つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 渋谷の雑居ビル

2018-04-28 12:21:29 | エッセイ

エッセイ  渋谷の雑居ビル 課題 【昭和】  2010.2.12

独身時代、渋谷の古い雑居ビル2階の、小さな商事会社に勤めていた。  

そのビルには、会計事務所や、何かを登記する事務所、昼間でも青白い蛍光灯をつけて図面を書いている事務所などが入っていた。
日本映画監督協会の看板もあり、時々テレビで見た映画監督を見かけた。

会社は、朝、配送や集金の人達が伝票を持って出かけ、一足遅れて営業の人達も出払うと、日中は、事務員4~5人と社長で業務をしていた。

当時社長は四十代の中頃だった。
日焼けした顔で、ぶっきらぼうな話し方をする、特攻隊の生き残りだった。

渋谷という地の利と人柄なのか、社長の友達がよく訪ねてきていた。
部屋の隅の大ぶりの応接セットのソファーに、お互いがふんぞり返って、「馬鹿言うな」とか「よせやい」とか、学生同士の会話みたいに話をしていた。

その中に、背の高いイトウさんという友達がいた。
週に何日か、日中出かけてきて、社員のように机に座って、書類や、郵便物を整理していた。
その人宛に、何とか経済という沢山の郵便物が届いていたが、会社の所在地を住所にしているらしかった。
社長は「イトウは学生の頃、すごく頭が良かった」、「あいつは、今、総会屋だよ」と言っていたが、何をするのかよく分からなかった。

時々、「お嬢さんたちに」とお菓子を持ってきてくれる。
そんな時は、応接セットのテーブルにお茶を運んで、皆でご馳走になった。
西日の当たるテーブルを囲んで、あの頃は、どんな話をしていたのだろうか。

私が入社して五年程たった頃、戦後の高度成長と言われる波に乗って、渋谷駅をはさんだ反対方向に、小さな自社ビルを建てて、引っ越しした。

古い友人の話だと、あの雑居ビルは、タイルがはがれるのを防止するネットをかぶって、まだ建っているという。

 つつじのつぶやき・・4月、新しい会社にお勤めをした人も多いでしょう。
              早く慣れて、楽しい場所になってくれるといいですね。
             

コメント (2)
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