飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

臨死体験!その3 あらゆる可能性は同時に存在している!

2015-12-31 13:46:53 | 魂の法則Part2

この臨死体験シリーズは、
各編に続きがある・・・。

表題と融合するには、
その続きを読み進めた方が早いだろう。

多分、字数の関係で一挙転載が難しかったものと察する・・・。
連載終了後、その続きも元ブログから転載する予定・・・。


縁あって、「魂の法則」「愛の法則」を連載させていただいたが、

その縁を取り持って下さったスペイン在住の「人生、波瀾万丈」さんから、

アニータさんの臨死体験の話」を連載したいと思う。

 

簡単に言うと、

過去現在未来は、一点に存在するということだろう。

と言っても、

SF的で分からない人も多いと思われる。

又、中々言葉で表現するにも限界がある。


分かりやすく表現すれば、

バックツーザ・フーチャーではないが、

過去に遡って、原因を取り除けば、

未来が変わっているという類の話であろう。

それが、

過去ではなく、現在の一点でも可能である。



その一点とは、時空を貫いていなければならない。

つまり、ひとつの特定次元に拘泥しているようでは、

実現困難である。

例えば、臨死体験などはその反対で、

この世で存在しながら、あの世とも通じている・・・

同時存在状態である。


その時は、その時点の判断で過去も未来も変わるようである。

勿論、現在も変わることは当然であるとして、

まことに不思議な臨死体験である。

これはリンクの続きを読み進めて頂くとよく分かるだろう。


これは示唆として、

生き方にも大いに参考になる。

過去に因われず、未来を憂えることなく、

現在を一瞬一秒、真剣に生きるということが大切である。

それしかないのである。


とは言え、

そうも行かないのが煩悩(エゴ)の深さかも知れない。

それはそれとして、

方向性は見出すことは出来るであろう。

とにかく、実存の世界はそうなっているということである。


これは唯物論者には理解できないだろう。

彼らは、唯物、つまり、物質主義者であり、その他は無である。

当然、死=無=ゼロ(0)である。

従って、この世×あの世=ゼロ(0)=臨死なのであろうから、

体験など妄想に過ぎない。


実存とは、在りてあるものを言うとすれば、

物質こそ実存であって、その他は無であるとする思考は、

最終的に無になるとの論理帰結であるから、

狭く、寂しいことこの上ない。

真の実存は、

あの世こそ、存在の源流であって、この世はその下流に過ぎない。


臨死はこの世側の観点であって、

あの世からすれば、臨在である。

そうすると、

「あらゆる可能性は同時に存在している!」という意味も、

少しは理解できるというものである。

 

 

【転載開始】

あらゆる可能性は同時に存在している!

2013-07-03 06:50:56 | Cancer/Salud

7月が始まりました。
2013年も前半が終わり、後半に突入してしまいました。

今年に入って、私の身の回りはとても忙しくなっています。
去年もその前も、ずっと忙しかったのですが、ちょっと質が違うんです。
説明すると長くなるし、私もどう説明したらいいのかまだ言葉にならない
状態なので、今回は、詳しくは書きません。

ただ、今までの忙しさは、とても重苦しい感じがしていたのですが、
今年に入ってからの忙しさは、わくわく感と、未来につながる明るい
兆しが感じられるので、私自身の気持ちの問題なのかもしれません。。。

巷に言われている、地球のエネルギーが変わったとか、波動が
上昇している、というのと、関係あるような気もします。。。

さて、昨日7月1日、2013年後半が始まる日ということで、
思い切って、早起きして、山の上から日の出を見ました!
家から一番近い山で、街道沿いにのんびり登る道なので
往復1時間半。。。
ほぼ頂上のところで、日の出が始まりました。
その写真が、一番上です。

