Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

戸隠が待つもの

2010-07-27 | 神社とお寺
ギリシャ神話の冒頭、
地母神ガイアの怒りによる教唆で、
夫・天空神ウラノスは、息子たちに地位を逐われることとなった。

その際、彼らの企みに参加しなかった唯一の息子が
オケアノスである。

オケアノスは、大地を取り巻くと考えられていた大海の神であり、
河や泉の女神たちの父親にあたる。

配偶神は、同じティターン神族のテティス、
娘たちは数えきれないが、
一人はゼウスの最初の妻となったメーティスである。

***

オケアノスは、エジプトの知恵の神、トトにあたる神だと思う。

ギリシャ神話には、大海の神という他に特に記述はないが、
妻のテティスの名はトトの音に通じるし、
娘のメーティスは、エジプトでトトの配偶神とされていたマートに通じる。

大海の神ということで、
スサノオかも知れないと随分考えたのだけれど、
スサノオはトリトンだと思う。

トト=思兼神=観世音菩薩、
マート=妙理大菩薩=ターラー菩薩、
とする仮定は以前に書いたけれど、
オケアノスの音は観音にも思兼にも通じる。

テティスとメーティスが二人のターラー菩薩にあたるだろう。
知恵と思慮の深い女神とされている。

オケアノスとその一族が水の流れに象徴されるのは、
それが空=平衡動体を表すからだろう。

***

ゼウスは成人し、メーティスを追いかけ回していたが、
やがて捕らえ、孕ませたという。

オケアノス一族は優れた神々であるが故に、
メーティスの子もまた知勇に優れ、男ならばゼウスの地位を奪うだろうと、
天空神と地母神は予言した。

ゼウスは父クロノスを殺し王位を簒奪したが故に、
ゼウスもまた、王位を簒奪されるだろうと。

恐れたゼウスは、メーティスをその腹の中の赤子ごと“食べてしまった”。
しかし月満ちると、
武装したアテナがゼウスの頭から誕生したというのである。

この神話ゆえに、河合隼雄さんはアテナを、
母との繋がりが弱く、父の価値を取り込んだ
“父の娘”として扱っていた。

しかし、アテナをゼウスの娘とする神話は
後世の創作とする説もある。

ともかく、アテナは本来メーティスの娘であり、
オケアノスとテティスの孫にあたる。
つまり、母方に“空”の血を引いている。

メーティスに相当すると思われるエジプトの神マートは、
神々の“食べ物”とされていた。
エジプトにおいて、これは抽象的な意味を持つ。

つまり、マートは神という大地に注ぐ水であり、
神を豊かにする“御霊の殖ゆ”なのである。
粒子である魂を増す、大いなる平衡動体、粒子の流れなのだ。

しかし、ギリシャ神話は抽象性の極めて低い神話で、
ここに取り込まれると、神話は激しく即物化し、
神々の抽象性も失われて、擬人化、俗人化が行われる。

メーティスがゼウスに食べられてしまった、という神話は、
クロノスが子供たちを食べてしまった話とも通じるが、
一方で、神々の食物とされたマートの神格も思い出させる。

***

日本の神道において行われる行法の一つに、
丹田に魂をしっかりと繋ぎ止め、また、魂の量を増すための
“魂ふり”というものがある。

この魂ふりの守護神とされるのがアメノウズメなのだが、
中社に思兼を祀るその同じ戸隠の、
火の御子社に祀られているのは彼女なのである。

戸隠のアメノウズメは、
オケアノス=思兼の娘であり、アテナの母である、
マート=メーティスの一つの姿ではないだろうか?

また、九頭竜社に祀られる九頭竜さまは水と河の神であり、
オケアノスの妻・テティスと通じる。

宝光社の天表春はゼウス系の武神だと思う、と、
以前に書いたことがあるが、
これがアテナの父であり、メーティスの夫、オケアノスの娘婿になる。

ゼウスの姉で、正妻ともなったヘラは、家庭と女性の守護神であり、
これは宝光社の神徳とされる項目と同じである。

(宝光社にヘラが伴っているとしたら、恐ろしいことである。
ヘラの嫉妬深さと残酷さはよく知られる。メーティスは生きた心地もしないだろう)

奥社の手力雄さまが、国武彦=ミンと同神であれば、
これは、巫女アマテラス(王仁三郎によればアテナと同神)が取り次ぐべき、
伊勢内宮・心の御柱の神である。

つまり、戸隠には、アテナの血縁の神々と、
取り次ぐべき神が祀られているのだ。

ここに、アテナの再生を待つ密意が隠されていると考えるのは、
穿ちすぎであろうか?

***

それにしても、ギリシャの神々は、
因果応報を説かれて改めるどころではなく、
応報を防ぐために、平気で更に悪行を積む神々なのである。

…どうしたらいいんだろう…

***

(その後、宝光社の神さまはこちらに付いてくださいましたので、
今は問題ないと思います。

ただ、一度従えた天部だから、その後はどう扱おうと永遠に大丈夫、
という事ではないと思うんです。

天界の神々は、五感を楽しませるのが仕事で、瞑想はできないそうです。
ですから、自分では瞑想による向上ができず、
天部として楽しみ尽くす人生を終えたら、より低い人生に落ちるのです。

天部系の神々に対しては、敬意を捧げると共に、
できる方は、自身の瞑想の功徳を、参拝の際少しずつ、
迴向してくだされば幸いです。)

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