飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

ヒットラーは生きていた。!!

2007-12-09 16:30:54 | 壮大なうそ

ヒットラーは生きていた。!!

 間違いない。アルゼンチンでは、いたる所に証言者が存在する。それが、何故多くの人々に当たり前のようにならないのだろうか。それは、メジャーなマスメディアの禁句になっているからだ。情報統制である。それが『壮大なウソが世の中に満ちている』原因である。一部の知っている人々と、知らされていない人々が存在する。知っている人々とは、あちら(支配する側)の人々である。

 しかし、いずれは漏れ伝わる。(本記事は、以前掲載のリメーク版です。分かりやすいようにメディアツールを充実しました。)

【一部引用開始 前略】ヒットラーは自殺しておらず、南米に逃れて20年ほど前まで生きていたという「馬鹿馬鹿しい」話があります。しかし、このページを読まれた方は、馬鹿馬鹿しい話とは思わないかもしれない。イスラエル建国の最大の功労者、ヒットラー。ユダヤ・ロートシルト家の血を受け継ぐヒットラー。彼が、役割を終えた後に、安住の地を南米に用意されたとしても、不思議はありません。【引用終了 後略】

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  1. Photo_4







Hitleraltersheim_5

     

 


写真左 若きなじみのヒットラー
写真上 老年のヒットラー
社員右 晩年のヒットラー

<その1 パタゴニアの海岸でナチのUボートを目撃したというジセラさん>


「いつものように窓際に座って休んでいたら遠くのほうに潜水艦がいるのが見えた」

何年ごろだったですか?

「だいたい、1946年か47年ごろだったかな」

入り江のところで目撃したのですか?

「そうです」

航行していたのですか?

「航行していました。飛行機の音が聞こえましたけどその時に海岸沿いを航行していた潜水艦は海中に潜っていきましたよ」

潜水艦が潜っていくのを見たんですね?

「はい、見ました」

<その2 マル・デル・プラタで1953年にヒトラーを目撃したというエルナンさん>

「1953年頃のはずです」

どんな状況だったのですか?

「ファベリッヒ?と話すためにその建物にやってきました。3人の護衛と女性一人と共に。来たというより連れて来られたというか、しっかり歩くことができなかったから」


<その3 ホテル・エデンで1949年にヒトラーを目撃したというカタリナさん>

どのようにヒトラーはそこへ来て、どのように帰っていきましたか?

「車で運転手と共にやってきて、帰りも同じでしたよ」

運転手とは何かそのことで話をしましたか?

「はい、話してましたよ。笑っていましたけどね。でも、私がうすうす気づいていたことはもう知っていたと思う。でも、庭師さんに気づかれたことには憤慨していましたね」

ある日、その運転手が、あれはヒトラーだよ、と言ったんですね?

「はい、そう言われました。でも、誰にも話すな、口外するな、とも言われましたけど。そのときは私は何も話しませんでしたし、なにもされなかったです」

一緒にいた女性には話しかけましたか?

「ある時彼女に”彼は貴方のいとこですか?”と尋ねたら、”いいえ、彼はただ旅をしているだけですよ” と言っていました」