エッセイ 忘れる 【忘れる・記憶する】2016.6.10
キッチンから、タイマーが終了したとブザーが鳴る。
そこに、「お風呂が沸きました」と音声が知らせる。
「分かっている」、最初はその度に反応をしたが、最近は慣れてしまった。
世間の人も忘れるらしい、だからこんな機能が付いているのだろう。
「忘れる」、「忘れた」と言う不安感が五~六年前から始まった、ような気がする。
その時は確かにガスを消した筈、でも、その一連の動作を思い出すことができない。
若い頃一人暮らしだった。その時もこんな不安を味わった。
多かったのはアイロンの点けっぱなし。
時間がないのに洋服の皺が気になって使ってしまう。
電車に乗ってホッとした途端に思い出す。
そんな時消防車のサイレンなどを聞くともうたまらなくなる。
時間があった時は戻ったと思う。
その頃ドキドキしたことがまだある。
当時銀行のカードは持っていなかったから、お金の出し入れに預金通帳と印鑑が必要だった。
通帳と印鑑を一緒に置いておくのはよくないと言われ、別々にして置き忘れる。
通帳はすぐに分かるのだが、印鑑をどこに仕舞ったかが思い出せなくなる。
幾らでもないお金だったが一人暮らしには大事なものだったから、いろいろ考えて隠したのだろう。
重たいミシンを持ち上げ、その下に仕舞った印鑑を取りだした事もあった。
子供の時から、キチンと片づけができず忘れ物が多かった。
だが一人暮らしの中で、沢山のドキドキをしながら学んできた。
お陰で、それからはそんなに困ったことはなくなっていたのに。
不安感が、又、頭を持ち上げるようになった。
先生の講評……機能音、ガス、アイロン通帳。生活の小道具が不安定感が、さらりと表現されている。
躑躅のつぶやき……不安感が、の部分は先生のご意見で書き加えました。5年前からこんなことを・・・。