湘南オンラインフレネ日誌

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湘南あすなろ会見学会レポート(上)企業組合あうんの経験を聴く

2010-04-14 04:45:26 | 引きこもり
午前中、父には身辺介護のヘルパーさんが父を清拭にくる。その間、私は前日の蛍光灯騒ぎを始末するために、蛍光灯を買いに行き、父のベッド上の蛍光灯交換を済ませた。サポセンにも用があったので立ち寄った帰りに、母に電話を入れた。父の介護を母に委ねて23時過ぎまで見学会企画で家を空けるからだった。

今回も辻堂の引きこもり中年Kさんに誘いをかけていた。一回も会う約束を守ったことがないけしからん奴なのだが、彼曰く「貴方と会う必要性が低いからです」とやられてしまう。全く私の会う人物は不思議な論理を持っている。今回も約束の電車のすぐ一本前に電車があり、彼はそれに乗ってしまったのだった。私が茅ヶ崎発の時間で語り、「その電車が辻堂に着いたら合流」と言ったのが災いした。彼はその茅ヶ崎の時刻、辻堂に到着した電車に乗ったのだった。正確ではあるがずれている。彼は都内の某フリースクールに出かける予定だったが、就労に関心があったので、日常通学に割り込めると踏んでいたので、彼に声をかけたのだった。とてもあすなろ会の参加者の方々には説明がつかない不可解なやりとりだった。

茅ヶ崎からは参加者5名、現地合流1名の6名が参加した。

まず三ノ輪の「企業組合 あうん」の事務所にお邪魔して、中村光男さん(画像)に、「あうん立ち上げの体験談」を伺った。その後、山谷めぐりをした後、飯田橋の「舫(もやい)こもれび荘」のTさんと懇談の予定だった。中村さんの体験に裏付けられた強烈な語りと店舗めぐりを経て、山谷をざっと歩く予定だったが、ナビKさんのサービス精神でおいしい天ぷら屋の夕食に時間をかけすぎて、残りの時間が無くなり、「いろは会商店街」をざっと見たところで、私の方向音痴が爆発。南千住さがしから飯田橋の大久保通りさがしまで、結局30分強、こもれび荘到着が遅れてしまった。ところがその直前の連絡電話やメールが一切応答が無く、到着時、結局空ぶりだった。その後メールへの応答が無いので、何かが行き違っていると、何回も電話をするが機械応答に遮断され、火曜日に2時間を越える話中電話を突破して話すも、話が通じず取次ぎ状態で、それにも応答なし。虚しくなっている。11日、ビッグイシューの花見の際、あすなろ会のEさんが、舫のIさんと出会い、話したところ、当日は休みの日という。完全に何かが行き違っているとわかった。舫はHPからの書きこみ以外応答しないガードがあるのかもしれない。虚しい。近々、私だけでお邪魔してみる予定。

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「あうん」は日比谷線三ノ輪駅2番出口から歩いて6~7分。車の少ない裏通りに面している。フードバンクも利用している共同倉庫を左に見て進むと、駐車場に4~5台の「あうん」の営業車が停まっている。産業廃棄物処理認可のトラックボディ数台の刷り込んだ文字が「あうん」の営業規模を物語っている。やがて左手に「衣類リサイクルショップ」が見え、その先にお邪魔する事務所があった。

お邪魔した2階は高そうな飲みかけの洋酒が何本もテーブルに載っていた。引越しや、部屋の始末の仕事で引き上げたゴミには価値物があり、酒もそのときのものとのお話。この部屋で仕事を終えた仲間と車座を組み、会議をするという。その後の一杯に酒は事欠かないとのこと。納得できた。

私たちは、中村さんたちが「あうん」を起業した経験の語りを求めた。また、リーダーが職場・仕事を準備して関係者がそれに乗るという従来の形ではなく、個人株主連合のような共同経営している運営の特徴について、経営にどのようなメリットをだしているか、その辺に注意を傾けていた。

中村さんの話によると、まずこの活動が野宿者の起業であること。就労の基礎となる住所すら失った者が、就労する際に今から十数年前にさかのぼる頃には、そのバックアップも無く、自立生活センターが出来ても6~7割が非正規雇用で、それも1年も持たずに首を切られていたという。継続して就労できた者は、現在でも野宿者の自立は5%、舫でさえ7~8%ぐらい。だから当時は隅田川沿いのブルーテント生活をしながら、アルミ缶ガラ集めで生活せざるをえなかったという。

