飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

終わりの日の預言!!⑳最終回

2008-04-26 10:21:24 | 預言

『終わりの日の預言』転載!!第20弾(最終回)
正覚院 義敬(本名;矢野 敬二郎氏) 著.


 今回で最終回。最終回では、預言の日付が逆転している。最上部が最新のものである。勝手に転載引用させて頂いたが、クレームもなかったので、ホッとしている。とりあえず、密かに感謝申し上げる。

 著者について、一面識もない。従って、経歴、人柄、素性、面相とも全く存じ上げない。第1弾で書いたように、『叶う道』と言う、著書だけは、古本センターで入手して読んだ。それも、この預言にふれて後、参考図書としてである。Kongouzanmaiin_tahoto

 転載の目的は、一つには自身の探求心からである。それと、氏の人格が高潔で義人であると判断した。その語られるところの預言も本物に違いないとの予断からである。転載と同時に探求と勉学である。従って、投稿者自身、この預言について、解釈出来る立場ではない。しかし、聖書と同時進行してみて、やはり驚くことは度々あった。その他とのシンクロもあった。(それはそれで稿を改めて書くつもりである。)結果として、余りよく分かってはいないが、わかり始めてきている。

 そして、確信している。この『終わりの日の預言』は本物である。素直に何度も読んでほしい。それは、現代の今、まさに起こらんとしているスペクタクルを解明し、覆われた真実を解く鍵が潜められ、心を開いて読む者に明かされる。

 まさに預言である。

 今後、この預言に纏わる、周辺ドラマを転載する。またもや、かって転載であるから、クレームがでた時点で、即中止になるやもしれない。悪しからず。

【転載開始】

主は言われた        

平成20年4月20日、主は言われた。
      「わが民と祭司が穀物と新しいぶどう酒と油の礼物を納めるのは主の聖所である。そこは聖所用の祭具類があり、祭司がいるところである。わが民は決してそれをおろそかにしない。」


       平成20年4月4日、主は言われた。
「預言者は主の民が求めたことについて、すべて応えた。大祭司がその後を引き継いで民を率い、その後は総督が、民を率いて歩む立場にあった。預言者と大祭 司は、その後も民を導いた。総督はアハブを討つことを願ったので、預言者と大祭司は祈って言った。『あなたの民が敵に向かって戦いに出て行くとき、わたし たちの願いに耳を傾け、彼を助けてください。』
       しかし総督は罪を犯し、敵の手下から、こう聞いた。
       『主君はこう言われる。お前は誰を頼りにして戦いを挑むのか。』」


       平成20年4月3日、主は言われた。
      「わたしは枝を海にまで、若枝を大河にまで伸ばした。人間が話したとしても、神を説明できるだろうか。人間が何か言ったところで、神を説明できるだろうか。」


       平成20年3月31日、主は言われた。
「(2月28日に続いて)翌朝、彼は言った。『わたしは主君に対して謀反(むほん)を起こし、彼はそれを知った。主がアハブの家を討てと言われたのだ。ア ハブの家に対してお告げになった主の言葉は一つも地に落ちることがない。主はその僕エリエナイによってお告げになったことを実現された。』
       彼は城壁の中にいた民を追い出したかった。そこを占領したかったからである。
       高慢には軽蔑が伴うが、主の僕が高慢な輩に軽蔑されるのは、主の僕が謙遜であるからだ。だが謙遜には知恵が伴っている。」


       平成20年3月30日、主は言われた。
      「祭司シムラトは、聖所の献げ物から自分の分を受け取った。彼らに与えられたのは、わたしに献げられたものである。これが与えられた。」       
 


                     平成20年3月12日、主は祭司シムラトに言われた。
「わたしはあなたの敵たちが、あなたが揺れ動かされるときに喜び躍ったり、『私は彼に勝った』と言うことがないようにする。あなたは、わたしの慈しみに依 り頼むがゆえに。あなたの心が、わが救いに喜び躍るように。あなたは、喜び歌いなさい。なぜなら、わたしがあなたに報いるがゆえに。
       あなたは言った。『わたしは重い罪を犯しました。主よ、どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました。』と。」
      
