透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

塩尻市の有形文化財 無量寺の半鐘

2022-03-28 | A 火の見櫓っておもしろい

 塩尻市片丘の無量寺に太平洋戦争のおりに供出を免れた半鐘がある、ということをしばらく前に知った。今日(27日)出かけて本堂に吊り下げられているその半鐘(*1)を見せていただいた。

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無量寺本堂 2006年(平成18年)落慶


無量寺の半鐘は1974年(昭和49年)に塩尻市有形文化財に指定されている。


本堂内に吊り下げられている半鐘

    

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無量寺の歴史を紹介する冊子にこの半鐘に関する記述がある。少し長くなるが引用する。

**(前略)大東亜戦争のおり、軍の命令で、平和を祈るべき寺々の梵鐘が、大砲をつくるための資材として強制的に供出させられた。由緒ある鐘が戦争の犠牲になることを惜しんだ村人達が相談の結果、村の火の見櫓の半鐘を身代わりに立て、無量寺の半鐘が代わって火の見櫓に登った。お陰で半鐘は生きのびることができ戦争が終わって寺に返されたが、戦時中石で打たれつづけたために(中略)、わずかながら亀裂が入り、往時の音色には及ばなくなったが、松本平には数少ない歴史を持った鐘として今日に伝えられている。**(16、17頁)太字化筆者

半鐘銘は私の能力不足に加えて字が経年劣化で判然としないために大半が読み取れなかった。幸い、冊子に載っているので以下に転載させていただく。

半鐘銘
維時享保八年龍集癸卯天七月初〇
信州筑摩郡南内田村阿弥陀堂五世〇〇
    願主 法蓮社 随誉〇〇法蓮〇〇
    治工 松本住 濱伊右エ門藤原〇
以下省略 
筆者メモ 享保8年は西暦1723年

この半鐘の鋳物師は濱氏。先日松本市内で見た半鐘に名があった濱猪久馬の何代か前の鋳物師だ。半鐘に歴史ありだなぁ。



戦時中この半鐘を吊り下げていた火の見櫓は現存するのか気になる。無量寺のすぐ北にある火の見櫓だと伺った。上掲したこの火の見櫓は戦後に建てられたものではないかと思われる。この辺りに戦前に建てられた火の見櫓があり、そこに吊り下げられていた、と推測しておく。


*1 半鐘は小さい釣鐘のことで小鐘とも呼ばれる。元々、寺院で用いられていた。江戸時代になって火の見櫓でもいわゆる半鐘として使われるようになり、火災や洪水などの非常時に打ち鳴らされるようになった。