97~8年ごろ、有志5人と起業することを決意、フリーマーケットで古着リサイクル販売を始めた。この活動が芽になって2002年に古着リサイクルショップを立ち上げた。片手間の仕事とせず、結束した会員が全力を出すことを約束するも数年間は食えなかったので、フードバンクの食事を食べて頑張った。会員制で資金調達、出来るだけ助成金に頼らず、資金は会費と教会などからの借金を元手に、返済しながら経営を拡げて行った。ひとり月額3万円を目指していた。

便利屋仕事の引越しや解体時の部屋の家電ゴミを元に、中古家電リサイクルの店を立ち上げた。しかし地域はそう簡単に、野宿者の経営する店を認めてくれないので、家電を磨き上げる作業をわざと店の前の路上で行うなど、勤労意欲をアピールして偏見を拭い去った。地元の働くひとが集まってきたが、自分達だけで事を行うという発想を持たなかった。自分のやれる仕事をつないで、地域や関係者との協業を心がけた。生活保護を受けるひとには、個々の中古家電を売るのではなく、生活するのに必要な中古家電をセットで売り、野宿からの脱出の支援を行った。こうして地域の中小企業の労働者家族も家電・古着リサイクルを利用してくれるようになって、便利屋仕事も増えて現在に至っているという。現在は17名のスタッフで年商3500万円になった。

古着は品質を選び整頓されており、家電は見事に磨き上げられていた。値段は驚くほどに安い。仕事が軌道に乗ってくると、個人の廃品回収業のひとたちが、家電を売りに来るようになったという。

私は中村さんの語りに凄みを感じていた。同時に活動が常に開かれており、連携を求めて成果をあげているやり方に感銘をうけた。あうんの仕事原理はネットワーキングと協業、この血流が流れていることに特徴がある。その時々において、仲間と相談して乗り越えてきている。たしかに「あうん(の呼吸)」なのである。

私はビッグイシューとか、放置傘路上再販などの無店舗販売に注目しているが、中村さんは結束(団結)が大事とし、ショップという拠点に力を集中する。これは大きくは、立ち上げの段階の違いと解釈されようが、無業者の就労という場面には、中間の就労体験が必要だと思っている。社員が労働するというより、まずやってみようと立ち上がる単発型、日雇いとも違う就労参加の広範な抱え込みを踏まえるべきと思っている。ただその先は資本がいる。ショップを持つには、その元手をどう稼ぎ出していくかが鍵になる。中村さんは、的確な目配りと原動力となるチームを中心に置いた。その忍耐強い働きが、成果を呼び込んだ。それはただの忍耐ではなく、日々の経営作戦会議の目配りが功を奏している。

中村さんとは、以前東京ボラセンでシンポを聞かせてもらったのだが、中村さんに言った「しびれた。だから見学し体験談を伺いたい」という「しびれた」というのは、言葉の間に見える体験の厚みに共感したからだ。湘南に様々な困難を抱える人たちの協業、ネットワークの起業活動が始まったとき、中村さんを湘南にゲストとして招待したいと考えた。


●「企業組合『あうん』」

私たちは、あうんさんから、山谷の一角を歩いた。何を間違えたか「いろは会商店街」を南北に広がっていると思い込んでいた。この90度のずれが、道の迷いとなって、舫遅刻につながった。申し訳ないと思っている。この商店街は山谷の中心、泪橋(なみだばし)交差点からすぐの東西に広がる商店街で、アーケードが続くので、段ボールハウスが夜間出現する。健在はシャッター通りである。私たちが通り抜けたときも、道端で花札に興じているおっさんたちにであった。丁度この日、私たちよりも早い時間帯に自転車から商店会を撮影した方がYouTubeに画像を載せていた。以下ご覧あれ。寄せ場特有の荷物を持たないおっさんたちが、ふらふらと商店街を歩いている。


●山谷いろは会商店街(自転車カメラDSC-WX1)


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帰宅時、父は床に寝ていた。また問題が起きていたのだが、この辺は「舫」の件とあわせ、次回書き込んでいく。


夜間傾聴;なし

(校正2回目済み)


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1 コメント

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はじめまして。 (田中洌)
2010-04-14 08:11:14
これ、おもしろく読めた。

冒頭の写真が中村さんなら、去年だったか、渋谷で「反貧困」のデモ(夕方暗くなってから)に加わる前の集会場で、湯浅さんや渡邉弁護士(女性)などとともに、遠くから拝んだような気がする。

一目で惹きつけられるほど、精悍な居ずまいでぎらぎらしていたな。
ついでの折り、ちょいとショップをのぞいてみよう。

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