      
       平成20年2月28日、主は言われた。

      「あ る者が手紙を書き送った。『今、この手紙が届いたら、あなたたちのもとには、あなたたちの主君の部下、それに蓄えているものがあるのだから、その主君の部 下の中から最も優れた正しい人物を選んで、主君の王座につけ、あなたたちの主君の家のために戦え。』彼らは大いに恐れ、『2人の主君でさえ彼に立ち向かえ なかったのに、どうして我々が立ち向かうことができよう』と言った。そこで寺院の長、地域の長、長老たちはこう言った。『私たちはあなたの僕です。あなた がお命じになることは何でもいたします。私たちにはだれをも主君として立てるつもりがありません。あなたの目に良いと映ることをなさってください。』初め の手紙を書き送った者は、彼らにもう一通手紙を書いて、こう言った。『もしあなたたちが私の味方をし、私の命令に従うなら、あなたたちの主君の部下たちを 排し、私のもとに来なさい。』と。主君の部下たちは、それぞれ地域の者たちに養われていた。
       神に逆らう者の口によって町は滅びる。心ない者は友人を侮る。英知ある人は沈黙を守る。」



                     平成20年2月26日、主は言われた。
「彼らは語った。神に対して、こう言ったのである。『神は私たちに食卓を整えることができるだろうか。まことに彼は岩を打った。すると水がほとばしり出 て、川があふれ流れるが、民にパンを与えることができるだろうか。神は肉を民に備えることができることができるだろうか。』と。わたしは、これを聞いて激 怒し、彼らの中に火が燃え上がった。怒りもまた、彼らに向けて上がった。なぜなら彼らは神を信じようとせず、神の救いを信頼しなかったからである。わたし は眠っていた者のように目覚め、ぶどう酒で奮い立つ勇士のように、敵を打って退かせ、敵はとこしえに嘲られるものとなった。そしてわたしは敵が再建しよう とした神殿を拒んだ。またわたしは、レビ(祭司、預言者、レビ人)に与えられるはずのものが与えられないことを見て、務めに就いていた祭司と預言者を、自 分の家に帰るよう命じ、避難させた。
       神に従う人の唇は多くの人を養う。無知な者は意思が弱くて死ぬ。人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない。
       わたしは討つものに命じて言った。『入って、討て。一歩も外に出すな。』と。命じられた者は敵を剣にかけ、そこに投げ捨てるであろう。」


       平成20年2月20日朝、主は言われた。
「わたしは苦難の時に隠れていられようか。悪しき者の燃える驕(おご)りによって、その彼らが考えた策略によって、貧しい人が捕らえられている時に。なぜ なら、悪しき者は彼の魂の欲望について誇り、貪欲な者は主を祝福しながら侮る。悪しき者は彼の鼻の高さ(高慢さ)のようには神を求めず、すべての彼の策略 には神がない。彼は町外れの待ち伏せ場所に座し、彼の目は不幸な者をうかがい、清い者を隠れた所で抹殺する。茂みの中の獅子のように、隠れた所で彼は待ち 伏せ、貧しい人を強奪するために待ち伏せ、彼の網で彼が引くことによって、貧しい人を強奪する。」


       平成20年2月11日夕、主は言われた。
      「昨日わたしが語った言葉は清い。土の炉で7たび練り清めた銀も、その清さに及ばない。」


       平成20年2月10日(日)夕、主は言われた。
「ハナンエルは亜麻布のエフォドを着て、主の御前に仕えていた。シムラトとエダヤはハナンエルと共に、祭礼の度ごとの献げ物を献げに上ってくるとき、それ を届けた。わたしは彼らを祝福し、『あなたが主なるわたしに願って得たこの子エダヤは、わたしがあなたによって授けた子である。』と言った。こうして彼ら は家に帰った。」


