先生の講評……ノスタルジーの紗幕を通した人物表現が巧み。
過去の人間が、今に生きているようだ。
エッセイ 抽斗 課題【忘れる・記憶する】2014.2.28
私の育った小さな町の通りに、二軒の店があった。
軒の低いおシンさんの店は鍋、釜、笊から茶碗、菓子や子供向けの籤まで、何でも屋の店。
軒の低いおシンさんの店は鍋、釜、笊から茶碗、菓子や子供向けの籤まで、何でも屋の店。
もう一軒は、「煙草や」と呼ばれている、間口の広い蔵構えの商店。
煙草やは、「たばこ」の赤い看板や、塩の青い看板がぶら下がっていた。
又、何かの鑑札や、板塀にキッコーマン醤油、油などの看板も取り付けてあった。
重い硝子戸を開けて入ると、二段框の板敷はピカピカに磨かれて、壁には、一面大小の抽斗があった。
その前の大きな火鉢の前に、髪をひっつめたに結ったおばあさんがいつも座っている。
その前の大きな火鉢の前に、髪をひっつめたに結ったおばあさんがいつも座っている。
皺々の顔、歯の無い口をもぐもぐしながら、小さなキセルでたばこを吸っている。
「葉書きを何枚と、切手を下さい」等と言うと分からなくなる。
抽斗を開けたり閉めたり、何度も聞き返し、首を振りながら怒った顔になる。
すると奥から、モンペをはいた小柄なおじいさんが出てくる。
「あいよ、何だね」と愛想よく話を聞いて、背伸びするようにして抽斗から出してくれる。
抽斗を開けたり閉めたり、何度も聞き返し、首を振りながら怒った顔になる。
すると奥から、モンペをはいた小柄なおじいさんが出てくる。
「あいよ、何だね」と愛想よく話を聞いて、背伸びするようにして抽斗から出してくれる。
おばあさんのことを、皆は「もぶれている」と言っていた。
もぶれるの意味は分からなかったが、今でいう認知症だったのだろう。
もぶれるの意味は分からなかったが、今でいう認知症だったのだろう。
あの頃は砂糖から油まで、大抵量り売りだった。
煙草やの土間には、酒や醤油、味噌の樽がいくつも置かれ、それを量るのは、養子のサトルさんの仕事だ。
煙草やの土間には、酒や醤油、味噌の樽がいくつも置かれ、それを量るのは、養子のサトルさんの仕事だ。
学校から帰ると、「煙草や」にお使いに行く。
木しゃもじを持ったサトルさんは、味噌樽と秤の間を小刻みに動き、何度も量り、決しておまけはしない。
木しゃもじを持ったサトルさんは、味噌樽と秤の間を小刻みに動き、何度も量り、決しておまけはしない。
煙草やは沢山の山林を持っていた。
雨が降り続いて、農作業が遅れるような時でも、山の材木は一雨ごとに太くなり、益々金持ちになる、と、町の人
雨が降り続いて、農作業が遅れるような時でも、山の材木は一雨ごとに太くなり、益々金持ちになる、と、町の人
は噂をしていた。