つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ カサブランカ

2019-12-29 17:37:28 | エッセイ

エッセイ カサブランカ 課題【冬・自由課題】 2019.1.11

師走
今、夫と二人暮らし。毎日の家事は少なくなり、随分と自由な時間ができた。
呑気に構えていたら風邪を引き、なかなか治らず二十日を過ぎた。
25日に引き落としがある、通帳に入金しなければいけない。
そして年賀状、生協で注文していた白菜も届いた。 
天気もいい、起き上がった。銀行だ。
自転車に乗ると何だかふらつく。
帰りに郵便局で年賀状を買った。
久しぶりにお昼ご飯が美味しい。
午後は白菜を漬ける。今年の白菜は瑞々しい葉がきれいに巻いて大きさが丁度いい。
毎年、おせちと同じくらいに大事にしている白菜の漬物、昆布も柚子も用意していたのに唐辛子を忘れた。

三十日
いつも二十八日迄には済ませた門松やお飾りを忘れていた。
花屋に行き門松や輪飾り、裏白などを選び、大きな花瓶に生けるカサブランカを買った。硬い蕾が少し不安だったが奮発した。

一夜飾りのお正月にならなくて良かった。
二人で年賀状を書く。
夫は年賀状の中の誰を探しているのか分らなくなると言う。
何だか二人はおかしい。


新年
年が明けて浅草に行くことにした。
松の内から浪費をしたくないので、財布には少ないお金を入れ、夫に宣言した。
「今日の支払いは割り勘ね」。 
一日中、人混みの中を歩き回って疲れた。家に帰ってくるとホッとする。
何となくニヤニヤしていた夫が、突然「帽子の代金忘れないでね」と言う。
初売りの帽子を買うのを渋っていた私が「お金が無い」と言ったら、確か「出しておく」か「出す」とか言った。お店の人には、まるで自分が妻に買ってあげるというような支払い方だったのに。
「なあんだ、買ってくれるのではないのか、ケチだな」と思った。
 
微かに百合の香りがする。
夫が「花が開いているよ」とカサブランカにライトを当てた。
「見たのね、これは高いお花だったのよ、だから割り勘になります。

つつじのつぶやき・・・・・昨年の年末と、お正月のあれこれです。
               今年も同じように過ごしています。
               平和ってことですね。

 

 

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エッセイ民謡(4)

2019-12-20 12:41:15 | エッセイ

エッセイ 民謡(4) 課題【来る・行く】  2019年9月27日 

 先生のお宅は西荻窪だった。
日曜日になると三味線を持って習いに行った。
ガラス戸を開けると玄関はいつもきれいに拭き清められ、季節の花が生けてあった。
背中の随分曲がった男の人がお茶を出してくれる。
お父さんかと思ったが、親戚の人だと言う、二人で住んでいる様だった。
大抵は何人かの兄弟子が次の稽古を待って、掌で膝を軽く叩いて調子を取っている。
先生と一対一のお稽古は気づまりだった。
撥の持ち方から竿の抑えどころを聞いてぽつりぽつりと音を出してみるが、本当に難しい。
顔を上げると兄弟子たちも苦笑いしている。
唄と同じ、こちらも大いに苦労した。
毎日の練習が必要なのに、家でのおさらいは殆どしなかった。
会社から帰ると食事やお風呂、後片付け等をすると遅くなる。
静かな夜に三味線をセットして音を出すのは気が引けた。
一寸も上手になれない三味線は、唄よりも自信を無くした。
 
ある時、先生が出る小さい舞台だったが、三味線を抱えて先生の後ろに座らせられたことがある。
「出来ないです」と言ったのに振りだけでいいからと言われ、手元が見えないように先生の後ろに座った。
何曲かの後、先生が弾くのを止めて振り返った。
何かいけない音を出したのかとひやっとした。
「三味線を貸して」と私のを持つと、糸を締めている。
糸が切れたようだった。
私の安物の三味線に持ち替えて、何事もなかったように弾いた、驚きだった。

民謡を辞めたのは何だったろうと思い返すことがある。
唄も満足な出来にはならなかったが、三味線が難しかったのが大きな理由だったかもしれない。
夏に「高円寺の阿波踊り」で三味線を弾くと言うのを聞いて辞めたような気がする。
若い日、良くしてくれた人達にきちんとお礼を言ってきたか、ずーと心に小さな棘がある。

