湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/31 板橋区の御用聞き支援研修に参加/障碍者の要望は多数者の要望になるか

2017-11-01 05:57:58 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/31 記
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風邪で滞っていた活動を再開し始めている。しかし、昨日の検査には参った。視野の見えない部分が拡大しているのではなく視細胞の密度が減っているという。「老化」だ。ただ併行して始まっている白内障の進行は、手術に至るほどではないのだそうだ。しかし見えない。夜間は通行人とニアミスで、ころびそうになったり、スマホなどをなくしたりと困った事態が増えている。やれるうちにと活動への気は焦る。

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今日は昼間、火曜災害ミニ・カフェが予定されていた。ところが会場を他団体が使用していたために中止。サポセンは部屋の予約のシステムがないのだ。11/14に移動した。無念さが募る。

昨日、鶴嶺高ボラ塾の見返りレポートを提出した。走り書きなので、てにおはが乱れていてまずかったなと思うが、粗方はこうだ。学校側の準備対応は前々年度と比較して格段に良くなったこと。(感謝)反面、授業開始や終了時の挨拶の徹底や、私の要援護者支援分科会に25名が集まるなど、不自然な様相の背後に、強い生徒管理が潜んでいないか不安があった。一方、サポセンスタッフには、技術的な問題や45分という時間の短さ。年1回の企画なら献立を見せただけで、次に繋がっていけない中途半端さがある。そのことを書いた。

災害ミニカフェの急な事態がああったので、サポセンのPCを使って、「わーく」の編集を進めておこうと思った。普段使わないサポセンのPC。驚いた。マウスポインターが小さくて、どこにあるか見失ってしまうのだ。画面全体の拡大ではなく、フォントの拡大ができないので、画面をなめるように近づかねば、作業ができないのだ。スタッフの方にお願いして、「ESCキーでポインターに輪が広がる」機能や「拡大鏡」機能をセットしてもらったが、アプリを開くと設定が解除されてしまう。これでは作業ができない。

そこで「ESCキーを押すことでポインタ位置がわかる」機能だけは標準でセットしてもらえないかと頼んだところ、「要望が『多かったら』考慮する」という応答が返ってきた。おかしなことだ。障がいは常に少数者、多いことはありえない。晴眼者と共存できる機能にしぼってお願いしたつもりだったが、障碍そのものへの認識がずれていることを改めて思わされた。ケアの重要性への途は遠いのだ。障碍の話だけではない。高齢化が進めば、フォントの大きさ設定の切り替え機能の充実などが望まれる。後手にまわるべきではないのだ。

板橋区役所が、「御用聞き支援の研修会」(11/17夜)に申し込んだ。ここでいう「御用聞き支援」とは、高齢化社会を見通した生活支援で、「ゴミ出し・電球交換・買い物・庭手入れ等」の生活短期波状支援のNPO立ち上げの話だ。「わーく」が提案している「災害時の避難生活孤立を防ぐ地元若者活動」ではない。しかし、その先にティーンズの地元貢献(社会参加)の形へと拡張していく夢があった。私は活動をたちあげるとき、発明された「よりましな」社会作りに、活動が現状を見失うことを常に警戒している。社会的必要性、解決が望まれている活動に煙幕が張られたように、実質回避されていく傾向が常に伴うからだ。その意味で「災害時孤立防止活動」や、今回の「高齢者向け御用聞き支援」は、明瞭な目的を持っている点で、優れていると思っている。板橋区の実践と、果たして交点は見つかるか不安ではあるが、話を聴いてくる。

11月は、すでに「思春期カフェ」や、3週続きの「火曜災害ミニカフェ」、歓迎されない「プレジョブ」がある。懇話会を今月立てなくてよかったと思っている。これは行けたら行きたいと思う「市民トリアージ」関連研修(静岡)、5日の「世界津波の日」(東京で参加中止)は、あきらめになりそうだ。母の見守りのことだ。板橋は夜企画で、21時までかかるので、母の夕食・入浴見守りをしなくてはならない。つねに浜見平の**さんに甘えるわけにはいかないので、先ほど家政婦さん(古い言い方か)をお願いした。1万円はいかないが、数千円は超えてしまう。尖った砂利を踏みしめて進むような踏みしめる痛みがある。無視包囲網の中では、情報は私の教養にしかならないだろう。しかし先を見通す投資であるのだ。

「地元ティーンズの防災の絆教室」の弱点の「参加ティーンズ集客力」について、アイデア一ひねり」が詰まって停滞している。打開策はある。ただ自信をもって公開できない。裏打ちのあちこちへの打診を続けている。

余談だが、クローズアップ現代が「オールナイトエコノミー」の話を出していた。外国人観光客が日本に来たのに、夜は遊ぶところがない。観光先進国と比較しても立ち遅れているという内容だ。時代遅れといわれようとも、なぜ夜が静かであってはいけないのか、宴会的な会話や、享楽的な遊びの夜でなくてはならないのか、さっぱりわからない。夜の静けさを価値と気づかない感性、盛り上がらなくては価値がないような強迫観念が見え隠れして、また商売優先かとうんざりもした。

夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

p.s. 母、昼にパスタを完食。夜、サバの味噌煮をたべた。「青魚でボケ防止かい」と母の悪態も復活しつつある。少しほっとしている。

コメント
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