       平成20年1月24日夜、問いに主は答えられた。
「エリエナイに対して、わたしの他に剣を突きつける者は誰か(舌は剣)。誰が彼に食べ物を与えるのか。野のすべての獣(異邦人)が彼に対している。しかし 彼が木の下に伏せると、木の影は彼を覆い、川辺の柳は彼を包む。川が押し流そうとしても、彼は動じない。水が口に流れ込んでも、ひるまない。まともに捕ら えたり、罠にかけうるものがあろうか。
 わたしの他に彼を捕らえることはできない。誰が彼に綱(つな)をつけることができようか。彼が誰かの顔色をうかがい、丁重に話したりするだろうか。誰が 彼をつないでおくことができようか。誰が彼を取り引きにかけ、商人たちに切り売りすることができようか。誰が彼の頭を傷だらけにすることができようか。彼 に挑むほど勇猛な者はいまい。いるなら、わたしの前に立て。あえてわたしの前に立つ者があれば、その者には褒美を与えよう。天の下にあるすべてのものはわ たしのものだ。彼のわざについて、わたしは黙ってはいられない。」


       平成19年12月30日夜、主は言われた。
      「神を信じようとせず、救いに依り頼まない者には、死の門が広く彼らを迎え入れ、死の闇の門から陰府(よみ)に導かれる。」


       平成19年12月27日朝、主は言われた。
      「どれほど彼らは、わたしが導いた所で、わたしに反抗したことか。わたしを悲しませたことか。彼らは繰り返し、わたしを試みた。そして彼らの神であるわたしを傷つけた。彼らは、彼らを敵の手から贖(あがな)った日の、わたしの手を思い出さなかった。
       死の門が広く彼らを迎え入れ、死の闇の門から彼らは陰府(よみ)に導かれる。

       信仰の誉れを遺すことは香油にまさる。信仰者が死ぬ日は、生まれる日にまさる。信仰者の弔(とむら)いの家に行くのは、酒宴の家に行くのにまさる。
       弔いの家には人みなの終わりがある。命あるものよ、心せよ。
       悩みは笑いにまさる。顔が曇るにつれて心は安らぐ。知恵ある者の心は弔いの家にあり、愚者の心は快楽の家にある。事の終わりは始めにまさる。
       知恵ある者からの叱責(しっせき)を聞くのは、愚者からの賛美を聞くのにまさる。」


       平成19年12月11日、主は言われた。
      「足取りの堂々としているもの、堂々と歩くもの、それは腰に帯した者。」


       平成19年12月7日(金)朝、主は言われた。
      「竜に隷属していた人々は、主の民に敗北したことを認めて和を請い、主の民に従うようになる。彼らは、姦淫の女に従わなくなる。」 


       平成19年12月6日、主は言われた。
      「富の力に惑わされないように注意せよ。財産を得て道を誤る者の、なんと多いことか。苦難を経なければ、人は役に立つものにならない。」


       平成19年12月4日、主は言われた。
      「光に背く人々がいる。彼らは光の道を認めず、光の射すところにとどまろうとしない。
      しかし、あなたたちは、地の産物の初物とすべての果実の初物を、毎年主の聖所にささげ、律法に書き記されているところに従って行っている。」


       平成19年12月1日(土)の夕に、主はわたしたちに御顔を向けられて、こう言われた。
「神からの正しい知恵によって、何事にもふさわしい時があるということをさとるならば、災難がふりかかるにも、ふさわしい時があるものだと分かるのであ る。あなたがたによって、それをさとる者は、あなたがたにとって王冠となる。まるで子らが、父の輝きとなるようだ。」


       平成19年11月26日、主は言われた。
「あの異邦人の女は、主の民に挑戦し、朝な夕なやって来て、同じ所に立った。しかし、わが僕はそれを退け、わたしは僕を自宅に逃れさせた。逆らう者は恥ず べきものへの祭壇を設けた。わが民よ、あなたがたは、逆らう彼らのために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげてはならない。災いのゆえ に、彼らがわたしを呼び求めてもわたしは聞き入れない。
       わたしの家で、わたしの愛する者はどうなったのか。多くの者が悪だくみを行い、わが民からわが家を取り上げている。わが民よ、あなたに災いがふりかかるとき、むしろ喜べ。
       祭司は逆らう者の場所から聖所を移して新たにし、そこで主の書を開き、主をたたえ、主を礼拝した。律法に従い、祭礼を催した。
       逆らう者は、わが僕によって隠されていたなぞを解いたが、逆らう者に与えられるのは晴れ着ではなく、汚れた血にまみれた死者の衣。
       彼らはわが民に害を加え、わたしの家から去らせた。今度はわが民が、逆らう者に害を加えても、罪がない。」【転載了】
                                                                                                                                                                              
