エッセイ 「余裕のヨっちゃん」 2018.5.11 課題 【残したい・忘れたい】
二男が五歳の夏休み、夫の転勤で広島に引っ越し幼稚園を変わった。
知り合いに紹介された幼稚園は、園児が多いのに園庭は狭かった。
教室の机は全員にはなく、園児の居場所は椅子だけだった。
お絵かきや工作は床に腹這いになってする。
歌の時間はピアノの音に負けないよう大きな声で歌い、先生の声も大きかった。
それまで通っていた幼稚園は保育大学の付属で園庭も広く、遊びを通して個性を大切に、子供が興味を示したものは、じっと見守り耳を傾けてくれた。
ピアノは無く、わらべ歌をきれいな声で優しく歌う、と言うのだったから相当驚いたようだ。
お迎えに行くと、息子は滑り台の高い所にぽつんと立って待っている。
ひと月程経った頃、変な呼吸をしている。
「ヒック」鼻をすすると言うのでもない、所謂チックの様だった。
その頃水泳教室にも通いだしたが、それも嫌だったようだ。
「今日は少しお腹が痛い」とか、「何だか足が痛い」と行きたくない信号をだす。
「お弁当はしっかり食べられたのだから、頑張ってみようよ」と言いながらプールに連れて行く。
帰り道、自転車の後ろへ、「すごいね~、息継ぎが出来たじゃない」と言うと、「余裕のヨっちゃんよ」、さっき迄とは打って変わっていつもの屈託のない声を出す。
身体を動かしたことで自分をとり戻したらしい。
それからは我が家のピースサインは、「余裕のヨっちゃん」、となった。
今、私は隣町の歯医者に通っている。
最新の三D撮影をし、細かい所の情報を見ながら治療を進めますと、丁寧な説明をしてくれた。
だが、目隠しをされ、何かわからない器具を口に入れられての治療は怖い。
自分では割と我慢強い方だと思っているが、体に関することにはとても緊張する。
随分前、手首に小さなガングリオンと言う瘤が出来た。
簡単な切開なのだが、その前のむだ毛を剃るカミソリを見ただけで貧血を起こした。
早く終わって、「余裕のヨっちゃんよ」とピースサインをだして解放されたい。
先生の講評・・・身体の反応をめぐる息子の心と母の心のストーリー。
拒否反応を息子はクリアし、母は持つ。
密な交流記。
つつじのつぶやき・・・
滑り台の高いところに立って、心細そうに私を待っていた光景は
忘れられません。引っ越しはつらいこともありますね。