山並の上に龍の雲が伸びていて、出てきたばかりのお日さまを
くわえているように見える、なんだか縁起のよい日の出でした。
下がそのアップ。。。



とまぁ、前置きはこれくらいにして・・・。
先日書いた、『選択次第で、癒える・・・』、そして、
一昨日の『私たちは何でも帰られる!』の続きです。

【臨死体験で末期癌が消えた! ③ アニータ・モージャニさんの臨死体験】
から、日本語部分だけ転載します。。。

【転載開始】

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▼ 下記の対訳は、2006年に書かれたアニータ・モージャニさんの公式サイトの
   英文記事 を、ゆうこが許可を得て和訳したものです。、
  上の動画のテキストではありませんが、内容は同じなので、参考にしてください。
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追加質問とアニータの回答 2006年8月       (和訳: ゆうこ )
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この体験談があまりにも驚くべきものだったので、私はアニータさんに追加質問のメールを送りました。
質問の下にあるのが彼女の回答です。 
              ―― 臨死研究協会  ジェフリー・ロング博士 (放射線腫瘍医)

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ジェフリー・ロング博士の質問
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1). 素晴らしい文章です!
  今までに英語圏で暮らしたことはありますか?

2). ホジキンリンパ腫だったとのことですが、それは生検で診断されたのですか? 
  どうやって診断されたのですか?

3). すべてのリンパ節腫大が完全に消えたのは、抗癌剤療法を始めてどれくらい後ですか?

4). すでに行われていた検査の結果があなたの選択次第で変わり得たというのは驚くべきことです。
  もしこの世に戻らない選択をしていたとしたら、地球時間で言えば、検査の結果は
  あなたの選択の後に変わっていたのでしょうか?
  それとも採血時 (地球時間で言えば、この世に戻る選択をする前だと思いますが) に
  検査結果に影響を与えていたのでしょうか?   
  これについて、さらなるコメントをいただければ大変ありがたいです。

5). 「このことから、すべての物事は実在しない ということに気づいた (意識が変わったら癌も消えた!)
  と同時に、自分がすばらしくパワフルに感じられるようになり、
  人生に対して全く異なった理解を持つようになりました」 とのことですが、
  これについてもう少しお教えいただければ、癌治療に携わっている医師として大変ありがたいです。

6). あなたの治療に携わった医師たちは、私と接触することに興味を持ってくれるでしょうか? 
  あなたの病気の診断や治療に関する情報の公開には、あなたのご承諾が必要となります。
  もしあなたの医師たちが、あなたの体験をまとめ、症例報告として医学文献に発表する
  気があれば、私は喜んでできるかぎりのサポートをいたします。
  それは確実に貴国における臨死体験への理解の増大につながると思います。

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アニータの回答
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ご返事ありがとうございます。 そしてわたしの英語へのお褒めの言葉も! 

香港は1997年まで英国の植民地でしたので、
わたしは全教育期間を通して、この地の英国系私立学校で学びました。

香港には英国高官の子弟のために設立された学校がいくつもありましたし、
大企業のほとんどは英国人が経営していました。

香港の学校を終えると、わたしは英国マンチェスターでもう少し勉強し、
卒業後、香港に戻りました。

そして、よく似た経歴の男性と、この地で結婚しました。
彼はわたしと同じくインド人で、香港で生まれ育ち、
両親の母国との実際的なつながりはありません。
そしてわたしは香港でずっと働いてきました。

ところで先に進む前に、ちょっとお伝えしておきたいことがあります。
あなたのメールを見て鳥肌が立ったのです。
わたしは臨死体験をした時、自分の未来のあれこれを見たり直感したりできました。
それでわかったことは、「生」 に戻らないといけない理由の1つは、
わたしが人々の生き方に触れ、気づきをもたらすことになっていることでした。

何千、何万という人々に気づきをもたらすことになっているということが、あの意識状態で
とにかくわかったのです。
でも、どうやってそれをやるのかはわからず、
ただ人々に気づきをもたらすような何かをするということだけわかっていました。

そして、それを起こすために自分で何かをする必要はなく、
ただありのまま、人生を楽しんでいればいいのだという感覚がありました。

ところが最近このことを考えていて、
わたしはもう元気になったのだから、何か、ためになる生活をしたいな、
人々に気づきをもたらすために何をすることになっているんだろう…と思っていたのです。

そうしたら今朝、あなたからメールが来て、
「これから何年にもわたって何万という人々があなたの体験記を読み、
気づきを得ることは間違いないでしょう」 とありました。

わたしは自分で何もする必要はないんだと感じさせられていたわけが、今こそわかりました!!
臨死体験こそがそれだったんですね!!!