      
      


終わりの日の預言!!⑲

2008-04-26 09:49:01 | 預言

『終わりの日の預言』転載!!第19弾
正覚院 義敬(本名;矢野 敬二郎氏) 著.


 おそらく、預言というものになじみの少ない多くの日本人(投稿者も含めて)には、この『終わりの日の預言』が難解で、意味するところがよく判らないとお考えであろう。聖書でも同じである。いわゆる、新約聖書はなじみやすいが、旧約、特にイザヤ書、エレミヤ書、そして、ヨハネの黙示録、エゼキエル書etc.などは、そのそもそもの成り立ちからして分からない。Konpondaido

 大胆且つ、独断を覚悟して要約するとこうである。

 主である創造主は、世界のすべてを創った存在である。すべてであるから、イスラエル(ヤコブのこと、名を改めイスラエルと名乗った)の民ばかりでなく、異邦人(ことくにびと)も創られた。当然である。

 聖書にある預言は、当然ながら、イスラエルの民に預けられた言葉である。

 前提として、そこを考えなくてはならない。そのイスラエルの民は、多くの人々が主に対し反逆をしたが故に、預言を持って警告をした。それは、異邦人と比しても余りあるものであった。そして1/3は疫病で、1/3は戦いによって滅び、1/3は世界に散らされて現在がある。

 世界に散らされた1/3の子孫をを契約によって、再び、集めようとしている。そう言う流れで観ると、前記預言書は一貫している。そして、驚くなかれ『終わりの日の預言』もその流れの中に一貫しているのである。これは驚異的なことである。これが、この預言の凄さである。

 我々は、諸国の民であろうか、それともイスラエルの民であろうか。そこが問題である。と言うと、我々は日本人である、何を馬鹿なことを言っているのか。と言う声が聞こえる。止まれ、日本人とは何なのか。日本の民というものは存在するか。?日本の民は存在しない。日本というのは、近年の国家概念で、民ではない。アメリカ人とは何か、と同じで、アメリカの民ではないのである。

 日本で、この預言が語られると言うことは、日本にイスラエルの民が確実に存在すると言うことである。しかも、高野山という、あの空海の信徒である僧侶を通じてそれが始まった。一大スペクタクルではないか....。

 【転載開始】

主は言われた 1999

 平成19年9月7日(金)、主の言葉が臨んだ。
「シムラトよ、主の祝宴を祝いなさい。主の民が、共に飲み食いするのは善い。わたしはケルビムを駆って飛び、風の翼に乗って共に座す。」
 主はまた言われた。
「かつてソタイと呼ばれた者の妻であった女は、『もし主がわたしたちを死なせようとお望みなら、わたしたちの手から献げ物をお受け取りにならなかったはず です。しるしを一切お見せにならず、お告げもなさらなかったはずです。』と言ったが、この女が献げ物をささげた祭壇は、荒らす憎むべきものが座す祭壇であ る。」
 主はまた言われた。
「わたしは高い天から手を伸ばして、わが僕をとらえ、大水の中から引き上げる。わが僕を憎む者は勝ち誇っているが、わたしはわが僕に勝利を与える。わたしは、わが僕の足どりを確かなものにする。どのような敵も、わが僕を害することがないように。」」

