●印は鉄骨造の火の見櫓)

前野町火の見櫓● 岐阜県各務原市
浅野川大橋詰火の見櫓● 石川県金沢市
山桜神社火の見櫓 岐阜県高山市
旧京橋火の見櫓● 岡山県岡山市
三宅区火の見やぐら 福井県若狭町

三宅区火の見櫓倉庫 同上
竹田火の見やぐら● 京都府京都市伏見区
東京都広尾小学校 東京都渋谷区
今井家住宅西洋館 新潟県燕市
旧岩渕火の見櫓● 静岡県富士市

旧小野村下町の火の見櫓● 長野県辰野町