 

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エッセイ民謡(3)

2019-12-11 11:11:22 | エッセイ

エッセイ 民謡(3) 2019/9/13  課題【自由課題

教室は商店街の年配の人が多かった。
商店街と言うとざっくばらんの話し方を想像するが、お互いに敬語を使い、馴れ馴れしい感じはしなかった。住宅街からの人もいたから、高円寺という土地柄なのかもしれない。
私は若いと言うだけでよく声をかけてもらった。
先生からは年配の人には頼みにくい小さなお使い、例えば舞台に上がる時など、お茶が欲しい、バックを持ってきて等。
当たり前だが頼まれると嬉しかった。
喫茶店に入った時も傍に座るように手招きし話の輪に入れてくれた。
新入りの私でも、何か役に立つことができる、居場所があると感じた。
商店街でも古くからある古本屋のOさんがいた。
余り笑わない人で、二人きりになった時などは苦手だった。
いつもきちんと唄い駄目出しは少なかった。
私は何度も間違い、言われた所ができない。
体の力が抜けて「フッ」と笑ってしまうが、そんな照れ笑いを見たことがなかった。
帰り道、他の人と別れて二人きりになった。
歩きながら、熱心に私の話を聞いてくれた。
何か不安なことを言ったのかどうか覚えていないが、お店の前に来ても話は続いた。
それからは帰り道で沢山のおしゃべりをした。
お蔭で年上の人と話す時の緊張が少し。薄らいた。
黒い髪をきっちりと纏め、笑った時、奥の金歯が覘くOさんを思い出す。
何の唄が十八番だったのだろう。
教室の唄では毎回汗をかいていたのを気の毒に思ったのか、先生から三味線を習わないかと言われた。
思ってもみない事だった。
暫く考えたが、他の舞台で三味線を弾く若い人を見ていたから、悪くはないかと思った。
 三味線は高そう、買うのを躊躇していたら兄弟子が「ピンキリだよ、撥だって最初は木でいいんだよ」と教えてくれた。
貯金もそんなに無かったから、キリの方でも痛い出費だった。

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エッセイ 民謡(2)

2019-12-03 10:34:34 | エッセイ

エッセイ 民謡(2) 課題【澄む・濁る】  2019年8月23日

民謡教室には休みながらも2年近く通った。
何とか続いたのは、年齢はまちまちだったが毎回和やかな集まりと、その人なりの特徴を尊重する稽古だったからだと思う。
中にとても上手な人が居た。
東北の唄だったかもしれないが澄んだ声が響くと皆聞き惚れた。
その人もだが、何人かが先生の個人指導を受け三味線や太鼓も習っていた。
教室の時は、会員に合わせて三味線や太鼓を叩いてくれた。 

会ではお揃いの着物を用意しなければならなかった。
先生がその事を言うと、親子で習いに来ていた呉服屋さんのお母さんが、帰り道、閉店した店に案内してくれた。
商店街の中でも大きなS呉服屋、「ちょっと待ってて」と言い奥に引っ込んだ。
豪華な着物に見とれていると、息子さんも出てきて採寸をしてくれた。
お母さんにはきちんと敬語で話している。
その後も時々お店に寄ったが、誰が買うのか素晴らしい絞りの着物があった。触るとふんわりし、とても軽かった。
ボーナスが出た時、付け下げを誂えたが、そんな時は息子さんが取り計らってくれた。

先生が出る舞台に、何とか社中みたいに弟子達が駆り出される。
勿論個人指導を受けている人は上手だから問題はないが、その域に達していない人もいる。
私などはその最(さい)たる者なのに、人数合わせに呼ばれた。

舞台が決まると、何時も舞台の立つ位置で一騒ぎがあった。
年配の女性は、前に出るのを嫌って下がろうとする。
結局若いと言うだけの理由で前列へ押し出された。
日比谷公会堂の舞台で唄っている、小さな写真がある。
今ではとても考えられないことだ。

色々揉めた舞台でも、終わると鉢洗いと言う飲み会がある。
稽古の時、厳しいやり取りで音を確認していた兄弟子達も、すっかりリラックスして先生に冗談を言っている。

私は何時まで経っても上達しないから、民謡の弟子になった気にはなれなかったが、真剣にお稽古をする風景は好きだった。

 先生の講評‥‥・下線の部分のために全文がある。

 

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