tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

12月8日を過ぎて

2008年12月10日 15時29分58秒 | 社会
12月8日を過ぎて
 12月8日を2日過ぎましたが、太平洋戦争を開戦から終戦まで、当時の日本の社会システムの中で、さまざまな経験をした者として、今、こんなことを考えています。

 考古学者の研究によれば、縄文時代の日本には戦さはなかったようで、その後、戦さを繰り返している大陸から、青銅や鉄の武器文明(を持った人たち)が流入し、戦争が多発したようです。

 もちろん武器文明だけではなく、農耕技術や、織物、陶器などの多くの文明が海外からもたらされました。島国であるだけに海外文物の摂取が日本の進歩にとって最も大事でした。

 日本で言われる諺の多くは中国の故事に由来しますし、「奥の細道」ですら、松島を洞庭、西湖など中国の景勝地と比較するなど、日本の古典の多くは中国文化の影響を大きく受けています。
 西洋との関係が始まると、蘭学、蘭方は憧れの的でした。明治時代から戦後になってからも「舶来」は優れたものの代名詞でした。こうしたあらゆる面で、昔から日本人は、海外の進んだ文物の摂取に極めて熱心だったことが知られます。

 これは島国に住むものにとっては、大変大事で有効な進歩のための資質ですが、武器文明の流入が戦争の惨禍をもたらしたように、輸入文物は、必ずしも良いものだけとは限りません。
 たとえば、明治時代、開国と共に日本は富国強兵という考え方を導入しました。そして、その実現の方法として、欧米がやっていた「植民地支配」という考え方も導入し、世界で最も後れて実践しようとしました。

 これは決定的な失敗でした。日本は元々そういうことは下手なのです。結果は1945年の敗戦でした。下手なことは無理してやらないほうがいい。日本が平和国家を目指したのは、本来の日本に帰ったということでしょう。

 経済面でも同じようなことが起きています。日本の得意技は「モノづくり」つまり付加価値(豊かさ)の「創造」です。それをやっていればいいのに、欧米から金融技術を導入して、他人の創った富を自分に移転させようとしました。しかし、ルール作りからやっている先輩にはとても敵いません。結果は失敗ばかりです。

 今回、アメリカが失敗を自作自演して見せてくれたたおかげで、この面でも日本は半分目が覚めたようですが、まだ「デリバティブ市場を東京に」などといっているところを見ると、危ない面も残っています。
 
 日本は今でも島国ですが、情報技術の発達のおかげで、島国のハンディはなくなりました。これからの海外の文物の導入は、縄文時代からの、本来の日本人の目で確り見て、「選択的導入」と「日本的な消化」を真面目に行う事が大事でしょう。
 そうすれば、日本は、日本らしい自然体のやり方で、これからの世界に本当に貢献できる国になれるのではないでしょうか。


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