飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

お金の話!信用創造のマジック!

2007-12-02 12:28:40 | 日本

信用創造、信用収縮とは一体いかなるモノか Photo_25

 実際、多くの人々はお金が、どのようなものであるかを知らされていない。『知っているよ』と言う声が聞こえる気がするが、それは『交換手段』と しての基本的なことであって、仕組み全体のことではない。知らないと言うことは、勉強していないと云うことでもない。知らされていないのである。
 私は、無論、経済の専門家ではない。が、経済の専門家の説明ほ
記事一覧ど意味不明な話はないと感じている一人である。ご本人がどれほど解っているのかと、疑ってかかることの方が多い。『明瞭説明、意味不明』とは、経済専門家に献上したい言葉である。

 経済教科書には次のように説明してある。

 <たとえば日本銀行がA銀行に1000万円を供給したとする。A銀行は1000万円の10%である100万円を準備金として日銀当座預金に預け 入れ、残りの900万円をB社に融資する。900万円の貸付を受けたB社は、それをC社への支払に充てる。C社は受け取った900万円をすべてD銀行に預 けたとしよう。この場合法定準備率を10%と仮定しているから、D銀行は810万円を貸し付けることができる。D銀行から810万円の融資を受けたE社は F銀行へ全額預けると、F銀行は81万円を準備金として日銀当座預金に入金し、729万円を融資することができる。このような銀行の貸付行動により、預金 通貨が創造されていく。
 1,000万円の本源的預金によって創造される派生的預金は、派生的預金=1000(0.9+0.9+0.9+……)になる。ここで、( ) の中は、初項0.9、公比0.9の無限等比数列の和だ。これを計算すれば、創造される派生的預金は9,000万円であることが導かれる。これに本源的預金 1,000万円を加えれば、預金総額は1億円になる。このケースでは、本源的預金の10倍の預金が創造されている。この倍数(ここでは、10)は信用乗数 とか貨幣乗数と呼ばれている。
 これを貨幣供給の式として、M ,HM ,D ,Cp ,R ,m をそれぞれ貨幣量、ハイパワードマネー、預金、民間部門保有の現金、銀行準備、貨幣供給乗数とすれば、次のように示される。
  M=(1+Cp/D){(Cp/D)+(R/D)}XHM=m・HM
 この式は、ハイパワードマネーHMが貨幣乗数mを掛けた数字だけ大きくなり、貨幣量Mとなることを表している。>

 
Photo_29  お分かりだろうか。あまり、よく分からない。? ご同慶。私も同意見である。努力して、解説する。
 つまり、平たく、分かりやすく、赤裸々に、本音をズバリ言うなら、『実際のお金がなくても、銀行はお金を貸すことが出来る。それは、約
10倍までかまわない。』と言うことである。10%を準備率と言い、その逆数10倍を貸しても良いと国は認めているという意味である。そして、云 々....(省略)
 実際にはないお金を貸すと言うことは、普通の感覚すれば、
詐欺である。銀行がやれば、詐欺でない。法律で認められている行為だからである。死刑が殺人でないと言うことと同じである。
 では、ないお金をどうやって貸すことが出来るのだろうか。?それは、簡単である。中央銀行には輪転機がある。ここで刷る分は、唯一偽札ではな い。必要な分、刷ればよい話だ。それをコール市場で短期貸し付けで供給する。0.001%(2001年より)がその金利、コールレートである。何故短期か というと、お金というものは、現金を持ち歩いたり、運んだりすることは、昨今少ない。殆どは口座間移動である。数字が書き換えられるだけである。
 実際は、日銀法定準備率は約0.1%であるので、10倍どころか
100倍以上である。このことを経済専門家は、殆ど人々に語らない。だから、 人々は、銀行の預金額から貸し出していると思っている。そして、借りられたら、平身低頭有り難がる。もう一度云おう。大きな声では言えないが、『銀行は、 公認の詐欺事業家』である。 Photo_30

 断っておくが、私は、銀行に恨みを持つものではない。又、この制度その物に、敵意を抱く者でもない。ある方便として、効用を評価する者である。只、事実を直裁に表現するまでである。事実を直視しなければ、問題が見えてこないからだ。

 この信用創造は、銀行の直接貸し付けにだけ見受けられるものではない。貸付債権は、さらに証券化され資産として運用される。これが一例のサブプ ライムローン債権(証券)である。そして、何倍ものレバレッジ(取引証拠金制度)が掛けられ、市場で第二の貨幣として流通する。一体、どれだけのお金が、 この世の中にあるのだろう。

 それは、多くの人々の考えるように、流通交換手段の貨幣として想像する額の何倍であろうか。何倍なんてものではない。何百倍? 否、何千、何万 倍であろう。実際、私も専門家でないので、計算したことがないので想像するのみ。だだ云えるのは、そのお金は、制度信用に支えられた、『あぶく銭』である という事実である。間違いない。

 制度信用が崩壊するとき、
信用収縮が起こる。信用収縮の最悪パターンは、お金の紙屑化である。それ故、金融専門家は、口を堅くして、真実を語ら ないのである。『分かったような、分からないような、数字と難しい理論』を語り、ケムに巻く。それは、同じ船に乗る『詐欺擁護集団』が経済専門家である。

 そして、常に前途洋々の未来構図を描き、得べき利益の得失勘定に明け暮れる。これが経済専門家である。前途暗澹たる未来展望は、口が裂けても 言ってはならぬ。それは、直ちに身の没落を意味する。社会的抹殺を意味する。誰も、地獄のフタを開けてみようとしない。知れば知るほど、危うい自転車操業 を繰り返しているというのに、お金の魔力を信じ続けて、砂上(信用創造)の楼閣を描き続ける。

 これまでは、自転車操業であったが、オートバイ操業に切りかえる。それでも危ういと悟ると、自動車操業を考案するのである。自動車ならば、錚々 (そうそう)倒れることもあるまいと考える。しかし、交通事故は起こるのである。最近では、飛行機操業に切り替わった。それが
グローバリズムである。
 事故が一旦起きると、損害は甚大である。それだけのことだ。
 
 Photo_31 多くの人々は、この信用創造に与(あずか)ることは、まずない。ただ、そのきらびやかな世界を眺めながら、『いつかは俺も、私も』と云って、サ クセスストーリーとドリーム神話を夢見て、準備率100%の世界をコツコツ律儀に生きている。その限りに於いて、まさに夢の中の夢である。
 サクセスストーリーと積極思考は、この信用創造を根幹とした経済システムの教義である。各種ドリームは言わば礼拝の対象即ち、祭壇である。成功者は、教祖である。

 よくよく云っておく。もしも、このきらびやかな栄華を見たければ、お金の仕組みをよく見つめ、信用創造に与(くみ)し、非情に徹し、真実を見つめ、真実を声高に語らず、お金の途に集中する以外にない。これが現実の世界である。