先生の講評……
対象(被災)に対する温かな愛情を感じさせる。
自己流アイディアを考える姿勢からきているのだろう。
つつじのつぶやき・・・・・
大きな災害の後、教訓は生かされているのだろうか。
今日は野球WBC決勝、日本は世界一になりました。
エッセイ こんな設計図 課題【真直ぐ・曲がる】 2011.4.22
「宮城県から来ました、宜しくお願いします」、
小学校低学年らしい転校生が挨拶をした。
その後のインタビューで、「友達を沢山つくりたいです」。あどけない顔が
緊張している。
天災とはいえ、こんな小さな子にまで試練が及ぶ。
春の新学期、何も無ければ仲良しの友達と遊ぶ約束でもする一日だろうにと
胸がつまる。
大地震と津波の被害で、町はメチャメチャになった。
写真で見た戦争の後の焼け野原のようだ。
瓦礫の山にポツンポツントとコンクリートの建物が残っている。
地震に強い家をと願って作った家も、大津波はひとたまりも
無く持っていった。
だが昼間でよかった。かなりの学校が高台にあり、
大半の生徒が助かった。
学校を高台に作っていたことは、以前の教訓が生かされていたと
いうことだろう。
大正時代、関東大震災の後、まず丈夫な建物を造ろうと、
建築に関わる人たちが知恵を出し合って、
鉄筋コンクリートで同潤会アパートや小学校を作った。
それは戦災にも耐え、今も使われている。
今回のような災害が夜中に起こったら、暗闇の中を、
遠くの高台まで避難するのは難しいと思う。
素人の私が考えることだが、こんな設計図はどうだろう。
近くの山を崩し、その土を海辺の土地に下ろす。
できるだけ高台に土地を広げ、住居や学校、公共施設を作る。
生活の拠点が海辺というのであれば、平地には大きな道路を作り、
その両側に10階建てぐらいの鉄筋コンクリートの建物を作る。
4階迄が、昼間の働く場所とし、住居は、津波が来ても大丈夫な高さ、
5階以上にする。
そして、屋上迄上れる階段を沢山作り、万が一の時は誰でも利用する。
階段なら、足の悪い人には、おんぶする背中も、肩も貸せる。