2016/05/31 記
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橋本の帰りにサポセンに寄った。「金曜災害ミニカフェ」の6月分ポスターを届けるためだった。市社協掲示分は、明日提供する。
災害ボランティアのエネルギーは、平々凡々と続く日常生活を懸命に支えている自分が、これでいいのだろうかと社会貢献になる活動に「余力を割いた」というところにある。「自分のなしうることで、復興の活動の『お手伝い』をする」というところにある。被災という『社会的課題の解決策を考え実践する』というスタイルをとらない。設えた舞台上で脇役を演じる。「環境整備」と「元気付け」活動である。これを間違いとはいわないし、大事な活動であると思う。義援金募金などもそれに属する。
熊本地震のとき、長期の余震という特徴から、瓦礫撤去と家財道具等生活用品と家族の営みの証の救出と保護という、従来の災害ボランティア活動が思うように入れなかった。それは、続く余震で、常に新たな家屋の倒壊の危険があったからだった。
ここでは、避難所の限界と、車中泊に代表される被災者の多様なニーズが一気に噴出した。東日本大震災のときの教訓が活かされたところもあったが、必要な物資のメニューも洗練されていきたが、行政集積場の物資の分配要員がいないために、被災者に物資が届かないという事態がおきた。管理運営と防災、災害対策のすべてが、被災者でもある行政職員と専門職に「委ねられ」パンクしたという事態だった。誰が線を引き、采配を振るうのか(それは行政と地元災害ボランティアによるプレ・運用ネットワークが事前にない矛盾)それが問題となった。
必要な被災者の健康管理と避難生活の安定化に、外部ボランティアは限界が露呈したのだった。ニーズに応えきれないのだ。「お手伝い」ではなく、この言い方は不評なのだが「文殊の知恵」実践知が求められたのだった。
こういう災害場面のエネルギーの質のずれが、潜んでいる。
湘南にあって、私たちに何が出来るか、いざ地元被災にどう太刀打ちできるのか、ケース・カンファレンスが必要。そこは必要から関わるという舞台作りの作業である。知恵の掘り起こしの作業なのだが、路肩から流れを見る目がなければ、一般の支援者の心は動かないだろう。その意味で、金曜災害ミニカフェは、重要だと思うが、実際は辺境の営みであることにはかわらない。50回を越え、なおさらにそう思う。
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**子から緊急電話があり、改築中、不安から補助灯を点けて寝ていたこの子が、別部屋の闇の中で寝ることになり、不安で眠れない状態が続いていたという。親戚の家にいく車内でてんかん発作。以降、食事が全くとれなくなった。体が思うにまかせないという悲鳴のような電話だった。近所のお寺の住職に電話し、宿坊を借りて休ませることを提案。明日、住職がご両親と会う。PSWさんにメールをだした。
夜間傾聴>**子
ひとり
(校正2回目済み)