 平成19年9月10日(新年祭の前日)、主の御使いは言った。
「祭司の家系に属する者が住む地と、祭司の頭と預言者が住んだ地は、記録された。」

 平成19年9月11日夕(新年祭)、主は言われた。
「主なる神の祝宴に同席した者は幸いである。」

 平成19年9月12日(新年祭)、主の御使いは言った。
「祭司の家系に属する者が住む地と、祭司の頭と預言者が住んだ地は、幸いである。」

 平成19年9月13日、主の御使いは言った。
「彼は言う。『私は自分のために、広い家、ゆったりとした高殿(たかどの)を造ろう。』と。彼は高慢な枠を設(もう)け、杉の板張りを塗る。」

 平成19年9月19日、主の御使いはわたしエリエナイに告げた。
「主の霊があなたの上に突入した。そして、あなたは子山羊を引き裂くように反逆者の企みを裂いた。あなたは反逆者に対して、手に何も武器を持たなかった。そしてあなたは主の言葉に従い、主の神殿を離れて、自宅に閉じこもった。あなたは主の目に真っ直ぐであった。」

 平成19年9月22日(土)、贖罪日に主は言われた。
「わたしの使い(御使い)は、1000人を打った。」
 わたしエリエナイは断食していたが、この言葉の意味について思い悩んでいると、主は言われた。
「再建に励む者をあざ笑っている者たちの悪は赦されず、その罪は消し去られることがない。この世の王であると自認している者の家臣は、彼に臨んでいるのが 悪霊であることを知っており、彼に逆らう者(再建に励む者)を探していた。彼は、そういう者らが現れることを恐れていたが、世において力を持たない彼らを あざ笑っていた。」

 平成19年9月23日朝、主は言われた。
「イスラエルはこう書いている。『すべての民は、彼らの両耳の金の耳輪をはずし、アロンの所に持って来た。彼はそれを彼らの手から取ると、のみで形造って 若い雄牛の鋳造を作った。すると彼らは言った。“イスラエルよ、彼らがあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ”と。アロンは見て、それの面前 に祭壇を築き、“明日は、主の祭”と叫んで言った。』(出エジプト記32・3~5)
 律法の書と預言者の書およびその後に書かれた他の書物は、多くの貴重な教えを残しているが、そこに述べられている教訓と知恵のゆえに、我々は彼ら(イスラエル)をほめたたえるべきである。
 神々の神、主は、御言葉を発し、日の出るところから日の入るところまで、地を呼び集められる。」
 昼になり、祭祀シムラトとエダヤが参詣し、わたしたちは共に食べ、飲み、主の教えを語らい、主の祭礼を祝った。主はそれを喜ばれ、祝福された。彼らが帰途につき、夕になって主は言われた。
「彼ら(かつての神殿に居る者)の目の前から食べ物は断たれ、その神の宮からは、喜びも宴(うたげ)もなくなった。そこは耕されることもなく、茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。
 主の民の家は、わがぶどう畑であった。わたしが楽しんで植えたのは、ユダの部族であった。わたしは正しい裁きを期待したのに、見よ、流血。正義を期待したのに、見よ、叫び。」

 平成19年9月24日、主はエダヤ、シムラト、ハナンエルに言われた。
「あなたたちは、傷のない献げ物をした。それは汚れている者も、清い者も、食べることができる。
 一方、この世の王であると自認している者は悪霊にさいなまれており、それをしずめるためにその食べ物(献げ物)を求めているが、彼はそれを得ることができない。」

 2007年9月25日朝、主の言葉が臨んだ。主はイスラエルとキリスト者にこう言われる。
「わたしはイスラエルとキリスト者の装身具を取り去る。彼らのあらゆる装身具と、彼らの家のあらゆる装飾、会堂や教会のすべての装飾を。」