ご質問についてですが、回答がちょっと長すぎるようでしたらごめんなさい。
できるかぎり明瞭にしたいのです。

今から約3年半前のこと、
わたしは首の付け根が左肩に接する所のリンパ腺が腫れ、針生検を受けました。
結果は 「ホジキンリンパ腫」 と出ました。

そして、他にもまだ検査をしなくてはならないけれど、スキャンでは1A期という診断でした。
こういうことは臨死体験に直接関係がないから不必要だと思って、先日の体験談では触れなかった
のですが、少し詳しく述べてみます。

その少し前に、わたしは親友を癌で亡くしていました。 彼女は胸部に肉腫がありました。
肉腫は手術で取り除かれ、続いて抗癌剤投与を受けました。
抗癌剤療法が始まると、彼女の体調はひどく悪化し、
そのままどんどん悪くなって彼女は亡くなりました。
彼女の家族は、「あれは癌で死んだのではない。抗癌剤で殺されたのだ」と憤りを感じていました。

わたしは彼女が病気の間中ずっと一緒にいて、 彼女が抗癌剤で苦しむ恐ろしい姿を見つめ、
彼女が死んでいく有様を見守りました。
彼女は小学校時代からの友だちで、わたしたちは一緒に大きくなったのです。

彼女が死んだその年に、わたしは癌と診断されて驚愕しました。
仲間の多くも、同じようにショックを受けていました。
わたしは抗癌剤療法が怖くてたまらず、処置を拒否して、
癌治療を専門とする自然療法医に診てもらうことにしました。

最初、リンパ節の腫れは縮んでいるようで、わたしたちはその療法が効いているのを感じました。
わたしは抗癌剤治療を受けなくていいので、大いに満足でした。
でも、癌は小さくはなりましたが、完全に消えはしませんでした。

その時わたしは恐怖心だらけで生きていました。癌への恐怖、抗癌剤への恐怖…。
わたしはダイエットを見直し、腸内洗浄をし、自然療法医がくれたすべての薬を飲みました。

けれども2年前ぐらいから、リンパ節はまた大きくなりだしたようでした。
自然療法医は治療法を変え、薬草の専門家にも紹介してくれました。
それでしばらくは安定したように見えましたが、1年前ぐらいから胸に水がたまりだし、
左腕がむくみだしました。

自然療法医は水を抜いてくれましたが、また水がたまり、
その後数回にわたって除水が行われました。
こうしている間にリンパ組織はますます腫れていき、2006年1月になると、
健康状態が2、3週間で劇的に悪化していきました。

呼吸がどんどん困難になり、いつも息を切らしているようになって、
携帯用酸素吸入器を持ち歩かなければならなくなり、体重は減っていき、
満腹感がいつもあるため食べられなくなり、筋肉が衰えて歩けなくなったため
車椅子を使うようになり、皮膚の腫れ物からは汁がにじみ出ていました。
そして2月2日には、とうとう動けなくなりました。

目を開けることができず、歩くことはおろか、ベッドから出ることさえできません。
「ああ、ついにその時がやって来た。わたしは死ぬのだ」 と観念し、
完全に自分を手放しました。

どんな痛みも不快感もなくなりました。
この時わたしは何の薬物の影響下にもなく、完全な明け渡しの意識状態でした。
夫は急いでわたしを病院に運びました。

わたしを診ることになった癌専門医は、診察後、
「手遅れです。わたしにできることは何もありません」 と言いました。
それでも夫が懇願すると、彼女は渋々ほかの医師をつけてくれました。

