湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

11/18 思春期カフェ・北村年子さんの講演を聴いてきました

2017-11-19 06:06:47 | 地震津波災害ボランティア
2017/11/18 記
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思春期カフェ「学びの会第3回講演会(北村年子さん)」に参加した。13時からというのはよくない。母と朝食を兼ねた昼食をとるので、後片付けをすると、どうしても12:30は、まわってしまう。今回は会場が本村ということもあって、どのバスを使っても間に合わないということがわかっていたので、あきらめて徒歩で会場に向かったのがよかった。

会場はほぼ満席。若い母親が多い。白髪頭は私だけ。

講師の北村年子さんは、路上生活者支援の「湘南あすなろ会」の関係で、2009年の北村さんの著書「 「ホームレス」襲撃事件と子どもたち―いじめの連鎖を断つために」の出版時に、あすなろ会の企画の関係でお会いしたのだった。印象はシャープに情況を読めるが、昔風のセクトのように、内と外の目をもつ、外見柔らかなできる人という印象があった。書籍も、視点あざやかなドキュメントであった。

現在の北村さんへの期待をこめて参加したのだが、生の課題に臨場するまなざしは失せ、庇護されるべき思春期の子を守る母親の心得を説く宗教者になっていて、がっかりした。心理学専攻者が陥る社会関係を捨象した内的根拠に解答があるかのような幻想の罠にはまっていた。

もうひとつは、生きにくさを持った外見からは個性の強い子と、いじめや障碍のように困難を抱え孤立を深めている子の抱える問題の深刻さの差があって、なかには家庭崩壊の事情にある子を射程した支援からは、同じ話では通用しない、子ども情況の幅を感じてしまった。

健在なのは、寄り添いとともに考えることの重要さの話。ここが崩れていないことに安心したという次第。

私のような教育畑の人間は、授業技術を対象化している。徴収とのダイレクトな問いかけ対話から、話の流れをいっきにつくっていく手法や、正面ではなく隣の立ち位置から語る手法、マインドコントロールに使う包摂的な声調など場慣れした語りがあふれだすほど、課題のリアリズムが心がけにすりかわって、期待は失せてしまった。講演のプロの講演。過ってはいない、だけど違うというのが私の印象。

北村さんのせいではないが、時間切れで途中退席させてもらい、失礼しました。

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ビッグイシューをサポセンに流して、北茅ケ崎から橋本の訪問学習に向かい、急ぎ帰宅。ひとりというのに入浴しようとしている母を現行犯逮捕。(まったく…)

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残り物の野菜を使って、けんちんうどんを作る。これなら母が野菜を食べる。食事準備中、電話あり。昨日、私が板橋に行ったとき、有料家事援助の担当者が帰ったあと、母のお守りに浜見平の友人**さんが立ち寄ってくれたのだが、その**さんが突然現れた。昨日の報告だそうだが、しっかりけんちんうどんを食べて帰っていった。

こんなに本が散らかっているのだから、数冊捨ててもわからないだろうと母が言い、大切なものだと大変だからと廃棄に応じなかった話が暴露された。危ない危ない。文学書のような価値が出るものではないハードカバーばかり。しかしゴミよばわりは、だいぶきつい。

そういえば、重くて「もったいないジャパン」の++君に渡す書籍の包み、サポセンに持っていかねば。

夜間傾聴:ひとり
     塾長の奥さん

(校正1回目済み)


コメント
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