 平成19年9月26日、主の言葉が臨んだ。
「傷を負ったものを主に奉献することはできない。」

 平成19年10月2日、主の言葉が臨んだ。
「わが家である神殿を奪い取った者よ、お前は油を携えてメレク神(デーモン)のもとに足を運び、多くの香料をささげた。お前は誰におびえ、誰を恐れて、あ ざむくのか。お前はわたしを心に留めず、心にかけることもしなかった。わたしがとこしえに沈黙していると思って、わたしを畏れないのか。わたしは、わが聖 所に献げ物と香を納めることを命じた。それにもかかわらず、わたしはお前が祭司に与えるはずのものを与えず、務めに就いていた大祭司と預言者が、自分の家 に逃げ帰っているのを知った。わたしは、わが神殿を見捨てられたままにしているお前を責める。
 わたしは大祭司と預言者に、自宅に聖所を造営することを命じ、務めに就かせた。こうして人々が十分の一と新しいぶどう酒と油を貯蔵室に持って来た。わた しは、大祭司に聖所の管理を命じ、祭司と助手をその助け手とした。彼らは忠実な人物であり、聖所の任務が彼らにゆだねられた。わたしは神、それゆえわたし を心に留め、聖所とその務めのために示した、彼らのまごころを消し去らない。」

 平成19年10月4日、主の言葉が臨んだ。
「神殿を盗み、異教徒の女を妻に迎えた者よ。わたし自身がお前の着物の裾(すそ)を顔まで上げ、お前の恥はあらわになった。」

 平成19年10月15日、主の言葉が臨んだ。
「仮庵祭に聖所に参詣した者、そしてまた仮庵で夜を過ごした者よ。あなたは誉むべき者。」

 平成19年10月16日、主は神殿盗人について言われた。
「彼女は男に泣きすがった。彼女がしつこくせがんだので、彼は彼女に言ってしまった。彼女は同族の者に言った。」

       平成19年10月17日、主は言われた。
      「わたしの顔は心のまっすぐな人に向けられる。わたしは、わたしの名のために怒りを抑え、わたしの栄誉のために耐えて、悪人を滅ぼさなかった。しかし、悪人のゆえに野にも草が生えないので、野ろばは裸の山の上に立ち、山犬のようにあえぎ、目はかすむ。」

       平成19年10月29日、主は言われた。
「あなたたちの神、わたしはあなたたちの主、あなたたちとあなたたちの先祖を、奴隷にされていた民の中から導き上り、あなたたちの目の前で数々の大きな奇 跡を行い、あなたたちの行く先々で、またあなたたちが通って来たすべての民の中で、あなたたちを守ってきた。
       またそのころ、西の人々が異邦人の女と結婚していることが、わたしに分かった。」

 平成19年11月8日、主は言われた。
      「預言者と大祭司は、神殿の都からそこに来て、自宅を設けて住んでいた。こうして聖所は避難して守られ、十分の一の穀物と新しいぶどう酒と油を貯蔵室に持って来ることになった。」

       平成19年11月9日(金)、安息日に入るとともに主は言われた。
「わたしは民を引き抜いて後、再び彼らを憐れみ、再び彼らのひとりひとりを、わたしからの相続地である自分の土地に帰らせよう。彼らが、かつて偶像や主人 によって誓うことを学んだように、もしわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、『主は生きておられる』と誓うようになるならば、彼らはわたしの民 の内に建てられるであろう。」


       平成19年11月13日、主は言われた。
      「主なるわたしは命じて守るべき務めを定め、それぞれの任務につかせた。かつての総督の妻は、夫に言われても、務めに出てこなかった。彼女は夫を軽蔑の目で見ていたからである。彼女がしたことは、夫のみならず、すべての民にとって悪いことであった。」

       平成19年11月23日(金)、主は言われた。
      「わたしは御使いを彼につかわした。わたしは御使いに言った。『彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。』御使いは油の入った角を取り出し、彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しく彼に降るようになった。御使いは彼を助けた。
       主の霊は彼と共にある者らと、共にあった。しかし主の霊は、逆らう者からは離れたので、逆らう者を悪霊がさいなむようになった。
       彼は笑いたわむれる者と共に座って楽しむことなく、捕囚となって捕らえられ、独りで座っていた。わたしは彼にこう言った。
      『あなたが帰ろうとするなら、わたしのもとに帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが軽率に言葉を吐かず、熟慮して語るなら、わたしはあなたを、わたしの口とする。あなたが彼らの所に帰るのではない。彼らこそあなたのもとに帰るのだ。』と。
       その後、わたしは多くのことを語った。」