それはたぶん自分で 「時間の無駄づかい」 をしたくなかったからか、
または、自分の経歴にわたしの死亡事例を残したくなかったからでしょう。
彼女はわたしの自然療法医にとても気を悪くしていて、
彼はもっと早くわたしを病院にまわすべきだった、
わたしが今死にかけているのは 「彼のせい」 だ、とはっきり言いました。

スキャンはリンパ腫がわたしの体全体に広がっていることを示し、
臓器は不全におちいっていました。
そして、手足が風船のように膨れだし、顔も膨れ上がってきました。

癌専門医は、「臓器がもう働かなくなっています。
患者さんは臓器不全で死にかけています」 と言いました。
そして彼女は夫の嘆願を聞き入れて別の癌専門医を呼び、
その医師は夫に、「何もお約束はできませんが、できるかぎりのことをやってみます。
しかしこれから24時間が山です。 患者さんの状態はあまりにも不安定で、
どんな薬を注射するか決めるための生検をやることさえ難しそうですから。
臓器の機能のテストも今すぐ始めます。
臓器不全のあらゆる徴候が出てますからね」 と言いました。

これは、わたしが寝かされている部屋から約12m離れた所で交わされた会話です。
わたしにはそれが見え、聞こえたたのですから、
そのとき体外離脱をしていたことは明らかだと思います。

それはともかく、次に気づいたことは、何本もの針が体に刺され、
何種類かの抗癌剤らしきものが注入されていることでした。
その混合薬が正確にどういうものだったかはわかりません。

そして、酸素を取り込む機械や、食物を取り込むチューブ、
心臓や脈や血圧をモニターする機械など、様々なものが取り付けられていました。

その夜、2つの世界をただよい、「生」に戻るという選択をしたわたしは、
翌朝になると、目覚めた感じが増してきて、あちらの世界よりもこちらの世界に
根を下ろした感じがやや強くなってきました。

そこへ医師たちが入って来て、
わたしの臓器が正常な機能を示すようになったことを告げました。
わたしはまだ少し頭がボーッとしていたのですが、「あら、そのことはもうご存知だと思ってました」
というようなことを言いました。

機内で一夜を過ごした兄が、到着していました。
そしてわたしは、その日の夕方までにははっきりと目が覚め、起き上がれるようになっていました。
わたしの家族みんなが集まって、お祝いを始めました。

それから4日間の回復ぶりは目覚ましく、
わたしは集中治療室 から普通の個室へ移されました。
その4日間に、リンパ節の著しい縮小があったのです。

わたしがすっかり回復しそうになってきたので、癌専門医はわたしの皮膚の腫れ物を
診察するために皮膚科の医師を呼びました。
最初その医師は傷を見て、皮膚が 「むしばまれて」 いるから手術が必要だと言いましたが、
もっとわたしの体力がつくまで待つことにしました。
けれどもわたしの傷は、1、2週間の内に奇跡的に癒えてしまい、
その手術 (首の所と脇の下) は必要なくなりました。

集中治療室 から出て1週間ぐらい後、骨髄生検を受けましたが、
何も見つかりませんでした。
そしてそれから10日ぐらい後、リンパ節生検を受けました。


<この③の記事にはまだ続きがありますので、つづきは、
引用元のゆうこさんの記事をお読みください。>

【転載終了】

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1 コメント

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全文転載の件 (ひろみ)
2015-12-31 18:05:10
飄平さん

転載を途中でやめたのは、文字数制限のためではないんです。
最初は、全文転載していたのですが、転載元の方が、翻訳するのが大変だったのに、ただ、コピペで自分のブログに貼り付けるなんて、著作権の侵害に当たる、というようなことを言われたので、途中までにして、続きは、転載元へ行って読んでもらうようにしたのです。

全文転載される場合は、事前に翻訳された方と連絡を取られてお話されたほうがトラブルにならないと思います。

経緯は、一番最初の記事のコメント欄でやり取りしていますので、よかったらご覧ください。
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